「アボリジニー神話」

K.ラングロー パーカー編集 松田幸雄訳 青土社 より引用











これらの伝説は重要である。これらの伝説は、当時父の牧場に住みキャサリン・

フィールドの名前でアボリジニーのなかで育った、ラングロー・パーカー夫人によっ

て50年以上前に集められた。子供のとき、彼女は溺れたところを先住民に助けら

れた。既婚女性として、ニュー・サウス・ウェールズ州ナーラン・リヴァーのバンゲー

ト牧場で、彼らに混じって生活をつづけた。彼女にとって、彼らはなによりもまず遊

び相手であり友人だった。彼らへの興味はのちにますます広がりさらに学問的に

なったが、そのために人間関係の温かさが冷えることはけっしてなかった。彼女

自身の同情的だが客観的な態度に援けられて、ようやくこれらの伝説や物語は、

初めて彼らのことを語った黒い人たちの呼吸で躍動的に劇的に生き生きと語られ

ることになった。さらに、オーストラリア人にとって新鮮で南十字星のような親しみ

慣れた感じもする、イメージによる魅力も加わっている。伝説は、成人の知恵をも

つにもかかわらず、その単純さにおいては子供っぽく、また詩的な特質をもってい

るので、子供たちのみならず若い人たちにも、心から親しみを覚えさせてくれるだ

ろう。明快な性格描写と、人間の基本的な行動や動機についての鋭い理解は、

美しいし面白い。(中略) パーカー夫人は、事実、もっぱらオーストラリアの先住民

を仲間として扱って書いた、最初の人たちの一人だった。それどころか、おそらく彼

女は、英語の文章で彼らの思想や言葉を語り直したことにおいて、彼らが自分たち

自身とその生活条件をどう見ているかを広範に述べた最初の人だったろう。(中略)

最後に申し上げるが、パーカー夫人が書いたユアーライイに人びとは、赤ん坊が良

い子になるように、あるいは丈夫で賢く育つように、あるいは彼らを危険から守る

ように、彼らに呪文の歌を歌って聞かせる魅惑的な習慣を持っていた。国家の成

長期にある現在、悲しくも過去に濫用された、かの歌が思い起こされていいだろう。

その歌は、世界のなかで自分の道を行きはじめたばかりで、すべてのものを求めて

手を差し伸べる子供に向かって、いつも歌われていたのだった。


「親切にせよ、

ものを盗むな、

他人のものに手を触れるな、

そんなものは放っておけ。

親切にせよ」。


本書 はじめに 1953年 H/ドレーク=ブロックマン より引用





本書 訳者あとがき 松田幸雄 より抜粋引用

ここでオーストラリア先住民について触れよう。彼らは氷河期に主として中国やビルマ、

マレー半島、インドネシア経由、一部は中国、フィリピン、インドネシアやニューギニア経

由で渡来し、その後オーストラリアに閉じ込められたものと考えられ、18世紀に白人が到

来するまでは、典型的な採集経済を営んでいた。英国人の植民当時は食料豊富な海岸

線に沿って多く住んでいたが、開拓によって次第に内陸に駆逐されていき、窮乏の度を

高めた。また、大陸では一部は労働力として利用されたが、タスマニアでは労働力として

の需要が少なかったために動物並みの扱いを受けて殺され、タスマニア先住民は1860

年代に絶滅した。さらに、白人のもたらした伝染病は免疫性のない彼らには致命的だっ

た。これらの悪条件が重なって、英国植民当時30万人を越えていた先住民人口は、1950

年代初めには混血を含めて約7万人、そのうち純血は4万人弱と言われるまでに減少し

た。しかし、連邦政府の保護政策が徐々に進行し、現在は20万人を超えるまでに回復し

ている。ただ、純血の人口はそれほど増えていない。純血種ほど放浪癖が強く、保護が

行き届きにくいからであろうか。大陸北部の広汎な保護区アーネム・ランドでは定着率は

高く、人口増加が顕著である。


連邦政府の保護政策が浸透するとともに、先住民の人権意識も高まり、これが経済問題

に発展している。彼らの多くが住んでいる大陸北部は金、ダイヤモンド、マンガン、銅、ボー

キサイト、その他鉱物が豊富なので、私企業は州政府の許可を得て鉱物の開発を進めよ

うとし・・・・開発事業は州政府の権限・・・・、他方、先住民は連邦政府から認められている

居住権を基にそこでの権益を主張し、私企業にローヤルティの支払いを要求しているから

である。また居住地域には先住民の聖地が多く、聖地の不可侵を要求しているので、問題

の解決をさらに困難にしている。


ところで、本書についてであるが、内容は、K(キャサリン)・ラングロー・パーカー夫人が

ニュー・サウス・ウェールズ州西部、サウス・オーストラリア州北東部を中心に蒐集した伝説

を、H・ドレーク=ブロックマン女史が選んで編集し、エリザベス・デュラックが挿絵を付けた

ものである。K・L・パーカー夫人の父、フィールド氏は初期の植民開拓者であり、母は当時

有名な小説『道を拓いて』の著者の妹だった。主として父の牧場で、先住民を遊び相手に

育った。その後メルボルンとシドニーの社交界でしばらく生活を送ったが、結婚後はニュー・

サウス・ウェールズ州北部とクイーンズランド州の牧場に移って10年間を過ごした。この間

に先住民の伝説を集中的に蒐集し、それらを集めて、ドレーク=ブロックマン女史が「補遺」

で述べているように二冊の伝説集を出版した。のちにアンドルー・ラングに勧められ、伝説集

の重要性をもっと世間に認めさせるよう、『ユアーライイ語族・オーストラリア・アボリジニー

の生活の研究』(1905年)を書いた。彼女の伝説集は、オーストラリアの神話・民話の古典

となっていて、さまざまなところで引用されている。因みに、オーストラリアの伝説編集で有

名なのはパーカー夫人と詩人のローランド・ロビンソンであるが、後者は1913年生まれな

ので、むしろパーカー夫人の後継者と言うべきだろう。夫の死亡後、パーシヴァル・ストウ

と結婚、サウス・オーストラリアに戻った。筆名はパーカー氏のままである。彼女は1940年

に84歳で亡くなった。


編集のH(ヘンリエッタ)・ドレーク=ブロックマン(1901年〜68年)は、ウェスターン・オース

トラリア州バースの生まれで、美術を専攻、オーストラリア北西部を集中的に旅行し、記録

を絵で残した。1934年に最初の小説「ブルー・ノース」を発表、数編の小説や劇を創作のほ

か、短編の編集もしている。エリザベス・デュラックは、初期開拓者である名門の大牧場主

の一族として1916年に生まれ、親族に実業家の有名人を多くもつ。姉は作家であり、本人

はキンバリー地方の絵で有名な画家である。







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