「ESTHER LAMANDIER」
「アラム聖歌集 エステル・ラマンディエ(歌)」
録音 1989.9 シルヴァーネ修道院
ALIENOR
素朴なメロディーが胸を打つ。下の映像は曲は違いますが、 エステル・ラマンディエが演奏し歌っているものです。 (K.K)
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この映像は曲は違いますが、エステル・ラマンディエが演奏し歌っているものです
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人間の歴史は移住のくり返しだから、時々思いがけない所でその跡にぶつかる。 時に集団で移住する人々は、必ずといってよいほど自分達の宗教を移住先に持ち 込み、新天地で新しい社会生活の中心にそれを据える。移民の国、アメリカの大都 市を丹念に歩けば、キリスト教だけでもありとあらゆる宗派の礼拝に参加できるし、 パリも同様である。フランス人キリスト教徒の9割以上を占めるローマ・カトリック教 会のほか、アルメニア教会からロシア正教会、ギリシャ正教会など東方系の諸教会 もほぼひと通りそろっており、パリ住民の多様な民族構成を改めて印象づける。この 種の聖堂には驚くほどの美声に恵まれた無名ののど自慢者が大勢いて、彼らの祈り を聴くたびに宗教と音楽のわかちがたい絆を改めて感じさせられる。そして西ヨーロ ッパ世界ではいつの時代にも・・・特に近世以降・・・遠い世界の憧れが途切れず続 いてきたから、のど自慢達は活躍の場にこと欠かない。また面白いことに他宗派の のど自慢達もよく歌いに来る。この半世紀の間、欧米のレーベルには彼らの歌声が ・・・他俗曲も含めて・・・多数録音されてきた。すでにLPで日本デビューを飾ったこ のエステル・ラマンディエもその一人と言えるだろう。彼女が東方世界のどの民族に 直接帰属するかはほとんど語られていない。セファルディー(長くスペイン一帯に居住 し15世紀前後にバルカンほか各地へ流浪したユダヤ教徒)の歌曲をLP化している ため、ユダヤ系だろうという説がもっとも有力である。ここ数年世界各地の民族紛争 が毎日のように報道されているが、民族の帰属は最終的に各人の意思と意識によ るから、ラマンディエ自身は宗教的信条はともかくフランス人になりきっていると考え た方がよいのかもしれない。
ラマンディエは東方世界の祈りの唄・・・中東一帯の各キリスト教会は祈りを歌うので ある・・・を早くからとりあげてきた。キリスト教はユダヤ教から派生し長い歴史の中で 地域を超え世界宗教へ発展したが、ユダヤ教のシナゴーグの伝統がまだ色濃く支配 的だった時代の祈りは特に彼女をひきつけたようだ。ラマンディエはパリ5区カルム街 の聖エフレム教会(シリア正統協会)の聖職者達、信徒達との親交を手始めに、シリア 正統教会、カルデア教会の典礼歌を研究。紀元前14世紀頃、現在のシリア北部一帯 に移住したアラム人達の言葉(=アラム語)に関心をよせ、その祈りを収録したのがこ のCDである。
話し手達の移動とともに紀元前9世紀頃からチグリス・ユーフラテス河流域一帯に 浸透、イエス・キリストとその弟子達の言葉とされるこのアラム語は、キリストの死後 も長く生き続けた。たとえばユダヤ教では聖書に次いで重要なタルムードはバビロ ニア・タルムード(紀元500年頃編纂)、パレスチナ(エルサレム)・タルムード(紀元 425年頃編纂)ともアラム語で書かれた。また現在ではシリア正統教会(単性論の ヤコブ派教会)が典礼の一部をアラム語で行なう。なお9世紀以降シリア一帯の日 常語はアラビア語に代わったため、典礼の説教ほかはアラビア語による。(もちろん 時代とともにアラム語も変化し、イエス・キリスト時代のそれと全く同じではない。ま たシリアの教会関係者はこれを「古シリア語」と呼ぶ)。
ユダヤ共同体の宗教・社会生活を律するタルムードの言葉であえてキリスト教の 祈りをCD化したラマンディエの意図も私には面白い。中世のヨーロッパはキリスト 教社会の確立と共に、キリスト教に改宗したがらないヨーロッパのユダヤ教徒達を 迫害し始めたから、そして悲しい旋律を残したセファルディーはそのもっとも有名な 例のひとつだからである。
キリスト教はまずエルサレム周辺へ浸透したため、現在のエジプト、エチオピア、シリア 一帯には古い伝統を誇るキリスト教徒達が少数ながら信仰を伝えている。特にキリスト 教の賛歌発祥の地シリア一帯には3〜7世紀の黄金時代多数の大詩人が賛歌の原形 ともいうべき諸形式を確立し、名作を多数世に送り出した。現在ドゥラ・エウロポスの町 に残る壁画ほかが証すように、シリアは初期キリスト教文化の一大中心地だったので ある。しかし唄の響きは残らないから、謎めいたネウマ譜・・・厳密にいえばエクフォネ ディック(動機)譜が主・・・を手がかりに旋律を復元する。ラマンディエの旋律、発声法 は現在のシリア系各教会(後述)の聖堂で耳にする詠唱と趣きを異にし、どちらが正統 的かは判断しにくい。ただ欧米各地に住む信徒達がラマンディエの唄を完全に拒絶し ないところを見ると、千数百年前の詩人達の唄として受け入れているのだろう。
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