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Beyond Pottery: Ceramic interpretation of ancient Mesopotamia





以下、ルイ・ロペス・デ・セグラ - Wikipedia より引用


ルイ・ロペス・デ・セグーラ(Ruy Lopez de Segura、1530年〜1580年)はスペインの

カトリック司祭(のち司教)でチェスプレイヤー。ルイ・ロペス・オープニングは彼の名

に因んでそう呼ばれている。ルイ・ロペス・デ・ビリャロボスとは全くの別人。サフラと

いう町に生まれ、サラマンカで学生生活を送る。1572年に国王フェリペ2世に招待さ

れローマで大会に参加し全勝した。1575年にイタリアのジョヴァンニ・レオナルド・ダ・

クトリと対戦して勝利を収め、その後何者かに暗殺された。彼はヨーロッパで最初

のチェスの書籍『チェスの自由な発想と技術』

(原題:Libro de la invencion liberal y arte del juego del Axedrez )を出版した。






ジョヴァンニ・レオナルド・ダ・クトリと対戦して勝利を収めた際を描いた絵画(作:1886年、Luigi Mussini)



 

ルイ・ロペスの現存する棋譜(途中までしか知られていない)

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James Cummins Bookseller - Gioachino Greco - Chess Made Easy or, The Games of Gioachino Greco,
the Calabrian; with Additional Games and Openings, illustrated with Remarks and General Rules - Second edition





以下、ジョアッキーノ・グレコ - Wikipedia より引用


ジョアッキーノ・グレコ(Gioachino Greco, 1600年〜1630年或いは1634年)、

別名イル・カラブレーゼ(Il Calabrese)はイタリアのチェスの選手で、競技と

本の著作で収入を得た、歴史上最初の職業的チェスの選手。シシリアン・

ディフェンスを多用した。カラブリア州のコゼンツァの近くのチェリコで1600

年頃に生まれた。カラブリアはすでに、レオナルド・ディ・ボノ、ミシェル・ディ・

マウロといったチェスの名手を輩出していた。グレコ自身の文書によると

彼は教育を受けず、下層階級の出身である。1619年に、グレコはチェスの

戦術やゲームを記録として集め始め、裕福な後援者に原稿の写しを許可

するようになった。ローマでは非常に人気があったが、グレコは1621年に

自身の力を試すためにパリやロンドンに旅立った。ロンドンにたどり着いた

彼は、同地の最高のプレイヤーたちをすべて倒した。この時、フランシスコ・

ドルフィン卿とニコラスは、彼の原稿の写しを与えられた。ロンドン滞在中、

グレコは研究と原稿への追加のために、すべての対局を記録するというこ

とを思いついた。彼はこのアイデアに沿って原稿を書き直した後、1624年に

パリに戻った。それからスペインに行って、国王フェリペ4世の裁判官をした。

そこで、グレコは彼の良き指導者と当時の彼自身以外の最も強いプレーヤー、

マリアーノ・モラノを倒した。彼は、彼はスペインの貴族によって西インド諸島

(アメリカの領土)へ旅立つことに誘われたもののイタリアに帰国した。その後

彼は病気になって、30歳或いは34歳という若い年齢で死去した。彼は気前良

くイエズス会にチェスで稼いだ全てのお金を寄付した。

 

Gioachino Greco(記録に残されているグレコの全局集)

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Chessgames.com

 


「チェス戦略大全1 駒の活用法」ルディック・パッハマン著 小笠誠一訳 より以下引用


現代チェスの発展



15〜16世紀の間に現代チェスが発展を遂げたのはただの偶然ではない。その百年の間に中世

の眠りから目を覚ました人類の知性は、ルネサンス芸術に匹敵するような創造的な試合を欲求

したのである。それは真剣に取り組め、なおかつ楽しめるものでなければならない。それに留ま

らず、かつてその最大の可能性が認識されることなく何数世紀も眠り放しにされていた。新たに

発見された人間の知性を使って最大限の集中力を必要とするものでなければならなかった。こ

のようにして人類が目を向けたのが千年もの歴史を誇るチェスであった。



現代チェスは15世紀末から17世紀末にかけて、イタリアとスペインを中心に始まったと言われる。

15世紀末にはスペインのルセナが、また少し送れてイタリアのポルトガル人ダミアノが新しいルー

ルによるチェス書籍をすでに発行していた。そのなかで中世の試合にはなかったクイーンとビシ

ョップの新しい動きが紹介されている。クイーンは盤上最も弱いピースから最も強いピースに変わ

り、ビショップの行動範囲が劇的に拡大された。これらの変化によってチェスは生まれ変わった。



スペインのマスター、ルイ・ロペスはイタリアの一流プレーヤーたちとの対決に挑み、当初は勝利

を得たもののイタリア派の名声が高まるにつれて、彼は目立たぬ存在へと追いやられた。そして

1574年にはレオナルド・ディ・カラブリアとのマッチに敗れた。



チェザーレ・ボレリオは個々の序盤の系統的な分析を始め、この研究は17世紀にサルビオと

グレコを中心に受け継がれた。これらの新たなルールは徐々に定着し、15世紀の中葉にかけて

現在と同形のキャスリング導入後に、今日知られている最終的なものとなった。



同時にチェス理論も発展し始めた。この時代の優れたマスターは、様々な定跡に関する文献を

著し、試合の解説書を出版し、そして初期のチェス基本原則を発表したりした。よって我々はこの

時代をチェス戦略の夜明けと見なすことができる。



それまでのチェスの試合は動きが制限されていたため、活気のないつまらない試合であった。

同じ力量の持ち主が対戦すると、メイトで終わることはごくまれであった。優勢な終盤にもっていく

ためには、プレーヤーは駒得を目指す必要があった。新ルールでは、ピースの機動性によって

鋭い攻撃がかけられるようになり、新たな可能性が次々に生み出された。



その結果、単純かつ効果的に素早くピースを展開させて、相手のキングを攻撃することがこの

時代の特徴になった。これらの攻撃が成功したのも、一つには正しい防御の原則が知られてい

なかったからである。プレーヤーたちは最も初歩的な防御の技術しか用いなかった。それはただ

直接的な攻撃をかわしたり、戦闘の最中、相手がたまたま無防備にしていたピースを取ったりす

るだけのことであった。ルイ・ロペスは、序盤においてポーンを c3 に進める手を好んだことでわ

かるように、センターの重要性を知っていた。しかし、それは敵のピースを追い払ったり、自分の

ピースを攻撃に展開させたりする手段に過ぎなかったのである。




Beyond Pottery: Ceramic interpretation of ancient Mesopotamia


A Game at Chess - Wikipedia

1624年8月、Thomas Middleton(1580〜1627) によって描かれた風刺劇







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