「シモーヌ・ヴェイユ その極限の愛の思想」

田辺保著 講談社現代新書 より引用






はじめに 一すじの純粋さ 本書より引用


世の常識に求める痛烈な反省

「純粋さ」とはなんだろうか。自分ひとりだけが生まれながらの清らかさを汚されないように

しっかりと守って、世の汚濁の中に沈みこんでいる人を上から超然と見おろしていることだ

ろうか。ひとつの主義主観をかざし、なんらかの立場に属したら、いつもそこから一定の言

葉をつむぎ出し、きまった行為をくりかえさなければならないという必然性への忠実さだろう

か。これからわたしたちがたどってみようとするひとりの女性の生涯は、世に美しいとされ、

節操あるとみなされているこういうありかたとは、何かしら質の違ったきびしさに貫かれ、世

のこういう「美しい」ありかたを恥じ入らしめ、真に「純粋さとは何か」についてわたしたちに

深い痛烈な反省を呼びさまさせるものである。


「彼女の生涯は一すじの純粋さにしるしづけられている」。『労働の条件』への序文の中で、

友人だったアルベルチーヌ・テヴノン夫人がはっきりと書いている。なるほど、この人、シモー

ヌ・ヴェイユの伝記をひもとくとき、まずまっ先に読者がひきつけられるのは、うわべにあらわ

れたそのドラマチックな一面であろう。哲学の教師が工場にはいって一介の女工になったこ

ととか、か弱い女の身でありながら、スペイン戦争に義勇兵として従軍したこととか、そのほ

か以下にも述べる彼女の多彩な社会的・政治的活動だけにかぎって目をとめてみても、わ

たしたちはたしかに、こういう衝撃的な体験からもたらされるはずの人間記録に対してつよい

興味をそそられるにちがいない。


シモーヌ・ヴェイユが時代の諸問題に対して、完全に「かかわりあって(アンガジエして)」いた

というかぎりにおいて、当時の典型的な一フランス知識人の発言を、ないがしろにしてもよいと

いうわけではない。たとえば、1936年前後、動乱のヨーロッパの渦中で、フランスの知識層が

何を考え、何を言っていたかをさぐり出し、一つの歴史的状況に的確な照明を与えようとするな

らば、彼女が当時方々の雑誌に発表していた各種の時事論文は、ドリュ・ラ・ロシェル、アンド

レ、マルロー、ポール・ニザンなどののこした記録とほとんど同程度に重要な資料であるとい

えよう。しかし、この時代、彼女と労組の研究会や工場内で社会問題について語りあっていた

友人たちは、のちに彼女が深い信仰の持ち主となり、神や恩寵について語るのに接しても、そ

こになんらの矛盾をおぼえなかったという。「うわべの変化にかかわらず、彼女の生涯は終始

一貫して完全に筋が通っていたと思える」のである。


あえてこのおそろしい光に近づこう

この一すじの純粋さ・・・この小さな本の中で、わたしが見つめてみたいと思うことは、ただこの

点につきるかもしれない。しかし、この純粋さは、火の矢となってわたしたちを射とおす。この炎

に身を焼かれる覚悟がなくては、わたしたちは、シモーヌ・ヴェイユに一歩も近づくことはできな

いといえよう。ふつう一般の規準、わたしたちが日常なんの疑問もなく用いている理屈や習慣

に対して、彼女はつねに挑戦し、わたしたちの安易さをうち破るのである。こういう彼女の前で、

わたしたちは、あるとまどいや恥じらいをおぼえずにはいられないとしても、ここにはまた、わた

したちを変革する一つの存在をもたしかにみとめずにはいられないであろう。


マグドレーヌ・ダヴィ女史は、「シモーヌ・ヴェイユのことを正しく語るには、彼女が立っている場所

に自分もまた、きっかりと位置することができねばならないのであろう。そのときこそ、わたしたち

の見る目が、彼女の見る目に達するのであろう」と書いている。とはいえ、そこにまで達すること

の不可能を、わたしもまた、ダヴィ女史とともになげくことからはじめなくてはならない。


この強烈な炎に近づいて行くことの危険を知りすぎるほどに知りながらも、やはりわたしも光を指示

するという使命感につき動かされるのをおぼえずにはいられない。いくつかの彼女の著作も出そろ

い、機も熟した今、ともかくもこうして、わたし自身の手で、貧しくつたない筆ながら、彼女の生涯と

思想とを日本の読書界に紹介できる機会が与えられたことは、何よりも深いよろこびであり、同時

にまた、おそろしいことである。せめても、「この光が人を焼きつくすものであっても、光をますの下

にかくしておいてよいという十分な理由にはならない」というギュスターヴ・ティボンの言葉だけに、

ひそかな支えを求めつつ、読者とともに、この特異な生涯をふりかえってみようと思う。


 


目次

はじめに 一すじの純粋さ

1.赤い処女

血しぶく人間愛

美少女の苦悩と努力

〈暗い夜〉を越えて

ユルム街の青春

「赤い処女」誕生


2.あらしのヨーロッパで

働く人々の中へ

教師としてのシモーヌ

ヴェイユ事件

ドイツに迫る〈夜と霧〉

たじろがぬ根源悪の追求


3.人間の悲惨 この必然の定めに服して

女工となる

一つの微笑み

真の愛への決意をする前に

ポルトガルの漁師の悲しい聖歌

ふたたび教師に還って


4.絶望

スペインの戦線へ

シモーヌは見た

のしかかる現実感


5.キリストの微笑

平和主義の無残な壊滅

決定的な出会い

あくなき暴力に直面して

戯曲「救われたヴェネチア」


6.アルデシュの土にまみれて

流浪の地マルセイユで

アルデシュの農婦となる

アメリカへの出発のまえに

「神への愛と不幸」

神と人間との「架け橋」


7.空爆下のロンドンで

ニューヨークから訴える

「超自然的認識」

焦燥と失望と嘆願

あすをつくる永遠の書


シモーヌ・ヴェイユ略年譜

あとがき

参考書








夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

シモーヌ・ヴェイユ(ヴェーユ)

ホピの預言(予言)

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実


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