「生命の織物」

原みち子・濱田滋朗訳 女子パウロ会





小さい本でありながら、世界各地の先住民族の深い洞察と畏敬の

念の言葉を集めた好著。記憶は鮮明ではないが、私が初めてイ

ンディアンの精神文化に触れた本である。インディアンは勿論の

こと、カナダのイヌイット、メキシコのインディオ、オーストラリア

のアボリジニー、フィリピン、北海道のアイヌ、ザイール、グアテマ

ラのノーベル平和賞を受けたメンチュの先住民と呼ばれる人々の

深遠な言葉を紹介している。・・・・・・・・・・・・・・・・

(K.K)


雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし


 




酋長 ルーサー・スタンディング・ベアの言葉(本書より)


幼少のころ、わたしは与えることを学んだ。文明化されるにしたがい、

この恵みを忘れてしまった。自然のなかで暮らしていたのに、現在

は人工的な環境のなかで暮らしている。昔は、小石のひとつひとつ

がわたしには大切であった。成長する木々の一本一本が、崇敬

対象であった。今、わたしは白人といっしょに、風景画の前で礼拝す

る。その絵は金銭的価値があるのだそうだ! このように、インディ

アンは作り変えられてゆく。自然の岩を細かく砕いてブロックを作り、

近代社会の建物の壁の一部にするように。・・・・・・・・・・・・

最初のアメリカ人(訳注=先住民族を指す)は謙虚な自尊心を持って

いた。その性格にも教えにも霊的にも傲慢さは見られなかった。言葉

をみごとにあやつるものは語らぬ被造物より優れている、などと考え

たりはしなかった。それどころか、それはわざわいをもたらす才能と思

われていた。最初のアメリカ人は沈黙を深く信じていた。沈黙は完全

な平衡のあかしであるから。沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあ

いをとっていることである。自己を保っている人は、葉の一枚たりとも

動かぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のように、つねに静か

で、実存のあらしに揺すぶられることがない。無学な賢者の考えによ

れば、もしあなたがその人に「沈黙とは何か」と尋ねるならば、その

人は、「沈黙とは大いなる神秘!」「聖なる沈黙はそのお方の声!」

と答えるであろう。もしあなたが「沈黙のもたらすものは」と問うなら

ば、その人は、「自己抑制、真の勇気、堅忍不抜、尊厳、そして崇高。

沈黙は人格にとって隅の親石である。」というであろう。・・・・・



宇宙と一体化して



男は自分のティピ(訳注=北アメリカ先住民族のテント小屋、円錐形の天幕)

のなかで、地べたに座り、生命と人生について、またその意味について瞑想

している。男は、あらゆる被造物から仲間としての愛を受け取っている。もろ

もろのものが構成するこの宇宙と自分が一体化するとき、自分の存在の深み

のなかに文明の神髄が吸い上げられることを知っている。自然とともにいる人

が、このような発達の仕方を捨ててしまってからは、立派な人格形成はむず

かしくなった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 
 


あとがき 原みち子 より引用


このところしばらく、国連は一定の期間を女性、子ども、障害を持つ人等々、どちらか

というと弱い立場におかれてきた人々に目を向け、理解を深める年として定めてきま

した。それは、焦点を合わされる側の人々に励ましを与え、その生の質を高めること

にかなり貢献したでしょう。しかし、その立場にいなかった者たちも、そのつど、異なる

視点を与えられたのです。おかげで、私たちの視野は広がり、異なるものに対する理

解は深まりました。そして国連は今年(1993年)を「国際先住民年」と定めました。

「先住の」にあたるindigenous(英)(仏)(西)などの言葉には、「地球上のある場所、

区域の総合的な統一を構成する一部である、また、統一体の一部として不可欠な」と

いう意味がこもっています。


15世紀から17世紀前半の「大航海時代」とよばれるころ、西ヨーロッパ地域の人々

は、アフリカ、アメリカ、アジアなどにかなり積極的に出かけていきました。その人々

は、体系的な学問を文字を使って表すことができ、テクノロジーを発達させていた「文

明人」でした。両刃の剣であるテクノロジーは、強力な武器を生みましたから、「文明

人」は到達した地の人々よりも強く、その結果、自分たちのほうが高度な人間である

かのように思いがちでした。そして、残念なことに、その地の人々から学びつつ、とも

に生きるより、むしろ、そこの人々から奪い、その生を破壊することのほうが多かった

のです。西ヨーロッパ人による大規模な植民地化以外にも、似たようなことは、時代や

場所をずらせて、あちこちで行われました。日本でもアイヌの人々が、自分たちの意思

と無関係に、生活の場を奪われたり、父祖伝来の文化を捨てざるをえない状況に追い

こまれたりしました。


機械で物質を製造できるようになった「文明人」は、ゴム、人工繊維、コンクリート、鉄

などに囲まれて暮らすうちに、地球、月、太陽系、全宇宙の放射するものを感知する

力が衰えて、自分たちが「その体系に組み込まれたもの(indigenous)であることを、

しだいに忘れてしまいました。そして、自分の癒し、育む大自然への畏れや感謝はう

すれ、宇宙を対象化して、ただ科学的にとらえがちになっていきました。しかし、大地に

接して生きてきた先住民族は、現代の学問が「発見」しつつある、宇宙の様相や地球

の磁場と生命の密接な関係、また、最近の物理学が「エネルギーからの物質生成」と

述べていることなどを、意識と無意識の双方で知っています。生態系の微妙なバランス

を忘れたこともありません。


その表現方式が「文明人」のものとまったく異なるので、先住民族の知識、文化、生活

様式は、幼稚なもの、劣ったもの、とみなされがちですが、それは驚くべき知恵の宝庫

です。たとえば、「文明人」が「野蛮で遅れている」と思いがちな先住民族の文化に、不

気味にも見える顔料や血の使い方、恍惚状態(エクスタシー)に入っていく歌や踊り、

儀式、などがあります。しかしそれらは神経を活性化したり、あるいは催眠状態に導い

たりして、通常の意識によっては近づけないものに接し、また、宇宙との一体感を表現

するためのものだといわれています。


現代文明につかりきったように見える人々も、しかし、神話的表現で語られる宇宙の

真実に、あるいは地球を囲む「気」や生物、鉱物の持つ、育み、また、癒す力に、改め

て目を向けるようになりつつあります。今、さらに、謙虚に先住民・・・・その神秘と自分

のつながりをよく知り、それを畏れ、喜び、感謝してその守護を願いつつ生きてきた

人々・・・・に聞くならば、「文明人」も、「じつは自分たちも、宇宙の総合的な統一を構成

する一部として不可欠な存在、indigenous先住民なのだ」と悟るでしょう。それは、昔に

もどることではなく、渇欲に苦しみ、自らを汚染してやまない現代文明の行き詰まりを

切り開くヴィジョンを得ることのように思えます。


このように大切なことを改めて考え直させ、知恵の宝庫への道をいざなってくれるこの

「国際先住民年」に、先住民族の生活、宇宙観、自然観、訴え等を集めた本の出版を

女子パウロ会が企画なさり、思いがけないことに、ほかの方たちとともに私もそのお手

伝いをさせていただけまして、まことにうれしく存じました。仕事中、深い感動にいくたび

胸がいっぱいになりましたことか。ここに収められた深く、美しいメッセージが、できるだ

け多くの方のもとに届きますように。


 


目次


アメリカ 「酋長シアトルのメッセージ」 テッド・ペリー作 原みち子訳


カナダ 食物の分かち合い 極北の狩猟民イヌイットの知恵 岸上伸啓


アメリカ 北アメリカ先住民族の知恵 テリ・マクルーハン編 原みち子訳


メキシコ 貝紫 アルベルト・ロペス・ハビブ


南米(中央アジア地方)インカ帝国の三つの掟 マヌエル・加藤


オーストラリア イニシエーションにおいて体に傷をつけることの意味 ロバート・ローラー 原みち子訳


フィリピン タウスグの詩と格言 三浦太郎


北海道 山や川は人類共有の財産 萱野茂


ザイール 神様は風だ おじいさんから聞いた知恵の言葉 夢絵手・ムルアカ・ジョン


アルゼンチン 「忘れられたことどもの歌い手」の詩 アタワルパ・ユパンキ 濱田滋郎訳


グアテマラ 先住民の声を聞き誇りと夢に理解を 民族の「共生」へ メンチュさんに聞く

リゴベルタ・メンチュ 聞き手 宮川政明


あとがき 原みち子


 


酋長シアトルのメッセージ テッド・ペリー作 原みち子・訳 (本書より引用)



ワシントンの大酋長が、我々の土地を買いたいといってこられた。大酋長はまた、友情と好意の

ことばもおくってくださった。ご親切なことだ。なぜなら、我々がすでに承知しているように、ワシン

トンの大酋長は、こちらからの返礼の友情などはいらないのだから。



しかし、お申し出はよく考えてみよう。なぜなら、我々にはわかっているのだ。もし売らないといえ

ば、白い人は銃を持ってやってきて、我々の土地を奪うだろう、と。



いったいあなた方は、大空や大地の暖かさをどのように売ったり買ったりするおつもりか。その

ような考え方は、我々にはふしぎでならない。大気の爽やかさも、水の輝きも、人の所有物では

ないのに、あなた方はどうしてそれを買ったりできるのか。



わたしの民にとっては、この大地はどこもかしこも神聖なのである。光り輝く松葉の一本一本、

砂州のひとつひとつ、暗い森の霧の一粒一粒、ブーンとうなる透きとおった虫の一匹一匹が、

わたしの民の記憶と経験の中では、聖なるものなのだ。木の中を流れる樹液は、赤い人の数

知れぬ記憶を運んでいる。



白い人の死者は星のあいだを歩くようになると、自分の生まれた国を忘れてしまう。我々の死者

は、この美しい大地をけっして忘れない。なぜなら、それは赤い人の母だからだ。我々は大地の

一部であり、大地は我々の一部である。



かぐわしい花々は、我々の姉妹、

鹿、馬、大鷲、

彼らは我々の兄弟だ。

険しい岩山、牧場の朝露、ポゥニー(訳注・背丈が1.5メートル以下の数種の小馬の総称)の体

の温もり、そして、人・・・。

どれも皆、ひとつの家族に属している。



それゆえ、ワシントンの大酋長は我々の土地を買いたいと言ってよこされるが、それはなんと

過酷な要求であろう。大酋長は我々に、心地よく暮らせる保留地を確保してやる、とおっしゃる。

ご自分は我々の父親となられ、我々は大酋長の子どもになるのだそうだ。



それゆえ、我々の土地を買おうというお申し出を、よく考えてみよう。しかし、それは簡単なこと

ではない。なぜなら、我々にとってこの土地は神聖なのだ。



せせらぎや川をきらきらと流れる水、それはただの水ではなく、我々の祖先の血でもある。もし

我々があなた方にこの土地を売るのなら、あなた方は、この土地は神聖なものであることをしっ

かり覚えていなければならない。そして、あなた方の子らに教えなければならない、この土地は

神聖なのだ、湖や池の澄んだ水の一瞬のきらめきの、そのひとつひとつが、ここで暮らしてきた

民が経験した出来事やその心に刻まれた記憶を語っているのだ、と。水のつぶやきは、我々の

代々の父たちの声である。



川は我々の兄弟だ。我々の渇きをいやしてくれる。川はカヌーを運び、子らを養ってくれる。もし、

我々がこの土地をあなた方に売ったら、川は我々の兄弟であることを、・・・またあなた方の兄弟

であることを、あなた方は忘れてはならない。また、子らにそう教えなければならない。そして、

それゆえ、あなた方はどの川にも、ほかの兄弟たちにするのと同じように、やさしく接しなければ

いけない。



赤い人は、侵入する白い人を前にひたすら後退をつづけてきた。山々の霧が、朝日が昇ると退

くように。しかし、我々の祖先の灰は神聖なものである。祖先の墓地は聖なる土地、また、ここ

に連なる丘も、ここに生える木々も聖なるもの。この土地一帯は、我々にとっては聖(きよ)めら

れたものである。



白い人が、我々の生き方を理解していないことは知っている。白い人にとっては、ある土地も

その隣の土地も別に変わりはない。なぜなら、白い人はよそ者で、夜になると忍んできて、土地

から自分に必要なものを手あたりしだい取っていってしまうのだから。白い人にとって大地は兄

弟ではなく、敵なのだ。それゆえ、征服しては、先へ先へと移動していく。親たちの墓をあとに

残すこともなんとも思わない。我が子の大地を奪うこともなんとも思わない。親の墓も子の相続

権も忘れてしまう。白い人は、母である大地も兄弟である大空も、羊や光るビーズ玉と同じよう

に売り買いしたり、奪いとったりできるものであるかのように扱う。白い人の欲は大地をむさぼ

りつくし、その去ったあとには、荒れ地だけが残るであろう。



わたしは分からない。我々のやり方は、あなた方のやり方と違う。あなた方の都会の光景は、

赤い人の目に苦痛を与える。しかし、それは、たぶん、赤い人が「野蛮人」で、鈍いからなの

だろう。



白い人の都会には静かな場所がまったくない。春先に木の芽がほどけるかそけき昔、また、

虫の羽がこすれるかすかな音の聞こえる場所がない。しかし、それは、たぶん、わたしが「野蛮

人」で、鈍いからなのだろう。絶え間なく鳴る硬い音は、耳を辱めるとしか思えない。もし夜鷹の

寂しい鳴き声も、池のほとりでかしましく議論しあっている蛙(かえる)たちの声も聞けないのな

ら、生きるとはどういうことなのか? わたしは赤い人で、鈍い。インディアンが好むのは、池の

面をさっと吹いていく風の、やさしい、さわさわした音、そして、真昼の雨に清められた風の、ま

た、かぐわしいピニョン松(訳注・ロッキー山脈南部地域の松、実は食用になる)のあいだを吹き

ぬけてきた風の、そのにおい。



大気は赤い人にとって貴いものである。なぜなら、すべてのものは、ひとつの息を呼吸している

のだから。・・・・獣、木、人、みんな同じ息を分けあっている。白い人は自分の吸う大気を気に

していないように見える。何日も前から死にかかっている人のように、白い人は死臭に気づか

ない。しかし、もし、我々がこの土地をあなた方に売ったら、あなた方は忘れてはならない。大

気はわたしたちにとって貴いものであること、大気はその霊を自分が支えているあらゆる生命

に分けていてくれることを。



我々の先祖にその最初の息を与えた風は、また、最後に吐く息を受けとってくれる。そして、風

は我々の子らにもまた、生命の息吹を与えてくれるにちがいない。それゆえ、もし我々がこの

土地をあなた方に売ったなら、あなた方はこの地を特別な場所、神聖なものとして、大切に守ら

なければならない。たとえあなた方が白い人であっても、そこを訪れれば、牧場に咲く種々の草

花の甘い香りを漂わせる風を味わい、楽しむことができるように。



それゆえ、この土地を買ってあげよう、というあなた方の申し出を、我々はよく考えてみよう。

もし我々がそれを受けるとしたら、わたしはひとつの条件をつける。白い人はこの土地に棲む

獣たちを、自分の兄弟のように扱わなければならない。



わたしは「野蛮人」で、鈍いから、それ以外のやり方はわからない。わたしは、大草原に一千

頭ものバッファローの腐った死体がころがったままにされているのを見たことがある。白い人

が汽車で通りすぎながら、銃で撃ったのだ。わたしは「野蛮人」で、鈍いから、我々がただ生き

るためだけに殺すバッファローより煙を吐く鉄の馬のほうがなぜ大切なのか、わからない。



獣がいないならば、人とはいったい何なのか? もし、獣たちがまったくいなくなってしまったら、

人は、その魂のあまりの寂しさに、死んでしまうだろう。なぜなら、獣に起きることは、ほどなく

人にも起きるのだから。あらゆるものは互いにつながりあっているのだ。



あなた方は自分の子らに教えなければならない。その子らの足の下の地面は我々の祖先の

灰である、と。あなた方の子らがこの土地に敬意をもって接するように、あなた方は子らに語

って聞かせなければならない、大地は我々の血縁の者たちの生命を抱いているから豊かな

のだ、と。我々が子らに教えてきたように、あなた方も自分の子らに教えなければいけない、

大地はわたしたちの母である、と。大地に起こることは、大地の子らにも起こる。人は地面に

つばを吐くとき、自分自身につばきしているのである。



我々は知っている、大地は人のものではない、人は大地あったの存在である、と。我々は知っ

ている。すべてのものは、ひとつの家系をつなぐ血のようにつながっている、と。すべてのもの

はつながりあっている。大地に起きることはなんであれ、大地の子らにも起きる。



人が生命の織物を織るのではない。人は、その織物のひとすじの糸に過ぎない。生命の織物

に対して人がすることは、それがなんであれ、自分自身にすることなのである。



しかし、居留地を用意したからそこへ行くように、というあなた方の申し出を、よく考えてみよう。

わたしたちは互いに離れて暮らそう。平和に。残りの日々をどこで過ごそうと我々にとっては

大したことではない。我々の子らは、父たちが戦いに敗れ、誇りをくじかれるのを見てしまった。

戦士たちは恥じて、敗北の後は怠慢に日々を過ごし、甘い食べ物や強い飲み物で体を汚して

しまった。残りの日々をどこで過ごそうと、我々にとって大したことではない。そう長い日々では

ない。あと数時間か、せいぜい冬を二、三回迎えれば、昔この大地の上で暮らしていて、今や

小さな群れとなって森の中をさまようしかなくなってしまった偉大な部族の、その墓を訪ねる子

らもいなくなってしまうことだろう。今のあなた方のように、強い力を持ち、希望に満ちていた

人々の、その墓を訪れて嘆く子孫はだれ一人いなくなってしまうだろう。しかし、なぜわたしは

自分の民の滅亡を嘆き悲しむのだろう。どの種族も人の集まりにすぎない。人は来ては去っ

ていくものだ。海の波のように。



白い人の神は、あたかも友が友にするように、白い人と肩を並べて歩いたり、話したりすると

いうが、この人類共通の宿命からは、たとえ白い人であっても逃れることはできない。結局わ

たしたちは兄弟なのかもしれない。いつの日か、わかるだろう。我々は、あることを知っている。

白い人もやがてそれを発見するかもしれないが、・・・・あなた方の神と我々の神は同じお方で

ある。あなた方は、今、我々の土地を所有したいと願っているように、そのお方を自分たちが

所有していると思っておられるかもしれないが、それはできないことである。そのお方は人みな

の神であられ、そのあわれみは赤い人にも白い人にも等しく注がれる。大地は、そのお方に

とってこよなく大切なもの。大地を傷めることは、その創造の主をさげすむこと。



白い人もやがてはいなくなる。・・・・たぶん、ほかの種族より先に。あなた方は自分の寝床を

汚しつづけるがよい。そうすれば、ある日、自分自身の排泄物のため窒息して、果てること

だろう。



しかし、あなた方は滅びるとき、神の御力に照らされて光り輝くであろう。神はあなた方をこの

地にみちびかれ、なにか特別の目的のために、この地と赤い人の統治権を委ねられた。そ

の定めの意味は、我々には隠されていて、わからない。なぜなら、バッファローが殺戮され、

野生の馬が飼い慣らされ、森の奥のひそやかな場所にすら大勢の人間のにおいが強くただ

よい、豊かな実りをもたらす丘の美しさも話すための電線のせいでそこなわれるとき、我々に

はすべてが不可解なのである。



林はどこだ? なくなっていまった。鷲はどこだ? もういない。駿足のポゥニーや狩りに別れ

を告げるとは、どういうことだ? それは、もう生き生きと生きることができなくなること、そし

て、生きのびるだけの日々が始まること。



それゆえ、この土地を買おうというお申し出を、よく考えてみよう。もし我々が承知したら、それ

は、せめてあなた方が約束している居留地を確保するためである。そこで我々は残り少ない

日々を、なんとか自分たちが望むように暮らしていけるかもしれない。



この大地から最後の赤い人が去ってしまっても、また、赤い人のいたしるしは大草原の上空

を動いていく雲の落とす影であっても、この地の汀(みぎわ)や森は、わたしの民の魂を宿し

つづけるのであろう。それはわたしの民が、生まれたばかりの赤子がその母の鼓動に親しむ

ように、この地に親しみ、この地を愛しているからである。それゆえ、もし我々があなた方に

この土地を売ったなら、どうか我々がこの地を愛してきたのと同じように、あなた方もここを

愛していただきたい。我々がこの地を大切にしてきたのと同じように、どうかあなた方もこの

地を大切にしていただきたい。ここを手に入れたときのこの大地のようすを、あなた方の胸

にしっかりとどめておいていただきたい。そして、あなた方は、力を尽くし、思いを尽くし、心

を尽くして、この地を、あなた方の子らのために大切に守り、そして、愛していただきたい

・・・・神がわたしたち皆を愛してくださるのと同じように。



あることを、我々は知っている。あなた方の神と、我々の神は同じお方である。大地は、その

お方にとってこよなく大切なもの。たとえ白い人であっても、同じ宿命から逃れることはできな

い。



結局、わたしたちは兄弟なのかもしれない。いつの日かわかるであろう。







酋長シアトルの1854年の演説は、ヘンリー・スミス博士によって書きとめられ、1887年に

スミス版として出版された。1970年の「地球の日の集い」でそれが読み上げられたとき、

出演者の一人、テッド・ペリー教授は深い感銘を受けた。そして、地球汚染を扱った映画

のナレーションのために、その演説からインスピレーションを受けつつ、ここに紹介した

アメリカ先住民族のメッセージ“Chief Seattle's Message”を創作した。



しかし、その映画のプロデューサーはペリー教授の許可なしに、そのナレーションがシア

トル酋長自身の演説であるかのように扱っている。




「シアトル首長の言葉」

雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし









アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

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