「愛の妖精」
ジョルジュ・サンド作 宮崎嶺雄 岩波書店より引用
この作品がまだ連載発表中の48年2月、革命が起こって臨時政府が生れ、サンド自身も 熱烈な共和主義者として大いに政治的に活躍したのであったが、やがて反動勢力がもりか えし、同年6月パリの市街戦が民衆の惨敗に終るに至って、サンドの幻滅と絶望も甚だしく、 いっさいの政治生命を捨ててノアンに引きこもり、ひたすら傷つけられた信念の回復に努め ていた。ロリナもそのあとを追ってノアンへ来て、しきりに慰めたり励ましたりしていたが、あ る日散歩の道すがら、ふたりは百里香の咲き乱れた木陰の道にふと足をとめた。それは1年 前ふたりで『捨て子フランソア』の計画を語りあった場所だった。ロリナはそれを思い出すと、 6月の事件いらい芸術そのものにさえ疑惑をもち始めていたサンドに向かって、こういう社会 的動乱の時代には、温和な物語によって人心を慰めることこそ芸術家の使命であるというこ とを熱心に説明し、ついにサンドを動かして、みたび田園小説の筆をとらせた。それがここに 訳出した『愛の妖精』で、サンドはこれを7月に書き出すと、例によって一気に筆を進めて9月 には書き終え、最初《スペクタトゥール・レピュブリカン》紙に掲載する予定であったが、この 新聞が廃刊となったため、当時の社会主義者の機関紙《クレディ》紙上に同年12月1日から 連載された。(中略)
四つの作品は一様に田園小説と呼ばれているが、一作ごとにその手法に進展のあとを認め ることができる。「魔の沼」は最も単純な一農夫の素朴な愛の物語であるが、「捨て子フラン ソア」において主人公フランソアの心理解剖一歩を進め、さらに「愛の妖精」においては3人の 主要人物を対立させて、その心理分析はいっそう写実的となり、文体もまた現実の「麻打ち」 の語調にいちじるしく接近している。(中略)
四作いずれも名作と称せられているが、「愛の妖精」はその随一に推される作品であり、こと にルソーに誰よりも深い影響を受けたサンドの思想が随所に溢れている点で、サンドの代表 作の一つということができよう。また、女主人ファデットの性格と精神的環境はサンド自身の 少女時代をモデルにしたものであること、その背景はサンドの郷里ノアンの附近、すなわち フランス中部の下ベリー地方のいわゆる〈黒谷〉〈暗い谷間の意〉附近の忠実な描写であっ て、〈玉石の浅瀬〉は今もそこにあり、その他の仮構の地名もいちいち現実の場所に照応し ているものであることを、興味ある事実として附言しておく。
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ジョルジュ・サンド(George Sand、1804年7月1日 - 1876年6月8日)
ジョルジュ・サンド - Wikipedia より以下、抜粋引用。 ジョルジュ・サンド(George Sand、1804年7月1日 ? 1876年6月8日)は、フランスの女流作家であり、初期のフェミニスト としても知られる。本名をアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、 デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)という。 1804年にパリで軍人貴族の父と庶民の母との間の婚前妊娠子として生まれた。彼女の曽祖父には軍事思想家のモーリス・ ド・サックスがいる軍事貴族の家系である。父が早く亡くなったため子供時代はアンドル県ノアンにある父方の祖母の館で 過ごし、この田舎での生活はのちに 『魔の沼』 『愛の妖精』 などの田園小説のモチーフとなった。 1822年にカジミール・デュドヴァン男爵(Baron Casimir Dudevant)と結婚しモーリス(Maurice、1823年 - 1889年)、ソランジュ (Solange、1828年 - 1899年)の1男1女を産んだが間もなく別居し、多くの男性と恋愛関係をもった。 1831年にジュール・サンドー(Jules Sandeau)との合作で処女作 『Rose et Blanche』 を書き、これ以後「サンド」のペンネーム を使うようになった。その後 『アンディアナ』 で注目され、また男装して社交界に出入りして話題となった。 1833年から1834年にかけて詩人のアルフレッド・ド・ミュッセと、またその後医師パジェロ、音楽家フランツ・リストとも関係を もった。さらにフレデリック・ショパンとは1838年(マジョルカ島への逃避行)から1847年までノアンで同棲したが、彼女の子供 たちをめぐるトラブルなどから別れた。 1840年代には政治志向を強め、民主主義・社会主義の思想を懐いてアラゴ、カール・マルクス、ミハイル・バクーニンら政治 思想家・活動家と交流した。1848年の2月革命に際しては政治活動に参加したが、その後ノアンに隠棲し執筆に専念した。 その後も女性権利拡張運動を主導するとともに文学作品を書き続け、ヴィクトル・ユーゴー、ギュスターヴ・フローベール、 テオフィル・ゴーティエ、ゴンクール兄弟ら多くの文学者と友情を結んだ。 |
ジョルジュ・サンド(1864年、ナダールによる肖像写真)