Two Bear Woman - Piegan

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


インディアンの歴史と現在を知る文献


Red Cloud - Ogalala

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)

失意の底にあったRed Cloud(レッド・クラウド) 「ともいきの思想」阿部珠理著を参照されたし






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この文献の詳細ページへ「薩垂屋多助 インディアンになった日本人」
スーザン小山・著

歴史のみならず、インディアンの伝統文化、世界・価値観に熟知した者。なお
かつ400年前に生きた彼らが未来に残した想いを掬い取るものだけに許された
物語。それがスーザン小山さんが書かれた小説「薩垂屋多助 インディアンに
なった日本人」である。実際に江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕え
たイングランド人航海士・三浦 按針(ウィリアム・アダムス)と多助との出会い。

才覚を認められ通訳として彼・三浦 按針の元で様々な経験を積み、インド生ま
れの娼婦との恋を経ながら、イギリスに旅たつ多助。そこで彼の一生を決めた
のはディズニー映画でも有名なアニメ「ポカホンタス」、その彼女を育んだラナペ
族(ポウハタン族)との出会いだった。この小説には過去の歴史的事実に、
「多助」という架空の日本人を織り込むことによって、現代に新たな命を吹き込ん
でいる。

スーザン小山さんが書かれたインディアン関連の5冊の文献(2冊は全国学校
図書館選定図書)は素晴らしいが、この「薩垂屋多助 インディアンになった
日本人」は彼女の集大成とも言える感動の小説である。ラナペ族(ポウハタン
族)の未来への想い、多助の未来への想い、それはスーザン小山さん自身が
「多助」そのものであることに気づかされる。歴史的事実や背景を基に、400年
前のインディアンの魂の叫びを聴き取った第一級の作品である。


本書より以下引用。
「私がこれから言うことを心して聞け。私は今夜この世を去る。だが私はひとり
で逝くのではない。戦士や族母たち、そして多くの老若男女もまた死ぬであろう。
ラナペ族は今夜、民族として絶えるのだ。だがわれらの誰かがラナペの血を
後世に伝えなければならない。我らがこの地に生きたあかしを、この大地は
我らのものであることを、我らの赤い道と天地の真実を七代の子孫に伝える
ために、そして七代の子孫がさらにその七代の子孫に伝えるために、誰かが
生き続けねばならぬ」

多助は部族最高の精神指導者の言葉を聞きながら、それが自分の心に、まるで
以前から聞いていたことがらのように自然に響くことに奇異の念と感動を覚えた。
かたわらの三人は頭を垂れ、その言葉にじっと聞き入っている。同じ思いでいる
のであろうか。だがトモコモの深い目の色は、多助には見えない中空の何かを
見据えていた。その言葉が再び静かに響く。



 
  この文献の詳細ページへ「NHKカルチャーラジオ 歴史再発見 
   アメリカ先住民から学ぶ―その歴史と思想」

阿部珠理 著 NHK出版

本書「アメリカ先住民から学ぶ その歴史と思想」はインディアンの全体像を理解
する上で最も優れた文献の一つになるだろう。著者の先住民に対する造詣の深さ
と長年のフィールドワークを通して、インディアンの歴史と思想の核心に迫っていく
本書はアメリカ先住民とは、アメリカ・インディアンとは何かと知りたい人にとって先
ず読んでほしい文献であり、多くの発見をもたらしてくれる。私自身、阿部珠理さん
が今までに出版した文献から多くのものを発見し学んできたが、それは本書におい
ても平衡感覚に優れた著者ならではの輝きが宿っている。尚、本書はNHKラジオ
第2放送で2011年10月から12月の毎週12回にわたって放送される。



筆者が長年フィールドワークを行うサウスダコタ州のラコタ・スー族は、典型的な
最貧部族であるが、調査を初めて以来約二〇年、冬は零下二〇度に達する保留地
で、凍死者や餓死者の報告に接したことがない。翻って、先進国の一員として物質
的繁栄を謳歌してきた日本では、孤独死や餓死のニュースは、今や珍しくはない。
ここから私たちは、先住民社会の「貧しさの中の豊かさ」と日本社会の「豊かさの中
の貧しさ」を読み取ることができるかもしれない。

この講座では、アメリカ先住民の過去から現在までの歴史を繙き、その社会と文化
の劇的な変容をさまざまな事例から学ぶとともに、その変容の引き金になった外的
要因と内的要因を考える。そこからは、近代西欧の植民地主義と先住民社会の相剋
における歴史の普遍が垣間見えるだろう。さらに先住民社会の「貧しさの中の豊かさ」
に着目して、その豊かさの内実を明らかにしてゆく。それこそが、彼ら民族を再生に
導く源泉だと考えるからだ。先住民社会を私たちの社会に照射して、今後の私たちの
生活と社会を展望することが、アメリカ先住民を学ぶことのもっとも重要な意味だ
ろう。

(本書 はじめに より抜粋引用)

 


この文献の詳細ページへ「わが魂を聖地に埋めよ」 上下巻
アメリカ・インディアン闘争史
ディー・ブラウン 著 鈴木主税 訳 草思社

真のアメリカの歴史を綴った名著。栄光の西部開拓の裏で何が行われたのかを
この本は暴露している。そこには人間とも思われない白人によって繰り返される
インディアンへの虐殺の歴史が緻密な記録をもとに描かれ、またどのような迫害に
あっても白人との共存を模索していた崇高なインディアン首長の姿を見ることが出来
るであろう。

これは、インディアンの側から19世紀後半のアメリカ西部の歴史である。この
半世紀の間に西部の開拓は完了したがそれは同時にインディアン征服の完了
とも重なっている。すなわち1890年のウーンデッド・ニーの虐殺をもってインディ
アンの組織的抵抗は終わりをとげ、同時にフロンティアも消滅した。1860年から
わずか30年間にシャイアン、ユート、アパッチ、スー、コマンチ、ナヴァホ、カイオワ、
アラパホの各部族は次々と滅ぼされた。白人にとって土着アメリカ人であるイン
ディアンとは、開拓されるべき自然の一部であり、物理的に排除されるべきもので
しかなかった。フロンティア開拓にまつわる神話をアメリカ史はほこりとしている。
だがそこに犠牲となったインディアンの声がきかれることはまれである。著者は
条約会議でのインディアンの発言の速記録などをもとに本書をかきあげた。彼ら
の言葉は雄弁であり、詩的でさえあり、そのいたましい歴史とともにわたしたちの
心を打たずにはおかない。・・・・・・・・・・・・・・・・本書より引用
 
この文献の詳細ページへ「写真集 世界の先住民族 危機にたつ人びと」
アート・デイヴィッドソン著 鈴木清史+中坪央暁訳
明石書店

本書を以下の人びとに捧げる。
民族と土地と生活を守るために、闘いながら死んでいった先住民族の人たちに。
世界中の子どもたちに。世界の人びとが自分たちの生活様式で生きていくことが
できることを知ってもらうために。
(本書より・アート・デイヴィッドソン)

この名著から世界各地の先住民族と呼ばれる人びとの魂の叫びが聞こえてくる。
この中にはインディアンを始めとして、アマゾン、アンデス、チベット、アイヌ、サラ
ワク、インドネシア、アボリジニ、ブッシュマン、トゥアレグなど数多くの先住民族が
おり、今日どのような現実に置かれているのかを現地の先住民族の声と共に訴え
ている。その多くは文明人といわれる大地を憎む人々の野蛮さや傲慢さにより、
絶滅寸前に追い込まれている。一説によると現在でも世界各地で毎年約25万人
の先住民の方たちが殺されており、先住民独自の言葉の多くが次の世代には消え
てなくなっていくことだろう。そしてそれは私たち文明人の未来をも奪うことになって
しまうことを意味していることに気づきさえしない。先住民族は物質文明の流れに乗
れず溺れていった悲運の民族などではなく、私たちの未来を語る上での試金石なの
である。このかけがえのない先住民族の方たちの視点を失うこと、奪い取ることこそ、
自らのそして未来の世界・子孫への殺戮そのものなのであり、この世界を破滅へと
導いていくものだろう。しかしこの私たちに何が出来るというのだろう。余りにも複雑
化してしまった現代文明の中で、そしてその歯車の一部として動いている自分自身を
振り返るとき、その無力感に囚われてしまうのも事実だ。ただ、次の世代を荷う子ども
たちに先住民族の方たちの視点・魂が宿ることを願っていきたい。たとえどのような
世界が待ち受けようとも、このような魂と共に生きる子どもたちが、あるべき姿をした
新しい世界を創造してゆくに違いない。

 

この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン悲史」 
藤永茂著 朝日新聞社
藤永茂氏のブログ「私の闇の奥」

「人間の平等と権利を謳って新天地に挑み、繁栄を築いた栄光のアメリカ史の裏
にこの残虐。土地と生命と、そして精神を圧殺したその傲慢さは、決して過去のもの
ではない。」と著者は断罪しているが、このインディアンに加えられた残虐さと、それ
を基盤にして発展してきたアメリカという国に対して言い知れぬ憤りを覚えてならな
かった。白人だけでなく、我々文明人と言われる人々が世界中の多くの高貴な精神
文化を踏みにじり、それによって豊かな、そして快適な生活を獲得してきたことへの
反省は現在においても殆ど見られていない。文明人という輝かしい表の顔の下に潜
む残虐・傲慢さの正体が、この書を通して明らかにされ、今後のあるべき社会とは
どのようなものかを痛烈な自己批判の中に自らを置いて、考えなければならないし、
決して彼ら先住民族の払った大きな犠牲を葬り去ることは許されない。

量子力学を専門とする私が北米インディアンの歴史の一部の記述をころみたこと
については、それなりの理由がある。1968年3月、私が九州大学教養部を去って
カナダに渡ったのは「エンプラ事件」の直後であった。私の心に容赦のない荒々しさ
で突きつけられた「大学問題」は北米大陸の北辺の孤独な時間のなかで消えさるど
ころか、ますます私の心の中へ中へとのめり込んで来る感じであった。そのかなり
内側のところで、私は突然インディアンと出くわしたのであった。この書物を読んで
下さった方々は、大学問題とインディアンの組合せが奇妙でもこっけいでもないこと
を認めて下さるであろう。私にしてみれば、これは「大学問題」に対する、私なりの
「答案」として書いたつもりである。感傷は精神のポルノグラフィであるとはポール・
ヴァレリーの言葉であったろうか。アジ・ビラを書いたつもりはないが、私は生硬な
文章でポルノグラフィを書いてしまったかもしれない。いま読みかえしてやや自嘲に
傾かないわけではない。しかし、「インディアン」は私にはあめりにも私事でありすぎ
た。客観的な北米インディアン史を、日本語で書く仕事は、アメリカ史の専門家にお
まかせしたい。
(本書より抜粋引用)

 
この文献の詳細ページへ「ネイティヴ・アメリカン」
写真で綴る北アメリカ先住民史 
アーリーン・ハーシュフェルダー著 
日本語監修 猿谷要  赤尾秀子・小野田和子訳 BL出版

インディアンの歴史を、これほど多くの貴重な写真・図で解説した文献はかつて
日本で発行されたことはなかったかも知れない。視覚的にもとても見やすく、イン
ディアンが辿ってきた苦難の道を振り返ることが出来るこの文献は、初めてイン
ディアンに関心を持つ人々にとって最良の文献の一つに数えられるのではと思う。
私自身にとっても、今まで見たことがない写真が数多く掲載されており、心を打た
れてしまいました。4300円もする高価な文献ですが、それだけの価値はある
文献ではないかと感じています。ただこの本の編集をした方が書いたものかどうか
はわかりませんが、「世界史のなかでもひときわ知的興味をそそる悲しみに満ちた
彼らの歴史」という紹介文の言葉に何か抵抗を感じずにはいられませんでした。

北アメリカの先住民たち、ネイティヴ・アメリカンは、1500年代初期にはじめて
ヨーロッパ人探検家と接触して以来、何百年にもわたり故郷を守る戦いをつづけ
てきました。本書は世界史のなかでもひときわ知的興味をそそる悲しみに満ちた
彼らの歴史を、16世紀から20世紀にいたるまで、時を追って詳細に綴ります。
ヨーロッパからの移民がおしよせるなか、先住アメリカ人たちは白人文化への
同化を強制され、父祖伝来の土地を守るために戦い、現代でもなお、アメリカ社会
の一員として、先祖から受け継いだ信念や風習を守りぬこうとしています。本書は
豊富な写真とわかりやすい解説に加え、ネイティヴ・アメリカンの居住地域や戦場
を地図で示し、胸をうつ先住民のことばを引用して、過去の事実をいきいきといま
によみがえらせています。
(本書より引用)
 
この文献の詳細ページへ「図説 人類の歴史 先住民の現在」
ヨラン・ブレンフルト 編集代表 大貫良夫 監訳・編訳
朝倉書店

大型本2冊に世界各地の先住民の慣習、信仰、経済、社会生活を詳細に解説
したもので、写真や図を多く採り入れている力作である。世界各地の先住民の解説
はそれぞれの分野の専門家たちによって執筆されている。

われわれはまた静的な社会などないことを思い起こさねばならない。「図説 
人類の歴史」のこれまでの巻ではっきりと説明したような社会的、経済的、
政治的、宗教的変化の歴史的過程を、一般的に文化的持続性や継続性と
関連する「伝統的」という概念に結びつけることは難しい。しかし、われわれは
勇敢にもこのシリーズの最終巻を「先住民の現在」と名づけた。このタイトルは、
多くの場合先住少数民によって維持されている、世界中の工業化されていな
い文化的様式の、豊かではあるが、着実に少なくなっている多様性を指し示
している。しかしながら、こういった文化のすべては、現代工業世界に組み込
まれ、適応するよう変わらねばならなかった。長い間、ヨーロッパ人入植者に
西欧人への見方は、西欧文明が人類の進化の先頭であり頂点をなしている
という揺るぎない確信によって特徴づけられていた。「先住民」はあらゆる方法
を尽くして、西欧社会で一般的な人種差別的な要素を可能にする概念、劣っ
たものとして見なされ、現在大きな問題となっている。西欧の工業化の過程は
これらの文化的差異をさらに強化する。しかし、世界の歴史を、西欧の拡大
の物語としてのみみることは根本的な誤りであろう。むしろ、それはたくさんの
文化様式が互いに接触し、影響し合った結果なのである。最初の章、「人種
と人間集団と文化の発展」は、われわれの種、ホモ・サピエンスが示す世界
的な、(身体的、文化的、言語的)多用性を考察する。後に続く8つの章では、
アジア、東南アジア、オーストラリア、太平洋、アフリカ、北極圏、南北アメリ
カの先住民社会での慣習、信仰、経済、社会生活といった事柄の詳細な解説
をする。最後に、「人類の未来」では、これから先に横たわる難題を熟考する。
われわれの種は発展の速度を維持し続けることができるだろうか。そして、
多種多様な人類の存在を継続できるであろうか。
(本書より抜粋引用)
 

 

この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン死闘の歴史」
スーザン・小山 著 三一書房
全国学校図書館推薦図書

アメリカに渡り、インディアンに惹かれ多くの文献を書き記している著者が描く
平原インディアン(ダコタ・シャイアン・アラバホ・クロウ族)の終焉の物語。本書の
中に描かれた人間とも思えない白人達のインディアンに対しての虐殺の歴史を
見るにつけ、また歴史を自分の都合のいいようにしか語ることが出来ない現在の
アメリカの欺瞞に満ちた視点に触れると、この国には真の自由と正義は存在して
いないと言わざるをえない。貧困に喘いでいるインディアンの居留地に対してカジノ
(賭博場)を例外的に認め、彼らの生活水準を引き上げようとする短絡的な手法し
か浮かばない白人へ怒りを覚えるのは私だけであろうか。どこまで彼らインディアン
の崇高な精神文化を破壊したら気が済むのだろう。そして本書「死闘の歴史」の中
に出て来る平原インディアンの英雄の崇高な精神と対比する時、神に最も近くに生
きた人びとの悲劇的な物語を忘れ去ることは決して許されないだろう。日本に生れ
アメリカに渡った著者による力作ですが、この文献は直販のみの扱いとなっており
ますので、三一書房労働組合に注文してくだされば
と思います。電話 03−3812−3132

さきにちょっと言及したディー・ブラウンの「我が魂を聖地に埋めよ」は米国内外
で大ベスト・セラーになったもので、アメリカン・インディアンに同情的であるその
姿勢はこの忘れ去られた人人に主流社会の認識を向けるうえでおおいに役立った。
だが、その一方で、この本を読んだ人々は、インディアンはこの本に描写されて
いる数々の征服戦争によって完全に死に絶え、今はもういなくなったという錯覚と
誤解を受ける場合が少なくなかった。だが、それはあくまでも錯覚と誤解で、イン
ディアンは今でも立派に生きている。生きて、圧倒的な多数を誇る征服者白人の
作りあげた国家のなかで、自分の存在証明を樹立するために必死の格闘をして
いる。そこで私は、19世紀に死に絶えたと一般に考えられているインディアン
文化は今でも脈々と存続しているのみならず、いま盛んな復興を経験している
という事実を縦糸に、白人の政策によって抹殺されそうになったその文化を見て
行くことによって、米国原住民、特にこの広大無辺な草原に住んだ「平原インディ
アン」とはどういう人々なのかを知っていただくことを目的にしてこの本を書いた。
しかしそのためには1890年の「ウンデッド・ニーの虐殺」に至った歴史を見て行
くことも必要だと考え、後半は文化というよりも歴史の方面に主力を集中した。
前半をしめるのが文化的側面の描写だが、それらを調べて行くうえでどんどん
深まって来た確信は、彼等と日本人のあいだにはさまざまな共通点がある、
ということだった。日本からやって来てこの白人の国に住むようになった自分とし
ては、白人社会よりもインディアン文化のなかにさまざまな共通点と親近感を見
いだし、日々の暮らしのなかで、文化の違い対する緊張は原住民文化によって
癒されることに気づいたのだった。そこには日本人の信条(または心情)に通じ
た側面がある、という事実は新鮮な驚きと喜びだった。つまりそこには近代工業
化によってどんどん失われてゆくもの、日本人が本来もっていた民族の魂に共通
するなにかが存在するのである。そこでこの部分は、そういう日本人との共通性
を強調したい、という趣旨をもって描写して見た。対象としては、アメリカン・
インディアンとひとくちに呼ぶ人々だが、そこにはさまざまに異なる言語と文化社
会構造があることをかんがみ、そのなかでももっとも有名な部族、北米原住民
の精髄ともいうべき「平原部族」に焦点をあてて見た。共通点を見いだしていた
だければさいわいだと思う。 
(本書・序章より引用)

 

この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン - 奪われた大地」 
フィリップ・ジャカン著 富田虎男 監修 創元社

インディアンが白人によって、どれほどの血と涙を流したか、その歴史を記す。
本書には、多くの挿し絵や写真が使われているが、インディアンに魅せられた
画家のジョージ・カトリンの当時の様子を正確にスケッチした絵や各部族の酋長
の写真が数多く掲載されている。また現代のインディアンの置かれている状況に
ついても言及している。視覚的にも読みやすく工夫された書籍である。

1824年、アメリカ合衆国の静かな町フィラデルフィアは、ときならぬ出来事で
上から下への大騒ぎとなった。インディアンの族長たちの代表団がやってきた
からである。フィラデルフィアの人々は「平原の戦士たち」を見て肝をつぶした。
しかし、この一団を見て、文字通り魅了されてしまった男がいた。画家のジョージ・
カトリンである。それから6年後の1830年、カトリンはついに、インディアンの国
を目指して旅に出た。インディアンの地で、彼はくる日も来る日もスケッチをした。
インディアンたちの儀式、日々の生活、狩りなど、そのどれもがカトリンの目には
魅力あふれるものとして映った。画家は同時に優れたレポーターとなり、歴史家
となり、民俗学者となった。彼が残した作品は、単なる過ぎ去った時代と文化に
ついての証言ではない。それは永遠の美にみごとに再現された、インディアンの
本質なのである。 
(本書より引用)

 

この文献の詳細ページへ「アメリカインディアンの現在」 
女が見た現代オグララ・ラコタ社会
デイ多佳子 著 第三書館

この本は現在インディアンが何の問題に直面し、解決の糸口をどのように見出そう
としているのかを描いている力作である。インディアン社会において蔓延している数々
の社会問題の原因が何処にあり、今何をしなければならないのかをインディアンの方
たちとの関わりを通して核心に迫って行く。そしてインディアン自身が(特に女性たち)
力強く立ち上がろうとしている姿は、心を打たれる。ウンデッド・ニーの虐殺の後ブラッ
ク・エルク
は「神聖神な木は枯れてしまった」と言ったが、そこから力強い芽が新たに
産まれつつあるのだ。インディアンの歴史に刻み込まれた悲劇と現在の絶望的な状況
からも必死になって立ち上がろうとするインディアンの姿は、この物質文明に染まってし
まったこの世界の数少ない希望の光である。

「アメリカ・インディアン女性への賛歌」
ネイティブアメリカン・リプロダクティブ権連合の宣誓文

「子供たち」
ラコタの伝統社会では、一歳未満の乳児はワカンと呼ばれ、神聖な存在だった。
空から降りてきた永遠のスピリットが新しく誕生した子供に宿ったのであり、
「ワカンタンカ(大いなる霊)」からの贈り物と考えられた。大切に世話をしなけ
れば、スピリットの棲む「家に帰って」しまう、つまり死んでしまうから、この世界
にとどまるようにと大事に大事に育てられた。一人一人の子供は、ワカンタンカ
から長所と才能が与えられ、この世界で果たすべき役割と使命を持って生まれ
てくる。当然、子供たちはそれぞれ、他の子供とは違う道を歩むことが期待さ
れる。もちろん自分自身の道は、自分の力で見つけなければならない。親のみ
ならず、親戚一同そして部族の中でかわいがられたのは当然のことながら、
子供とはとりわけその意思が尊重される存在だった。そこへ白人の植民が始
まった。同化政策の下、子供たちは家族から切り離され、寄宿学校に送りこま
れた。宣教師たちにインディアンであることは悪いことであると教えられ、罵ら
れ、殴られたりしながら成長した。自分たちのアイデンティティを否定され、家族
のしつけや親業を体で覚え、身につけることができなかった彼らが親になるころ
には、「子供は宝」「子供は未来」という伝統的ないつくしみの子育ては、影をひ
そめてしまった。そしてこの章の冒頭でも紹介したように、現代の若いインディアン
カップルのあいだでは、自分たちの子供への無関心、無感動がどうしようもなく
広がっている。若い親のまだ見ぬ子への無感動とは、子供たちの姿に自分たち
の未来を描けなくなってしまった若者たちの絶望とも言いかえられよう。
(本書より抜粋引用)

 
この文献の詳細ページへ「白人の国、インディアンの国土」
正義と賭博と部族国家
スーザン・小山 著 三一書房

「連邦政府の介入と州政府の対立・抗争のはざまのなかで放置され犠牲にされて
きたインディアンとアメリカ司法制度の問題点を明らかにしていく(同著・帯文より)」こ
の書は、現代においてもインディアンが絶えず社会的にも文化的にも白人からの迫害
にさらされている現実を問い掛け、アメリカ社会に潜む暗部を明らかにしていくもので
ある。またこの書はインディアンに関心のある方たちだけでなく、アメリカという国、
白人とは何者かを真に知りたい人にも読んでいただきたい本である。明治より「西洋
に習え」を合い言葉に近代化を進めてきた日本が陥っている「アメリカ・白人」という憧
れの対象の真の姿をこの本は良心を持って描き出しており、また移民として著者を受
け入れてくれた国の将来への期待とが交差しているからである。この書は現在のイン
ディアンが置かれている政治・司法・社会的側面を考察している数少ない本の一つに
数えられる。

要は立派なガイドラインがすでにあるのに、原理原則の国であるはずの米国の
民主主義の実践者たる市民が、どれだけその原則に忠実であろうとしているかで
ある。以上述べたさまざまなことがら、そして本書で検討している「シンプソン裁判」
や「ハウス裁判」の相互関係は、一見脈絡のないジグソウ・パズルのように見えよ
うが、これらはすべて、司法の公正とその矛盾を指摘する題材としてあげたもので
ある。私個人としては部族政府の権限を合衆国の人々がもっと正確に把握し理解
すれば、この国は単に物質力の豊かさだけでなく、内奥の美しい原理原則の国と
して真実偉大な国となるに違いないということを、自分を移民として受け入れてくれ
た国に住む毎日のなかで、ことあるごとに考えながら暮らしている。国民とそれを
代表する政治家も、この白人の国はインディアンから与えられたものであること、
永遠にインディアンの国土であることを深く肝に銘じ、最高裁判事ヒューゴー・ブラッ
クのいったように、偉大な国家として偉大な人物のようにきちんと約束を守れば、
世界の誰からも尊敬される真の指導者になることは間違いない。その感慨を日本
の人々と共有したいと思ってこの本を書いた。部族の立場を真に理解することが、
合衆国という、日本ともっとも密接な関係にある国家をもっと良く理解する一助に
なると深く信じている次第である。
(本書より抜粋引用)
 
「アメリカ・インディアンの歴史[第3版]」
富田虎男著 雄山閣出版

「”アメリカ・インディアン”とは、はたしてハリウッド製西部劇の描くような未開で
野蛮なゆえに滅ぼされた過去の人なのであろうか?本書は彼らの正当な歴史的
役割を評価し、勝者のつくりあげた歴史像の虚偽を追求する」と本書・帯文に書か
れているように、多くの文献を土台にして書かれた力作である。本書は「歴史公論」
に連載されたもので、植民地時代から19世紀後半のドーズ法やインディアン再組
織法などの矛盾を深く考察している。

しかし、そうはいっても、これまで述べてきたようにわが国のインディアン史研究は、
ようやくその緒についたところである。研究成果の蓄積も一、二を除いて無いに等
しい。このような状況のなかでインディアン史を通して書くことは、無謀のそしりを免
れないかもしれない。ましてインディアン史への関心はすでに20年も前から抱きな
がらも、研究そのものは遅々として牛歩の如くであった筆者がそれを試みるのは、
蟷螂の斧に等しいかもしれない。しかし、ここ10年、アメリカ合衆国ではインディアン
史に関する研究がめざましく進展した。また筆者の周辺でも、インディアン史に関心
を抱く学生や市民の方々がとみにふえてきた。このように客観的条件が整ってき
たにもかかわらず、筆者の主体的条件は必ずしも十分に整ったとはいえないが、
与えられたこの機会に、あえてインディアンの歴史を書くことを決心した。もちろん、
本書は均衡のとれた網羅的なインディアン通史ではない。それを書くことは、筆者
の能力をはるかに超えることである。通史ではなく、これはあくまで筆者が重要だ
と感じたインディアン史上の諸問題にについて、史料と研究成果によりつつ筆者な
りにまとめた、ひとつの歴史叙述の試みにすぎない。しかし、筆者はここで、従来
の白人社会中心の視点からつくられた合衆国史上のインディアンにまつわるさま
ざまな「神話」や通俗的理解に対して、ひとつの挑戦を試みている。筆者の意図は、
従来の合衆国史から無視あるいは抹殺されてきたインディアン側の部分を、たん
に付加したり補填することにあるのではなく、むしろインディアンや黒人やその他
のこれまでその主体的な役割を無視されてきた人びとの歴史的役割を正当に
評価することによって、全体としてのアメリカ合衆国史像を再構築することにある。
これはそのための作業の一過程である。1982年6月  
(本書 はじめに より引用)
 
 「アメリカ先住民を知るための62章」
阿部球理・編著 明石書店

(本書より引用)
本書の執筆者は歴史学者、社会学者、文学者など独自の専門分野をもちつつ、
アメリカ学会に集う研究者である。およそ10年前、非力ながら編者がアメリカ学会に
「先住民分科会」を組織したおり、集ってくれた方々が大半である。私は、アメリカで
活況を呈している「アメリカ・インディアン・スタディーズ」をモデルに、分野横断的な
アメリカ先住民学の活発な議論が、学会で始まることを望んだ。それが日本における
「アメリカ先住民学」となって成長し、若手研究者が活躍する日が来ることを望んで
いる。事実分科会では、合衆国の「アメリカ・インディアン・スタディーズ」の学位を
取得した少壮学者や、私が指導する3名の博士課程後期の院生たちが発表し、こと
に院生たちは、その発表をもとに本書に寄稿することができた。こうした分野の広が
りが、日本社会ではあまり知られていないインディアンへの理解を深める貢献になれ
ば嬉しい。
(阿部球理)

先住民社会における、男性でもなければ女性でもないベルダーシュの存在は、
一体どのように捉えたらよいのであろうか。まず、彼らは「女々しい」や「男女」といっ
た、からかいや嘲り、侮蔑の対象としてみなされたわけではなかった。異端視され、
社会の片隅で細々と暮らさなければならない人びとではなかった。ベルダーシュと
は、先住民社会において、畏敬、あるいは部族によっては畏怖の念を抱く対象と
された人びとであったのである。しかしながら同時に、先住民社会とは、男女のあり
方を性別による役割分業を明確化することで規定している社会でもある。ベルダー
シュという、男性でもない女性でもない、どっちつかずの存在がなぜ先住民族たちの
間で許されたのかを、「二分法」と「相互補完性という先住民社会に共通の概念を
基に考えてみたい。
(石井泉美)

 

この文献の詳細ページへ「大草原の小さな旅」
ロウラ・インガルス・ワイルダーと開拓の西部
スーザン・小山著 三一書房
全国学校図書館推薦図書

日本では現在に至るまで何回もテレビで再放送された「大草原の小さな家」。
日本と大平原の共通分母を求め続けた著者が辿り着いた先が、インガルス家の
物語だった。本書は彼らインガルス家が生きた時代の時代背景や当時のインデ
ィアンの視点を交差させながら、私たち日本人には距離的にも心理的にも遠くか
け離れたこの物語を生き生きと甦らせることに成功している。原作を読んだ方に
とっては勿論のこと、テレビでしか見たことがない人にとっても、この誠実に生きた
インガルス家の物語をより深く、親近感をもって理解し直すことが出来るに違いな
い著作である。

先住民族は、たしかに私たち現代社会の人間が、とうの昔に忘れてしまった
たいせつな心を持っている。そしてその精神性こそが、現代という巨大な産業
主義消費社会の、絶え間ない搾取と攻撃の的になっている。だから、うわっつ
らな観光主義にのってそういう「精神」旅行とやらをするのは、ひとつの搾取で
あることを、十分意識する必要がある。もちろん旅行が悪いといっているので
はない。観光主義が悪いのではない。そのとき、そういうものに参加する自分
の行動が、なにを意味しているかを、そしてそれを受け入れる相手の心の中
に、なにが進行しているかを、よくよく自覚していて欲しいと私はいっているの
である。先住民族の心とはなんなのか、私たち消費主義現代社会の住人が
忘れてしまったものを、そして先住民族が、その巨大な攻撃のなかで守ろうと
しているものがなんであるかを、その旅の結果として考えてほしいといってい
るのである。それを理解したとき、私たちは、自分たちの失ったものがなんで
あるかを知るはずである。この狂乱怒涛の消費主義が、いかにわれらの
「真の母」を、大地を、汚辱しているものであるかを知るであろう。三一書房か
ら出していただいたべつの本、A・C・ロス博士の”我らみな同胞”は、インディ
アン自身が綴った、インディアンの心の原点の一端を示している。この「大草
原の小さな旅」は、主題をインディアンではなく、白人の側においてみた。あの
時代、インディアンを保留地に追い込み、その文化の抹殺をはかったものが
なんであったかを見て行くために、また、北米大陸先住民の直面した問題を、
大所高所から見て行くために、絶対に必要と考えたためである。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「ハウ・コラ 大平原のスー族」
横須賀孝弘著 日本放送出版協会

大平原に生きる北米インディアン・スー族の苦難の歴史と現状を、スー族の立場
から描いた文献で、歴史にその多くのページを割いて紹介している。それと共に
現在のスー族の一人ひとりのインディアンのあるがままの姿を描き、彼らの聖なる
儀式(ユイピ、サン・ダンス、赤い矢の儀式)や民族の祭典パウワウの様子を詳しく
描き出している。また本書はそれに留まらずインディアンを美化し神格化しすぎて
いる最近の傾向にも一石を投じ、その実像を著者なりに解釈している。この傾向は
この私のページでも当てはまることだが、白人入植以降インディアンの部族間の
対立・戦争は古き時代のものとは異質なものとなってきたと私は捉えている。詳しく
「インディアンの残虐性の真否」をお読みいただければと思うが、多くのインディ
アンの言葉に接するとき、私自身また著者とは違った想いを感じてならない。だが、
近年のインディアンに関しての行き過ぎた美化が産みだした弊害も存在することも
事実であろう。それは「リトル・トリー」に象徴される偽書において、インディアンの
魂が商業主義に利用されていることがまず上げられる。それは彼らが今でも虐げら
れている民族であることなど眼中にはなく、自らの私腹を肥やすためだけに利用し
ているに過ぎない現実があり、このような偽書は精神世界と呼ばれる分野では顕著
に見られる傾向にある。私自身このホームページを通して主に白人入植以前のイン
ディアンの精神文化の実像を探っていきたいと思っている。そしてインディアンに限
らず先住民族が現在置かれている実状と何がそうさせたのかをも理解し、私たちが
歩むべき社会とはどのようなものでなくてはならないのを共に探っていきたいと願っ
ている。その為にもインディアンの実像をみなさま自身が自らの手で確かめてみる
ことが必要不可欠なのかも知れない。その意味で、本書は美化されすぎている
最近の出版界の傾向に、一石を投じた価値ある文献と言えよう。そして、どんなに
解釈や想いが異なろうが著者も私も彼らインディアンが好きなのだということを。

トーマスだけではない。スーの国で出会ったインディアンは、個性的な人たちばか
りだった。総じて、暮らし向きは決して豊かとは言えない。八方塞がりな社会状況の
中で、抱える悩みも多いに違いない。それでも、みんな生きることを存分に享楽して
いるようだった。しかも、部族の明日のこともきちんと考えている。例えば、ジョーだ
って、確かに酒には弱いが、決してただの酔いどれではない。73年のウンデッドニ
ー占拠では仲間とともに戦っているし、部族の進むべき道について考えを訊けば、
しっりとした意見を返してくる。子供の頃から憧れつづけてきた北米インディアン。
野に生きる知恵に富み、逞しく勇敢な、私にとってのスーパーヒーロー、「大平原の
戦士」たち。しかし、その面影は、祭りや儀式など特別の場を別にすれば、今の彼
らにはない。それは、武士道に生きたサムライの姿を現代の日本人に求めても虚
しいのと同じことだ。それでもやっぱり、私は彼らが好きだ。栄光の歴史を背負った
人々の末裔だからではない。彼らを人間として好きになったのだ。彼らのことを想い、
彼らの暮らす居留地の情景を心に浮かべると、そのたびに胸が締めつけられるよ
うな懐かしさを感じる。遠い異国の人々であり、不便な片田舎の土地なのに、奇妙
な懐かしさと心のやすらぎを感じるのは、一体なぜなのだろうか?
(本書より引用)
 
この文献の詳細ページへ 「増補 米国先住民の歴史」
インディアンと呼ばれた人びとの苦難・抵抗・希望
清水和久著 明石書店

本書は「現代米国でインディアンであること」、「発見と征服」、「米国の独立と
先住民」、「“ジャクソン民主主義”の時代」、「抵抗・虐殺・囚人化」、「二十世紀の
“インディアン問題」、「死よりも赤を選ぶ」、「1970年代のインディアン」、「自決へ
の道とアイデンティティ」の各章から構成されており、コロンブス以降のインディアン
の苦難・抵抗・希望をそれぞれの時代において詳しく描いている。特に1960年
以降のインディアンが苦難から立ち上がってゆく姿を、多くの記録や証言を基に
追った文献である。

日本と世界各地での差別の実状を知る方法は、いくつも、たくさんある。差別や
抑圧をだれが、どのようにしてきたか。差別され、抑圧された人びとが、どのよう
に我慢し、抵抗してきたか、何を感じてきたか。この小さな本は、差別の実状を
知る方法を、米国の先住民、「インディアン」と呼ばれてきた人たちの経験にたず
ねている。とくに、この人たちが考えてきたこと、口にし、身体で表現してきたこと
を重視している。米国、とりわけ白人に代表される米国は、いまの私たちにとても
近い。好ましいことではないけれども、事実である。日本人からは場所は遠くて、
それなのに気持ちの上ではとても近い米国、そこでのインディアンの経験が、私
たち日本人にとって役に立つと著者は信じている。この本は、引用が多いという
点で、読みにくいかもしれない。けれども、米国先住民の生の声を、できるだけ
そのまま日本の読者に伝えることがいちばん大切だと、著者は考えてそうした。
苦しめられ、しかし抵抗してきた人たちの訴えや叫び、嘆きと笑い、がんばりの
声をそのとおりに自分の耳に響かせるとき、読んで心の中におさめてあたため
るとき、日本の差別されてきた人びとに、新しい勇気が生まれるとき、仲介者と
しての著者は役目のすこしを果たせたと思える。日本のいばった差別者、そして
著者を含む無意識の差別者が、それぞれにもうすこしやわらかい気持の持主に
なれる日を、早く引きよせたいと思って、1985年の春から夏にかけて、この本を
書いた。ご批判をお待ちする。
(本書・まえがきより引用)

 
この文献の詳細ページへ「北アメリカ大陸 先住民族の謎」
グラフィティ・歴史謎辞典15    
スチュアート・ヘンリ著 光文社文庫

著者も書いているように、小さな文庫本ではインディアンの多くの部族の歴史と
現状を紹介することは出来ない。北東部とか南西部など異なった地域性を踏まえ
ながら簡単な紹介しか出来ないのだろう。ただ、本書の良い点は図版などが多い
ことにある。本書はインディアンだけでなく、イヌイットの北米大陸の先住民たちも
この図版などを通して紹介されている。

場所はカナダ北西準州のほぼ真ん中、北緯70度にある人口250人ぐらいの村
ペリーベイのはずれ、時は1975年の6月末、30人乗りの双発旅客機がツンドラ
の砂利敷き滑走路を走り、もうもうと土煙を上げながら飛び立っていくのを見送り
ながら、私は頭の中を懸命に整理しようとしている。ツンドラの真っ只中なのに、
見わたす限り雪はどこにも見あたらない。足元には可憐な黄色い花が咲いている。
定期便が運んでくる郵便や生鮮食料品をもって村へ三輪オートバイに相乗りして
去っていく十数人のイヌイットはジーパンとトレーナーにスニーカーという出立ちだ。
私がそれまでいだいていた北極のイメージといえば、年じゅう雪と氷に閉ざされて
いる世界、毛皮服を着こんだイヌイットが犬橇を走らせている、という世間なみの
先入観だった。目の前に広がっている情景はあまりにもこのイメージとかけ離れ
ている。本書では、ここからはじまった私の北極における考古学と民俗学調査の
成果、そして私自身の認識の変化をたどりながら、日本にはまだよく知られてい
ない北アメリカの先住民の歴史と現状を紹介したいと思う。とはいっても、先住民
の全民族を紹介するにはあまりにも頁が少なく、表面的な事柄を取り上げ、全体
的な時の流れを示すのにとどめざるをえない。 
(本書 はしがき より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「そして名前だけが残った」
チェロキー・インディアン涙の旅路
アレックス・W・ビーラー著
片岡しのぶ訳 あすなろ書房

本書は1838年から39年にかけてチェロキー族を1600キロも離れた土地に
強制移住されるまでの記録である。当初この本はテレビのドキュメンタリーとして
発表されたものである。この「涙の旅路」はインディアンの多くの悲劇の中でも多く
語られているものであるが、冬の寒さの中1600キロもの道を歩かされ、四人に
一人が途中で倒れていった。この監視にあたっていた一人の兵士が後年この涙の
旅路について本書の中で次のように語っている。「私は南北戦争でも戦い、弾丸に
あたった人間がこっぱみじんに吹っ飛ぶさまや、何千人という人間が死んでゆくさま
をこの目で見たが、チェロキーの強制移住はそれよりはるかにむごたらしかった」と。
そして今でもチェロキーの人は、この残酷をきわめたこの旅を「涙の旅路」として記憶
する。

「魅せられたもの」1997.5/4「チェロキーインディアンからのメッセージ」
を参照されたし


アメリカ東南部に位置するジョージア州は、気候のおだやかな山紫水明の地です。
昔、この豊かな大自然のふところで、チェロキー・インディアンが暮らしていました。
そこへ、白人が渡ってきました。それとともに、チェロキーは、自分たちの伝統に
誇りをもちながらも、白人文化を積極的に取り入れ、アメリカ合衆国にならって独自
の政府を作り、憲法を制定しました。チェロキー文字を考案し、新聞を発行し、学校
も建てました。白人との平和共存に希望をたくし、チェロキー国家がさらなる文明
開化の道を歩きはじめたのは19世紀初頭のことです。ところが、白人はチェロキー
との共存を望むどころか、チェロキーの土地と、チェロキー国内で発見された金鉱を、
自分のものにすることしか考えていませんでした。白人は、チェロキーと交わした
約束を反古にし、チェロキー弾圧の法案を次々に成立させ、1838年から39年に
かけてついにチェロキーを西部へと追放します。残酷をきわめた強制移住の道すが
ら、四人に一人のチェロキーが死んでいきました。この旅は、「涙の旅路」として知ら
れています。本書はチェロキーのライフスタイルから語り起こし、政治、経済、文化
など歴史のさまざまな面にふれながら、彼らが「涙の旅路」につくまでの経緯を淡々
と語っています。歴史は正しく伝えられるべきものであるにもかかわらず、勝者が
勝者の側から書いてしまいがちです。支配され、迫害されて悲惨な運命をたどった
チェロキーの視点にたって書かれた点で、本書は貴重な一冊といえるでしょう。
人間は、数々の偉業をなし遂げるうるすばらしい生き物である一方、みずからの
欲望に目がくらみ、弱者の痛みを無視しうる醜い生き物でもあります。日本の場合
も、アイヌ文化への無理解、外国人に対する偏見、差別が根強く存在します。
過去を取り戻すすべはないにしても、未来においてふたたび同じ過ちを繰りかえし
たくはありません。学ぶ気持ちさえあるなら、過去は偉大な師になってくれるにちが
いありません。・・・・・・・片岡しのぶ
(本書 「訳者あとがき」 より引用)

 
  この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民の子供たち」
ハーシュフェルダー&R・スィンガー著
愛川信子訳 明石書店

インディアンの子供たちが最近学校で書いた詩や作文、62編を収める。「アイデン
ティティ」「家族」「ふるさと」「しきたりと儀式」「教育」「厳しい現実」の項目に記された
現代の子供たちの想い。

ケイティー・モベックはその作文「アリュート族についての思い違い」の中で「あなた
たちが事実だと言っていることが正しいかどうか確かめよう」と勧めています。事実、
ビバリー・R・スィンガーと私がこの文集のための原稿を選んだ時、私たちのなかに
あったのはこの思いでした。先住アメリカ人の若者たちはあらゆることについてたく
さん書いていますが、私たちはあえて作文や詩の選択の範囲を、この若者たちの
アイデンティティ(訳注 自己証明)、家族、共同体、儀式、歴史、教育、厳しい現実
についての誤解を正すものに狭めました。若者たちは知性と威厳と機知とすぐれた
洞察力でこれらの問題に触れています。若者たちの言葉は、過去百年にわたる
アメリカ先住民の生活の現実に対して、生き生きとした、そしてしばしば雄弁な証言
となっています。この若者たちがわれわれに語るべきことは多いのです。
アーリーン・B・ハーシェフェルダー
(本書より引用)
 



 
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未読の文献

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この文献の詳細ページへ 「ビジュアルタイムライン
    アメリカ・インディアンの歴史」

グレッグ・オブライエン著 阿部珠理訳 東洋書林

本書の特徴は、多角的に先住民を捉える総合的な視点と、その記述内容
のバランスの良さにあるだろう。アメリカ・インディアンに関する歴史書は、時と
して先住民を一方的な被害者として描いたり、中立を目指すあまりヨーロッパ
の植民地主義の加害性を充分に明らかにしない態度をとったりするものもあっ
た。本書は、ヨーロッパ社会とのコンタクトがもたらした先住民社会および文化
の変容の要因と過程を、できうる限り公正に記述するという姿勢に貫かれて
いる。

例えば、インディアン社会の衰退を考える際、その背景として伝染病や白人と
の戦い、ヨーロッパの市場経済に巻き込まれる過程で激化する部族間抗争、
諸部族間の伝統的な敵対関係を利用して植民勢力を拡大しようとするヨーロッ
パ諸国と、彼らへの先住民部族の自主的な協力などがあげられる。ヨーロッパ
植民勢力の明白な先住民劣等視と彼らの際限ない強奪の一方で、それを容易
にした先住民社会の分断と分裂も明らかになる。そしてそれらが、地域によって
異なる先住民部族社会に共通する歴史であることが納得される。

(本書 訳者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「この大地、わが大地」
アメリカ・インディアンの抵抗史
J・コスター著 清水和久訳 三一書房

この本の原著は、米国のジャーナリスト、ジョン・コスター氏が日本人の読者
のために書いた約800枚のタイプ原稿である。(中略) この本の前半が、過去
の調査や研究に多くを負っていることはあきらかだが、事実の提出の仕方や
捉え方、組み合わせ方には独特のものがある。そして、いうまでもなく、圧巻
は後半である。いわさか冗漫で未整理な記述もあるとはいえ、コスター氏が
1960年代後半以降のインディアンの抵抗運動に共感しつつ、自分の目、耳、
足で現場で取材し、抵抗者と交流した他に得難い記録がここにある。1970年
代に入って、日本の読者にも、ディー・ブラウン「我が魂を聖地に埋めよ」(鈴木
主税訳 草思社)、藤永茂「アメリカ・インディアン悲史」などをはじめとして、
いくつかのすぐれた書物が手に入るようになったが、最近10年間のインディア
ンのたたかいをこれほど詳しくまとめあげた本は、当の米国にも見当たらない
のではなかろうか。前に記したように、コスター氏には、この本にもしきりに登場
するロバート・バーネット氏との共著「ウンデッド・ニーへの道」があるが、氏は
過去6年間、インディアンの抵抗運動に強い関心をもって報道してきたジャーナ
リストで、氏の書く記事は北米新聞連盟のシンジケートを通じて、米国やカナダ
の読者の手に渡っている。訳者は「ニューズウィーク」誌や、インディアン自身
の新聞「アクウェサスニー・ノーツ」紙などで、氏の文章を読んだこともある。
「ウンデッド・ニーへの道」は74年6月の発売から一年間に10万部以上売れ、
著者は、「シグマ・デルタ・カイ賞」を受けた。「報道部門における公衆への貢献
顕著」が受賞理由だったという。
(本書 訳者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「奪われた大陸」 
ロナルド・ライト著 香山千加子訳 植田覺監修 NTT出版 

原題が示すように、著者はコロンブス以後の500年間の歴史を、南北両
アメリカ大陸先住民の記録を通して問い直している。勝者の側から書かれた
従来の歴史は、コロンブスの「発見」を人類の輝かしい瞬間であったと教えて
きた。しかしアメリカ大陸の先住民にとっては、これが侵略の始まりであり、
今日まで続く長い抑圧の歴史の第一ページであった。1492年のアメリカ大陸は、
全世界の約五分の一の人口を擁していた。それらわずか数十年を経ずして、
海を渡って運び込まれた疫病と、異邦人による虐殺の犠牲となって、ほとんど
の先住アメリカ人が姿を消した。ヨーロッパからやってきた侵略者たちは、巨額
の富を手中にし、偉大な芸術を破壊し、大陸そのものを奪った。しかし先住民族
のすべてが死に絶えたわけではなかったし、彼らの歴史が消滅したわけでもな
かった。著者ロナルド・ライトは、アテスカ、マヤ、インカ、チェロキー、イロコイの
五民族を取り上げ、先住民の言葉で語られた彼らの歴史を、我々読者の目の
前に展開している。アジアやアフリカの場合と異なり、アメリカ大陸には侵略者が
居すわり続け、今日に至っている。両大陸のほとんどの国々で中心を成している
人々は、ここに腰を据えたヨーロッパ人たちである。しかし、アンデスにはインカ
の言語を話す1200万人の人々が住んでいる。また、もしグアテマラが多数決制
を採用していたなら、マヤ共和国が成立していたであろう。現在ペルー政府を
悩ませている極左ゲリラ・センデロ・ルミノソの虐殺行為は、ピサロによる
アタワルパ虐殺の物語の一部であり、1990年カナダのオカにおけるモホーク
の暴動は、かつてカナダがイロコイを裏切ったことに端を発している。15世紀
から1990年までの五民族の歴史を、多くの先住民の生の言葉をちりばめな
がら描き出している本書は、「勝者の語る歴史」にしか触れる機会のなかった
多くの読者に、驚きと新たな視点を与えてくれることと思う。
(本書 訳者あとがき より引用)

 
 
この文献の詳細ページへ「古代社会 上下巻」 
L.H.モルガン著 青山道夫訳 岩波文庫

以上に述べた四種の事実は、野蛮状態から文明に至る人類進歩の行程に
沿うて平行して進展するものであり、本書における論究の主題を形成するもの
である。われわれが、アメリカ人として特別な義務のみならず特別な興味をも
有する研究の一領域がある。アメリカ大陸は物質的な富の豊富なことで有名
である。それはまた、未開の大時期を例証する人種学的、言語学的、考古学
的資料においても、あらゆる大陸において別々ではあるが斉一な経路をすす
み、人類のすべての部族および民族においてきわめて一様に、同一進歩の
状態にいたったのである。したがって、アメリカ・インディアン部族の歴史と経験
とは、それに対応する状態にあったわれわれ自身の遠い祖先の歴史と経験と
を、多少ともそれに近く示すことになるのである。彼らの制度、技術、発明およ
び実際的経験は人類の記録の一部を形成するものであり、インディアン人種
それ自身をはるかに超えた高度なそして特別な価値を有するのである。発見
された当時、アメリカ・インディアンの部族は三つの異なる人種的時代を示し
ていた。そして、その当時地球上において示されるどこよりもそれを完全に示
したのである。人種学、言語学および考古学の資料は比類なく豊富に提供さ
れた。しかしこれらの科学は、今世紀にいたるではほとんど存在せず、そして
現在のわれわれの間においても、その研究はわずかにしか行われていない
のである。のみならず、地中に埋没されている化石の遺物は、将来の学徒に
対しても現状を保つであろうが、インディアンの技術、言語および制度の遺物
は、そうではないであろう。それらは、日々、消滅しつつあり、そして三世紀以
上もすでに消滅しつづけていたのである。インディアン部族の種族的生活は、
アメリカ文明の影響のもとに衰滅しつつあり、彼らの技術および言語は消滅
をたどり、彼らの制度は崩壊しつつある。もう数年もたつならば、現在容易に
集められる事実も、発見が不可能になるであろう。これらの事情は、アメリカ
人に対してこの大なる領域に入り、その豊富な収穫を蒐集すべきことを強く
訴えるのである。
1877年3月 ニュー・ヨーク州ローチェスターにて。
 (本書 「序言」 モルガン より抜粋引用)

 


この文献の詳細ページへ「ゴースト・ダンス」 
アメリカ・インディアンの宗教運動と叛乱 
ジェイムズ・ムーニー著 荒井芳廣訳 紀伊国屋書店 

19世紀のアメリカ合衆国。白人たちの「フロンティア」は西へ進行し、先住民
たるインディアンのほとんどはいまや支配下におかれていた。旧来の生活様式
を失い、不公正な行政に苦しむ彼らのあいだに、このとき一つの宗教が生まれ
る。やがてメシアが到来して、死んだ祖先たちを甦らせこの世を楽園として再生
してくれる、その実現のためには、儀式をおこない全員で踊りつづけなければ
ならない −−− このような千年王国的な信念に支えられた宗教運動が、
「ゴースト・ダンス」である。この運動がどのように展開したか、白人とのあいだ
にどんな軋轢をうんだかを、著者ムーニーは細心の観察と綿密な取材調査に
もとづいていきいきと描き出していく。約一世紀前に書かれたものでありながら、
その叙述は今日でいうエスノヒストリーの先駆であり、民族誌としての<古典>
と評価されている。さらに本書は、運動展開の過程で生じた出来事として、
インディアン史上きわめて重要なエピソードである「スー族の叛乱」や「ウンデッド
ニーの虐殺」にも詳細にふれ、インディアンに加えられた迫害をなまなましく伝える。
その意味では、現在のアメリカ文化というものがいかなるエスノサイド(民族破壊
)の上に成り立ったかの、同時代における貴重な証言でもある。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「コロンブスが来てから 先住民の歴史と未来」 
トーマス・R・バージャー著 藤永茂訳 朝日選書

コロンブスのアメリカ「発見」によって始まった、南北両アメリカの先住民に対す
る五百年の残虐の歴史は、まことにすさまじい。まさに「テリブル」である。この
コロンブスの影、ヨーロッパの白人たちの影は、黒々と今も南北のアメリカ大陸
をおおっている。しかし、本書を読むことで、あらためて白人に対する怒りをたし
かめ、白人をさげすみ、それによって一種のカタルシスを、快感を味わうつもり
ならば、その人は失望に終わるだろう。本書では、私たち日本人も「白人」の中
に組みこまれているからである(本書第六章、第十一章)。インディアンに対する
残虐行為の昔話は読みあきた、映画でも見あきた、と思う人もあろう。ちょっと
待っていただきたい。本書の第九章を、とにかく読んでいただきたい。バルトロメ
・デ・ラス・カサスが四百五十年前に描述したインディアンの虐殺が、今、この私
たちの時代に、グアテマラの山中で進行中なのである。インディアンの苦境に
同情し、インディアンを愛し、彼らの「自然と一体」のミスティックな生活様式に
ほれこんだ人たちに対しても、本書は、苦い薬を用意しているかもしれない。この
著者は「先住民を愛し、いつくしめ」とは、ひと言も言わない。ただひたすらに
「わが身を糾(ただ)せ」と、私たちに迫るばかりである。動物愛護の先頭を切る
と自負する人たちは、まず第一〇章を開かれるとよい。この本は、過去につい
ての書物ではない。現在について、未来についての書物である。先住民につい
て語る以上に、私たちについて語っている。問題は、人権の問題である、と著者
トーマス・バージャーは言い切る。本書の「エピローグ」は、コロンブスの大陸
「発見」五百年を機に綴られた、最も美しく力強い文章の一つであろう。それは、
四百五十年前のラス・カサスの言葉「人類は一つである」に呼応する。トーマス・
バージャーは現代のラス・カサスである。
(本書 訳者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民 民族再生にむけて」 
阿部珠理著 角川書店 

本書で私は、アメリカ先住民の現在の姿を、できる限り忠実に伝えようとした。
1993年から始まった国連の国際先住民年もあって、彼らに世界的な関心が向
けられてはいるが、彼らが置かれている現実が、まだまだ充分に理解されてい
るとはいい難い。また関心の多くは、自然と共生してきた彼らの環境思想や
自然観に学ぼうとするものだが、先住民文化に対する一面的な美化や賞賛は、
むしろ彼らの全体像を見失わせることにもなりかねない。本書では、アメリカ
先住民を極力総合的、包括的な観点から論じようと努めたが、それは簡単な
作業ではなかった。世界の先住民を一括りにできないのと同じように、アメリカ
先住民もまたそうすることができないからだ。現在アメリカ合衆国には、500
を超える連邦承認部族が存在する。各部族の合衆国との関係は、歴史的に
異なるし、居住地域によって生活文化の差もあり、また、本書で述べているよ
うに、部族間、個人間の経済格差も広がっている。それら差異を認めながら、
共通の被害者体験を持ち、同化政策によって甚だしい文化変容を強いられ、
近代化のプロセスでは部族内分裂を経験した民族、一方で伝統的にスピリチ
ュアルで、自然感応的な感性を共有する民族として集合的に捉えた。なにより
も、彼ら自身が「インディアン」という民族意識を涵養しつつあるという認識が、
そこにある。また彼らが置かれている環境や抱えている問題など、現代的な
課題が本書の焦点であるが、それらはもちろん歴史的な文脈から切り離すこ
とができない。必要に応じて最小限その脈絡を論じることにした。第一章では、
先住民の出自に関する議論を紹介し、最新の統計史料に基づき、人口動態、
健康状態、経済状態、教育など、彼らの現在の生活環境をできる限り詳細か
つ広範に論じた。その際、現在議論の的になっているインディアン・カジノや、
彼らの生活基盤である保留地の重要性に目を向けた。多数の図表は、併記
した資料を基本に作成した。第二章では、彼らが抱える問題を、合衆国との
関係の上で見ていった。部族の公式承認や自治権の問題の淵源を考察し、
解決に向けての糸口を探った。そこには、リパトリエーション(遺骨、遺物の
返還)や、リコンシリエーション(歴史的和解)といった現在進行中の今日的
問題も含まれている。第三章では、呼称の問題や彼らの自意識の実態を取
りげた。またステレオタイプ化されたイメージの出所や、創造過程をたどりな
がら、彼らの実像を明らかにしようとした。ジェンダー・ロールや意識の問題も、
ここに含まれる。第四章では、先住民の精神文化、ことに彼らの自然観や
宗教観、信仰実践の特質を考えた。さらに物質文化の特質と合わせて、
それらを変容と創造の観点から捉え、その柔軟性や躍動性を評価した。
(本書 はじめに より引用)

 
この文献の詳細ページへ「征服されざる人びと 
   酋長オセオーラとセミノール・インディアン」
 
ウィリアム・ハートレー エレン・ハートレー著 鈴木主税訳 現代史出版会

本書は、Osceola の翻訳である。内容は、ごらんの通り、アメリカ大陸南東
部のフロリダ半島に住むセミノール族が、傑出した若い酋長、オセオーラの
指揮のもとに、アメリカ合衆国の移住政策に抵抗して戦った記録である。これ
は、新大陸に渡った白人と先住土着アメリカ人の交渉の歴史では、第二次
セミノール戦争として知られている。独立国としての基礎固めを一応終わった
アメリカ合衆国は、この戦争にケリをつける(勝ったとは言えない)ことによって、
東部全域から先住民族をほぼ完全に駆逐したわけである(戦いの舞台は、
このあと西部に移り、1890年のウンデッド・ニーの虐殺によって、インディアン
の武力抵抗がやむまで同じような侵略と抵抗がくり返された)。新大陸に渡った
白人にとって、アメリカの自然は、征服し、西欧文明の技術によって最大限に
利用すべき対象だった。旧大陸を食いつめて海を渡ってくる白人が、それこそ
イナゴのようにふえ、どんな手段を使ってもそれを養わなければならなかった
からである。その白人の努力を妨げたのは、きびしい気候や荒々しい自然
だった。しかし、それよりももっと大きな問題は、自然を征服すべきものとは
考えず、そこにとけこんで暮らしている先住民であり、その生き方だった。その
後の両者の交渉の歴史を、ここでくわしく述べる必要はあるまい。白人は、恫喝、
懐柔、詐欺、殺戮など、あらゆる手をつくして、土着アメリカ人の土地を取りあげ
ようとした。当然抵抗が起こり、それは軍事力を駆使してのジェノサイドにつな
がった。
(本書 訳者あとがき より抜粋引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民アリゾナ・フェニックス・インディアン学校」 
ロバート・A・トレナートJr著 斎藤省三訳 明石書店

全寮制のフェニックス・インディアン学校は職業教育を中心として、先住民の
子供を白人社会に同化させることを目的とした学校である。はじめの40年間、
主な目標はインディアンの若い子供を昔ながらの生活から切り離し、彼らを
伝統文化から遮断し、彼らに白人中産階級の価値観を植え込むことであった。
「同化」と一言で言っても、その意味するところは1890年から1930年にわ
たって繰り返し変わっている。絶えず変更される連邦政府の教育政策のおか
げで学校の目標がその時々によって変わってしまう。そういう意味では学校
運営も国家の動向と基本方針に左右されるものである。本書の基底にある
ものは変化してやまない同化教育の方針と、その方針が具体的にフェニックス・
インディアン学校にどのように適用されていったかの実態を掘り下げ、報告す
ることである。・・・・本書「まえがき」より引用
 
この文献の詳細ページへ「森林インディアン イロクォイ族の闘い」 
エドマンド・ウィルソン著 村山優子訳 思索社 

本書はエドモンド・ウィルソン著の全訳で、原著は著者緒言にも述べられて
いるように、かつて「ニューヨーカー」に数回にわたり掲載されたものに若干の
修正を加えて単行本として刊行されたものである。内容は一見イロクォイ族の
現状のルポルタージュという形式をとっているが、単に事実の記録と報告に
とどまらず、著者の一貫した産業文明に対する鋭い批判と人間へのたゆまぬ
関心が文明および文明社会を無批判に賛美する人々に対して挑戦的とも言え
る姿勢で問題を突きつけているという点が、本書の高く評価される所以であろ
う。また最初の部分に、これも「ニューヨーカー」に既に掲載されたジョーゼフ・
ミッチェルの短いがすぐれたモホーク族の報告を収録してあるが、これも現代
文明へ適応してゆこうとする努力と伝統的文化への断ち難い思いの間で揺れ
動き、さまよう現代のインディアンの姿を真摯に、また温かい共感をもって描写
しており、それを併せて読者に呈示することによって現代文明に対する疑問を
投げかけている。(中略) 著者が、本書を著すに至った最初の動機は、この
ニューヨーク州の先住民イロクォイ族の土地係争問題への関心であった。そし
て直ちに、イロクォイ族が<州あるいは連邦>政府の不正義の犠牲になって
いることを悟り、彼の知的好奇心と正義感をこの問題に捧げたのである。本書
の中でイロクォイ族の各保留地における土地係争問題の経過が非凡な冷静さ
と明敏さをもって記述されている。しかし本書の内容を非常に豊かにし、かつ
奥深くしているのは、単に土地問題を中心とする人種・民族間抗争という視点
にとどまらず、近代文明対伝統的文化、国家(ないし州)権力対市民の権利と
いう視点に立ってこの問題を把握しようとしたことである。
(本書 訳者あとがき より引用)
 
この文献の詳細ページへ「ウインター・カウント」 
スー族の酋長が記したアメリカ・インディアンの歴史 
D・チーフ・イーグル著 神田栄次訳 誠文堂新光社

題名の「ウィンター・カウント」(冬の計算)とは、アメリカ・インディアンの部族
の暦のことである。彼らは一冬越して一年が過ぎると考えた。一年間に自分
の部族に起こった重大な事件から一つを選び、それを酋長または長老が、
なめした鹿皮の裏面に絵や符号で描き、後日の覚えとして残した。したがって
一つの絵は一年を意味した。それが「ウィンター・カウント」である。文字がな
かった時代だったからである。この物語は今から約120年ほど前、新大陸で
の白人のインディアン征服時代の事件が主題になっている。ことにスー族、
シャイアン族が中心になった騎兵隊との戦いや、新生活に対する戸惑いなど
が展開されている。彼らは正直なるがゆえに、また無知であったがゆえに、
あるいは白人達の物の考え方に対して不慣れであったがために、欺かれ、
略奪され、殺されて征服される。そして先祖伝来の土地から追われ、居留地
に押し込められる。そのために生来自由なインディアン達は、征服者の白人
と交渉し拒絶され、そして戦い、居留地から脱走して飢えや寒さとも戦いなが
ら自由を求めて逃避行を続けたが、力尽きて降伏するといった歴史、また
新しい宗教や生活に対する不安、戸惑い、疑念などが生々しく書かれている。
登場する主な人物はすべて実在した人物であり、物語は事実に基づいて書か
れている。
(本書 訳者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民ウエスタン・ショショニの歴史」 
スティーブン・J・クラム著 斎藤省三訳 明石書店

大盆地方に住むウエスタン・ショショニの人々の歴史について書いたこの本は、
14年にわたる研究調査の成果である。研究調査は私がユタ大学の歴史学を
専攻していた学生であった1978年に始められたものである。私の博士論文は
ニューディール政策の大盆地方ショショニに及ぼす影響についてのものであった
が、当時から私自身が属する部族に強い関心を持っていた。1983年にその
博士論文を完成させると、すぐに私の頭の中ではウエスタン・ショショニについ
ての全体的な歴史を書いてみよう、という思いが起こり、その後消えることはな
かった。この研究はそういう私の思いの到達点である。(中略) この研究で私の
取った方法は歴史学的なものであるが、ある程度は民族史的なものである。
民族史は人類学と歴史学を結びつけ、その結果出てくるものが文化史となる。
ショショニ史の文化的側面を強調するために、私は人類学的な史料を利用し、
またショショニの人々にも面接し、取材した。私はまた昔から伝わる史料を利用
した。特に、国立公文書館とその地方分館に保存されている内務省インディアン
問題対策局(BIA)の未発表の通信文書類を利用した。私の研究は年代順に
進んでいるが、大部分の章はいくつかの節に分かれ、特定の年代、テーマ、
話題を扱っている。私の研究の多くはその重点を連邦政府がウエスタン・ショシ
ョニの人々をどのように扱ったか、また19世紀中盤から現代に至る間、ウエス
タン・ショショニと圧倒的なアメリカの白人文化とがどのようにかかわっていたか、
に置いている。ちょっと見たところではこの方法論は古めかしく思われるかもし
れない。インディアン政策を主に扱うからである。しかし、私の研究は従来のも
のとは二つの点で異なっている。それというのも以前の研究は1990年よりはる
か前の時期までしか扱っていないからである。第二には、私の研究はいわば
「草の根」の研究である。連邦政府の政策に対するショショニの人々の反応を
視野に入れているからだ。私の研究はその土地に住むインディアンの視点から
見たもので、従来発表された研究の裏返しとも言えるだろう。
(本書 まえがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ先住民の貢献」 
ジャック・M・ウェザーフォード著 小池佑二訳 パピルス 

「アメリカ先住民の貢献」は、この表題からも明らかなように、アメリカ大陸の
先住民であるインディアンとかインディオと呼ばれる人々が、世界中に数多くの
贈り物を与え、いかに世界の文明の進歩に貢献したかについての著者の知見
を、様々な方面から叙述した著作である。1992年にコロンブスのアメリカ大陸
「発見」からちょうど500年を迎えたが、新大陸が旧大陸に及ぼした影響に関し
ては、これまで断片的な著作・記述はあっても、本書のように多岐にわたる影響
をまとめた著作はなかったと言えよう。その意味で、両大陸間の交流史に関す
る優れた書物ともなっている。米国で刊行されると少なからぬ反響を呼び、この
種の本としては異例の売行を示したというのもうなずける。ところで、原題の
「インディアン・ギヴァー」という言葉は、米口語で、「返礼を目当てに(あるいは
その品を返してもらうつもりで)贈り物をする人」を意味するのだそうで、したがっ
て著者は、こお否定的な言葉を逆手にとって自著のタイトルにしている。実際に
はアメリカ大陸先住民は、世界の文明にあれほど貢献したにもかかわらず、そ
の功績が認められることもなく、却って虐待され無視されてきたのである。(中略) 
さて、トウモロコシやジャガイモ、トマト、チリ、トウガラシ、タバコなどのアメリカ
大陸原産の作物が、ここ500年間に地球上の各地に広まり、旧大陸の住民も
大いに恩恵を蒙っていることは、よく知られた事実である。だが、アメリカ大陸
の先住民が世界に与えた贈り物は、そのような栽培植物だけに留まらない。
著者はまずボリビアのポトシ鉱山の銀から説き起こし、北米の毛布、新大陸産
の木綿、染料、ゴム、またジャガイモ、トウモロコシに加えて、やはりアメリカ大
陸原産のマニオク、サツマイモ、さらにはチリ・トウガラシ、トマトなどの野菜
(調味料)にまで話が及んでいく。これらの品々は、ヨーロッパにおいて資本主
義の勃興、産業革命、人口増加、料理革命などを惹き起こす重大な要因に
なったのである。一方、そのような原材料でなく、先住民の農耕技術や社会
形態の優れた特徴をも採りあげ、特に後者がヨーロッパ思想界やヨーロッパ
入植者に与えた影響を詳述し、中でも北米のイロクォイ同盟の政治機構と米国
の憲法との間の密接なつながりに言及する。
(本書 訳者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン史 第3版」 
W・T・ヘーガン著 
西村頼男・野田研一・島川雅史訳 北海道大学図書刊行会

アメリカ史上のさまざまな出来事は、ヨーロッパ人が「空の」大陸にその文化
を運び込んだという特殊な事実に基づいて説明するのが普通である。インディ
アンが思い起こされるのは、その存在によってこの大陸が全くの空ではなかっ
たことを証明する人びとがいたことに気づいた後のことである。インディアンは
しばしば、厳しい気候、野獣、未知のはるかな道程などとともに、荒野で待ち
受けているかもしれない災難の一つとして考えられた。私たちは彼らを、不用
意な旅行者を連れ去り、幌馬車を襲い、カウボーイに挑みかかる者たちとし
て記憶するように教え込まれている。かくて、インディアンとはアメリカの進歩
という円満に回る歯車に食い込んだ砂粒以外の何ものでもないかに思われて
くる。インディアン自身の側から見れば、アメリカ合衆国の興隆は全く異なる
様相を呈していた。それは、長い歴史と多様な形態を持つ一定の文化圏に
対する、遠方からやってきた統率のとれた侵略者による迫害と征服と破壊と
を意味した。私たちは、アメリカの歴史は被圧迫民族のさまざまな屈従のうえ
に成立した他の諸帝国とは対照的なものだと考えようとする。だが、現在の
旧植民地諸国民の眼から見れば、アメリカ・インディアンの運命は、アジアと
アフリカで異なる役者によって演じられた劇の北アメリカ版にすぎないと思え
るだろう。本書においてヘーガン氏は、賛嘆すべき明快さと簡潔さで、文化
衝突の物語を語っている。氏が焦点を当てるのは、インディアンがアメリカ
文明の進歩をいかに妨げたかではなく、対抗し合う力が不均等であったた
めにより一層(より少なく、ではない)酷いことになったある悲劇的な出会い
についてである。氏の主要な関心は、多種多様なインディアン社会固有の
歴史というよりは、むしろインディアンと勃興しつつある合衆国との諸関係に
注がれる。この出会いのさまざまな段階をたどり、優勢な新米のアメリカ人
たちが最も古くからの居住者たちに対して取った態度の推移を示しつつ、
ヘーガン氏は私たちに、アメリカの政治と倫理の歴史に関する試金石を与
える。なじみ深いアメリカ史上の挿話が全く違った表情を見せる。それは、
私たちの時代に解決を迫られているヨーロッパ諸国民と「発展途上」諸国と
の劇的出会いの先触れとなったのであった。ヘーガン氏は、アメリカ文化の
各局面を私たちの過去のすべてに開かれた窓とすることを意図する「シカゴ
大学アメリカ文明史叢書」に、インディアン=白人関係をめぐる物語をアメリ
カ史の主流と関連づけることによって、新たな意義を与えてくれた。本叢書は
二種類に分けられている。アメリカ史のはじまりから現代にいたる一貫した
叙述を行うクロノロジカル・グループとアメリカ生活の多様かつ意味深い諸
局面を扱うトピカル・グループである。本書はトピカル・グループの一書である。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「先住民」 
コロンブスと闘う人びとの歴史と現在 
上村英明著 解放出版社

1993年は、国連の制定した「国際先住民年」に当たり、アイヌ民族を含め、
先住民族の権利回復運動が大きな飛躍をとげる歴史的な「チャンス」と言える。
しかし残念ながら、この日本では、「国際先住民年」に対する関心は市民か
ら行政まで極めて低い。解放出版社から、先住民とは、どういう人びとで、
その人権がどういう状況に置かれているのかという視点から、本を執筆しな
いかと連絡を受けた時には、正直に言うと、躊躇してしまった。先住民族は
北極圏から南太平洋までの世界各地で、それぞれの生活を営んでいる。
先住民族としての共通の運命を背負っているが、その歴史的背景、そして、
文化や価値の独自性に至っては、実に千差万別であるからだ。そもそも、
先住民族の歴史と現状、権利を一冊の本にすることなど、それこそ、無謀
な冒険以外のなにものでもない。しかし、例え「冒険」であるにしても、誰か
がやならければならないと、しばらくして、思い直すようになった。それは、
第一に、日本における先住民族の権利問題への関心があまりに低く、ある
種の総括的な入門書が、どうしても必要であると痛感することが何度かあっ
たからである。第二に、国際的な先住民族への関心の高まりに影響されて、
先住民族の権利問題が紹介されるようにはなってはきたが、そうした紹介も、
上澄みだけをすくうことが多く、基本的な問題や、その歴史がすっぽり抜け
落ちている場合が少なくないからである。先住民族との共生は、言語や風俗、
伝承、行事それだけを取り出し、記録したり、保存したりして達成できると
思われた時代から、はるかかなたに進んでしまった。現在では、民族自決権
や土地権、資源権、環境権が世界各地で議論されており、その土俵の上で
初めて、文化や伝統の維持、発展の問題も検討されるという時代になった
のである。こうした状況を理解してもらうためには、誰かが先住民族の置か
れている世界的状況とその歴史を包括する本を書くという「冒険」を行うこと
しかなかった。
(本書・あとがき 上村英明 より引用)
 
この文献の詳細ページへ「アメリカ・インディアン その生活と文化」 
青木晴夫著 講談社現代新書

アメリカ・インディアンというテーマは、非常に大きな題目で、これに取りくむ
には、いろいろなことを知っていなくてはならない。そのインディアンについて
書くには、二つのやり方がある。ひとつは、宗教、美術、家の建て方、といった
項目を追って、アラスカからアルジェンチンまで概説するという方法である。
もうひとつは、ある地域をとりあげて、その宗教、美術、家の建て方などを記述
して、次の地域へうつるという方法である。はじめのテーマ別に書いた本には、
ドライバーの『北アメリカのインディアン』などがあり、第二の地域別に書いた本
には、スペンサーほかの『ネーティブ・アメリカンズ」などたくさんある。日本の
読者にわかりやすく、数百という種族のインディアンの特色ある文化を項目別
に叙述することは、きわめてむずかしい。わたしはいちおう地域別に、インディ
アン文化を紹介することにした。それでは、どのように地域別にみていくかとい
うと、まず北アメリカいっぱいにひろがるように、大きくひらがなの「の」の字を書
いていただきたい。この本でわたしがたどる道すじは、いまみなさんの指が通っ
た道を逆にすすむのである。そして「の」の字の書きはじめ、すなわちこの本の
終りには、われわれがよく映画やテレビで見るインディアンの所へ到着する。
その過程で映画やテレビから得られるインディアンのイメージが、どんなに歪ん
でいるかを少しでも、わかっていただけることになれば、ありがたいと思う。 
(本書 まえがき より引用)

 
  この文献の詳細ページへ「ズニ族の謎」 
ナンシー・Y・デーヴィス著 吉田禎吾&白川琢磨訳 ちくま学芸文庫

遥かアジア人(モンゴロイド)が、ベーリング海峡が陸続きであった頃に北
アジアからアメリカ大陸に移動して行き、やがて南アメリカまで広がったと言
われている。この人々がアメリカ大陸先住民の先祖であるという説は、学者
の定説であり、常識になっている。海面の上昇に伴いベーリング海峡が出来
て以後、コロンブスが新大陸を発見するまでの期間にアジア人が太平洋を
渡ってアメリカに達した可能性は一般に否定されてきた。ところが、日本人が
13世紀(鎌倉時代)に太平洋を渡ってアメリカ大陸に到達し、やがてズニ族
の村に住み着いたのではないかという、驚くべき説を様々な角度から検証し
ようとしたのが本書である。そこに明確な証拠があるわけではないが、といっ
てこれはいい加減な大衆的な娯楽書ではない。著者ナンシー・デーヴィス博士
は、本書でアメリカ南西部先住民(ズニ族)に関する考古学、先史学、形質
人類学、言語学、文化人類学などの諸分野の研究成果を丹念に検討し、
それを日本のデータと比較して日本人渡米論を唱えたのである。これは当然
前述の定説に対する挑戦である。疑問点はいくつかあるが、この新説を真剣
に検討吟味する価値があるように思われる。
(本書 解説 吉田禎吾 より引用)

 
この文献の詳細ページへ「リムーヴァルズ 先住民と十九世紀アメリカ作家たち」 
ルーシー・マドックス著 丹波隆昭 監訳 開文社出版

強制移住法案をめぐっては、もちろん、上下両院で激しい議論が交わされた。
事実、人道主義的立場から法案に異を唱える者も少なくなかった。しかし、先住民
の権利という問題に関しては、歴史的経緯として、それまでも白人側の遵法上の
「建前」と、白人優先で展開した慣例に基づく「本音」との分裂があった。司法を預
かる最高裁長官が「建前」を重んじて先住民に同情的な裁定を下しても、行政の
長たる大統領はこの問題に「本音」で臨んだのである。1830年5月の議決は、
僅差ながら法案賛成が上回り、世論が大統領を支持する形となった。そしていよ
いよ権限を与えられた政府は強制移住の実施に乗り出す。先住民たちは住み
慣れた地を無理やり追い立てられ、西方へ「涙の径」を辿ってゆくことになるので
ある。人道主義を白人優先主義が押さえ込んだ形で最終的な決着を見た強制
移住問題に対して、当時のアメリカ作家たちはどういう態度を取ったのか。特に、
強制移住支持に回った世論を背景とする白人読者社会を睨んで彼らがその
問題意識をいかなる形で表現したのか。本書はそれを論じる。我が国でもお馴
染みのメルヴィル、ホーソーン、ソロー、フラー、パークマン、そして対照的にあ
まりお馴染みでないチャイルドやセジウィックなどの作品テキストを、著者マドッ
クスは「当時の文脈に据えて」検討し、問題に対する作家の意識や作品に秘め
られた意味を明らかにしていく。たとえばメルヴィルは、先住民など形の上では
まったく登場しない「バートルビー」の主人公の運命に、かたくなに文明化を拒否
し続け、結局は強制退去、そして死という運命を辿りゆく先住民の運命を重ね
合わせている、と著者は指摘する。「先住民強制移住」という固有の視点から、
丹念に個々の作家を検討したマドックスのこの著書は、各作家におけるこの
問題への態度、対応を明らかにするとともに、テキストの新たな読み方をも十分
な説得力をもって示してくれるものだろう。
(本書 監訳者あとがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「草が生い茂り、川が流れる限り 
   アメリカ先住民文学の先駆者たち」
 
西村頼男著 開文社出版

1972年の秋、私は藤永茂氏の「アメリカ・インディアン悲史・・・・誇り高い
その衰亡」を出版直後に、書店の店頭で見つけた。購入すると、一気に読
んだ。1960年代後半はアメリカの南部にいたから、アフリカ系アメリカ人
の存在は少しは見えていた。しかし、私の頭の中で先住民は存在していな
かった。量子化学の専門家である藤永氏の本を通して、文字を持たなかっ
た先住民が白人の侵入以後たどった歴史を初めて知った。その後、北海道
に赴任することになり、アメリカ史を専門にする同僚をまじえて「アメリカ・
インディアン史」
を翻訳する機会を得た。翻訳することによって、アメリカとい
う国家の正体が少し見えてきたのは成果であった。その後、2002年に、
「ネイティブ・アメリカンの文学」を編集することになった。それは以前から、
先住民の文学作品を少しずつ読み始めたが、現在、全体像を把握するに
はほど遠い。しかし、「歳月は人を待たず」で、私はこの3月末で人生の節目
を迎える。そこで、まことに拙い書物であるが、研究ノートを元にして現代
先住民文学の先駆者たちを紹介することにした。イーストマンの「インディアン
の英雄と偉大な族長たち」を紹介した部分は冗長であるが、戦士・指導者たち
の実像を知るのに役立てば幸いである。
(本書 あとがき より抜粋引用)

 
この文献の詳細ページへ「ネイティヴ・アメリカンの文学」 
西村頼男・喜納育枝 編著 ミネルヴァ書房

ネイティヴ・アメリカンは、長らく文字を持たず、部族の歴史や民話などは口承
によって伝えられてきた。このため、先住民文化の宝庫とも言える民話や神話は
言語学者や文化人類学者の収集、研究の対象にされることはあっても、文学と
しての価値を認められることはなかった。しかし、60年代後半を境に、それまで
フィリップ・フルーノ、クーバー、ロングフェロー、ソロー、メルヴィルから20世紀の
ヘミングウェイ、フォークナーにいたる数多くのヨーロッパ系アメリカ人作家によっ
て「描かれる対象」であった先住民たちが、自らの声を英語によって表現する
「描く主体」としての視点を獲得していくようになる。先住民としての主体の獲得は、
主体の文化的多様性を尊重しようとする多文化主義の動きと不可分ではなかっ
たのである。文学研究における多文化主義的視点の成熟とともに、時代はネイ
ティヴ・アメリカン文学の口承の伝統の文学的価値を再評価し、アメリカ文学史
の正典を見直そうとする方向へと流れていった。(中略)本書は、この現代ネイテ
ィヴ・アメリカン文学の興隆におおいに貢献した作家や詩人に焦点を当てつつ、
この30年間ほどの全体像を提示することを意図している。今日活躍しているネイ
ティヴ・アメリカンの作家たちは、西洋文学に関する教養も豊富で、創作技法にも
精通しているが、それは、ヨーロッパによる侵略以降続いた異文化接触のもたら
した文化変容であるとみなすことができる。本書では、そのような異文化接触の
歴史の背景やヨーロッパ系アメリカ人の描くアメリカ先住民関連の文学から始まり、
初期のネイティヴ・アメリカンの声がいかに形成され、現代の声へと発展してきた
かという軌跡を辿る。現代ネイティヴ・アメリカン文学は、ネイティヴ・アメリカンとし
ての感性を想像の源泉としつつ、人間としてのさまざまな普遍的テーマを描いて
いる。そこに描かれる共同体の営み、人間と人間の絆、人間と自然、そして大地
との絆に、さまざまな生命体との新たな共生のあり方が模索されている今日的
テーマを読むことができるだろう。また、白人社会と部族社会のいずれにも帰属
意識を抱くことのできない混血の若者が体験する疎外感には、ステロタイプ化され
、消費されるネイティヴ・アメリカンのイメージからは計り知れない文化の深層を
かいま見ることができるだろう。本書を通して、ネイティヴ・アメリカン文学という
ジャンルの包容する多様性の深みを多少なりとも味わっていただければ幸甚で
ある。
(本書 まえがき より引用)

 
この文献の詳細ページへ「大地の手のなかで」 
アメリカ先住民文学 
青山みゆき著 開文社出版

アメリカは、さまざまな人種や民族、階級、宗教、さらには性的傾向などを
持った人びとが複雑にからみ合い、交錯する国である。そこでは、まさに
多様な価値観と文化が共存している。これまで編まれてきたアメリカ文学史
の多くは、圧倒的に白人男性が主要な位置を占めていたが、本書は、これ
までアメリカ文学史の周縁に位置していたマイノリティーのひとつである、
アメリカ先住民が主体となった文学史である。それも、日本ではじめての
本格的なアメリカ先住民文学史である。晩年の一時期をニューメキシコ州
で暮らし、インディアン文化に深い共感を示したD・H・ロレンスも含めて、
これまでアメリカ先住民の文化に傾倒した白人のアーティストや文化人は
数多い。現代においても、西欧文明が象徴するテクノロジーの崇拝や合理
主義、個人主義、父権制などへの反発を表現している詩人のゲイリー・ス
イダーやダイアン・ディ・プリマなどは、インディアン文化に深い関心を示
している。また本文でも述べたが、ジェローム・ローゼンバーグなどによる
英訳の先住民口承詩選集「ガラガラを振りながら」は、一部が日本語に訳
されているが、いまだに多くの読者を魅了してやまない。(中略) さて、1960
年代以降のカウンター・カルチャーの流れの中で、無数の若者がインディアン
文化だけでなく、東洋の文化や宗教などに関心を抱いたのは周知の通りで
ある。そして、ヨーロッパ系中産階級の白人男性の価値観や現代の機械
文明にたいする反駁から、公民権運動やヴェトナム反戦運動や女性解放
運動などとともに、自然保護運動が盛り上がった。もっとも、大衆が抱く、
自然に抱かれて真の生き方を保持しているというユートピア的なインディアン
文化にたいする羨望を、先住民自身はいささか滑稽さと絶望感を込めた想
いで眺めていることは確かだ。先住民は、いま自分たちが直面している問題
に敏感である。彼らは広々とした父を奪われたあげく、リザヴェーションや
都市の片隅に追いやられた生活に甘んじている。そこには差別や貧困、
さらにはアル中、失業、自殺などの問題が蔓延している。しかしながら、
それでも先住民文化が象徴する原初への帰還は、あらゆるものが無機質で
人間性を否定するかのように見える現代にあって、少なくとも来るべき未来
へのひとつの方向を示しているかも知れない。事実、先住民自身も、新たな
世紀に入り、必死にインディアンであるということの尊厳を、そしてその精神
性を回復させようとしている。
(本書 おわりに より引用)

 
この文献の詳細ページへ「アリストテレスとアメリカ・インディアン」 
L・ハンケ著 佐々木昭夫訳 岩波新書

近年スペインのアメリカ征服について書かれたものを読むと、歴史家の使命
に終わりなし、また、過去を描く書物は絶えず改訂を施さるべしという古い箴言
が、真理を語るものであることがよくわかる。この改訂は新しい材料の発覚か
ら来ることが多く、また誰でも知っている資料から新しい解釈が出てくることも
ある。本書を執筆するに当って、私は、これまで利用されたことのない手稿を
含めて、当面の問題に関するあらゆる資料を動員しようと試み、また、私自身
の見解を打ち出すに先立って、従来のすべての解釈に検討を加えようと努めた。
そして、「過去は序幕である」(シェークスピア作『テンペスト』中の言葉)から、
いや少なくとも時折はそうであるから、私は1550年の思想上の闘争が今日に
もつながる問題であることを示そうと試みた。アリストテレスの地理上の概念が
アメリカ発見に影響したことは、かなり前から知られている。だが、スペインに
よる征服期に、彼の先天的奴隷人の説がアメリカのインディオに適用されたと
いう事実が、まともに研究されるようになったのはごく近年のことである。一般的
に言って、15世紀以前には本当の意味での人種的偏見なるものは存在しなか
った。人類はさまざまに対立する人種ではなく、「キリスト教徒と異教徒」のふた
通りに分かれていたからである。ヨーロッパの、アフリカとアメリカそして東洋の
発展が局面を一変させたのであり、それゆえ世界的規模で人種問題を考えよ
うとする者にとって、スペインが経験したことの詳細は大きな意味を持つ。二人
の優れたスペイン人、バルトロメ・デ・ラス・カサスとフワン・ヒネス・デ・セプル
ベダが、1550年バリャドリでこの問題について論戦を行ったことは、西欧世界
の知性の歴史における最も興味深いエピソードのひとつである。この時、一個
の植民国家が、おのれが帝国の版図を拡大するのに用いている手段は正義
にかなうか否かという問題を、公の組織によって究明しようとした。これはそれ
以前に例のないことであり、また今後とも決して起こり得ぬことであろう。また
この時、何世紀も前にアリストテレスが立てた理論に従って、一人種全体に
劣等者、生まれながらの奴隷人との烙印を押そうとする、近代世界における
最初の試みが見られるのである。この問題に関する激しい論戦、その大論戦
がアメリカに対するスペイン王の政策に及ぼした影響、同じ理論を他の民族に
適用しようとする、以降の時代に見られた試み、16世紀の闘争の現代世界に
とっての意味、これらの事柄が本書の内容を成す。
(本書 序 より引用)
 
この文献の詳細ページへ「ネイティブ・アメリカンの世界」
歴史を糧に未来を拓くアメリカインディアン 
青柳清孝 著 古今書院

ネイティブ・アメリカン文化の多様性をはじめ、現在のネイティブ・アメリカン
の実体は私たち日本人にはほとんど知られていない。ネイティブ・アメリカン
は変化し、決して静止し固定されたものではない。ネイティブ・アメリカンの
歴史を考察することによって変化の内的・外的要因を探り、かつ現在の状況
を考察してはじめてその実体が明らかとされるであろう。しかし、ネイティブ・
アメリカンのイメージ、過去と現在、そして彼らの多様性について理解を深め
られるような手頃な日本語の書物はきわめて少ない。本書は、アメリカ・イン
ディアンのイメージがいかに作られてきたか、部族の歴史がいかに現代に
生かされているか、そしてネイティブ・アメリカンが直面している現代的課題
は何かの三つの視点から構成されている。この本において、時間的にも空間
的にも多様性を示すネイティブ・アメリカンの姿をできるだけ忠実に伝えよう
と試みた。読者が本書からネイティブ・アメリカンの過去と現在、そして彼らの
多様性について理解を深めていただければ、それは著者にとって少なからぬ
喜びである。
(本書より引用)

 
この文献の詳細ページへ「ネイティブ・アメリカン 先住民社会の現在」 
鎌田遵著 岩波新書

それにたいして先住民は、アメリカ合衆国の建国のはるか以前から、共同体
や国家を形作り、独自の文明を育て、生活していた。広大な土地に住む部族
は数多く、それぞれ状況にちがいはあっても、共通していることは、白人による
植民地化と侵略行為の対象になったことだ。先住民がもとめるのは、アメリカ
社会への「同化」よりも、むしろ自分たちの文化を維持していくための基盤とな
る「土地」である。アメリカ建国の過程、もしくは建国以後に奪われた土地への
正当な補償、部族政府が連邦政府と締結した条約の履行、守ってきた土地を
どのように発展させていくかを決める主権、すなわち自治権に関連する議論は
いまも盛んだ。先住民は圧倒的な少数派であるばかりでなく、居留地や都市部
の「辺境」に囲われ、社会のなかで這い上がっていけない構図のなかに追いや
られている。実際に、アメリカ合衆国にもっとも古くから生活してきた彼らは、
近年増加しているヒスパニック系移民よりも、奴隷として連れて来られた人たち
の子孫である黒人よりも、さらに高い割合で貧困層に属している。経済的にア
メリカ社会の最底辺にいるといっても過言ではない。多文化主義(マルチカル
チュラリズム)が提唱されて久しいが、先住民が生活しにくい現状には、彼らの
生活圏が奪われて以来の歴史が重くのしかかっている。多人種が共生する道
を模索し、「サラダ・ボウル」や「メルティング・ポット」と形容されるアメリカ社会で、
先住民のおかれた現状はどう見られているのだろうか。本書は、侵略、虐殺、
植民地化、同化政策を一身に受け、社会の末端に追いやられながらも、民族
としてのアイデンティティを維持し、生き残ってきた先住民たちの姿を、資料分析
やフィールドワークを通して得た知識をもとに紹介する。「先住民」とはいったい
誰のことをさすのか、「部族」とはなにか、といった根本的な問題に主眼をおきな
がら、先住民の歴史、文化、社会について多角的に考えてみたい。それは、
現代のアメリカ合衆国が内包する諸問題をみつめることにつながるはずである。
(本書 はじめに より抜粋引用)

 
この文献の詳細ページへ「変貌する大地」 
インディアンと植民者の環境史 
ウィリアム・クロノン著 佐野敏行 藤田真理子訳 勁草書房

私が本書で試みようとしたことは、植民地時代におけるニューイングランドの
生態の歴史について書くことです。ここでいう歴史とは、その学問的境界が、
人間の制度---経済、階級システム、ジェンダー・システム、政治組織、文化
的儀礼---を超えて、こうした制度に文脈(コンテクスト)を与える自然生態に
まで拡張された歴史のことです。異なる人々はそれぞれに、取りまく環境との
かかわり合いを選択します。こうした選択は、人間の共同体の中だけでなく、
より大きな生態系の中でも、さまざまに行われていきます。こうした諸関係に
ついての歴史を書くには、普通の歴史的分析では、存在しても周辺的としか
みなされない人間以外の出演者たちを、舞台中央に連れ出さなければなり
ません。それで、本書の大部分は、マツの木、ブタ、ビーヴァー、土壌、トウ
モロコシ畑、そして流水域の森林などといったニューイングランドの景観要素
の変化する様相を、綿密に検討することに費やされているのです。私の主題
は次のように単純なことです。つまり、ニューイングランドにおけるインディアン
優位からヨーロッパ人優位への移行は、必然的に、こうした人々の生活の
仕方に重大な変化が生じることに伴った---歴史研究者によく知られている
---のだが、それはまた、この地域の動植物群集の根本的な再編成をも含
んでいた---歴史家によく知られていない---ということです。私たちは、ヨー
ロッパ人の侵略の結果として生じた、文化面での変化---歴史家がときに
「フロンティア過程」と呼ぶもの---に、生態面での変化を付け加えなければ
ならないのです。あらゆることが複雑な諸関係で結ばれていたので、こうした
諸関係を適切に理解するには、歴史研究者と生態学者双方の手法が必要
なのです。歴史を書く上での生態分析の強みは、そうしなければ人の目に触
れないままにされてしまうような長期的変化や過程を明らかにする力をもって
いることにあります。このことは、私がここで行うような生産様式の歴史的変化
を詳しく検討するのに、とくに役立つのです。こうしたアプローチをとると、ある
意味で、経済は生態の下位構成体になります。こうした分析の長所を最大限
に活用しようと、私は次のように本書を構成しました。まず、19世紀初めに存在
していたニューイングランドの生態系を植民地時代以前のものと対照すること
にします。そして、植民地時代以前のインディアン共同体の生態関係を、到来
し始めていたヨーロッパ人のものと比較します。とくに、双方の集団がどのよう
に財産(プロパティ)を所有すること(そして、生態系に境界を設けること)につ
いて考えていたかという点から比較します。それから、こうした対照点で議論に
枠組みを与えながら、ヨーロッパ人到来後に引き続いて起きた生態変化につ
いて述べていくことにします。
(本書 はじめに より引用)

 
この文献の詳細ページへ「太ったインディアンの警告」 
エリコ・ロウ 著 生活人新書

世界で肥満・糖尿病への危機感が募っています。今では国民の過半数が
太りすぎで、三分の一以上が肥満とみなされるアメリカでは、「肥満、糖尿病
の撲滅は国家の急務」とする公衆衛生局長官の非常事態宣言が出されまし
た。さて、アメリカで一般社会に30年先だって太りだし、病みだしたといわれ
るのが、アメリカ・インディアンの社会。なかにはアリゾナのピマ族のように、
人口の7割以上が肥満になってしまった自治区もあるほどです。これまでの
研究から、アメリカ・インディアンは白人よりも太りやすく、糖尿病や心臓病
などの生活習慣病にもかかりやすいことも明らかになっています。人種的に
みれば、アメリカ・インディアンと日本人は遠い祖先を同じくする親戚民族で
す。また、歴史を振り返れば、千年にわたって自然の恵みを生かした自給
自足の暮らしを続け、独自の文化を築いていたアメリカ・インディアン社会が、
突然現れた白人に国を奪われ、同化を強いられ、その食生活や生き方を
変えられていった過程は、アメリカに迫られて開国、「文明開化」、第二次
世界大戦の占領時代を経て、「国際化」の波に乗り、食生活やライフスタイル
を「アメリカナイズ」させてきた日本の変化の過程と通じるところも少なくありま
せん。日本でもメタボリック・シンドロームの蔓延や子どもの肥満、糖尿病の
急増が叫ばれる現在、餓死による絶滅の危機から一転して肥満と糖尿病の
蔓延による絶滅の危機に陥り、今健全な人と社会の再生に乗り出そうとして
いるアメリカ・インディアンの警告に耳を傾けることには意義があると思うのです。
(本書 はじめに より引用)

エリコ・ロウさんのブログ「マインドフル・プラネット」

 
この文献の詳細ページへ「アメリカ神話の解体 赤人革命論」 
東岡耐 著 現代書館

再び問う、マルクス主義とは何か。それは革命思想ではなく、階級文明的
ブルジョア的諸原則に妥協する文明改良思想にすぎない。それは母なる
大地の支配・収奪を容認する自然征服思想である。それは有色人・異邦人
の奴隷化を正当する奴隷主思想である。それは非ヨーロッパ人の植民化・
帝国的収奪を正当するヨーロッパ帝国主義思想である。それは原始共同体
諸部族に文明化を強要する文明帝国主義思想である。それは無際限的な
「文明の進歩」を信仰する文明至上主義思想である。それは生産力の限り
なき発展を盲目的に美化する生産力至上主義である。それは原始共同体
諸部族の征服・強奪と植民地従属国人民の搾取・抑圧から一定の利益を
うけている植民帝国内の平民派、小奴隷主的プロレタリアートの改良思想
にすぎない。これに対して、当のマルクス主義者は目を三角にして反論する
であろう。マルクス主義こそは誰が何といおうと完全無欠の唯物思想であり、
人類の解放思想であり、普遍的な革命思想である、と。よかろう! アメリカ
合衆国という史上最悪の盗賊帝国の歴史を通じて、マルクス主義文明史観
に対し具体的にチャランケ(談判)することにより、マルクス崇拝者がつくりあ
げた輝ける偶像を徹底的に破壊することにしよう。文明社会はいまや急坂
をころげるごとく、奈落に向かっている。階級文明的ないっさいのものの
存立基盤が音をたてて瓦解しはじめた。この人類の未曾有の危機を革命的
に揚棄するものは階級文明社会の、あるいは奴隷主植民社会の諸体系の
中で矛盾の解決をはかろうとするマルクス主義の中にはありえない。それは
腐り切った奴隷主帝国を根本から粉砕しようとする植民地奴隷の革命戦争、
そして汚辱にまみれた階級文明総体の解体をめざす原始共同体諸部族の
革命闘争の中にのみ存在する。赤人被抑圧人民の生きる辺境最深部に
退却し、そこから合衆国帝国主義打倒の狼煙をあげたゲバラ、その闘いを
跳躍台として、世界社会主義共和国の大義のもとに、国際革命戦争を目的
意識的に遂行する新潮流があらわれた。アメリカ盗賊合衆国に災厄あれ! 
アメリカ盗賊合衆国を美化する一切の勢力に災厄あれ! 第二・第三のベト
ナム革命戦争に光栄あれ! 第二・第三のリトルビッグホーン戦に光栄あれ!
(本書・はしがきより引用)



未購入(新刊も含む)の文献

   

   

   

   

   

   

   

   

    

   

 





アメリカ先住民(アメリカ・インディアン)の歴史


この文献の詳細ページへ「わが魂を聖地に埋めよ」
アメリカ・インディアン闘争史
ディー・ブラウン 著 鈴木主税 訳 草思社

上巻より以下、引用抜粋。


1「彼らの態度は礼儀正しく、非のうちどころがない」



「いまペクォート族はどこにいるのか? ナラガンシット族、モヒカン族、ポカノケット族、またかつて強力だった他の多くの

部族のわが同胞たちは、いまやどこにいるのか? 彼らは、白人の貪欲と弾圧にあい、さながら夏の太陽にあたった

雪のように消えてしまったのだ。こんどはわれら自身が、戦わずして破壊に身をゆだね、家を、偉大な精霊に与えられた

われらの土地を、死者の墓とわれらにとって貴重で神聖なすべてのものを、むざむざ明け渡してしまうのか? 私は、

おまえたちが私とともに、『断じてそうはさせぬ!』と叫ぶことを知っている。」・・・・ショーニー族 テクムシ



それはクリストファー・コロンブスとともにはじまった。彼こそが人びとにインディオの名を与えたのである。かのヨーロッパ人

たち、つまり白人は、それぞれ異なった言語を話し、その言葉をインディエン、インディアナー、あるいはインディアンと発音

した。ポー・ルージュ、すなわち赤い皮膚(レッド・スキン)という言葉は、それよりあとに生まれたものだった。異邦人を迎え

る時の習慣に従って、サン・サルヴァドル島のタイノー族は、コロンブスとその部下たちに贈物を捧げ、彼らをていちょうに

もてなした。



「これらの人々は非常に従順で、平和的であります」と、コロンブスはスペイン国王と王妃に書き送った。「陛下に誓って

申し上げますが、世界中でこれほど善良な民族は見あたらないほどです。彼らは隣人を自分と同じように愛し、その話し

ぶりはつねにやさしく穏やかで、微笑が絶えません。それに、彼らが裸だというのはたしかですが、その態度は礼儀正しく、

非のうちどころがないのです」



当然こうした事柄は、未開のしるしではないにしても、弱さのあらわれとして受けとられ、硬直なヨーロッパ人たるコロンブス

は、確信をもって、「これらの人びとが働き、耕し、必要なすべてのことをやり、われわれのやり方に従う」ようにしむける

べきだと考えた。その後の四世紀あまり(1492年から1890年)にわたって、数百万のヨーロッパ人とその子孫たちは、自分

たちの生き方
をこの新大陸の住民たちに押しつけようとしてきたのであった。



コロンブスは、自分をもてなしてくれた友好的なタイノー族十人を誘拐し、スペインにつれ帰り、そこで彼らに白人の生き方

を教えようとした。その一人はスペインに着いてからじきに死んだが、その前に洗礼を受けさせてキリスト教徒にすることは

できた。スペイン人は最初のインディアンを天国に送りこめたことを非常に喜び、急いでこの朗報を西インド諸島全体に

ひろめた。



タイノー族とアラワク族はヨーロッパの宗教に改宗することを拒まなかったが、ひげを生やした大勢の異邦人たちが黄金や

珍しい石を求めて自分たちの土地を物色しはじめた時には、強く抵抗した。スペイン人は略奪をほしいままにし、村を焼き

打ちした。さらに、多くの男や女や子どもたちを誘拐し、船積みしてヨーロッパに送り、奴隷として売りとばした。アラワク族

の抵抗は、相手をして銃やサーベルの力に訴えさせるという結果を招き、部族全体が雑滅させられた。こうして、1492年

12月12日にコロンブスがサン・サルヴァドル島の岸に足を踏み入れてからわずか十年たらずのうちに、数十万の人びとが

ほろんでしまったのである。



新大陸の各部族間の通信はおそく、ヨーロッパ人の蛮行のニュースの伝播は、新たなる征服と植民地建設の急速な

ひろがりにほとんど追いつかなかった。しかし、英語を話す白人が1607年にヴァージニアにやってくるよりずっと以前に、

ポーハタン族はスペイン人の文明的な手練手管についての噂を耳にしていた。だが、イギリス人はもっと手のこんだ方法

を用いた。ジェームズ・タウンに植民地を建設し終わるまで平和を確保しておくため、彼らはワフンソナクックの頭に金の

王冠をのせてポーハタン王に叙し、その部族の者たちを働かせて、白人植民地に食物を提供させることを説得させた。

ワフンソナクックは反抗を訴える臣下の声に耳を傾けようとする気持ちと、イギリス人との約束を守ろうとする意志との

板ばさみになって動揺したが、白人のジョン・ロルフが娘のポーハタンと結婚してからは、明らかに自分がインディアンより

も白人に近いのだと考えたようだ。ワフンソナクックが死ぬと、ポーハタン族は蜂起して復讐を叫び、イギリス人をもともと

彼らがやってkちあ海の彼方へ追い返そうとした。だがインディアンたちはイギリス人の武器の武力を過小評価していた。

たちまちのうちに八千人のポーハタン族は一千人たらずに減ってしまった。



マサチューセッツでは、事態はいくらかちがったかたちではじまったが、結末はヴァージニアとほとんど同じだった。1620年

にプリマスに上陸したイギリス人は、新大陸の友好的な原住民たちから援助を受けなかったならば、その大半が餓死して

しまったにちがいない。サマセットという名のペマクィド族の者と、それぞれがマサソイト、スクァント、ホボマという名の三人

のワンパノーグ族の者が使者を買ってでて、旧大陸を逃れた巡礼者(ピルグリム)たちのところにやってきた。彼らはいず

れもいくらか英語を解したが、それは以前に岸にたどり着いた何人かの探検家たちから学んだものだった。スクァントは

一人のイギリスの船乗りにさらわれ、スペインで奴隷として売られたが、別のイギリス人に助けられて逃亡し、やがて国に

帰ることができた。彼とその他のインディアンたちは、プリマスの植民者を救いがたい子どもだと見なしていた。そして

部族の貯えから穀物を分けてやり、どこでどうやって魚をつかまえたらよいかを教え、最初の冬を無事に切り抜けさせた。

春になると、インディアンは白人に穀物の種子を与え、それを撒き、耕作する方法を教えた。



数年のあいだ、これらのイギリス人とその隣人のインディアンたちは平和に暮らしていたが、さらに多くの白人が続々と

船に満載されて岸に着いた。斧のひびきと伐り倒される樹木の音は、いまや白人たちがニュー・イングランドと呼んでいる

その沿岸の土地全体にこだました。植民地はしだいに混みあって、白人がごったがえすようになった。1625年に、植民地

の何人かがサマセットにペマクィド族の土地をさらに1万2千エーカーだけ分けてくれと求めた。サマセットは、土地が偉大

な精霊から与えられ、それは空のように限りがなく、誰が所有するものでもないということを知っていた。しかし、これらの

異邦人たちを彼らの奇妙なやり方でからかってやろうと考えて、サマセットは土地を譲渡するための儀式をとり行い、紙に

自分のしるしをつけて相手に与えた。これこそは、イギリス人植民者に与えられたインディアンの土地の最初の譲渡証書

であった。



だが、いまや数千人にふくれあがった植民者の大半は、わざわざそのような儀式をとり行なう手間をはぶいた。1662年に

ワンパノーグ族の大酋長マサソイトが死んだ時には、その部族の者は荒野に押し出されていた。マサソイトの息子の

メタコムは、団結して侵入者に抵抗しないかぎり、すべてのインディアンの運命は暗たんたるものになると考えた。ニュー・

イングランドの植民者は、メタコムをポカノケットのフィリップ王に叙して、その歓心を買おうとしたが、彼はナラガンシット族

をはじめその地域の他の部族と同盟を結ぶために努力を重ねた。



1675年、植民者による一連の横暴な行動に腹をすえかねて、フィリップ王はインディアン連合軍をひきいて戦争をはじめ、

各部族を滅亡から救おうとした。インディアンは五十二の植民地を攻撃し、そのうち十二を完全に破壊したが、数ヶ月の

戦闘ののち、植民者の火力によってワンパノーグ族とナラガンシット族はほとんど絶滅するに至った。フィリップ王は殺さ

れ、彼の首はその後二十年にわたってプリマスの町でさらしものにされた。捕らえられたほかのインディアンの女や子ども

といっしょに、フィリップの妻と子どもは奴隷として西インド諸島に売られていった。



オランダ人がマンハッタン島にやってきた時、ペーテル・ミネウィットはその島を六十グルデン相当の釣針とガラス玉で買い

取ったが、インディアンたちにはそのまま居残るようにすすめ、彼らの高価な生皮や毛皮をがらくた同然の品物と交換し

つづけた。1641年、ウィレム・キーフトはモヒカン族に貢税を課し、ラリタン族をこらしめるためにスターテン島に兵を派遣

した。だが、非があったのはインディアンの側ではなく、白人植民者の方だった。ラリタン族は自分たちを捕らえようと

する相手に抵抗し、兵隊は四人のインディアンを殺した。インディアン側が四人のオランダ人を殺して、これに報復すると、

キーフトは二つの村の全住民を眠っているあいだに虐殺せよと命じた。オランダの兵士は、男や女や子どもたちに銃剣を

突き立て、その身体を切りきざみ、さらに村に火を放ってそこを平らにしてしまった。



さらに二世紀にわたり、白人植民者が内陸を目ざして、アレゲニー山脈の細道をたどり、西に流れる川にそって大いなる

沼地(ミズーリ)に到達する過程ではこれと同じような事件が何度もくり返された。



東部の部族のうちで最強かつ最も進んでいたイロクォイの五部族は、平和のために努力を重ねたが、それは徒労に

終わった。自らの政治的独立を維持するため、数年にわたって血を流しつづけたあと、彼らはついに敗北のうき目を

みた。一部はカナダに逃れ、また西に活路を求めた者もあり、さらに保留地の監禁状態の中で余生を長らえた者も

あった。



1760年代に、オッタワ族のポンティアックは五大湖地方の諸部族を結集し、イギリス人をアレゲニー山脈の彼方に追い

返そうとしたが、果たせなかった。彼の大きな失策はフランス語を話す白人と同盟を結んだことだった。フランス人たちは、

決定的なデトロイト包囲のさなかに、ポー・ルージュ(赤い皮膚・インディアン)にたいする援助をひきあげてしまったので

ある。



それから一世紀のちに、ショーニー族のテクムシは、中西部および南部の諸部族からなる大連合軍を組織し、自分たち

の土地を侵略から守ろうとした。その夢は、1812年戦争の戦闘でテクムシが死んだためにはかないものとなった。



1795年から1840年にかけて、マイアミ族は戦いにつぐ戦いに明け暮れ、何度も条約に調印しては、彼らの豊饒なオハイオ

渓谷の土地を譲り渡してゆき、最後には譲るべき土地が皆無になってしまった。



1812年戦争ののち、白人移住者がイリノイ地方に流れこんできた時、ソーク族とフォックス族はミシシッピー川を渡って

逃げた。小酋長の一人ブラック・ホーク(黒い鷲)は後退をがえんじなかった。彼はウィネバゴ族、ポタワトミ族、キカプー

族を同盟させて、新しい植民地にたいして宣戦を布告した。だが、ウィネバゴ族のある集団が、白人の兵隊酋長から

二十頭の馬と百ドルの金で買収されてブラック・ホークを裏切り、彼は1832年に捕われの身となった。彼は東部に運ばれ

て監禁され、公開されて人びとの好奇の目にさらされた。1838年にブラック・ホークが死ぬと、成立したばかりのアイオワ

准州の知事は、その頭蓋骨を手に入れて、自分の執務室に飾った。



1829年、インディアンたちからシャープ・ナイフ(鋭いナイフ)と呼ばれていたアンドリュー・ジャクソンが合衆国大統領に

就任した。辺境にあって活躍していた頃、シャープ・ナイフとsの配下の兵隊は数千人におよぶチェロキー、チカソー、

チョクトー、クリーク、セミノールの各部族に属するインディアンを殺したが、これらの南部のインディアンの数はなお多く、

白人との条約で永遠に自分たちのものとして割りあてられた土地にしっかりしがみついていた。議会に送った最初の

教書で、シャープ・ナイフは、これらのすべてのインディアンをミシシッピ川以南に移住させるよう勧告した。「私は、

ミシシッピー川の西の広大な地方を彼らに分けあたえ・・・・インディアン諸部族がそこにとどまるかぎり、その保有を

認めることを妥当だと考える」と。



そのような法を制定したところで、東部のインディアンにたいする約束不履行の実例の長いリストにさらに一例をつけ

加えるだけだったにもかかわらず、シャープ・ナイフはインディアンと白人がともに平和に暮らすことはできないと確信し、

自分の計画によって二度と破られることのない最後の約束がかわされると信じた。1830年5月28日、シャープ・ナイフの

勧告は法律となった。



2年後、彼は陸軍省内にインディアン総務局をつくり、委員を任命して、インディアンたちの運命を左右するこの新しい

法律の適切な運用をはかった。さらに1834年6月、議会はインディアン部族との交易と交渉を規制し、辺境に平和を維持

するための法律を通過させた。こうして合衆国のミシシッピー川以西で、「ミズーリおよびルイジアナ州、あるいはアーカン

ソウー准州に含まれない」すべての部分はインディアンの住むところとなるはずであった。いかなる白人も、許可なくして

インディアンの土地で交易を行うことは許されず、またいかなる白人もインディアンの土地への移住を許されないことに

なった。合衆国軍隊は、この法の規定を侵害したことがわかれば、いかなる白人をも逮捕するはずであった。



だが、これらの法律が効力をあらわす以前に、新たな白人移住者の波が西に押し寄せ、ウィスコンシンおよびアイオワ

准州が形成された。そのためにワシントンの政策立案者たちは、「永遠のインディアン国境」をミシシッピー川からさらに

西経95度線へと移す必要にせまられた(この線は、現在のミネソタ・カナダ国境のウッズ湖から、ミネソタおよびアイオワ

州をたち切って南進し、ミズーリ、アーカンソー、ルイジアナ諸州の西の境に沿ってテキサス州のガルヴェストン湾に

達する)。インディアンを95度線の彼方にとどめ、許可なしの白人にそこを越えさせないために、ミシシッピー川にのぞむ

スネリング砦から南にのびて、ミズーリ河畔のアトキンソンおよびリーヴェンワース砦、アーカンソー河畔のギブソンおよび

スミス砦、レッド川にのぞむタウソン砦、そしてルイジアナのジェサップ砦に至る一連の軍事拠点に兵士が駐屯した。



時に、クリストファー・コロンブスがサン・サルヴァドルに上陸してから3世紀あまり、イギリス人植民者がヴァージニアと

ニュー・イングランドにやってきてから2世紀以上が経過していた。この時までには、岸辺でコロンブスを歓迎した友好的な

タイノー族は、完全に抹殺されていた。タイノー族の最後の一人が死ぬよりはるか以前に、彼らの単純な農耕文化は破壊

され、奴隷の働く綿作農業がそれにとってかわっていた。白人植民者は熱帯の森林を伐りひらき、耕作面積をひろげて

いた。綿は土壌を疲弊させた。森林という防壁にさえぎられない風は、畑を砂漠でおおいつくした。はじめてこの島を目に

した時、コロンブスはそこを「非常に広く、まったく平らで、樹々はこの上なく青々としている・・・・全体が鮮やかな緑に

染められていて目に快い」場所として描いた。コロンブスのあとからやってきたヨーロッパ人は、その植物とそこに住む

もの・・・・人間、動物、鳥、魚・・・・を根こそぎほろぼし、そこを荒地に変えてしまうと、あっさり見捨ててしまったので

ある。



アメリカの本土では、マサソイトとフィリップ王のワンパノーグ族が、チェサピーク族、チカホミニ族、大ポーハタン連合の

ポトマック族ともども、すでに消滅していた(ただポカホンタスのみが記述されているだけだった)。ペクォート、モンタウク、

ナンティコーク、マチャプンガ、カタウバ、チェロー、マイアミ、ヒューロン、エリー、モホーク、セネカ、モヒカンの各部族は

四散し、わずかな生き残りを数えるのみとなった(アンカスの名だけが記憶されていた)。彼らの音楽的な名前はアメリカの

土地と結びついていつまでも残ったが、その屍は燃えつきたおびただしい村落の中で忘れられ、あるいは2千万の侵入者

がふるう斧のために急速に消滅してゆく森の中で失われた。そのほとんどがインディアンの名前を持ち、かつては甘い水

をたたえていた流れは、すでに沈泥と人間の廃棄物でにごっていた。そして大地そのものも荒らされ、酷使されていた。

インディアンの目には、それらのヨーロッパ人が自然のすべてのもの・・・・生きている森とそこに住む鳥やけもの、草の

生い茂った林間の空き地、土地、そして空気そのもの・・・・を憎んでいるかのようにうつった。



「永遠のインディアン国境」の制定につづく10年間は、東部の諸部族にとって悪い時期だった。大チェロキー族は、白人

との戦い、病気、ウィスキーの害をしのいで100年あまりも生きのびたが、いまや抹殺されようとしていた。チェロキー族は

数千の人口を擁していたので、彼らの西部への強制移住は段階的にゆっくりと実施される予定だったが、その土地に

アパラチアの金が発見されたため、ただちに大規模な移動が要求されるに至った。1838年秋、ウィンフィールド・スコット

将軍の指揮する軍隊は、チェロキーをかり集め、収容所に押しこんだ(2、300人がスモーキー山中に逃げこみ、何年も

のちにノース・カロライナに小さな保留地を与えられた)。その収容所から、彼らはインディアン居住地域をめざし、西に

向かって旅立った。冬の長い旅の途中で、チェロキーの4人に1人が、寒さや飢えや病気のために命を落とした。彼らは

その行進を「涙の旅」と呼んだ。チョクトー、チカソー、クリーク、セミノールの各部族も、その南部の故郷をあきらめた。

北部では、ショーニー、マイアミ、オッタワ、ヒューロン、デラウェア、そしてかつては強力だった他の多くの部族が、

みすぼらしい品物や錆びた農機具、穀物の種子の袋をたずさえて、歩いたり、馬や馬車に乗ったりして、ミシシッピー川

の彼方へと旅立っていった。彼らのすべてが、誇り高い自由な平原インディアンの土地に、まるでつてをもたぬ避難民

となってたどり着いたのである。



避難民たちが「永遠のインディアン国境」に守られて落ち着くか落ち着かぬかに、軍隊がインディアンの土地を通って西に

進撃しはじめた。合衆国の白人・・・・たびたび平和を口にするが、めったに平和を実現したことのない者たち・・・・は、

メキシコのインディアンを征服した白人との戦いにおもむいたのである。1847年にメキシコとの戦争が終わった時、合衆国

はテキサスからカリフォルニアに至る広大な領土を獲得していた。その土地のすべては、「永遠のインディアン国境」の

西にあった。



1848年、カリフォルニアに金が発見された。2、3ヶ月のうちに、ひと山あてようとする数千人の東部人がインディアン・

テリトリーを通っていった。サンタ・フェ・トレールやオレゴン・トレールにそった地域に住み、狩猟を行っていたインディアン

たちにとって、許可を得て交易者やわな猟師や伝道師を乗せて走る乗合馬車を時どき見かけるのは珍しいことでは

なかった。だが、突如として街道に馬車があふれるようになり、それらの馬車は白人を満載していた。その白人たちの

大半はカリフォルニアの金を目当てにしていたが、中には東西に方向を転じてニュー・メキシコに向かったり、北西に

針路をとってオレゴン地方を目ざしたりする者もいた。



こうした「永遠のインディアン国境」侵犯を正当化するために、ワシントンの政策立案者は明白な宿敵という考えをひねり

出し、その言葉によって領土拡張熱を至上の高みへとひきあげた。ヨーロッパ人とその子孫は、宿命的にアメリカ全土を

支配するよう定められている、彼らは優秀な民族であり、したがってインディアン・・・・その土地、その森林、その鉱物資源

を含めて・・・・にたいして責任がある、というわけだった。その土地のすべてのインディアンを抹殺し、あるいは駆逐して

しまったニュー・イングランド人だけが、マニフェスト・デスティニー(明白な宿命)の考えに反対した。



モドク、モハヴ、ペイユート、シャスタ、ユマの諸部族、さらに太平洋沿岸のおよそ100を数える他のあまり知られていない

部族は、その問題についてまったく相談を受けなかったが、カリフォルニアは1850年に合衆国の第31番目の州に昇格し

た。そしてコロラドの山中で金が発見されると、新たに投機師の大群が平原を越えてむらがった。新しく広大な2つの准州、

すなわちカンザスとネブラスカがつくられ、平原の各部族の領土のほとんど全部をそこに組み入れた。1858年にミネソタ州

が州に昇格し、その境界は「永遠のインディアン国境」なる95度線の彼方に100マイルもひろがった。



こうして、シャープ・ナイフ・アンドリュー・ジャクソンによってインディアンとの交易と交渉を規制する法律が制定されてから、

わずか4分の1世紀にして、白人の移住者は95度線の北と南の両面からこれをおかし、さらに白人の鉱山師や交易者の

先行分子はあえて中心部にまで浸透したのである。



1860年代初頭のその当時こそ、合衆国の白人がおたがいに戦争をはじめた時期だった。それは青色服(北軍)と灰色服

(南軍)の戦い、すなわち南北戦争である。1860年には、アメリカの各州と准州にはおよそ30万人のインディアンがいたと

考えられ、その大半はミシシッピー川の西に住んでいた。さまざまな推定によれば、その数は最初の移住者がヴァージニア

とニュー・イングランドにやってきた当時にくらべて、2分の1から3分の1に減少していた。生き残ったそれらのインディアン

たちは、いまや東部と太平洋沿岸で膨張をつづける白人人口・・・・3000万あまりのヨーロッパ人とその子孫たち・・・・に

はさまれ、圧迫されていた。残されていた自由な部族が、白人の内戦で自分たちの領土にたいする圧迫が多少なりとも

緩和するだろうと信じたならば、彼らはじきに幻滅の悲哀を味わうことになったのである。



西部で最も数が多くて強力な部族は、スーあるいはダコタであり、それはいくつかのより小さなグループに細分されて

いた。サンティー・スーはミネソタの森林地帯に住み、すでに多年にわたって植民地の膨張に押されて後退をつづけて

いた。ムデカウントン・サンティーのリトル・クロー(小さい馬)は、東部の諸都市を旅する機会を得て、合衆国の力には

抗しうべくもないと確信した。彼はしぶしぶ自分の部族を説得して、白人の進む道を明け渡した。別のサンティーの指導者

ワバシャも不可避の事実を受け入れたが、彼もリトル・クローもそれ以上自分たちの土地を譲り渡すことは何としても

反対する覚悟だった。



大平原の西のはずれには、全員が馬を乗りまわし、完全な自由を満喫していたテトン・スーがいた。彼らは白人移住者に

屈服した森林地帯に住むサンティーの従兄たちをいくらか軽蔑していた。いちばん数が多く、自分たちの土地を守るおのが

能力に最も自信をもっていたのは、オグララ・テトンだった。白人が南北戦争をはじめた当時、彼らの傑出した指導者は

38歳の俊敏な戦士団酋長、レッド・クラウド(赤い雲)だった。まだ若過ぎて戦士にはなれなかったが、クレージー・ホース

(狂った馬)は聡明で恐れを知らぬ10代のオグララだった。



アトン・スーの一分派であるフンクパパ族のあいだでは、20代半ばの一人の若者がすでに猟人かつ戦士として名声を

博していた。部族会議の際に、彼は白人のいかなる侵略にも断固として反対した。その名はタタンカ・ヨタンカ、すなわち

シッティング・ブル(すわった雄牛)であり、ゴールという名の孤児の少年の良き師であった。オグララ族のクレージー・

ホースとともに、彼は15年後の1876年に一つの歴史をつくることになった。



まだ40歳には間があったが、スポッテド・テイル(まだらの尾)はすでに、西部のはずれの平原に住むブリュレ・テトン族の

主たるスポークスマンとなっていた。スポッテド・テイルは男前の柔和なインディアンで、すばらしい宴会と従順な女がことの

ほか好きだった。彼は自分の生き方と住んでいる土地が気に入っていたが、戦争を避けるためには喜んで妥協するつもり

だった。



テトン・スーと近い関係にあったのは、シャイアン族だった。ずっと以前には、シャイアンはサンティー・スーのミネソタに

住んでいたが、しだいに西に移住して馬を乗りこなすようになった。いまでは北方シャイアン族はパウダー川とビッグホーン

地方をスー族と共有し、近くに野営することもしばしばだった。40代のダル・ナイフ(鋭いナイフ)がこの部族の北に住む

グループの傑出した指導者だった(自分の部族の中ではダル・ナイフはモーニング・スター(明けの明星)として知られて

いたが、スー族は彼をダル・ナイフと呼び、同時代の記述の多くもその名称を用いている)。



南方シャイアン族はプラット川にそって南下し、コロラドおよびカンザス平原に村をつくった。南方の分派のブラック・ケトル

(黒い釜)は、若くして偉大な戦士となった。中年の終わりに達した彼は公認の酋長だったが、サザーン・シャイアンの若者

やホタミタニオ(ドッグ・ソルジャー=戦士団の一つ)は、男ざかりのトール・ブル(背の高い雄牛)やロマン・ノーズ(ローマ人

の鼻)のような指導者に追随する気持が強かった。



アラパホ族はシャイアンの古くからの協力者で、同じ地域に住んでいた。そのうちのある者はノーザン・シャイアンと行動を

ともにし、他の者はサザーン・レイヴン(小さなワタリガラス)が、当時の最も良く知られた酋長だった。



カンザス・ネブラスカの野牛(バッファロー)棲息地の南にはカイオワ族がいた。カイオワ族の老人の中にはブラック・ヒルズ

をありありと思い出せる者もいたが、この部族はスー、シャイアン、アラパホの連合勢力に押され南下した。1860年までに

は、カイオワ族は北部平原の諸部族と平和な関係を保ち、コマンチ族と同盟を結んでいた。コマンチの支配する南部の

平原に、入りこんでいたのである。カイオワ族は数人の偉大な指導者を擁していた。年とった酋長サタンダとローン・ウルフ

(一匹狼)、聡明な政治家キッキング・バード(陽気な小鳥)などである。



たえず移動し、多くの小集団に分かれていたコマンチ族は、部族全体を統轄する指導者を持たなかった。きわめて高齢

のテン・ベアーズ(10匹の熊)は、戦士の酋長というよりは詩人だった。1860年には、のちにコマンチ族をひきいて、その

バッファロー棲息地を守るための最後の闘争をすることになる混血のクアナ・パーカーは、まだ20歳になっていなかった。



乾燥しきった南西部には、スペイン人を相手に250年にわたってゲリラ戦を展開してきた古強者のアパッチ族がいた。

スペイン人は彼らに手のこんだ拷問と四肢切断の技術を教えこんだが、ついにこの相手を屈服させることはできなかった。

・・・・おそらく6000人足らずのいくつかのバンドに分かれていた・・・・が、その荒涼たる自然の恵みに乏しい土地を頑強に

守ることにかけては、彼らはすでに定評があった。60代の終わりにさしかかったマンガス・コロラドは、合衆国の友好条約

に調印したが、その領土に鉱山師や兵隊が流入したことで、すでに白人に幻滅していた。その義理の息子のコチーズは、

なお白いアメリカ人とうまくやっていけるだろうと信じていた。ビクトリオとデルシャイは白い侵入者を信用せず、つねに

白人を敬遠していた。50代になっていたが、なお生皮のように丈夫だったナナは、英語を話す白人に、自分がそれまで

ずっと戦ってきたスペイン語を話すメキシコ人と似たようなものだと考えていた。20代のジェロニモは、まだその実力を

発揮していなかった。



ナヴァホ族はアパッチと関係があったが、ほとんどの者がスペインの白人の生き方を見習い、山羊や羊を飼育し、穀物

や果物を栽培していた。この部族には、牧夫または織工として富み栄えたバンドもあった。ほかのナヴァホ族はひきつづき

遊牧民として暮らし、旧敵のプエブロ族や白人移住あるいは自分たちの部族の裕福な者を襲った。口ひげを生やし、背が

高くて、がっしりした体格の家畜飼育者、マヌエリトがその大酋長だった。彼は1855年のナヴァホ族の選挙で選ばれたので

ある。1859年に、数人の無鉄砲なナヴァホがその領土にいた合衆国市民を襲った時、アメリカ陸軍は罪人を追及する

かわりに、ナヴァホ族の泥の小屋を破壊し、マヌエリトとそのバンドの成員の所有になるすべての家畜を射殺するという

やり方で報復した。1860年までには、マヌエリトとナヴァホ族の彼の追随者たちは、ニュー・メキシコ北部およびアリゾナに

おいて、合衆国を相手に宣戦布告なしの戦いをくりひろげていた。



アパッチ族とナヴァホ族の領土の北のロッキー山中には、攻撃的な部族で、その南に住むより平和的な隣人をとかく

襲撃したがるユート族がいた。最も良く知られたその指導者のウーレイは、白人とのあいだに平和な関係を結ぶことを

望み、傭兵となって他のインディアン部族にあたることさえ辞さないほどだった。



西部の果てに住む部族のほとんどは、あまりにも小さく、あまりにも細分化されているか弱すぎて、さほどの抵抗力を

持たなかった。カリフォルニア北部とオレゴンの南部にいたモドク族は、1000人足らずの勢力をもって、自分たちの土地

を守るためにゲリラ戦を展開していた。カリフォルニアの植民者からキャプテン・ジャックと呼ばれたヤントプッシュは、

1860年にはまだ一介の若者にすぎず、指導者として試練にぶつかるのはそれから12年後のことだった。



モドク族の北西に位置したネ・ペルセ族は、ルイスとクラークの探検隊が1805年にその領土を通って以来、白人と平和

関係を保って暮らしていた。1855年に、この部族に属するあるバンドが、ネ・ペルセ族の土地を合衆国に植民地として

譲渡し、大きな保留地の内部にとじこめられて暮らすことに同意した。部族のほかのバンドは、ひきつづきオレゴンの

ブルー・マウンテンとアイダホのビタールート山脈のあいだを徘徊していた。北西部は広大だったので、ネ・ペルセ族は、

いつでも白人とインディアンの双方が自分なりに適当だと考えたやり方で利用しうるだけの土地はあると信じていた。のち

にジョゼフ酋長として知られるヘインモット・トーヤラケットは、1877年に戦争か平和かをめぐって重大な決断に迫られる

ことになるが、1860年には彼はまだ20歳で、酋長の息子だった。



ペイユート族のネヴァダ地方では、のちに西部のインディアンにたいして、短期間ながら強力な影響力をおよぼすことに

なるウォヴォカという名の未来の救世主が、1860年にはまだわずか4歳だった。



このあとの30年のあいだに、これらの指導者たちとさらに多くの者が、歴史と伝説の舞台に登場することになった。

これらの人びとの名は、彼らをほろぼそうとした者たちの名前と同じように、やがて広く知られるようになったのである。

老若を問わず、彼らのほとんどが、1890年12月に傷つい膝(ウーンデッド・ニー)においてインディアンの自由が象徴的な

終わりを告げるよりずっと以前に、大地に埋もれてしまう運命にあった。それから1世紀をへだてた、この英雄不在の

時代にあっては、あるいは彼らこそがすべてのアメリカ人のうちで最も英雄的な存在なのかもしれない。





Soyaksin - Blood

Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)







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