「ふるさと絵日記」
原田泰治 素朴画集 講談社
郷愁をかもし出す原田泰治の世界は、一見「メルヘン」っぽく見えるが、失われつつある 人間の素朴さを思い出させてくれるものであり、作者の豊かな感性を垣間見させてくれる。 (K.K)
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本書・あとがきより引用。
ぼくは、武蔵野美大を卒業すると信州諏訪へ戻り、兄の二階を改造し、デザインの仕事に 張り切っていた。しかし地方の時代と言われる今日とは大きく違い、デザインらしい仕事は 何一つなかった。そのためデザインとは程遠い内職にふてくされていた。そんなぼくにこの 美術欄の記事は、素朴画を描き始めるチャンスを与えてくれた。そして信州の自然のすば らしさ、神秘さは、少年時代疎開で過ごした小さな村の生活と熱くせつない記憶を克明に 思い起こしはじめたのである。その山村は伊賀良(下伊那郡・現在飯田市)である。一歳 の時、重度の小児マヒになってしまったぼくは、四歳から中学一年生までこの村で過ごし た。伊賀良村のぼくの家は高台にあり、村を一望することができた。歩けないぼくはよく 縁先にこしかけ、前方に見える赤石連峰、その裾を蛇行しながら流れる天竜川、そして 村の人々の生活を見るのが何よりも楽しく飽きることを知らなかった。思えば、自然の移 り変わりを克明に見ることができたのは、足の不自由のおかげかも知れない。このこと は、今日、この頃になって伊賀良村の生活体験とともに本当によかったと痛感している。 五年程前から、ぼくは信州をこの足で、この目でたしかめたい欲望に駆り立てられ、カメ ラをかつぎ撮影する機会が多くなった。幼年時代の思い出だけでなく、自分のふる里ぐ らいは、すみずみまで見てみたい気持ちになったのである。地図を広げ、目的地に着く なり、赤くぬりつぶすのである。その地図もボロボロになり赤くぬりつぶされ、余白が少な くなってきた。やはり、山を越え、草原を通りぬけ、地図にもない村道を走ると、そこに 住む人々の生活や、木立、たたずまいをこの目でたしかめることは、行動半径のとくに せまかったぼくにとって、描く行為以前のいかに大切な体験であるかがよく分かったの である。
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