「孤独なインディアン」
アメリカ先住民名品集
リディア・マリア・チャイルド著 牧野有通訳
「動物記」やボーイスカウトなどを産んだアーネスト・シートン(1860−1946)の優れた 文献「レッドマンのこころ」は、インディアンへの差別と偏見に満ちた時代の中において 光を投げかける数少ない存在であったが、この「孤独なインディアン」の著者はシートン の前の世代(1802−1880)に生きた白人女性作家であり、1990年代からアメリカ で再評価されている人物である。勿論この時代はまだ白人とインディアンとの戦いは終 わっておらず、インディアンが絶滅寸前まで追い詰められて時代でもあった。このよう な時期に真実のインディアンを理解し、それを基にした短編を書いてきた著者は19 世紀の反インディアン差別、反奴隷制、反父権主義を掲げた活動家でもあった。この 文献にはインディアンに関する四つの短編と、「インディアンのための訴え」が収録され ているが、事実を基に描いた「ウィリー・ウォートン」やインディアンへの不当な差別を 訴えた「インディアンのための訴え」に、著者の悲しみや怒りそして希望が込められて おり、真の文明とは何かと問わずにはいられないものである。 2000年12月4日 (K.K)
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インディアンのための訴え(著者の言葉 本書より引用)
現在、われわれアメリカ人は文明がもっとも進歩した時代を生きているのだから、われわれの 生きた時代の記録はこれまでのものよりも、ずっと潔白なものにすべきである。同じ人間という 名の家族の一員であるインディアンや黒人とわれわれのこれまでの関係は、ほとんど一貫して 暴力と欺まんに満ちた歴史であったというのが明白な事実なのである。カソリックであれ、ピュ ーリタンであれ、われわれの先祖は常に異教徒の民族をペリシテ人と見なし、「神に選ばれし 民」である自分たちは、彼らを根こそぎ絶滅させるか、もしくは奴隷として所有する権限を与え られていると信じこんできた。ウィリアム・ペンという例外を除けば、初期の入植者たちはこの ような精神で原住民を扱ったのである。そのほかに時折ではあったが、心優しき白人が現状 からの改善を施そうと尽力したが、結局のところ、すべての白人側の法律、習慣、教会には 暴力的でごう慢な精神が満ちていたがために、全体としてはほとんど効果を上げることはで きなかった。1646年、ジョン・エリオット牧師はボストン周辺のインディアン部落においてキ リスト教伝道活動を開始した。そのとき、インディアンが彼に投げかけた問いは、われわれ の心を激しく揺さぶる。「われわれはイギリス人と二十六年間接してきた。彼らの言う神の 教えがかくも正しきものであったならば、なぜもっと早くに教えてくれなかったのか? もし、 そうしていたら、われわれはもっと早く神の教えを理解したであろうし、多くの罪は未然に防 げたはずだ」と。おそらくこの時期、素朴なインディアンたちはキリスト教の本来の教義を驚 きをもって受け止めたに違いない。しかしながら、エリオット師は多くのインディアン部落で、 千人以上もの「祈るインディアン」と彼が呼んだインディアンの集会を開くことには成功した。 彼らはエリオット師を慕い、キリスト教が放つ、まばゆい光を心から受け入れているように見 えた。しかし、このような少数の白人が善行に励んでいる一方で、相変わらず大多数の白人 はインディアンを虐待したり、だましたりし続けた。キング・フィリップ酋長メテコムは白人の 相次ぐ居住地侵害に激怒し、白人の領主なら当然そうするように、みずからの領土を守る ために反乱を起こした。これは白人にとって願ってもないインディアン征伐の口実となった。 こういった白人たちには、徹底した正直さと公正な正義でインディアンに対処した方が、は るかに安全で経済的に安上がりで、良策だということは思いもよらなかったのである。現在 のチェルムスフォードに、ワミスィット族と呼ばれた「祈るインディアン」のキャンプ地があっ た。ある日、白人のトウモロコシや干し草が蓄積されていた納屋が何者かによって焼き払 われた。インディアンは何らそれに関与していなかったのだが、白人入植者たちは全般的 に彼らへの偏見を持っていたため、彼らのしわざに違いないと信じ込み、報復行為にでる ことを決定した。彼らはキャンプ地へと赴き、インディアンに対し話し合うことを呼びかけ た。彼らは穏健なキリスト教を信じるインディアンとして知られ、自分たちはキリスト教に 守られていると信じていたため、躊躇することなく姿を現した。しかし、彼らが姿を見せる と、すぐさま白人からの一斉射撃が加えられ、一人が死亡し、七人が負傷した。森に逃 れた何人かは餓死した。インディアンの住む小屋は銃撃され、老齢で体の弱い七人は 焼け死んだ。その後、数名の逃亡したインディアンは捕獲され奴隷として売られた。当然 のことながら、このような状況下にあってはエリオット師の尽力も水泡に帰した。正直な インディアンたちに、このような一片の正義も慈悲もない宗教をいったいどのように信じ ろというのか? フレンチ=インディアン戦争がイギリスの勝利に終わった後、メイン州 ノリッジウォックのインディアン部落は1724年にイギリス人入植者の一団によって奇襲 され、男、女、子供はすべて虐殺された。インディアンが心から慕っていた白人カソリック 神父は報復として撃ち殺され、頭皮をはがされ、頭を手おので粉々にされ、手足はずた ずたに切り裂かれた。少なくとも、インディアンは白人よりもずっと言行が一致している。 彼らは復讐を誓うことを公言し、それに従って行動する。しかるにわれわれは愛と寛容 を教義とする宗教を有しているなどと公言しておきながら、それとはまったく反対の行為 をしているのだ。これはいったいどういうことなのか。(中略) これまで私が述べてきた 事実から考えてみると、インディアンのもっとも好ましくない特性から判断したとしても、 数世紀前のわれわれ白人が文明化を達成できたのならば、インディアンも同様に達成 しうると考えても無理ではないはずだ。だが、その前にわれわれは本当に文明化して いるといえるのだろうか? われわれがインディアンに対して過去に行ってきたこと、 そして現在行っていることをよく考えてみると、私は心からわれわれが文明化している などとはどうしても断言できないのである。キリスト教徒を自称し、十九世紀の紳士の 模範であると公言してはばからない白人たちが、単に権力者の気まぐれで生きたまま 黒人を焼き殺し、ブラッドハウンド犬を連れて彼らを追い回し、熱せられた鉄で焼き印 を入れ、穴のあいた体罰用のへれで殴って彼らを水脹れにさせ、鉄のとげが付いた むちで肌を傷つけるさまを脳裏に浮かべたとき、私は恥ずかしくて、とてもわれわれが 文明化している、などとは言えないのである。また「騎士道精神」を持つはずの白人が 戦争において、すでに終結しているにもかかわらず、死にかけた兵士を銃剣で突き刺 して殺し、厳寒のなか、薪には不自由しない広大な森林が目の前にあるにもかかわ らず、寒さに凍える戦争捕虜に便宜を図ることを故意に見逃し、風邪をこじらせ凍死 させたりする。こういう事例を考えるとき、私はインディアンがこの世でもっとも野蛮な 民族であるとはとうてい言えないのである。だが、それでもゆっくりとではあるが、世の 中は変化してきたし、これからも変化するのである。ひとつの心強い事実がそれを明 確に証明している。つまり、過去においては大衆の声はまったく無視されてきた。しか し、不正を告発する大多数の大衆の強力な声があれば、どんな弱者でも踏みにじら れたままで終わることはない。
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目次 孤独なインディアン チョコルーアの呪い 荒野の教会 ウィリー・ウォートン インディアンのための訴え 訳者解説
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