「十五歳の絶唱 骨肉腫で亡くなった川畑朋子さんの記録」

若城希伊子著 秋元文庫






本書 第五章「天国への階段」より抜粋引用


さて、この記録も終りに近づいた。あなたの中に川端朋子は生きたろうか。

筆者が、49年の9月末、朋子の日記のことを知って串間を訪れた時、川畑家には

何百通という朋子の日記に感動した中学生や高校生からの手紙が届いていた。

ある地方新聞に、朋子の日記の一部が掲載されたためである。どの手紙にも「涙

なしでは読めない」「今までにない強いショックを感じた」「朋子さんの闘病生活、

その心の明るさ、笑顔をいつも忘れなかったことに深く心を打たれた」等々の言葉

があふれていた。


九州地方のある高校では、その感動をもとに、放送劇に仕組んで、コンクールに

出場するという生徒もあった。ちょうど、筆者が訪れた時、近くの日南高校では学園

祭にとりあげて、演劇として上演の準備をしているグループがあった。その生徒達は

口々にこういう観想をもらした。「今、私達高校生はよく自殺という言葉を口にします。

すぐに、この人生がいやになって、別に大したことでない悩みを、大変深刻に考えて、

すぐ死んでしまおうと思います。よく、新聞を見ると、高校生ばかりでなく、中学生や

小学生にまで、この頃では自殺する子がいると聞きます。私達は、朋子ちゃんの日記

にふれて、そういう自分達の考えは大変甘いと感じました。短い15年の人生を、あの

苦しい病気と闘いながら、精一杯生きようとした朋子ちゃんの姿に感動したんです。

私達はざいたくでした。だから、このことを演劇として、自分達の手で上演することで、

できるだけこれからは生命を大切に、一生懸命生きていきたいと思ったのです」。


現代は、生命を粗末にする時代のようだ。若い、前途ある生命が、ちょっとのつまらない

考えから、自分自身の手で消されていく話を、私達はどれだけ見聞きするだろう。川畑

朋子は、その天国への階段を登る苦しみの中で、生命をどんなに素晴らしいものである

かを、この世が人々の愛によって包まれている姿を、私達に知らせてくれた。川端朋子

は、彼女に与えられた15年の短い歳月の中で、その精一杯の生命を燃やして生きた。

人間が生きるということを、人間らしく生きるということを、彼女の死への道が、私達に証

ししてくれたのである。


いつか、病床の朋子が、ヤイロの娘の話に興味を持ったことを、思い出してほしい。

あなたは、朋子の上に奇蹟は起こらなかったとお思いだろうか。ヤイロの娘、あの12

才の少女は、あの時、バイブルの紙の間から立ち上がって、朋子の中によみがえった

のではないか。あなたが、この朋子の日記を読んで、朋子と手を取りあって生きていき

たい! 歩いていきたい! と思った時、その時、川畑朋子はあなたの中によみがえる。

朋子の愛が、微笑が、あなたに生きる喜びを教えてくれるだろう。人生の素晴らしさを、

きっとあなたは朋子によって知ることができるだろう。川端朋子が永遠にあなたの中に、

日本の少年少女達の中に生き続けることを信じ、祈るものである。



若城 希伊子(わかしろ きいこ、1927年4月4日 - 1998年12月22日)は、作家、評論家、

脚本家、翻訳家。東京渋谷生まれ。日本女子大学卒、慶應義塾大学文学部国文科卒、

折口信夫に学んだ。脚本家として活動するほか映画ノベライズを翻訳、1971年ラジオドラマ

「青磁の色は空の色」で芸術祭優秀賞、以後小説、ノンフィクション、評論などを刊行、最初

の単行本『十五歳の絶唱』はロングセラーとなった。1978年『ガラシャにつづく人々』で直木賞

候補、1983年『小さな島の明治維新』で新田次郎文学賞受賞。 「ウィキペディア」より引用


 
 


ここでもう一人の少女のことを話したいと思います。名前を「雪絵ちゃん」と言います。多発性硬化症

という病気を患いながら、養護学校の先生の私生活での愚痴にいつも「良かったね」と返してくる子ども

でしたが、幼くして亡くなってしまいます。詳しくは「雪絵ちゃんの願い」に詳しく書かれていますので是非

お読みいただければと思います。また雪絵ちゃんのことを紹介した講演会の模様を収めたCDも販売さ

れております(「エコ・ブランチ」)。この雪絵ちゃんの誌を紹介します。


ありがとう


ありがとう、

私決めていることがあるの。

この目が物をうつさなくなったら目に、

そしてこの足が動かなくなったら、足に

「ありがとう」って言おうって決めているの。

今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、

私を喜ばせてくれたんだもん。

 いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。

夜の道も暗いのにがんばってくれた。

足もそう。

私のために信じられないほど歩いてくれた。

一緒にいっぱいいろんなところへ行った。

私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。

なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき

「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。

今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。

だからちゃんと「ありがとう」って言うの。

大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから

「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。

たぶんだれよりもうーんと疲れていると思うので……。








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