「キリスト伝説集」

ラーゲルレーヴ作 イシガ オサム訳 岩波書店


 





本書 「あとがき」 より抜粋引用


セルマ・ラーゲルレーブ(1858〜1940)はスエーデンのヴェルムランド地方の旧家のうまれで、

父と祖父は軍人でしたが、その前の数代は牧師として郷土の精神的文化を支えてきたので

した。セルマ自身は小児マヒをわずらって自由な運動ができなかったため、家で家庭教師に

ついて学び、読書と創作に心をむける少女時代をすごしますが、やがて首都の教員養成所に

学び、ランズクローナの小学校につとめるようになったころ、一雑誌の懸賞小説募集があり、

かねて書きためた「イェスタ・ベルリング物語」の数章を送ったのが入選して、永年の夢であっ

た文筆生活の門が開かれることになりました。


作家としてのセルマは、社会主義をあつかった「にせキリストの奇蹟」、狂気に打ちかつ愛を

さぐった「地主の家の物語」、聖地エルサレムへ移住した農民たちの信仰的実践をあとづけ

た「エルサレム」(二巻)などによって地位を確立したあと、スエーデン教育会の依頼にこたえ

て、母国の自然と生活を児童につたえる「ニルス・ホルゲルソンのふしぎなスエーデン旅行」

(二巻)をあらわして、国民的な作家になりました。そしてまもなく、ノーベル文学賞を受ける最

初の女性となり、スエーデン・アカデミイの最初の女性会員に選ばれました。晩年のセルマは

スエーデン女性を代表するような形で、その父祖が郷土で演じた役割をスエーデン全土に対

して演じたとも言えるでしょう。第一次世界大戦に際しては、中立国にありながらヨーロッパ

の運命のために心を痛めたセルマは、第二次世界大戦の初め、ソヴィエト・フィンランド戦争

のなりゆきを案じながらなくなりました。「先生、平和になるのでしょうか」と医師に言い残して。


ここに訳した「キリスト伝説集」は「エルサレム」のための取材旅行のみやげ話とも見られ、

作者の多彩な作風をかいま見させるマンゲ鏡にもたとえられましょう。1904年に出版された

この作品は、20世紀がかかげるタイマツのひとつとして、21世紀にまでその光をつたえるも

のと信じます。 (中略)


「西洋文学翻訳年表」(岩波講座『世界文学』所収)によりますと、1905年(明治38年)、つまり

原著出版の翌年にいち早く小山内薫氏によって、本書中の「わが主とペトロ聖者」の一篇が

「彼得(ペテロ)の母」と題して訳出されていますが、同年表によればこれがラーゲルレーヴの

ニッポンへの最初の紹介でもあるようです。また女史と長い交わりのあった香川鉄蔵氏が最

初に接したラーゲルレーヴの著作がやはりこの「キリスト伝説集」であり、グンデルト氏の口

訳による「エジプトくだり」であったそうですが、香川氏の最初のラーゲルレーヴ紹介もまた本

書中の「ムネアカドリ」でありました。1938年、作者の80歳の誕生日にあたり、シナ事変下の

世相に対するひそやかなプロテストのこころみをこめて、訳者がエスペラントからローマ字に

うちした Betulehemu no osanago はいうまでもなく「ベツレヘムの子ら」ですが、終戦後には

1946年に高崎毅氏の「ベツレヘムのおさなご」(本書中の最初の五編を収める)が出版され、

1948年には「ムネアカドリ」が「コマドリの胸はなぜ赤い?」という題で「婦人之友」に掲載され

ました。そのほか1955年には「神の宮」が万沢まき氏によって「少年」と題されて「婦人之友」

に掲載されました。そのほか1955年出版の「スウェーデン語四週間」の中には「ナザレの里」

が対訳でのせられていますし、1961年4月には、音楽物語「王様とヤシの木」(エジプトくだり」

から脚色)がNHKで放送されました。また「ベツレヘムの子ら」と「ともしび」はそれぞれ「へい

しのなみだ」(文、さとうひでかず・しなこ 画、つかさおさむ 1967年)、「ともしび」(文、きど

のりこ、画、すずきやすまさ 1980年)として絵本化されました。


このように「キリスト伝説集」は小さな本でありながら多くの人の手によってニッポンにうつさ

れて来たのですが、1955年、当時病妻をかかえて時間的なゆとりにとぼしい中で、親しい友

の手助けと岩波書店の玉井乾介氏のはげましのもとにようやくはたしえたおぼつかない訳

が、30年近くも読者にむかえられて、いま改訳の機会にめぐまれたことは、ほんとにありが

たいなりゆきでした。 (中略) なお、Carl Larsson による巻頭の肖像は、ストックホルム

王立図書館の Dr.Nils Afzelius のご厚意によるもので、本書執筆のころの著者の面影をし

のばせるものです。


1984年6月21日 イシガ オサム



セルマ・ラーゲルレーヴ

Selma Lagerlof(1858年11月20日〜1940年3月16日)

アーナ・ロヴィサ・ラーゲルレーヴ。『ニルスのふしぎな旅』(1906年)の著者。1909年に、女性で

初めてのノーベル文学賞受賞者となった。キリスト教の寓話的作品、絵本を数多く書いている。








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