「ラブ・ストーリーを読む老人」

ルイス・セプルベダ著 旦啓介訳

新潮社より引用





「人間たちと動物たち両方が生きられる世界というのはないのだろうか」

という願いを込めた作品。アマゾン上流での開発は多くの動物や先住民

を森の奥地へと駆り立てていく。そして子供と連れを殺された山猫(オセ

ロット)が人間を攻撃し、この山猫討伐隊に強制的に加えさせられた主人

公の心の葛藤を描く作品。豊潤な森の世界を舞台に、人間の野蛮さを静

かに訴えてやまない書である。

(K.K)





(本書より引用)


アントニオ・ホセ・ボリーバル・プロアニョはゆっくりと起き上がった。

死んだ獣に近づき、二発によって体がぼろぼろになっているのを

見て戦慄を憶えた。胸は巨大な紫色の染みと化し、背中からはず

たずたになった内臓や肺が飛び出していた。それは最初見たとき

に思ったよりもずっと大きな動物だった。痩せてはいたが、立派な、

美しい動物で、想像力によって再構成することすら不可能な、りり

しさの極致の存在だった。老人は負傷した足の痛みも忘れて彼女

を撫でさすりながら、恥じ入って泣いた。自分がそれに値しない、

卑しい存在であることを、自分がけっしてこの戦いの勝者などでは

ないことを感じながら。涙と雨で視界を曇らせたまま、彼は動物の

遺体を川べりまで押していった。水の流れがそれを森の奥深くへ、

白い人間によってけっして犯されることのない領域へ、そしてアマ

ゾン川との合流地点まで運んでいく。急流に至ってそれは尖った

岩に粉々に砕かれ、卑しい動物たちの卑劣な手から永遠に免か

れるだろう。次いで、怒りにまかせて猟銃も川に投げこみ、それが

みすぼらしく沈んでいくのを見守った。すべての動物に忌み嫌わ

れている金属製の猛獣。アントニオ・ホセ・ボリーバル・プロアニョ

は入れ歯をはずしてハンカチに包んでしまいこみ、この悲劇の発

端を作ったグリンゴのことを、そして、市長を、黄金探索者たちを、

彼のアマゾニアの処女林を犯し続けるすべての人間たちを呪い

罵りながら、山刀の一撃で太い枝を切り落とし、それを杖がわり

にして、エル・イディリオを、自分の小屋をめざして歩きはじめた。

ときには人間の野蛮さを忘れさせるほど美しいことばで愛の物語

を紡ぐ小説のありかを、彼はめざして歩いた。   





本書 訳者あとがき より引用


冒頭の献辞にあるようにこの作品はシーコ・メンデスに捧げられています。シーコ・

メンデスというのは、ブラジルのアマゾニア奥地アクレ州に生まれ、生涯の大半を

ゴム採取人として暮らした人で、森の住人の立場からアマゾニアの開発に警鐘を

鳴らした人物です。一般的に大がかりな自然保護運動は、自然が危機に瀕してい

るその現場の住民よりも、国外の(主に欧米の)エコロジー団体の主導によって盛

り上がる場合が多いようですが、シーコ・メンデスはローカルな立場から声を上げ

た点で異色の存在でした。ゴム採取人というのは実に象徴的な職業です。彼は森

を収奪して暮らしているわけですが、生きた森がなくなってしまったら生きていけな

いのです。


ゴム採取人の組合運動家から出発した彼は、そのような立場から独自に、森の再生

を可能にするかたちでの利用・開発を求める「サステイナブル・ディヴェロップメント(半

永久的に維持可能な開発)」の考え方に行き着きました。そして、1980年代に国際的

なエコロジー運動に見出され、アマゾニアを守る運動の象徴のような存在に祭り上げ

られました。まさにそれゆえ、開発業者の息のかかった殺し屋の手で1988年末、ア

クレ州の自宅の庭で殺害されてしまったのです。この事件はマスコミによって国際的に

とりあげられたため、下手人の殺し屋たちはやがて逮捕されたものの、数年間服役した

だけで、1996年には仮釈放され自由の身となったことがまた非難の的となりました。

しかし、結局、その背後の黒幕たちはおとがめなしのままです。


発展途上国での自然保護運動には複雑な思いが交錯します。というのは、自然を破壊し

て開発を進めることによって経済的に豊かな国に脱皮できるのではないかという夢が、

開発の最前線に立つ人々を支えているからです。誰でも欧米と同じように、車や電化製

品や現金がほしいわけですし、開発によってそれがかなえられるかもしれないという幻想

には強い力があります。実際、先進国は自然を破壊して開発を進めることによって先進国

になったのではなかったか、という恨みもそこにはこめられています。たとえばブラジルの

アマゾニア開発は、都市にあふれる無産層をアマゾニアに入植させることで進められまし

た。彼らは自分の土地が持てる、貧困から抜け出せる、という誘いに応じて移住していっ

たのです。その結果、アマゾニア横断道の道路沿いから帯のように森林が姿を消していく

ことになり、野火が広がり、破壊が加速されていきました。


それはこの小説のなかのエル・イディリオもまったく同じでした。僕は個人的な経験として

グアテマラのジャングル地帯で、まさにこの小説の主人公のように、山岳地帯から入植した

一家のもとに泊めてもらったことがありますが、そこには自然を破壊しようというような意思

はなく、ただ、生存のための戦いがあるだけなのです。森を伐採して自給自足的な作物を

植える。余裕ができたらもう少し切り開いてサトウキビなどの換金作物を植える。そして森

はずいぶんまばらになってしまいました。そのこと自体は誰にも責めることができないでしょ

う。問題は、そうやって開発しても彼らの国内の貧富の格差も、地球上の貧富の格差も一

向にせばまらないというところにあります。開発によって得をするのはその最前線の人たち

ではないのです。


作者はしかし、いわゆる自然保護の主張を前面に出すことなく、より根源的な、具体的な

レベルでの自然と人間の関係を問おうとしているようです。物質文明の恩恵というような

ものがまったくない土地で、それこそ剥き出しの自然とともに、とりたてて何の希望もなく

ひっそりと暮らしているたくましい人間たちに対する敬意と憧憬とが最大のモチーフである

ような気がします。








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