「第七の封印」DVD

イングマール・ベルイマン監督作品

Ingmar Bergman: "The Seventh Seal" (1957)






「白と黒のゲーム」 解説・原淳一郎 LD(レーザーディスク) より引用


天と地の3分の1が滅び去り、人類の3文の1が殺される。それは、〈第七番目の封印〉が解か

れるとき、神による怒りと戒めのときだ。新約聖書の一番最後の章、幻想文学の傑作である

「ヨハネの黙示録」はそう予言している。そしていま、まさに七番目の封印が解かれる。雲は天

をふさぎ、一羽の鷲が舞っている。映画の最初のシーンである。〈わざわいが来る。・・・・地に

住む人々に。〉聖書には鷲の声としてそう書かれている。


ストーリーは聖書の絵解きとは無縁だ。ベルイマンが語る〈第七番目の封印〉は、神による戒

めではない。それは“神の沈黙”である。神が黙して語らないならば、そのとき、“死”とはただ

空しく消えることでしかない。だがそれは決して絶望を意味するものではない。死がたんなる

虚無であり、暗闇をしか意味しないと認識したとき、人は生の意味をみずからの手で構築する

ことができるのは今さら言うべきでもないことだが。


父親が上級聖職者だったベルイマンは、神が世のさまざまな醜い出来事に沈黙を守りつづけ

ることへの懐疑から、神やキリスト教にたいする疑問をぶつけ、そこに否応なく生まれてくる心

の空洞を埋めるために生と死の意味を問いつづけた。「第七の封印」は、宗教的なテーマから

さらに普遍的な生と死の問題に楔を打ちこんでゆく。


理想に燃えて十字軍に参加し現実とのギャップに夢やぶれ家路をたどる騎士ブロックが、死神

と交わすチェスゲームを時間の軸として、神と悪魔の存在をさぐり、死の意味と生の価値をたず

ねる煩悩の旅がこの物語のすべてである。冒頭から、死神に最期のときを宣告された騎士は、

死神あいてにチェスの勝負を挑み、自分が勝利した時には死から自由にしてもらうことを申しで

る。死神は忽然と現れ、数駒の手を進めては消えてゆく。


ちまたには疫病がはびこっていた。かつて聖職にあった者も無残に堕落した。魔女狩りで少女

が火刑に処せられようとしている。騎士は少女に、悪魔に会って話を聞きたいと言う。悪魔は

私の内にもいると言っていた娘は、火刑台に火がつけられたとき、自らを待ち受けているもの

は悪魔でも天使でもなくただの虚無のみであることを悟ったのか恐怖に慄きはじめるのだ。

騎士と従者のヨンスは思わず目を伏せるがすでに手をさしのべる術もない。


そしてついに、騎士は勝負に負けた。彼は神の存在を、死の意味をすがるようにして問いつづ

けた。ヨンスは言った。「いかに嘆き神の慈悲にすがろうとも、そこはだれもいない漆黒の闇だ。

・・・・今はただ生の喜びをかみしめるのだ。生ある限り、その喜びを・・・・


丘の上を、死神を先頭に騎士たちの美しいうつろな死の舞踏行列がゆく。モノクロームのコント

ラストが編みだす映像は息をのむほどに見事だ。海辺には、騎士たちが道中をともにしていた

旅役者の家族の笑顔がこぼれていた。

苦悶のときをくぐりぬけて、ベルイマンはいま、このまどろむようなひとときの喜びにたどりついた。


 


seventh seal : sitting out the last dance | Madame Pickwick Art Blog







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