Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


アメリカ・インディアンの言葉




酋長シアトルの言葉

6つの文献から「酋長シアトルの言葉」を引用しました。




「大地の声 アメリカ先住民の知恵のことば」阿部珠理著より引用


1991年9月から1992年1月まで、一冊の絵本がニューヨーク・タイムズのノンフィクション

部門のベストセラーを続けた。Brother Eagle,Sister Sky - a Message from Chief Seattle

がそれである。タイトルにあるチーフ・シアトルは、現在のワシントン州にかつて住んでい

たスクワミシュ・ドワミシュ族の長であり、この本は彼のスピーチが底本となっていた。そ

の後すでに、当時副大統領のアル・ゴアが、著書「地球の掟」の中でそのスピーチを引用

したこともあり、チーフ・シアトルは、一躍脚光をあびることになる。実はシアトルのスピー

チと言われるものは、いくつも存在する。もっとも古いものは1887年10月29日、彼の名を

冠するシアトルの地方紙『シアトル・サンデイ・スター』に掲載されたもので、これは医師

ヘンリー・A・スミスによって書かれたものである。それから80年以上が経過した1970年

4月22日、初めての「地球の日」に、テキサス大学のキャンパスで詩人で古典学者のウィ

リアム・アロースミスが「シアトルのスピーチ」を朗読した。それはスミス版を彼流に翻案

したものである。その「地球の日」の催しにフレッド・ペリーという映像学を教える教師が

参加していて、アロースミスの朗読に感激した。サザン・バプテスト・コンベンションがペリー

に環境破壊のドキュメンタリーの脚本依頼をしたとき、彼は迷わず「シアトルのスピーチ」を

使うことにした。その後脚本がABCで「ホーム」というドキュメンタリーとして流され、シアトル

・ブームに火がつくことになる。さらに脚本のスピーチが「シアトルからピアス大統領への

手紙」として Enviromental Magazine に載り、これがエコロジストたちのバイブルとなって、

チーフ・シアトルは環境保護の先駆者として挙げられることになった。




 


酋長シアトルのメッセージ テッド・ペリー作 原みち子・訳 (本書より引用)

「生命の織物」先住民族の知恵 原みち子・濱田滋朗訳 女子パウロ会 より引用。



ワシントンの大酋長が、我々の土地を買いたいといってこられた。大酋長はまた、友情と好意の

ことばもおくってくださった。ご親切なことだ。なぜなら、我々がすでに承知しているように、ワシン

トンの大酋長は、こちらからの返礼の友情などはいらないのだから。



しかし、お申し出はよく考えてみよう。なぜなら、我々にはわかっているのだ。もし売らないといえ

ば、白い人は銃を持ってやってきて、我々の土地を奪うだろう、と。



いったいあなた方は、大空や大地の暖かさをどのように売ったり買ったりするおつもりか。その

ような考え方は、我々にはふしぎでならない。大気の爽やかさも、水の輝きも、人の所有物では

ないのに、あなた方はどうしてそれを買ったりできるのか。



わたしの民にとっては、この大地はどこもかしこも神聖なのである。光り輝く松葉の一本一本、

砂州のひとつひとつ、暗い森の霧の一粒一粒、ブーンとうなる透きとおった虫の一匹一匹が、

わたしの民の記憶と経験の中では、聖なるものなのだ。木の中を流れる樹液は、赤い人の数

知れぬ記憶を運んでいる。



白い人の死者は星のあいだを歩くようになると、自分の生まれた国を忘れてしまう。我々の死者

は、この美しい大地をけっして忘れない。なぜなら、それは赤い人の母だからだ。我々は大地の

一部であり、大地は我々の一部である。



かぐわしい花々は、我々の姉妹、

鹿、馬、大鷲、

彼らは我々の兄弟だ。

険しい岩山、牧場の朝露、ポゥニー(訳注・背丈が1.5メートル以下の数種の小馬の総称)の体

の温もり、そして、人・・・。

どれも皆、ひとつの家族に属している。



それゆえ、ワシントンの大酋長は我々の土地を買いたいと言ってよこされるが、それはなんと

過酷な要求であろう。大酋長は我々に、心地よく暮らせる保留地を確保してやる、とおっしゃる。

ご自分は我々の父親となられ、我々は大酋長の子どもになるのだそうだ。



それゆえ、我々の土地を買おうというお申し出を、よく考えてみよう。しかし、それは簡単なこと

ではない。なぜなら、我々にとってこの土地は神聖なのだ。



せせらぎや川をきらきらと流れる水、それはただの水ではなく、我々の祖先の血でもある。もし

我々があなた方にこの土地を売るのなら、あなた方は、この土地は神聖なものであることをしっ

かり覚えていなければならない。そして、あなた方の子らに教えなければならない、この土地は

神聖なのだ、湖や池の澄んだ水の一瞬のきらめきの、そのひとつひとつが、ここで暮らしてきた

民が経験した出来事やその心に刻まれた記憶を語っているのだ、と。水のつぶやきは、我々の

代々の父たちの声である。



川は我々の兄弟だ。我々の渇きをいやしてくれる。川はカヌーを運び、子らを養ってくれる。もし、

我々がこの土地をあなた方に売ったら、川は我々の兄弟であることを、・・・またあなた方の兄弟

であることを、あなた方は忘れてはならない。また、子らにそう教えなければならない。そして、

それゆえ、あなた方はどの川にも、ほかの兄弟たちにするのと同じように、やさしく接しなければ

いけない。



赤い人は、侵入する白い人を前にひたすら後退をつづけてきた。山々の霧が、朝日が昇ると退

くように。しかし、我々の祖先の灰は神聖なものである。祖先の墓地は聖なる土地、また、ここ

に連なる丘も、ここに生える木々も聖なるもの。この土地一帯は、我々にとっては聖(きよ)めら

れたものである。



白い人が、我々の生き方を理解していないことは知っている。白い人にとっては、ある土地も

その隣の土地も別に変わりはない。なぜなら、白い人はよそ者で、夜になると忍んできて、土地

から自分に必要なものを手あたりしだい取っていってしまうのだから。白い人にとって大地は兄

弟ではなく、敵なのだ。それゆえ、征服しては、先へ先へと移動していく。親たちの墓をあとに

残すこともなんとも思わない。我が子の大地を奪うこともなんとも思わない。親の墓も子の相続

権も忘れてしまう。白い人は、母である大地も兄弟である大空も、羊や光るビーズ玉と同じよう

に売り買いしたり、奪いとったりできるものであるかのように扱う。白い人の欲は大地をむさぼ

りつくし、その去ったあとには、荒れ地だけが残るであろう。



わたしは分からない。我々のやり方は、あなた方のやり方と違う。あなた方の都会の光景は、

赤い人の目に苦痛を与える。しかし、それは、たぶん、赤い人が「野蛮人」で、鈍いからなの

だろう。



白い人の都会には静かな場所がまったくない。春先に木の芽がほどけるかそけき昔、また、

虫の羽がこすれるかすかな音の聞こえる場所がない。しかし、それは、たぶん、わたしが「野蛮

人」で、鈍いからなのだろう。絶え間なく鳴る硬い音は、耳を辱めるとしか思えない。もし夜鷹の

寂しい鳴き声も、池のほとりでかしましく議論しあっている蛙(かえる)たちの声も聞けないのな

ら、生きるとはどういうことなのか? わたしは赤い人で、鈍い。インディアンが好むのは、池の

面をさっと吹いていく風の、やさしい、さわさわした音、そして、真昼の雨に清められた風の、ま

た、かぐわしいピニョン松(訳注・ロッキー山脈南部地域の松、実は食用になる)のあいだを吹き

ぬけてきた風の、そのにおい。



大気は赤い人にとって貴いものである。なぜなら、すべてのものは、ひとつの息を呼吸している

のだから。・・・・獣、木、人、みんな同じ息を分けあっている。白い人は自分の吸う大気を気に

していないように見える。何日も前から死にかかっている人のように、白い人は死臭に気づか

ない。しかし、もし、我々がこの土地をあなた方に売ったら、あなた方は忘れてはならない。大

気はわたしたちにとって貴いものであること、大気はその霊を自分が支えているあらゆる生命

に分けていてくれることを。



我々の先祖にその最初の息を与えた風は、また、最後に吐く息を受けとってくれる。そして、風

は我々の子らにもまた、生命の息吹を与えてくれるにちがいない。それゆえ、もし我々がこの

土地をあなた方に売ったなら、あなた方はこの地を特別な場所、神聖なものとして、大切に守ら

なければならない。たとえあなた方が白い人であっても、そこを訪れれば、牧場に咲く種々の草

花の甘い香りを漂わせる風を味わい、楽しむことができるように。



それゆえ、この土地を買ってあげよう、というあなた方の申し出を、我々はよく考えてみよう。

もし我々がそれを受けるとしたら、わたしはひとつの条件をつける。白い人はこの土地に棲む

獣たちを、自分の兄弟のように扱わなければならない。



わたしは「野蛮人」で、鈍いから、それ以外のやり方はわからない。わたしは、大草原に一千

頭ものバッファローの腐った死体がころがったままにされているのを見たことがある。白い人

が汽車で通りすぎながら、銃で撃ったのだ。わたしは「野蛮人」で、鈍いから、我々がただ生き

るためだけに殺すバッファローより煙を吐く鉄の馬のほうがなぜ大切なのか、わからない。



獣がいないならば、人とはいったい何なのか? もし、獣たちがまったくいなくなってしまったら、

人は、その魂のあまりの寂しさに、死んでしまうだろう。なぜなら、獣に起きることは、ほどなく

人にも起きるのだから。あらゆるものは互いにつながりあっているのだ。



あなた方は自分の子らに教えなければならない。その子らの足の下の地面は我々の祖先の

灰である、と。あなた方の子らがこの土地に敬意をもって接するように、あなた方は子らに語

って聞かせなければならない、大地は我々の血縁の者たちの生命を抱いているから豊かな

のだ、と。我々が子らに教えてきたように、あなた方も自分の子らに教えなければいけない、

大地はわたしたちの母である、と。大地に起こることは、大地の子らにも起こる。人は地面に

つばを吐くとき、自分自身につばきしているのである。



我々は知っている、大地は人のものではない、人は大地あったの存在である、と。我々は知っ

ている。すべてのものは、ひとつの家系をつなぐ血のようにつながっている、と。すべてのもの

はつながりあっている。大地に起きることはなんであれ、大地の子らにも起きる。



人が生命の織物を織るのではない。人は、その織物のひとすじの糸に過ぎない。生命の織物

に対して人がすることは、それがなんであれ、自分自身にすることなのである。



しかし、居留地を用意したからそこへ行くように、というあなた方の申し出を、よく考えてみよう。

わたしたちは互いに離れて暮らそう。平和に。残りの日々をどこで過ごそうと我々にとっては

大したことではない。我々の子らは、父たちが戦いに敗れ、誇りをくじかれるのを見てしまった。

戦士たちは恥じて、敗北の後は怠慢に日々を過ごし、甘い食べ物や強い飲み物で体を汚して

しまった。残りの日々をどこで過ごそうと、我々にとって大したことではない。そう長い日々では

ない。あと数時間か、せいぜい冬を二、三回迎えれば、昔この大地の上で暮らしていて、今や

小さな群れとなって森の中をさまようしかなくなってしまった偉大な部族の、その墓を訪ねる子

らもいなくなってしまうことだろう。今のあなた方のように、強い力を持ち、希望に満ちていた

人々の、その墓を訪れて嘆く子孫はだれ一人いなくなってしまうだろう。しかし、なぜわたしは

自分の民の滅亡を嘆き悲しむのだろう。どの種族も人の集まりにすぎない。人は来ては去っ

ていくものだ。海の波のように。



白い人の神は、あたかも友が友にするように、白い人と肩を並べて歩いたり、話したりすると

いうが、この人類共通の宿命からは、たとえ白い人であっても逃れることはできない。結局わ

たしたちは兄弟なのかもしれない。いつの日か、わかるだろう。我々は、あることを知っている。

白い人もやがてそれを発見するかもしれないが、・・・・あなた方の神と我々の神は同じお方で

ある。あなた方は、今、我々の土地を所有したいと願っているように、そのお方を自分たちが

所有していると思っておられるかもしれないが、それはできないことである。そのお方は人みな

の神であられ、そのあわれみは赤い人にも白い人にも等しく注がれる。大地は、そのお方に

とってこよなく大切なもの。大地を傷めることは、その創造の主をさげすむこと。



白い人もやがてはいなくなる。・・・・たぶん、ほかの種族より先に。あなた方は自分の寝床を

汚しつづけるがよい。そうすれば、ある日、自分自身の排泄物のため窒息して、果てること

だろう。



しかし、あなた方は滅びるとき、神の御力に照らされて光り輝くであろう。神はあなた方をこの

地にみちびかれ、なにか特別の目的のために、この地と赤い人の統治権を委ねられた。そ

の定めの意味は、我々には隠されていて、わからない。なぜなら、バッファローが殺戮され、

野生の馬が飼い慣らされ、森の奥のひそやかな場所にすら大勢の人間のにおいが強くただ

よい、豊かな実りをもたらす丘の美しさも話すための電線のせいでそこなわれるとき、我々に

はすべてが不可解なのである。



林はどこだ? なくなっていまった。鷲はどこだ? もういない。駿足のポゥニーや狩りに別れ

を告げるとは、どういうことだ? それは、もう生き生きと生きることができなくなること、そし

て、生きのびるだけの日々が始まること。



それゆえ、この土地を買おうというお申し出を、よく考えてみよう。もし我々が承知したら、それ

は、せめてあなた方が約束している居留地を確保するためである。そこで我々は残り少ない

日々を、なんとか自分たちが望むように暮らしていけるかもしれない。



この大地から最後の赤い人が去ってしまっても、また、赤い人のいたしるしは大草原の上空

を動いていく雲の落とす影であっても、この地の汀(みぎわ)や森は、わたしの民の魂を宿し

つづけるのであろう。それはわたしの民が、生まれたばかりの赤子がその母の鼓動に親しむ

ように、この地に親しみ、この地を愛しているからである。それゆえ、もし我々があなた方に

この土地を売ったなら、どうか我々がこの地を愛してきたのと同じように、あなた方もここを

愛していただきたい。我々がこの地を大切にしてきたのと同じように、どうかあなた方もこの

地を大切にしていただきたい。ここを手に入れたときのこの大地のようすを、あなた方の胸

にしっかりとどめておいていただきたい。そして、あなた方は、力を尽くし、思いを尽くし、心

を尽くして、この地を、あなた方の子らのために大切に守り、そして、愛していただきたい

・・・・神がわたしたち皆を愛してくださるのと同じように。



あることを、我々は知っている。あなた方の神と、我々の神は同じお方である。大地は、その

お方にとってこよなく大切なもの。たとえ白い人であっても、同じ宿命から逃れることはできな

い。



結局、わたしたちは兄弟なのかもしれない。いつの日かわかるであろう。







酋長シアトルの1854年の演説は、ヘンリー・スミス博士によって書きとめられ、1887年に

スミス版として出版された。1970年の「地球の日の集い」でそれが読み上げられたとき、

出演者の一人、テッド・ペリー教授は深い感銘を受けた。そして、地球汚染を扱った映画

のナレーションのために、その演説からインスピレーションを受けつつ、ここに紹介した

アメリカ先住民族のメッセージ“Chief Seattle's Message”を創作した。



しかし、その映画のプロデューサーはペリー教授の許可なしに、そのナレーションがシア

トル酋長自身の演説であるかのように扱っている。




「シアトル首長の言葉」

雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし



 


スクアミッシュ族の族長シアトルの言葉 (本書より引用)

「我らみな同胞」インディアン宗教の深層世界 A.C.ロス著 スーザン・小山訳 三一書房より引用。


私たちの土地を買いたいというあなたたちの言葉はよく検討しておこう。

だから性急に決断を強いるのは控えてほしい。

これは私たちが自分たちで決めなければならないことがらだからだ。

売ると決めたならば、つぎのことがらを条件としたい。



私たちは父祖代々の骨の埋まった大地を、静かに歩く。

その自由を白人は奪ってはならない。

なおかつ、白人はこれらの土地をその足で汚してはならぬ。

その地はつねにさんさんたる太陽と、柔らかい恵みの雨にさらされなければならぬ。

そうすれば雨水が緑の芽のうえに落ち、それは地下にしみ入って、

祖先の乾いた喉を潤すであろう。



この大地のすべては私たちにとって神聖である。

すべての丘、

すべての谷、

すべての平地も森も、

それは私たちの歴史、民族の経験を秘めているのだ。

海岸に横たわるものいわぬ岩ですら、

過去の出来事と、その思い出を語ろうとして騒がしい。

あなたが踏みしめるその土は、

あなたがたのより、私たちの足音により敏感に応える、

なぜなら、この大地は私たちの父祖の灰だからなのだ。

私たちのはだしの足は、肉親の優しい感触を知っている。

大地はわれわれの親族の命に満ちている。



人間はこの世の旅人、

大洋の波のように寄せ来てはまた去って行く。

涙も、グレイト・スピリットへの祈りも、

所詮はひとの心の嘆き、

そしてそれは永遠の空間に消えて行く。

白人でさえ、

そしてその全能の神でさえ、

この運命を避けることは出来ない。



誰がなんといおうと、私たちは兄弟なのだ。

真実は、いずれわれわれに明かされることだろう。


 


シアトル首長の言葉

「酋長の系譜」 新正卓 著 押田成人 訳 講談社 より引用


ワシントンの大統領のお便りによれば、

我々の土地を買い上げたい、とのこと。友情と好意のお言葉も添えてあります。

あなた方の申し出を考えさせていただきます。

 我々が売らなければ、白人たちは銃を持って私どもの土地を取り上げに来るかもしれませんから。 

この申し出の考え方は我々にとって不慣れなものです。

大気の新鮮さや水の輝きもこの地域のどの部分も聖なるものです。

輝く松葉、砂浜、奥深い森の霧、すべての切り透かし、そしてハミングする虫たち、皆、

この民の思い出の中で、また体験の中で聖なるものなのです。

水のささやきは私たちの声です。川は我々の兄弟であり、我々の渇きをいやしてくれます。

川は我々のカヌーを運び、我々の子供たちを養います。

もし我々のこの土地をあなた方に譲るとするなら、

その時あなた方は、川とは我々の、そしてあなた方の兄弟であり、

どの兄弟にも示すその親切を川にも示さねばならぬということを、必ず思い出してください。

白い人の死者は、星の間を歩きはじめると、生まれ故郷を忘れます。

我々の死者は決してこの美しい大地を忘れることがありません。

なぜならそれは、赤き人々の母だからです。

しかし、我々の土地を買いたいという申し出を考慮してみます。

もし我々が賛成するならば、それは、お約束になった代替地を確保することを意味します。

多分そこで残された短い日々を、望むように生きられるのでしょう。

最後の赤い人が地上から消え、彼の記憶が牧草地を通り過ぎる雲の影のようになった時でも、

あの浜辺たちや森たちは私の民の霊を保っていることでしょう。

なぜって、彼らは、生まれ出た赤子が母親の心臓の鼓動を愛するように、

この大地を愛していたからです。

だから、もし我々が我々の土地をあなた方に売るなら、

我々がこの土地を愛したように愛してやってください。

あなた方がそれを取り上げた時、そのままの土地の姿を心に刻んで下さい。

すべての力をもって、すべての思いをもって、すべての心を持って、

あなた方の子供たちのために、そのまま保存して下さい。

そしてその土地を愛して下さい。

・・・・・・神が私どもみんなを愛し給うように!


 


酋長シアトルの言葉

「ブラザーイーグル シスタースカイ」酋長シアトルからのメッセージ 
絵 スーザン・ジェファーズ 訳 徳岡久生+中西敏夫 JULA出版
 より引用


空が金で買えるだろうか? と、酋長シアトルは話し始めた。

雨や風をひとりじめできるだろうか?



母は、わたしにこんな話をした。

この大地にあるものはみな、わたしたちにとって神聖です。

松の葉。砂浜。暗い森にたちこめる霧。

草地も、羽音をたてて飛んでいる虫たちも。

みんな、わたしたち一族の思い出のなかに、

神聖なものとしてあるのですよ。



父は、わたしにこういって聞かせた。

わたしは知っているよ、木々の幹を流れる樹液のことを、

血管を流れる自分の血のことを知っているようにな。

わたしらは大地の一部だし、大地はわたしらの一部なのだ。

いいにおいのするあの花たちは、わたしらの姉妹だ。

クマ、シカ、大ワシ、あれたちはわしらの兄弟だよ。

岩山の峰、草原、

ポニー ・・・ みんな、同じ家族なのだ。



遠い祖先たちの声は、わたしにこう語った。

小川や大川をきらめき流れていく水は、ただの水ではない、

おまえの祖父のまた祖父たちの血でもある。

すきとおった湖水のなかのおぼろげな面影は、

わが一族のいのちの営みの記憶をものがたる。

せせらぎの音は、おまえの祖母のまた祖母たちの声よ。

川はわれらの兄弟。川はわれらのかわきをいやす。

川はわれらのカヌーを運び、またわれらの子らを養う。

おまえも川にやさしくあれよ、

兄弟たちにやさしくあるのと同じように。



亡き祖父の声は、こう語った。

大気は貴い。大気はすべてのいのちを支え、魂を与えてくれる。

わたしに誕生のいぶきをおくってくれた風は、

臨終のといきもまた、受け取ってくれたのだ。

この大地と大気を、いつまでも神聖なものとして守るように、

草原の花々のかおりに満たされた風を、だれもが、

心ゆくまで味わいにいける場所として。

最後の肌赤き人たちが、荒野とともに消え、

かれらの思い出が、草原をよぎる雲の影にすぎなくなったとき、

浜辺や森が、それでもここにあるだろうか?

祖先たちは、わたしにこう告げた。

われらは知っている、大地はわれらのものでなく、われらが大地のものであることを。



亡き祖母の声は、こう語った。

おまえが教わってきたことを、おまえらの子らに教えなさい。

大地はわたしたちの母であることを。

大地にふりかかることはみな、大地の息子とむすめにも、

ふりかかるのだということを。



聞いていただきたい、わたしの声を、わたしの祖先たちの声を、

と、酋長シアトルはいった。

あなたがた白人の宿命は、わたしたちには測りがたい。

何が起きるだろうか、バッファローが殺しつくされたときに?

野生のウマがみな、かいならされてしまったときに?

何が起きるだろうか、森の秘密のすみずみまで、

人間のにおいで満たされてしまったときに?



豊かな丘のながめが、電話線でよごされてしまったときに?

しげみはどこに? 消えてしまった。

ワシはどこに? 飛び去ってしまった!

何が起きるだろうか、わたしたちが速足のポニーと狩りとに、

最後の別れを告げるときに?

それはいのちの終わりであり、そして生き残りの戦いの始まりなのだ。



わたしたちは知っている。

血が人をつなぐように、すべての存在は網のように結ばれあっていることを。

人は、このいのちの網を織りだすことはできない。

人はわずかに網のなかの一本の糸、だから、

いのちの網に対するどんな行為も、自分自身に対する行為となることを。

わたしたちは、この地を愛している。

生まれたばかりの赤ん坊が母の鼓動を愛するように。

わたしたちの土地を買い取られるならば、

わたしたちと同じに、この地を大切になされよ。

この地の秘める思い出を、心にとどめおかれよ、

この地を受け取られたならば。

あなたがたの子どものまた子どものために、

大地や大気や川を、いつくしみ守られるように、

そしてわたしたちが愛してきたと同じに、この地を愛されるように。


 


アメリカインディアンのスピーチ

「どうやって空気を売るというのか」アメリカインディアンのスピーチ
 北山耕平 訳 田口富士雄 絵 新宿書房
 より引用


白人のチーフは 言う

ワシントンにいるビッグ・チーフが

わしらに友情の挨拶を送っている と

自分たちには敵対する意志などなく

あるのはひたすらに善意のみである と



なるほど

ありがたいことではあるのだろう

だが その見返りに彼らが望んでいるもの

それがわしらの友情などではないことも

わしらは 知っている



彼に従う人たちの数は 多い

この広い大平原を埋めつくす草のようだ

それにひきかえ

わしに従う者たちの数はどうだろう

嵐が咲きぬけたあとの大平原に

ポツンポツンと立っている

寂しそうな木々にも にている



偉大な人物で

心よき とわしも思う

白人のチーフが 今

わしらのもとに言葉を送ってよこし

わしらのこの土地を買いたい と申し出た

もし土地を売ってくれるのなら

喜んでわしらに楽な暮らしをさせてあげてもよい と



そうなると こちらとしても 考えこまざるをえない

いったい この申し出は どういうことなのか?



わしらの 土地を 買うだって?

白人は なにを買うつもりなのか と

わが一族の者たちは 聞くだろう



わしらには およそ理解できない

どうすれば 空気を 売ったり買ったりできるのか?

大地のぬくもりは 売ったり買ったりできるものなのか?

わしらには 想像することさえむずかしい



この甘い空気も

湧きあがる泉も

もともとわしらのものではないのだとしたら

どうやって それを 買うというのか?



太陽の光のなかできらめく 松のこだちの一本一本

砂浜の砂の ひとつぶひとつぶ

黒い森のかかる霧ですらも

この空間にあるなにもかも一切のものすべてが

たとえ

ブンブンという蜂の一匹一匹であろうとも

わしの一族の者たちの考えと思いのなかでは

どこまでも神聖なものとされている



幹のなかをのぼってくる樹液は

わしらレッドマンに

遠い記憶をよみがえらせる



わしらは 地球の一部なのだ

そして地球は わしらの一部でもある



よい香りの花は わしらの姉妹であり

鹿や馬や偉大な鷲は わしらの兄弟である



流れ落ちる川の流れの小さな泡の粒も

草原の花の蜜も

馬の汗 そして人の汗ですらも

すべてが ひとつのものとして 繋がっている

それが わしらの一族であり

わしらの部族であり

わしらの土地なのだ



しかるに

ワシントンにおられる偉大なるチーフが

ここに言葉を送ってよこし

わしらのこの土地を買いたい と申し出た

なんと たいへんなことを わしらは要求されているのだろう



わしらの生きる道を

白人が理解していないことは知っている



彼らにしてみれば

そこはどこにでもあるような

小さな土地のひとつかもしれない



白人は夜になるとあらわれては

必要なものを持ち去ってしまう

地球は 彼らにとって

母親でもなければ 兄弟でもなく

ただの敵にすぎない



白人はひとつの場所を征服すると

次の場所に移っていく

大地のことなど いたわりもしない

父親の墓の場所すらも わからなくなり

子供たちに伝えるべき大切なものも 忘れている



母である地球や 兄である空を

白人は まるで商品のように 取り扱う



食べても食べても

満たされることのない飽くなき飢えが

やがてこの地球を裸にして

ただ砂漠だけを あとに残す



どうにも わしらには 理解できない



わしらの道は あなた方の道とは違っている

それでもなお わしらが この土地を

売らなくてはならないのだとしたら

あなた方だって 知らなくてはならない



この空気が わしらにとって

どれほどの価値があるものなのかを

この空気が息となって伝わり

地上の一切の生命を 今日まで保ってきていることを



わしの曾祖父に最初の息吹を与えた風

わしの曾祖父がひきとった最後の風

同じその風が また わしらの子供たちにも

生命を与え続けていることを



すべてのものが ひとつに結ばれている

すべてのものは つながっている



地球に起こることは

そのまま地球の子供たちの身の上にも起こる



人間が生命という網を編んでいるのではなく

彼もまた その一本の糸にすぎない

人が その網にたいしてすることは

とりもなおさず、自分自身に向って

していることなのだ



やがて 近い将来

まるで大雨の後の川の水が

岩の裂け目を音を立てて流れ落ちるように

あなた方もじきに この土地にあふれるだろう



しかしそのとき わしと わしに従ってきた者たちは

まるで海の潮がひきょうに

いずこへともなく 姿を消す

その行く末は わしらにも 謎である



白人の夢を 知ることができるならば

その謎も とけるかもしれない



冬の長い夜に

彼らが子供たちに語って聞かせる願いや望みを

もし知ることができるのなら

彼らが いかなるヴィジョンを心に刻みこみ

なぜかくも明日に期待するのかも

わかるかもしれない


 
 


次の二点はこのシアトル首長の言葉を素晴らしい絵本にしたものです。

「ブラザーイーグル・シスタースカイ」 スーザン・ジェファーズ絵 JULA出版局

「父は空・母は大地」 寮 美千子 編・訳 篠崎正喜 画 パロル舎


雑記帳「魅せられたもの」1998.4/20「父は空、母は大地」を参照されたし








アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)の言葉(第一集)

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)の言葉(第二集)

アメリカ・インディアンの言葉(第三集)

夜明けの詩(厚木市からの光景)

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