和島諭、石丸篤司・写真

「SPOON(スプーン)」特別編集・ありがとう217号より引用





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大江健三郎 講演会より

平成19年5月23日、小松写真印刷創立110周年記念「第25回文化講演会」

「人間らしさということ」大江健三郎 講演 

ホテル・リッチ&ガーデン酒田

佐藤晶子・取材・文 和島諭、石丸篤司・写真

「SPOON(スプーン)」特別編集・ありがとう217号より抜粋引用


初めて広島に行った時、私は20代後半でした。広島原爆病院の初代院長、重籐文夫

先生が私に関心を持ってくださって、私は毎日、先生のところに通って、話を伺いました。

ある日、先生が「自分には非常に心残りなことがある」とおっしゃいました。原爆が投下さ

れた日からずっと被爆者の治療に携わり、毎日、何百人もの患者を迎えてきたが、亡くな

られる方も多かった。ある日、昼食を食べていると、若い医師がやってきて、こう言った。

「自分たちは、核爆弾で傷ついた人たちをどのように救っていいか、医学的な知識も臨床

経験もない。毎日、たくさんの人が苦しんで死んでいく。自分たちがやっていることに、意

味があるんでしょうか」。先生は答えた。「このように苦しんでいる人たちがいる。そして、

彼らが自分たちを必要としてくれる。自分たちは、できる限りの治療をするほかないじゃな

いか」。すると、その青年は黙ってしまった。そして、その日、自殺してしまった。「私は、自

分が言ったことが正しくないとは思わないけれども、あの時、こう言ってやればよかったと

思う。広島は焼けただれているが、この山を一つ越えれば、緑の山がある。そこへ行って、

一日休んでこい、と。それが言えなかったことを残念に思う」と先生は私に言われました。


重籐先生がなぜそういうことを言われたのか、私はホテルに帰って考えました。先生は、

自分の子供の問題で、どうすればいいかわからない私に、その青年医師と同じような表情

を見ていられたのではないか。そして、「きみの赤ちゃんが苦しんでいるならば、父親として

彼を受けとめてあげて、できるだけの治療を病院にお願いするほかないんじゃないか」と言

われたのだと思ったんです。そこで私は、自分を顧みる力ができた。顧みなければならな

いと思った。私は仕事を切り上げて東京に帰り、病院に行って、先生方とお話して、子供

の手術をしていただいた。それから、子供と私と家内との三人の生活が始まったわけです。


家内は、出産後の療養が必要でしたから、四国の森の中から母親が上京してきて、私の

世話を始めました。私は、母にあまり話をする勇気が出ない。毎日、暗い顔をして本を読

んでいる。母が、「そろそろ赤ちゃんの出生登録をしなきゃいけない時じゃないか。あなた

は子供の名前を考えているか」と言いました。そうだ、まだ名前も考えていない。彼と一緒

に生きていこうと決心しながら、彼が実際に生きていく準備を自分はまだ何もしていなかっ

たと気づいてもいたんです。私が黙っていますと、「あなたは、朝から晩までフランス語の

本を読んでいる。それはどういう本か」と言いますので、「シモーヌ・ヴェイユというフランス

の哲学者の本で、いまはそれが必要なんだ」と言いますと、母は「そのヴェイユさんの書

いた本の一ページを、ここで自分に読んでみせろ」と言うんです。言い始めると頑固な人

なんです。私をじっとにらんで、動かないんです。そこで私は、ヴェイユの著作から、イヌ

イットの民話を翻訳して聞かせました。どういう民話かというと、世界が始まった時、世の

中は真っ暗だった。カラスたちは、地面の上に落ちている穀粒を拾って、食べようとする

けれど、うまく見つからない。「もし世界が明るくて、目に見えたならば、どんなにいいだろ

うと、あるカラスが考えたそうです」と私は母に言いました。「そして、そのカラスが、心か

ら光がほしいと考えたその瞬間に、世界に光が満ちあふれ、太陽も、神によって創造さ

れて、地上に光が満ちあふれた。人間が本当に心から望むならば、その願いは叶えられ

る。シモーヌ・ヴェイユは、そのような意味の民話だと言っています」と私は言ったんです。


母は何か感慨深そうな顔をしていましたが、「そういう本を読んでいることはいいことだ」

と言い、再び子供の名前の話になりました。そこで私はつい、「お母さんがそんなに感心

してくださったんですから、カラスという名前にします」と言ったんです(笑)。母は本当に

腹を立てると黙ってしまう人で、この時も黙って自分の部屋に入ってしまった。翌朝、私

は母に謝りました。そして、「昨日の民話に出てきたフランス語の名詞には、カラスと光

と、二つがあった。だから、息子の名前は光にしようと思います」と言いました。ヴェイユ

はクリスチャンではありませんが、心から願うことは、人間にとって一番大切なことだと

言っている。私も、宗教を持っていませんが、ずっとそのことを考えながら生きてきたと

思っています。彼女はまた、「注意深くある」という心の動きが、その人間を一段高い所

に引き上げてくれる、とも言っています。


ヨーロッパには、聖杯伝説があります。聖杯は、イエス・キリストが磔にされた時に流れ

た血を受けた大きな杯だという説もありますが、その聖なる杯が、どこかに残っている。

それを手に入れれば、人間が望むものすべて手に入る。人類のために、その杯を探し

求めて、騎士たちが旅に出る、というのが聖杯伝説です。聖杯を持つ王が、傷ついて

病気になり、苦しんでいる。その王を探し出すことができた若い騎士が、どういう言葉を

かけたならば、彼はその王に信頼され、聖なる杯を授けていただけるか。それはこうい

う言葉だとヴェイユは言うんです。「あなたはどこがお苦しいのですか」。そう言うことの

できる人、それが聖杯を授けられ、人間に必要なすべてをこの世界に回復させること

のできる人間である、と彼女は考えていました。


子供が生まれて三年ぐらいは、毎月のように新しい病気が明らかになるという状態が

続きました。しかし、何とか生きていこうと彼はがんばっている。その子供に対して自分

ができることは、彼がどのように苦しんでいるのかを問いかけることだということを私

は学んでいました。彼はよく病気をするのですが、何とかそれを乗り越えて、一週間ぐ

らいすると回復してくるんです。私は、それが本当にすばらしいことだと思いました。

人間には、回復する力がある。だから、それを信じなきゃいけない。回復する子供、回

復する力を持った子供、回復しようとする子供を助けていくことが、親に、そして人間に

できることではないかと私は学んだように思います。そういう子供と一緒に暮らすこと、

子供について考えること、そしてシモーヌ・ヴェイユのことを考えることが、私の20代の

終わりから30代の初めにかけて何より根本的な勉強になったと思っています。



和島諭、石丸篤司・写真

「SPOON(スプーン)」特別編集・ありがとう217号より引用







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