「ハスティーン・クラー ナバホ最高のメディスンマン・砂絵師の物語」

フランク・J・ニューカム著 鈴木幸子訳 生活書院 より引用







ナバホの砂絵や儀式で使う様々な歌(チャント)に精通した最後のメディスン

マン、ハスティーン・クラー。その4代に渡る歴史、そしてクラーと深い信頼関係

にあった著者(白人女性)が共に経験した砂絵に代表される治癒の儀式などを

細かく記録し、後世の人のために残した貴重な文献である。

(K.K)





Hosteen Klah 1867-1937


 


アメリカ南西部・・・・リオ・グランデ川とコロラド川のあいだに広がる広大な一帯は、

遥か昔から先住民が生を営む荒野であり、「大地の支配者」と呼ばれたナバホの民

が君臨する聖なる地であった。他の部族との絶え間ない緊張や入植者・合衆国軍

による侵攻、強制移住、干ばつ、そして共生への模索・・・・ナバホ民族は、傑出した

酋長であるナーボナのもとで苛烈な歴史を歩んでいく。本書の主人公であるハステ

ィーン・クラーは、ナーボナの曾孫として生まれ、やがて史上最高のメディスンマン

(呪医)として全米にその名を馳せた人物である。彼こそが、複雑かつ独特なナバホ

の神話世界を完璧に継承した最後の人物であった。象徴的な砂絵を描き、降霊した

神々と語らい、薬草を処方して人々を癒し導く・・・・超越的な力を駆使して儀式を執り

行なう「メディスンマン」とは、一体何者なのか。そのすべてを知る賢者として、クラー

はいかなる人生を経験したのか。ナバホ族から揺るぎない信頼を得た白人女性で

あり、驚異的な記憶力により儀式の砂絵を水彩画として残した筆者が本書に記した

こと、それはクラー一族が四代にわたる「困難に満ちた迫害や隷属、さらに飢餓寸前

にまで陥った英雄的ともいえる自己抑制の日々」の物語である。

本書 表紙 より引用


 



話をしたり冗談を言ったりする者は一人もなく、タバコを吸う者も動き回る者もいない。

呼び出し係が扉の外に出て叫んだ。「儀式が始まるぞ。さあ急いで!」。すでに患者役

の妹は容易も整って待機している。いよいよ一族の女たち10人の、いや12人くらいい

たであろうか。おつきを従えて小屋に入場する時だ。患者が中に入り、扉の近くに立っ

たが、その時この大勢の女たちはまだ建物の外壁に沿って座っていた。新しい衣装と

ペンドルトン社製のショールに身を包んだ患者。胸には儀式用のコーン・ミールがいっ

ぱい入った籠をしっかり抱えている。メディスンマンの身振りに従って、彼女は絵の近く

に歩み寄り、まず各図像にコーン・ミールを振りかけて、神々への贈り物を表す。つぎに

ショールを南西の角に敷き、その上に彼女の銀のビーズ、ビロードのブラウス、靴と靴下

を脱いで置いた。これが終わると、クラーは彼女を砂絵の上へと導いて、西にある丸太

の上に東を向いて座るよう身振りで指示した。



儀式で行なわれる祭式は、花粉による清め、祈祷用のバンドルを患者の頭と身体に押

しつける行為、薬草を煎じたものの服用。そして顔面に色を施すフェイス・ペインティング

から成り、いずれも合間に祈りの歌を挟んで、別に進められる。儀式も終盤に近く、メディ

スンマンが砂絵の上に足を踏み入れ、湿った両手を描かれた砂の図像すべての頭に押

しつけたあと、その手についた砂を患者の頭に押しつけた。つぎに彼の手は図像の肩に

押しつけられ、そして、その砂は患者の肩へと移された。この一連の行為は、彼女の胴体

から足へと続いて下がってゆき、かくして砂絵の図像にこめられた力は患者へと移された

のである。完璧に描かれた図像のお陰で、今や彼女は完璧な健康を得たことになる。最後

の儀式の祭式は、燻蒸の礼だ。火の焚かれている窪みから、まだ燃えている石炭を取り

出して患者の前に置き、これは居合わす観客も望めば同じようにその前に置いてもらえる

のだが、その上からミント、セージ、芳香のするスーマック、そのほか種々の薬草を混ぜ合

わせた物を振りかける。青い色をした濃厚な芳香の煙が立ちのぼって患者の頭を覆い、

体内に吸い込まれてゆく。これは、自分を悩まし続けた病が再発するのではないかという

患者の心の中の怖れを払拭するために行なわれる。煙が消えると、水が少し石炭にかけ

られ、それで儀式は終了だ。



クラーが患者を助け出すためにその足下に羽のついた杖を差し出すと、患者は絵から歩

み出て自分のショールの所へと戻り、脱いだ物すべてを腕に抱えて、その他の女たちにつ

き添われて小屋を後にした。絵の上の図像はひどくぼんやりしたものになっており、クラー

は杖を取って模様のすべてを跡形もなく消してゆく。それがただの灰色の土台になると、

助手たちがその砂を運搬用のブランケットにかき集めて北の方角に持って行った。羊や牛

に踏まれる恐れのない土手の隠れた所にばら撒くのである。後日クラーに、翌日使う砂を

取っておいたことがあるかと尋ねると、彼は「ない! 砂はその目的に応じて用意されたの

だし、それにまだそれは神聖なのだ。大地の一部だから、風が、元来あるべき場所へ戻し

てくれるだろう」と答えた。



 



初日の前夜、私はクラーの女家族のホーガンに出向き、クラーの妹に髪の毛と白貝の

ネックレスをユッカの石鹸の泡で洗ってもらった。それが済むと、女たちに伴われ、アーサ

ーとクラーが仲良く煙草を吸っている儀式の小屋へ入っていった。私が座る所には花粉で

描かれた絵があり、数本の虹の弧がその周りを囲んでいた。その場に居合わすのは、

クラーの妹と彼女の二人の娘、クラー、アーサー、そして私自身で、まったく内輪の集まり

だった。歌が始まり、その変化に乏しいリズムを聞いていると眠くなってきて、私の唯一の

問題は、ずっと起きていることだけのようだった。それから、夜通し一ヶ所に座っていなくて

もよいとわかった。クラーが歌を中止して花粉で線を南に引いて行く時は、私も後をついて

行ってその方角から清めてもらい、そのあと再び中央部に戻るのである。しばらくして、同じ

ことが西に向けて行なわれ、次に北へ、そして最後に東へと繰り返され、この東の清めが

終わると、儀式も終了した。アーサーと私が家に帰ったのは、明け方の5時を過ぎていた。



4時間後、砂絵が完成したというので私たちは儀式の小屋に呼び戻された。その絵は確か

に砂絵と同じ技法で描かれていたが、実際には「砂絵」とは呼べなかった。砂がまったく使わ

れていなかったのである。絵の地は小さな正方形を上部に乗せた長方形で、白いコーンミ

ールでできていた。根元から天辺まで伸びたトウモロコシの青い茎は、青いコーンミールで

できており、黄色の花粉で輪郭が描かれていた。トウモロコシの下に立っている2体の図像

は、白いコーンミールでできており、その輪郭は花びらから採った赤色で描かれ、青い鳥は

青い花粉で、そして黒い鳥は砂の混じっていない木炭でできていた。2体の白い図像は「魂を

与える者」を表し、白い長方形は生命の家を表していた。トウモロコシには4本の横木と花粉

でできた4個の足跡があり、それは4つの段階を経て進む生命の梯子を意味し、その上部に

ある青い鳥は、最終ゴールとしての平和と幸福を示していた。



それは何とも美しい方法で、生命の梯子を上る一人一人の努力だけによって精神的な強さ

は得られ、その最後に平和と幸福がある、ということを、居合わす人々に思い起こさせるので

あった。




 



アルバカーキにある私の所属する教会組合が、教会の慈善事業にインディアンのプログラム

を組めないかと私に頼んできたのは、1935年10月のことだった。私は、もしお望みなら、クラー

ならナバホの歌をうたいに来てくれると思う、と伝えた。そのプログラムは金曜日の夕方に実行

され、私は「ナバホの砂絵の象徴」という題で話した。とてもよい声をしたオクラホマ・インディアン

のレビ・ケンブルが「青い月」と「空色の湖のある土地」をうたい、クラーが自ら奏するガラガラの

リズムに合わせて短いナバホの歌をうたった。催しは大成功だった。聴衆で溢れかえり、誰もが

クラーに会って握手をしたがった。帰宅したのはかなり遅い時刻だった。



翌日は土曜日で、娘たちも学校が休みだったので、アーサーとクラーと一緒に私も娘も保留地

に戻ることができた。ギャラップ経由で200マイルの道程だったが、道路の大部分がまだ未舗装

だった。曇りで秋の風が吹き荒れていたので、私たちたちは朝早くに出発した。もとより急ぐ旅で

はなかったが、砂塵が渦巻き、にわか雨が降り、さらに時間がかかりそうな気配がした。40マイル

も進んだ頃だったろうか。重ったるい雲が風に吹かれて空を暗く覆い、激しい突風が襲ってきて、

車の運転が難しくなった。突然、私は右手のメサの彼方を見て叫んだ。「あれは何なの」。みんな

一斉にそっちの方を向き、アーサーが大声を上げた。「竜巻だ!」。車を止めた。全員、黒い砂

時計のような形をした円柱が回転して、ゆらゆら揺れながら移動しているのを見やった。このまま

行けば、私たちの前方約半マイル(約800メートル)の所で道路と交差するだろう。そのうち横風が

その中心に向かって吸引されているのを肌で感じ始めた。恐ろしいことに、なんと、竜巻はまっす

ぐこっちの方に向きを変えたのである。それまでみんな車の前に立って、その漏斗形の物が前進

してくる様子を見ていたが、この時になって私は娘たちに大急ぎで車に乗り込むよう指示した。

しかし、クラーは違っていた。ゆっくりと、その物凄い渦巻きの方に向かって歩いて行ったのであ

る。渦はミツバチの群れが何千も集まったような音をたてて近づいてくる。彼はしゃがんで土を少

し拾い、それとも砂漠の植物の一部だったのか、その塊を、お祈りを唱えている自分の口の中に

入れた。竜巻に対峙している彼一人を残して向きを変えて逃げ去るなど、どうしてできよう。それ

に、ともかく逃げるにはもう遅すぎた。ただ座っているしかない。この時の私たちの一家ほどおび

えた人間もいなかっただろう。クラーは、渦巻く風の中にゆっくり歩み続けていたが、突然両手を

差し上げ、口の中の混ぜ物を近づく円柱に向けてまっすぐに吹き出し、そして大声を上げて唱え

た。すると円柱は一瞬静止し、そのあと砂時計の漏斗のくびれた所から真二つに別れてしまった。

上の部分は上昇して、低く垂れ込めた雲に吸い込まれ、下の部分はひっくり返った巨大な独楽の

ようにクルクル回転しながら右に外れて、もとの進路に帰って行くではないか。



クラーが向きを変えて、車の方に戻ってきた。私たちが目撃したのは、信念の奇跡だったのだろう

か。この日に限っては、そうだったと私は信じている。後に、クラーにその時採り上げた草と土につ

いて尋ねたところ、「風の霊より大地の霊の方が、大きい力があるのだよ」ということだった。その

あと車を進め、竜巻が鉄道線路とハイウェイを交差した地点まで来ると、たくさんの電柱が地面か

ら引き抜かれ、薪のように砕かれていた。暫くのあいだ、囲い柵やもつれたワイヤーが行く手をふ

さいだ。また、広いバレーを横断していると、高いメサの側面に白い裂け目が現われたりした。その

夜、ニューカム一家は心から感謝の祈りを捧げた。何よりも、私たちを救うために命を賭けてくれた

素晴らしい友クラーを与えて下さったことを、神に感謝した。



 


本書 訳者あとがき より抜粋引用

著者のフランク・J・ニューカム(1889−1970)は、ウィンスコンシン州で生まれ、後に

アリゾナ州フォート・ディファイアンスにある連邦政府インディアン局所管の先住民対象

の学校に教師として赴任し、1914年アメリカ南西部ニューメキシコ州ペシュドクリシュ

で交易所を営むアーサー・ニューカムと結婚した。アーサーの妻として二人の娘の母と

して荒野の交易所で暮らす中、ナバホ族のメディスンマンのハスティーン・クラーと親し

くなり、彼との交際を通して「歌」(チャント)と呼ばれる儀式に参加するようになった。

そこで目にした砂絵に惹きつけられ、彼の指導のもと、儀式で描かれた儀式後に消され

てしまう砂絵を、水彩画として記録し保存する仕事に取り組む。現地で四半世紀暮らした

後、交易所を引き揚げ、ニューメキシコ州最大の都市アルバカーキに移住したが、75歳

の時、ハスティーン・クラーを中心とするナバホの一氏族四代にわたる伝記と当時の暮

らしの回想を著わした。それが本書である。本書以外にも、文化人類学者グラディス・A・

レイチャードと共著の『ナバホ「射弓」の歌の砂絵』(1937年)、『ナバホの縁起と禁忌』、

『ナバホのシンボリズム研究』、『ナバホの隣人たち』などを著わしている。


 


目次

まえがき(ルーシー・G・ブルームフィールド)

謝辞

参考文献一覧

凡例・付記

ナバホ一帯地図



T ナーボナ酋長

第1章 ナーボナ、酋長になる

第2章 守りの戦法

第3章 大地の支配者

第4章 ナーボナの死


U グランマ・クラー

第5章 少女時代

第6章 ボスケ・レドンド・・・・長い旅

第7章 故郷と家族


V ハスティーン・クラー

第8章 ニーヤチェイでの少年時代

第9章 アパッチ族の叔父との生活

第10章 メディスンマンの教育

第11章 織物師とメディスンマン

第12章 クラーの得業の儀式

第13章 「インフルエンザ」と清めの儀式

第14章 砂絵柄の織物と皇太子

第15章 東部での休暇

第16章 シカゴそして奇跡

第17章 虹の道

第18章 美術館


関連年表

訳者あとがき

索引



「プラセボ効果 信じる者は癒される」 ナショナル ジオグラフィック 2016年12月号を参照されたし








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