「あなたが世界を変える日」

12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ

セヴァン・カリス=スズキ 著 ナマケモノ倶楽部 編・訳 学陽書房 より引用







1992年国連・環境サミットがブラジルで開かれることを知ったセヴァンはこの会議に子供

を含む若い世代が参加していないことを知ります。そして子供たちの代表としてこの会議に

参加しなければならないという決意の元にカナダからブラジルに飛びます。そしてユニセフ

の代表であるグラント氏が「子供たちも全体会議に参加させるべきだ」と言ったのを受けて

セヴァンのスピーチが実現することとなります。



セヴァンのスピーチは単純明白で核心を突く言葉がとても印象的でした。そしてその裏に

ある怒りや悲しみが彼女を突き動かしていることを感じることができます。彼女はもう現在

大人になっていますが、それでも子供時代に感じたこの感情を忘れ去ることなく、子供が

見た視点を広がりのある力強いものに変えていこうとしている活動に打ち込んでいる姿は

素晴らしいと思います。

(K.K)









1992年6月11日 リオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球環境サミットでのスピーチ

(本書より引用)


こんにちは。セヴァン・スズキです。エコを代表してお話しします。


エコというのは、子ども環境運動(エンヴァイロンメンタル・チルドレンズ・オーガニゼーション)

の略です。カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるためにがんばっ

ています。あなたたち大人のみなさんにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、

自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。


今日の私の話には、ウラもオモテもありません。なぜって私が環境運動をしているのは、私自身

の未来のため。自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけがちがう

んですから。


私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ

子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのため

なのです。


太陽のもとにでるのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。呼吸をすることさえこわい。空気に

どんな毒が入っているかもしれないから。


父よよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして

今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。


それらは、もう永遠にもどってはこないんです。


私の世代には、夢があります。いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを

見ることです。でも、私の子供たちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか? あな

たたちは、私ぐらいの歳のときに、そんな心配をしたことがありますか。


こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕

があるようなのんきな顔をしています。まだ子どもの私には、この危機を救うのになにをしたらいいのか

はっきりわかりませんん。でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。あなたたちもよい解決法なんて

もってないってことを。


オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのかあなたは知らないでしょう。


死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、あなたは知らないでしょう。


絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。


そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。


どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。


ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表者でしょう。あるいは、報道関係者か政治家

かもしれない。でもほんとうは、あなたたちもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、

おばでもあり、おじなんです。そしてあなたたちのだれもが、だれかの子どもなんです。


私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。そう

です50億以上の人間からなる大家族。いいえ、じつは3千万種類の生物からなる大家族です。国境や各国

の政府がどんなに私たちを分けへだてようとしても、このことは変えようがありません。


私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しな

ければならないことを知っています。私は怒っています。でも、自分を見失ってはいません。私はこわい。


でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私はおそれません。


私の国でのむだづかいはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を

消費しつづける北の国々は、南の国々と富をわかちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私た

ちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。


カナダの私たちは十分な食べものと水と住まいを持つめぐまれた生活をしています。時計、自転車、コン

ピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたら何日もかかることでしょう。


2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子ども

が私たちにこう言いました。


「ぼくが金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べものと、着るものと、薬と、住む場所と、

やさしさと愛情をあげるのに」


家もなにもないひとりの子どもが、わかちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんな

に欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。


これらのめぐまれない子どもたちが、私と同じくらいの歳だということが、私の頭からはなれません。どこに生ま

れついたかによって、こんなにも人生がちがってしまう。私がリオの貧民街に住む子どものひとりだったかもしれ

ないんです。ソマリアの飢えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかもし

れないんです。


もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばら

しい星になるでしょう。私はまだ子どもだけど、そのことを知っています。


学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世のなかでどうふるまうかを教えてくれます。


たとえば、争いをしないこと 話しあいで解決すること 他人を尊重すること ちらかしたら自分でかたずけること

ほかの生き物をむやみに傷つけないこと わかちあうこと そして欲ばらないこと


ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。


なぜあなたたちが今こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。そしていったいだれのために

やっているのか。


それはあなたちの子ども、つまり私たちのためです。みなさんはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生き

ていくのかを決めているんです。


親たちはよく「だいじょうぶ。すべてうまくいくよ」といって子どもたちをなぐさめるものです。あるいは、「できるだけ

のことはしてるから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ

使うことができなくなっているようです。


おききしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。


父はいつも私に不言実行、つまり、なにをいうかではなく、なにをするかでその人の値うちが決まる、といいます。

しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。


あなたたちはいつも私たちを愛しているといいます。しかし、いわせてください。


もしそのことばがほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動でしめしてください。


最後まで私の話をきいてくださってありがとうございました。


 
 


本書 編訳者あとがき より抜粋引用


「私の話にはウラもオモテもありません」、居並ぶ世界のリーダーたちを前に12歳のセヴァンはこう話し

始めました。場所はブラジルのリオ・デ・ジャネイロで行なわれた地球環境サミット、1992年6月11日の

ことです。それからわずか6分のスピーチが世界を、たしかに、変えることになりました。リーダーたち

は立ち上がってセヴァンを祝福します。涙を流しながらそれをぬぐおうともしない人たち。ロシアの前

大統領ゴルバチョフが、後にアメリカの副大統領になるゴアがかけよってきて、サミットで一番すばら

しいスピーチだったとほめたたえます。その場にいた人々の心をつかんだセヴァンのことばは、その

後、活字となって、映像となって、世界中をかけめぐります。そしてあれから10年以上たった今、日本に

住んでいるあなたが、この本を手にとって同じことばに耳をかたむけています。そうして、目には見えな

いくらいに少しづつではあるけれど、やっぱり、世界はたしかに変わっていきます。彼女のことばが

特別な力を秘めているのはたぶん、それが「ウラもオモテもない」ことばだからでしょう。その一方で、

世の中にはうらおもてのあることばがみちみちている。


(中略)


セヴァンは特別な子です。でもそれは彼女があたりまえのことを、ウラオモテのないことばであたり

まえだといい、すなおに実行したという意味で、特別なだけです。セヴァンは遊ぶことと楽しむことが

大好きな女の子です。特に自然の中でのキャンプ、山のぼり、魚つり、ハイキング、ボート、カヌー、

カヤック、スキー、スノボ、サイクリング。彼女にとって、環境問題とは決してやりたいことをがまんし

たり楽しいことをしないですませることではありません。むしろ自分がすきなこと、ホッとすること、楽

しいと思うことの中にこそ、世界を今よりももっとよい場所にしていくためのヒントがあると、彼女は

感じているのです。つまり、世界のリーダーたちを前にあの歴史的なスピーチをしたセヴァンはふつ

うの女の子だったんです。ぜいたくではないごくふつうの楽しさが、美しさが、安らぎが世界の希望だ

と信じている。あなたのようなふつうの子。そんなふつうの子にも、世界を変えることができるというこ

とをセヴァンは示してくれました。どんなにそれがささやかでちっぽけな変化に見えても、世界は、あ

なたのまごころや、ウラオモテのないことばや、行ないによって、たしかに少しずつよくなっていくのだ

ということを。


南アメリカのキチュア民族にこんなお話があります。山火事で森が燃えていました。虫や鳥や動物たち

はわれ先にとにげていきました。しかし、ハチドリだけがいったりきたり、口ばしで水のしずくを運んでは、

火の上に落としています。いつもいばっている大きなけものたちがそれを見て、「そんなことをしていった

い何になるんだ」と笑います。ハチドリはこう答えました。「私は私のできることをしているだけ」。問題の

大きさや難しさを前にして気がくじけそうになったときには、セヴァンのことを思いだし、またこの本を手に

とってみてください。


2003年 初夏 ナマケモノ倶楽部代表 辻信一 中村隆市




 


(本書より引用)







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