「水の国を見た少年」

マイケル・ドリス 著 中村融 訳 新潮社より引用


   








訳者あとがき 本書より抜粋引用


先住民の若者が、思春期特有の問題に悩んだり、迷ったりしながら成長していく姿を、

美しい大自然をバックに描いたもの・・・・とまとめてしまえば、これまでの二作「朝の少女」

(新潮文庫)、「森の少年」(新潮社)と同じだが、本書には前二作と大きくちがう点がひとつ

ある。前二作が、ありふれた日常生活に起きるちょっとした事件をスケッチ風に描いてい

たのに対し、本書は通過儀礼を真正面からとりあげ、波瀾万丈の冒険物語を展開してい

る点だ。


通過儀礼とは、文化人類学の用語で、ある共同体の一員になるために通らなければなら

ない試練のこと。入学試験や成人式もその一種と考えていい。本書では、この通過儀礼

が、ふたつの形であらわれる。ひとつは、村の少年がおとなとして認められるために弓の

腕前を披露する競技会。もうひとつは、主人公が体験する、親もとをはなれての冒険旅行

だ。主人公は目が悪い。そのため矢を的にあてることができない。だが、主人公は目の悪

さを耳の鋭さでおぎなう。さらに、聞こえた音をもとにして、推理を組み立てることをおぼえ

る。こうして主人公は、ほかの者には見えないものが「見える」ようになる。そして能力を認

められ、みごとにおとなの名前を勝ちとる。その名前が<木の陰を見る>なのだ。しかし、

主人公にとって、試練はそれだけではない。この能力を見こまれて、村の長老とふたりで

旅に出ることになったのだ。長老が探しつづけている、世にも美しい<水の国>を見つけ

るために・・・・。


こうして簡単に内容を紹介しただけでも、前二作にくらべ、ストーリー性が前面に出ている

ことがおわかりだろう (余談だが、本国では<ディズニー・アドヴェンチャーズ>という雑誌

に本書の一部が先に発表された)。むかしから旅には冒険と試練がつきものだが、作者に

とっては新境地といえる。だが、起伏に富んだストーリー以上にすばらしいのが、キャラク

ターの造形と風景描写だ。前者についてはいうまでもないだろう。出てくる人物のほとんど

が、忘れがたい印象を残す。なかでも主人公の造形はきわだっている。目が悪いという短

所を長所に変えて活躍する主人公には、だれもが共感をおぼえるにちがいない。私事で

恐縮だが、訳者自身、目は決していいほうではないので、近くのものがにじんで見えたり、

遠くのものがもやもやした色のかたまりに見えるといった記述に、いちいちうなずいてしま

う。それだけに、くっきりものが見たいという主人公の願いがよくわかるし、はじめてはっき

りものが見えた場面では、わがことのように喜んでしまった。この感激は、訳者ひとりのも

のではないと信じている。


後者については、目に見える景色を描くだけではなく、音やにおいや肌ざわりといった五感

を総動員した描写によって、作者は風景を立体的に再構成していると指摘しておこう。もち

ろん、圧巻は、<水の国>の場面だ。なんだかとりとめのない「あとがき」になってしまった

が、最後に残念なお知らせがある。じつは、作者のドリスが昨年(1997年)他界してしまった

のだ。外報によれば、モーテルで死亡しているところを発見されたとのこと。警察の発表で

は、自殺ということになっている。享年五十二。まだ老けこむような歳ではないし、本書で新

境地を開いただけに、ますますその早すぎる死が惜しまれる。つつしんで冥福を祈りたい。


なお、遺作としてヤング・アダルト小説第四作 The Window が、近く刊行される運びとなっ

ている。これは前三作とはうってかわった現代もので、黒人の父と先住民の母とのあいだに

生まれた少女が、いることさえ知らなかった白人の親戚と心の交流をはたす物語。作者の

おとなむきの長編で、邦訳もある秀作「青い湖水に黄色い筏」(文藝春秋)の前編となって

いる。機会があれば紹介したい。







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