Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)
首長ルーサー・スタンディング・ベアの言葉 (テトン・スー族)
幼少のころ、わたしは与えることを学んだ。文明化されるにしたがい、 この恵みを忘れてしまった。自然のなかで暮らしていたのに、現在 は人工的な環境のなかで暮らしている。昔は、小石のひとつひとつ がわたしには大切であった。成長する木々の一本一本が、崇敬の 対象であった。今、わたしは白人といっしょに、風景画の前で礼拝す る。その絵は金銭的価値があるのだそうだ! このように、インディ アンは作り変えられてゆく。自然の岩を細かく砕いてブロックを作り、 近代社会の建物の壁の一部にするように。・・・・・・・・・・・・
最初のアメリカ人(訳注=先住民族を指す)は謙虚な自尊心を持って いた。その性格にも教えにも霊的にも傲慢さは見られなかった。言葉 をみごとにあやつるものは語らぬ被造物より優れている、などと考え たりはしなかった。それどころか、それはわざわいをもたらす才能と思 われていた。最初のアメリカ人は沈黙を深く信じていた。沈黙は完全 な平衡のあかしであるから。沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあ いをとっていることである。自己を保っている人は、葉の一枚たりとも 動かぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のように、つねに静か で、実存のあらしに揺すぶられることがない。無学な賢者の考えによ れば、もしあなたがその人に「沈黙とは何か」と尋ねるならば、その 人は、「沈黙とは大いなる神秘!」「聖なる沈黙はそのお方の声!」 と答えるであろう。もしあなたが「沈黙のもたらすものは」と問うなら ば、その人は、「自己抑制、真の勇気、堅忍不抜、尊厳、そして崇高。 沈黙は人格にとって隅の親石である。」というであろう。・・・・・
宇宙と一体化して
男は自分のティピ(訳注=北アメリカ先住民族のテント小屋、円錐形の天幕) のなかで、地べたに座り、生命と人生について、またその意味について瞑想 している。男は、あらゆる被造物から仲間としての愛を受け取っている。もろ もろのものが構成するこの宇宙と自分が一体化するとき、自分の存在の深み のなかに文明の神髄が吸い上げられることを知っている。自然とともにいる人 が、このような発達の仕方を捨ててしまってからは、立派な人格形成はむず かしくなった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「生命の織物」 女子パウロ会より引用
昔、人々は文字どおり大地を愛するためにやって来た。 母なる大地の力を近くに感じようと、 土の上に座りこみ、身を横たえる。 大地に触れることは肌にいい。 だから昔、人々はモカシンを好んで脱ぎ捨て、 裸足で聖なる大地の上を歩いた。 ティーピーを大地の上に建て、土で祭壇をしつらえた。
空を飛ぶ鳥は、羽を休めようと大地に降りてくる。 そこはすべての生きものが最後にたどりつく場所。 そこで魂は安らぎ、勇気づけられ、清められて、癒される。
だからこそ年老いたインディアンは、 命の源から離れて動きまわることはせず、いまだに土の上に座る。 土の上に座り、横たわることで、 より深く考え、より鋭く感じることができるから。 生の不思議がよりくっきりと見え、 生きとし生けるものを、より身近に感じることができるから。
「風のささやきを聴け」より引用
「心に響く言葉」 1999.09.09 「グレイト・スピリットの庭に咲く花」を参照されたし
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