「そして名前だけが残った」
チェロキー・インディアン涙の旅路
アレックス・W・ビーラー著
片岡しのぶ訳 あすなろ書房
本書は1838年から39年にかけてチェロキー族を1600キロも 離れた土地に強制移住されるまでの記録である。当初この本 はテレビのドキュメンタリーとして発表されたものである。この 「涙の旅路」はインディアンの多くの悲劇の中でも多く語られて いるものであるが、冬の寒さの中1600キロもの道を歩かされ、 四人に一人が途中で倒れていった。この監視にあたっていた 一人の兵士が後年この涙の旅路について本書の中で次のよ うに語っている。「私は南北戦争でも戦い、弾丸にあたった人 間がこっぱみじんに吹っ飛ぶさまや、何千人という人間が死ん でゆくさまをこの目で見たが、チェロキーの強制移住はそれよ りはるかにむごたらしかった」と。そして今でもチェロキーの人 は、この残酷をきわめたこの旅を「涙の旅路」として記憶する。 (K.K)
「魅せられたもの」1997.5/4「チェロキーインディアンからのメッセージ」を参照されたし
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本書「訳者あとがき」より
アメリカ東南部に位置するジョージア州は、気候のおだやかな山紫水明 の地です。昔、この豊かな大自然のふところで、チェロキー・インディアン が暮らしていました。そこへ、白人が渡ってきました。それとともに、チェロ キーは、自分たちの伝統に誇りをもちながらも、白人文化を積極的に取り 入れ、アメリカ合衆国にならって独自の政府を作り、憲法を制定しました。 チェロキー文字を考案し、新聞を発行し、学校も建てました。白人との平和 共存に希望をたくし、チェロキー国家がさらなる文明開化の道を歩きはじ めたのは19世紀初頭のことです。ところが、白人はチェロキーとの共存を 望むどころか、チェロキーの土地と、チェロキー国内で発見された金鉱を、 自分のものにすることしか考えていませんでした。白人は、チェロキーと 交わした約束を反古にし、チェロキー弾圧の法案を次々に成立させ、18 38年から39年にかけてついにチェロキーを西部へと追放します。残酷を きわめた強制移住の道すがら、四人に一人のチェロキーが死んでいき ました。この旅は、「涙の旅路」として知られています。本書はチェロキー のライフスタイルから語り起こし、政治、経済、文化など歴史のさまざまな 面にふれながら、彼らが「涙の旅路」につくまでの経緯を淡々と語ってい ます。歴史は正しく伝えられるべきものであるにもかかわらず、勝者が勝 者の側から書いてしまいがちです。支配され、迫害されて悲惨な運命を たどったチェロキーの視点にたって書かれた点で、本書は貴重な一冊と いえるでしょう。人間は、数々の偉業をなし遂げるうるすばらしい生き物 である一方、みずからの欲望に目がくらみ、弱者の痛みを無視しうる醜 い生き物でもあります。日本の場合も、アイヌ文化への無理解、外国人 に対する偏見、差別が根強く存在します。過去を取り戻すすべはないに しても、未来においてふたたび同じ過ちを繰りかえしたくはありません。 学ぶ気持ちさえあるなら、過去は偉大な師になってくれるにちがいあり ません。・・・・・・・片岡しのぶ
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目次 1章 チェロキーの名前 2章 白人が渡ってくるまで 3章 スペイン人、フランス人、イギリス人 4章 チェロキーと白人 5章 新しい国家、新しい人びと 6章 白人文化 7章 話す木の葉 8章 希望と絶望 9章 ゴールドラッシュ 10章 軍隊が来る 訳者あとがき
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