「シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話」

冨原眞弓 著 青土社 より引用








「シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話」と題したこの本のなかでわたしが試みたのは、ヴェイユの

寓話の手法をそれぞれの具体的な脈絡のなかで解き明かすことである。デカルトは「屈折

光学」で精神は視覚をつうじて物質を捉えると述べ、スピノザは数学的推論よりも確実で

包括的な直感を「第三の認識」と呼んだ。ヴェイユの「寓話の手法」は、あきらかにアルカ

イックな神話的表象に訴えるプラトン以上に、むしろこのふたりの近代人により多くを負っ

ているのではないかとも思う。もとより寓話といっても牧歌的なメルヘンとは無縁である。

近代的な搾取の構造である工場においても、祖国の存亡をかけて殺しあう戦場において

も、信仰の名のもとに異端者を焼き殺す聖戦においても、ほんとうの主人公は資本家でも

労働者でもなく、勝ちほこる戦士でも辱められる敗者でもなく、教皇の祝福をうけるアルビ

ジョワ十字軍兵士でも薪の上で煙と化するカタリ派でもない。ほんとうの主人公は人間で

はなく、つかのまの勝利を貸与された人間がたしかに掌中に収めたつもりでいる力そのも

のなのだ。工場における労働者は固有の人格を奪われてたんなる労働力を提供する物

体となり、トロイアの戦場で敵の刃に貫かれた戦士はもはや禿鷹の餌でしかなく、審問官

に焚刑を宣告された異端者は黒焦げの肉片となった。あらゆる力は物理的に作用する

が、滅ぼすものは純粋に物理的・物質的なものにとどまらない。近代工場では人間の生

命や健康とともに尊厳や矜持がうち砕かれ、戦場では城塞とともにひとつの文明が灰燼

と帰し、薪の山の上では教会堂とともにひとつの信仰のありかたが焔のなかで消えていく。

ゆるぎなき経済的な優位、幸運に助けられた武勇、相手を邪教ときめつけうる心の安寧、

それらを享受する人間は思うままに力をふるう快感に酔い、自分は天に選ばれし者である

との甘美な幻想にひたる。こうして彼らはたんなる物理的な強者ではなく、道義的にも正

しい者となる。むきだしの力は価値をも葬りさるのだ。力は思想を殺し、芸術を殺し、宗教

を殺し、都市を殺す。そして、ひとたび力が根こそぎ滅ぼしたものは戻ってこない。すくなく

とも同じかたちでは。

(中略)

物理的な力は精神の諸価値を滅ぼすことができないという月並みな言辞は、現実に潰滅

してしまったあまたの過去を残酷に否定する。死者の復讐など怖れるにたりぬので、なん

の危惧もなく滅びたものをふたたび滅ぼし、こうして勝者の武器から滴る血をうやうやしく

拭う。もちろんヴェイユがくりだすさまざまな断定には反論もあろう。そもそもほぼ完璧に消

滅してしまった文明や宗教をどうやって評価するのか。オック語文明が「数世紀後にイタリア

を中心に開花したルネッサンスをはるかに凌駕する可能性を秘めていた」とどうして断言で

きるのか。カタリ派の「完全者」やドルイド教の僧侶やエレウシスの秘儀参入者たちが、

イスラエルの祭司や律法学者あるいはキリスト教の司祭よりも純粋な聖性の担い手であ

り、堕落や残虐とは縁遠かったという根拠はどこにあるのか。肯定するにも否定するにも

資料がないではないか。しかしヴェイユはへこたれない。歴史とはおしなべて勝者の記録

である。敗者の証言は抹殺されるか、勝者の都合しだいで改竄されるか、どちらかの運命

をたどる。したがって歴史的資料はかならず正直な証人ではない。であれば、歴史ではな

く寓話をつうじて、真理に迫る道も開けているはずだ。そのときとして突拍子もなく思える

寓話の援用は、あえて場ちがいな言辞や表象をあやつって聴衆を挑発するソクラテスや

イエスの話術にも似て、読者を驚かせたり怒らせたりするかもしれないが、否応なく耳を

傾けさせるある種の磁力をもっている。「一叙情詩を通してみたある文明の苦悩」はつぎ

のように終わる。「敬虔はわれわれに命じる、たとえ希有なものであっても、滅亡した

文明の痕跡を慕い、その精神を銘記することに努めよと」。

(本書 はじめに より引用)



目次

はじめに

第一章 アラン工房での哲学修行

1 戦場と教室のはざまで

2 温室から世界へ

3 「あらたな闘い」へ

4 思考の鍛冶場にて

5 美とはなにか

6 美から善へ


第二章 工場のアンティゴネー

1 うち砕かれる自尊心

2 沈黙する不幸

3 つかのまの純粋な歓び

4 工場のアンティゴネー

5 工場のエレクトラ


第三章 哲学とはなにか

1 秘義伝統の継承者プラトン

2 哲学は進化するか

3 倫理は進化するか

4 プラトン的二元論とはなにか


第四章 洞窟神話の再解釈

1 プラトンはキリスト教の先達か

2 巨獣の道徳

3 洞窟と脱・・創造

4 囚徒の解放のプログラム

5 洞窟を出た賢人


第五章 戦士たちの変貌

1 スペイン市民戦争は革命か

2 トロイア戦争を阻止できるか

3 国家の威信

4 力は思考を奪いさる


第六章 憐れみの悲劇

1 美の啓示

2 敗退する平和主義

3 「救われたヴェネツィア」・・・・巨獣との闘い

4 純粋な英雄の苦悩


第七章 共同体と根こぎ

1 カトリック教会の使命と背任

2 ある文明の苦悶

3 脱・・創造

4 力の拒否または純粋さの希求


第八章 力の寓話

1 失われた自由・・・・労働と社会的抑圧

2 賃金労働者の根こぎ

3 権利と正義

4 権力への奔走

5 過剰への誘惑

6 力の嫌悪

7 自由を生みだす障碍

8 力がゆがめる偉大さの概念


おわりに

略年譜

参考文献







夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ)

ホピの預言(予言)

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


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