「クレイジー・チェス」

ジャック・ピノー著 河出書房新社 より引用







スタイルの玉手箱 (本書より引用)


チェス上達のコツは何か、私はいまだに分かりませんが、意欲が大事なのは確かでしょう。

私の学習法の第1ステップは、まず覚えること。本に載っている短いゲームを文字どおりすべ

て暗記することでした。上達するにつれて、次第にそれらのゲームを指す名人たちにはおの

おの個性があることが分かってきました。そう、よく「スタイル」といわれているヤツです。彼ら

のうち、最初に私をとりこにした名人たちをあげるならば、古い方では、ハリー・ネルソン・ピル

スバリー、現代ならばラトビア出身のミハイル・タリです。この2人は太陽をその手につかもう

としたイカロスのように、はてしなく美しい手順を追い求め続けました。時とともに、普通の人が

想像つかない手を求めた理想主義路線の名人たちばかりでなく、現実路線の地に足を付けた

人々からも学ぶようになりました。ウィルヘルム・シュタイニッツ、アーロン・ニムゾビッチ、最近

ではミハイル・ボトビニクらです。ただし彼らはすぐれた理論家であり、それぞれの時代で超一

流のプレイヤーではありましたが、今の私には何か物足りないのです。自分の理論にこだわり

すぎ、物事の一面だけしか見ていないような気がするのです。もう少し夜空に輝く星のような

チェス界のスターについて書かせてください。


チェスを究極まで突き詰めて考えていけば、明解さというものにたどり着くのではないでしょうか。

その意味ではチェス界のモーツァルトともいうべき人々の出番です。彼らが集まったところを想像

してみてください! 皆さんはもうご存知のポール・モーフィーが近代シシリアン定跡についてロ

バート・ジェイムス・フィッシャーと語り合っているではありませんか。2人を微笑みながらまるでセ

ラピストのように見守っているのがルーベン・ファインです。女性方を相手にさまざまな話題で楽し

い話をしている魅力的な紳士がいます。キューバの生んだ天才ホセ・ラウル・カパブランカです。

彼が1914年のセント・ペテルスブルグ・トーナメントの後1927年のニューヨーク・トーナメントまで

の14年間のゲームで、負けたのはたったの4局だったそうです! おや、部屋の隅でぽつんと1人

離れている若者がいます。ロシアのウラジミール・クラムニクです。自分がなんでここにいるか? と

いう顔をしています。時期世界チャンピオンになるだろう、という予想の下、このパーティに出席して

もらいました。


我々は勝負の結果を気にすることが多いようです。実はそれはチェスそれ自体の目的とは違って

いるのではないでしょうか。チェスを指すこと、それ自体に喜びを見いだすことが重要ではないで

しょうか。カスパロフがディープブルーに負けたのはこのような心の状態ではなかったからでしょ

う。機械にではなく、自らのプレッシャーに負けた、と。ディープブルー・チームはこの辺の事情を

分かったうえで対決の準備をしてきたのではないでしょうか。プレイヤーの創造性は求められず、

カスパロフの指し手はグランドマスターを相手にする時とは様子が違っていました。


もっともドラマティックな悲劇の主人公として知られているのが、ポーランドのアキバ・ルビンシュタイン

です。彼が世界チャンピオンになれなかった理由の1つに、チェスを指すことそれ自体を楽しまず、究極

の完全なチェスを追い求めたことが挙げられます。そのあまり精神に異常をきたしてしまったのです。と

はいえ、ルビンシュタインは私の好きなプレイヤーです。彼は貧しい家に生まれ、16歳の時、友だちが

やっているチェスを見て覚えました。19歳で、その地方の名人に勝ち、5年後にはヨーロッパでも屈指

の強豪になっていました。1907年から1912年の間、スポンサーがつかず世界チャンピオン、ラスカー

に挑戦できませんでしたが、多くの人が彼こそは世界最強だと思っていたのです(当時は、チャレンジャ

ーがお金を出す必要があった)。今回、私は彼をこのパーティーに招待したのですが、断られてしまいま

した。今もきっと天使のように天高く翔んでいることでしょう。完全とか完璧というのは危険な言葉でも

あるのです。さて、神々しいような夢の世界を離れて、現実の人間の世界に戻りましょう。短い手数の

ゲームを紹介しますから、大いに参考にしてください。







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