本書 訳者あとがき より抜粋引用
「はじめに」や「序文」でも明らかにされている通り、本書はアメリカ先住民について書かれた、
いわゆる「学術論文集」ではない。「絵本や伝記風の読み物に」という編集者エルシー・クルー
ズ・パーソンズの企画に応じて、アメリカの著名な人類学者たちが、それぞれの研究分野であ
り、フィールドワークの対象にしている特定の部族について書き下ろし寄稿した「物語集」なの
である。その意味で、八つの地域ごとに分類された23部族についての「逸話」類は、事実とい
う制約を離れることを許されない、堅苦しい「論文」集ではなく、ある程度はその拘束を脱して、
想像力を加味することもまた、作者の自由な裁量に任される、いわゆる「小説」や「ロマンス」
の領域に属する本と言ってもよいであろう。一人の主人公(実在の人物とは限らない)を設定
し、彼(もしくは彼女)の内面の描写を通して彼らが体験する外的な事件や背景を、浮かび上
がらせていく手法は明らかに「小説的」なものであるからだ。しかしながら、描かれたその事件
の一つ一つは、紛れもなく実際に起こった「事実」、もしくは事実に近い出来事である。従って
本書に収められたこれら27の逸話類は、いわば「史実」に基づく「歴史小説」であっても、決し
て根も葉もない架空の物語ではないのだ。
ところで、本書の「売り」は何といっても、第一章第一節の「煙管運び・・・・クロウ族の戦士」か
ら、最後の第八章の「イヌイットの冬」に至るまで、一旦、読みだしたら「止められない」その面
白さであろう。ただ、どの作品にも言えることだが、その結末はどこかしら、一抹の悲哀感を
認めざるを得ないのは、多くは「死」によって突如閉じられる主人公の劇的な生涯から醸し出
された気分、ただそれのみでなく、「歴史」における先住民の悲劇を我々が知悉しているとい
う、そのことによるものであろう。周知のように、北アメリカ大陸において、先住民と白人入植
者との熾烈な抗争が始まるのは西部開拓が本格化した1800年代の後半からである。原著が
初めて世に出た1922年においては事態は完全に終息し、すべての先住民はかつての広大な
土地を奪われ、保留区に拘束された不自由な生活を余儀なくされていた。従ってここに描かれ
たせ界とは既にその時点においても、遠い「過去」に属する風景であり、もはや目にすることの
叶わぬ、「往時」の懐かしい光景なのである。その意味で本書は、かつては大平原を疾駆する
バッファローの大群や、雪原を移動するカリブーの集団を追って、広大な大陸を縦横に駆け
巡った先住民に捧げられた「讃歌」であり、失われた彼らの栄光の歴史を今に甦らそうとして
建立された「記念碑」とも言えるだろう。
実は・・・・訳者が残念に思うことが一つある。それは、イロクォイやアルゴンキン、アパッチ、
ナバホ族などと並んで先住民の間でも、強大で勇猛果敢な部族としてその名を轟かせてた
ラコタ(スー)族やシャイアン族が、紙面の上で十分な「活躍」の場を与えられていないことで
ある。彼らが「悪役」、もしくは敵対する近隣のクロウ族や、イロクォイ族らの「引き立て役」に
留まっているのはいかにも不自然であり、どう考えても不公平の感を免れ得ない。憶測する
に、これはやはり、勇敢で高い矜持の持ち主であるがゆえに、合衆国との間に「最も多くの
抗争」を数え、最後まで合衆国に抵抗した、これらの部族の「前歴」が災いして、執筆者に敬
遠されたためでもあろうか? このような「不均衡」を是正するために、読者諸氏には是非、
巻末に掲げた参考文献に当たって、ラコタ族やシャイアン族に関する知識を補っていただき
たいと思う。
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