「ナバホ・タブー」

アーニー・ビューロー著 ぬくみ ちほ編訳 パロル舎 より引用







ナバホに伝えられるタブーを集めた文献だが、風土や生活環境が全く

異なる日本人にとって自らの参考になるものは殆どないと言っていいだ

ろう。それは著者が「“タブー”とは好奇心だけで飛びつく文化遺産では

なくて、一族が伝統の暮らしを永続させるための掟であり、そして暮らし

のなかで自然と調和をとっていくために一人一人が注意をはらうべき

行動の規範なのである。だから他の民族のタブーと組み合わせること

など決してできず、その一族のみによって守られ、伝承されるものなの

である。」と言っているように、自分たちの生活・精神文化にそのまま

当てはめようとすること自体無意味なことだと思う。しかし、このタブー集

を通してナバホの人たちのはるか昔の人々の想い(それは戒めである

ものが多いが)が伝わってくる。子孫たちが道を間違えて危機に陥らな

いようにとの強い想いが伝わってくるのである。

(K.K)


 








著者まえがき より引用


わたしがナバホと出会ったのは少年時代、アイダホ州の祖父の農場だった。当時の

アメリカ先住民は「貧しい少数民族」と呼ばれていて、重労働を承知のうえでよその土

地に出稼ぎに行かなくてはならなかった。砂糖大根を栽培する祖父の農場にも、毎年

ある時期になると同じナバホの家族が働きにきた。


いつの頃からかわたしは、白人とは違う彼らの物静かな暮らしぶりに一目おくように

なった。そしてもっと深く、ナバホの文化を知りたいと思うようになった。とはいっても

人類学的な研究をするというのではなく、少年時代の友人がどのような文化のなかで

暮らしてきたのかを知ってみたかったのだ。そうしてわたしは砂漠地帯というロマンを

かきたてる未知の世界へと憧れを抱くようになった。


1966年に妻と二人で、ニューメキシコ州のナバホ居留地にある高等学校で教鞭をとる

ことになった。それまでのアメリカ合衆国インディアン局はインディアン居留地にある学

校に対して、部族の言葉で会話をする生徒たちを厳しく罰するという指導をしていた。

それは先住民族の文化をも抹消しようとする政策だったのである。


ところがどうしたことか、そのような政策が打ち消され、今度は先住民族の民族文化を

復活させようとする方針がもちあげられた。居留地の学校で教える教師たちに、部族の

文化を象徴する教材の使用を奨励したり、新たな授業内容を盛り込むよう促したので

ある。


わたしの仕事というのは、文学/歴史/人類学/民話/演劇/南西部の文化に関する科目

を含めた“南西部学習”という授業を受けもつことだった。授業では、ナバホのほかにも

南西部に暮らす部族の伝承物語を話したり、ナバホに伝わるコヨーテ物語を劇にしたり

した。そして神話を語ることのできる季節・・・・冬(ナバホでは、冬以外に神話を語ること

はタブーとされている)になると、生徒といっしょに地域の学校を回り公演をした。役を演

じる生徒たちは皆、伝統的なナバホ文化を受け継いだナバホ語で育った子供たちだっ

た。劇作りに励む生徒たちは、脚本にナバホ伝統の教えなどを盛り込んだり、ナバホの

言葉で台詞を言ったりした。どの生徒もとても生き生きとしていて、学校教育という場で

英語ではなくナバホの言葉を堂々と使えることに、それは喜びを隠しきれない様子だっ

た。というのもそれまでは、どこの居留地においても先住民の文化的な活動が一切禁じ

られていたのだった。わたしの生徒たちというのはまさに、居留地に政府の干渉が入っ

て以来、ナバホの文化を自由に表現できるという喜びを味わった最初の世代となった。


南西部学習の授業を通し、生徒と一緒に居留地の村をまわった。いろいろな儀式に

参加したり、もうすぐにでも忘れ去られてしまいそうな民芸品に出会ったり、その職人

の話をきいたり、また年配の人たちからは部族に伝わる伝説や習慣、さまざまな道具

の作り方などを教えてもらった。その旅で見聞きした話というのはどれも、人類学者た

ちが既にナバホの文化から消え失せてしまったと決めつけたものばかりだった。


ナバホの文化を熟知しているとばかり思い込んでいた生徒たちは、自分たちの世代

に伝わっていない山ほどのナバホ秘話がることを知り、誰もが驚きを隠せない様子

だった。


4年の間に生徒たちと行った取材の一つが、この本に至るナバホ・タブーの収集だっ

た。本書に掲載したタブーは、今でもナバホ社会での常識が示され、自然界を思いや

る畏敬の念というものが表れている。なかには治癒の儀式で語られる神話や、伝説の

起源をもつものさえある。ナバホ族の人々というのは、古くから受け継がれてきた教え

を尊重し、哲学をもって暮らす人々なのである。


ナバホのタブー集は、これで3度目の改訂版となる。本書はナバホでもない一人の白人

教師が学校教科の一端として始め、ようやく1冊の本という形にまとめたものである。4半

世紀にわたるわたし自身の努力の結晶ではあるけれど、個人的な偏見に満ちた部分や

不完全な箇所があることは否めない。しかしナバホの言いまわしでタブーを語ったものと

しては、恐らくこれが初めての書物だと思う。


“タブー”とは好奇心だけで飛びつく文化遺産ではなくて、一族が伝統の暮らしを永続させ

るための掟であり、そして暮らしのなかで自然と調和をとっていくために一人一人が注意

をはらうべき行動の規範なのである。だから他の民族のタブーと組み合わせることなど

決してできず、その一族のみによって守られ、伝承されるものなのである。


ナバホの場合タブーを破って下される罰としては、周囲の人々から非難を浴びたり遠い

未来や死後の世界で何らかの罰が下されるのではない。この世で、直ちに、定められた

罰が与えられるのである。だから人々は常についてまわるタブーを意識しながら、自分

たちの暮らしに適した行動をとろうとするのだ。


世紀末の今、地球規模で問題になっている環境破壊や人間社会での歪み、また心の病

や病気など、わたしたちが抱えている問題はさまざまだ。ナバホの創世神話をかたるな

ら、「第五世界」に生きる人々、つまり私たちが遠い昔から人類に課せられたタブーを

破ってしまったために、今、その罰が下されているのかもしれない。


この本を通してそれぞれ違う文化で暮らす読者の方々とナバホのタブーを共有できたら

光栄だ。最後に、もしコヨーテがあなたの前を横切ったら、南を目指すよう願ってほしい。

そしてコヨーテが笑みを浮かべたら、きっとあなたに幸運がおとずれることだろう。


アーニー・ビューロー


 
 


ナバホの創世神話 (本書 解説 ぬくみ ちほ より引用)


創世神話は、自らを、“ディッネエ”と呼ぶナバホの人々の暮らす世界がどのように

造られたのか、またディッネエがどのようにしてこの世界に現れたのかを伝えている。

ちなみに“ディッネエ”とは、ナバホの言葉で「人々」という意味で、もともと南西部に暮

らしていたプエブロの人々が、近隣に定住するようになったナバホの人々にトウモロ

コシの栽培方法を教え、彼らをプエブロの言葉で“ナバホ(広野を耕す人々)”と呼ん

だのだった。やがてアメリカ南西部にやって来たスペイン人も、ディッネエを「ナバホ」

と名指すようになり、今日まで使われている。ナバホの創世神話ではディッネエが登場

するまでに、世界は「第一世界」から「第五世界」まで順をおって創られてきた。


「黒の世界」と呼ばれる第一世界が、生命の始まりだった。そこには“虫の人々”、語り

部によっては“未完成の体をもつ人々”が暮らしていた。あるとき虫の人々は、「わたし

たちは、なんて暗い世界に暮らしているのだろう」と気がついて、背中に生えた小さな

羽を羽ばたかせ、新天地へと向かうことにした。


その新天地が「青の世界」と呼ばれる第二世界だった。そこにたどり着いた虫の人々

の体は、少しばかり進化していた。しかしその世界には、虫の人々よりももっと頑丈な

翼をもつ“鳥の人々”が暮らしていた。虫の人々は鳥の人々と仲良く暮らしていこうと

するのだが、どうもうまくいかない。いざこざが絶えず、両者の仲はますます悪くなって

いった。


そのようなうちに第二世界の調和が崩れてしまい、世界は崩壊へと向かっていった。

そうして虫の人々と鳥の人々は、一緒に次の世界へと向かうことにした。第三世界に

到着すると、彼らの体型はまた少し進化していた。その世界には虫でも鳥でもないほ

かの種類の人々が暮らしていた。そしてここでもまたいざこざが起こり、みんなで次の

世界へと向かった。


さて第四世界には、動物の名前をもつ様々な人々がいた。新しくやってきた人々も

彼らとうまく暮らしていた。やがてこの世界に、完全な人の姿をした最初の男と女が、

トウモロコシの粒から誕生することになる。また、後に、“イェイ”と呼ばれる聖なる人々

も登場する。ここに暮らす生き物たちの姿形はその種類によって違ってはいたけれど、

みんな同じ言葉を話しながら平穏に暮らしていた。天空には太陽が、夜空には月やたく

さんの星が輝いていた。こうして第四世界は、すべてが調和した美しい状態“ホッジョー”

に満ちていた。


ところがあるとき、しあわせな夫婦生活を送っていたはずの最初の男と最初の女が、

たわいなことから喧嘩を始めてしまった。二人の不和は、しだいに第四世界の人々み

んなをまきこんでしまい、とうとう男と女が川をはさんで別々に暮らすようになった。そう

なると、今まで暮らしのなかできちんと分けられていた男と女の役割というものが、すっ

かりなくなってしまった。


時がたつにつれ、男たちも女たちもそのような生活にうんざりしていた。けれど最初の

男と最初の女の意地の張り合いは、かわることなく続いていた。そうするうちに第四世界

にも不調和が漂って、とうとう崩壊してしまうのだった。


そうして人々は自分たちの行動が引き起こしてしまったホッジョーの乱れを後悔しながら

も、第五世界へと移っていった。この第五世界は、のちに“地上世界”とか“きらめきの

世界”などと呼ばれるようになるのだが、初めのうちはそれは恐ろしい怪物たちが跳梁

跋扈する世界だった。これらの怪物というのは、第四世界で数人の女がサボテンや石な

どと交わったため生まれてしまった子どもたちである。


ある日のこと、イェイ(聖なる人々)の一人“チェンジング・ウーマン(変化をもたらす女)”が

サン・ファンという川の岸辺で、霧のなか太陽の光によって子どもを身ごもり、やがて双子の

男の子を産む。やがて勇敢な若者へと成長すると、双子の兄弟は第五世界の人々を苦しめ

る怪物どもを征伐しようと心に決めた。二人は父、神なる太陽に会いにいくと、怪物を攻め

打つために、光を放つ弓矢と魔法の羽をもらった。


そして二人は、聖なる人々の一人でおばあさんにあたる“スパイダー・ウーマン(蜘蛛の女)”

を訪ね、怪物退治のための知恵と力を授かった。そして多くの精霊に助けられながら、二人

は次々に怪物たちを成敗していった。この双子の兄弟の活躍によって、ようやく第五世界は

ホッジョーに包まれるようになった。そしていよいよトウモロコシの粒から、ディッネエが誕生す

るのだった。チェンジング・ウーマンは、いつまでもディッネエがこの世界でホッジョーとともに

暮らしていくことができるように、“ホーガン”という家の建て方や、いろいろな儀式の執り行い

方など、あらゆることを彼らに教えた。そしてもう二度とホッジョーが乱れないように、ディッネエ

が従わなければならない規則を作ったのだった。その規則が、今もナバホに伝わるタブーな

のである。


彼女はタブーを教えたばかりではなく、人々がタブーを破ってしまったときに、どのように

ホッジョーを保てばよいのかということも同時に伝えた。それが“メディスンマン(薬草を

つかったり、砂絵を描いたり、祈ったりしながら病気を治癒する人)”によって執り行われ

るナバホの儀式なのだ。


こうして創世神話が今の時代へと、ナバホの人々にタブーと儀式を伝えられてきた。

19世紀末のナバホには、50種類を超える儀式が執り行われてきたという報告がある

が、今では20種類ほどに減ってしまった。しかし儀式が執り行われる基本的な理由

に変化はない。すべてのナバホ儀式は、人と自然界、宇宙との調和を保つために、

そしてタブーを破って被った病気を治癒するために行われる。そろそろ20世紀が終わ

ろうとする現在も、ホッジョーに包まれた世界を保つことが、伝統を守るナバホの人々

の生き方なのである。


「はるか昔アメリカ先住民の先祖たちが、アジアからこの大陸へ渡ってきたという話を

君も聞いたことがあるだろう。でもね、わたしはそんな話は信じない。ナバホの歴史は

第一世界から始まったのだ。そしてわたしたちディッネエは、今、第五世界にいるのだ

よ」そう語る長老の世界観と人生観のなかに、確かに、ナバホの創世神話は生きてい

る! と、わたしは感じた。








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