「今日という日は贈りもの」

心が生まれ変わる12のアプローチ

 ナンシー・ウッド著 フランク・ハウエル 絵

井上篤夫 訳 城山三郎 解説 講談社






アメリカ・インディアンに関する文献・第一集で紹介している「今日は死ぬ

のにもってこいの日」の著者が贈る新たな瞑想から導き出されたアメリカ・

インディアンの叡智。心を宇宙・大地へと優しく包み込む言葉とハウエルの

美しい画集が織り込まれている。

(K.K)


 




本書「まえがき」ナンシー・ウッド より引用


アメリカ先住民はこの大陸に二万年以上にわたって住んでいる。彼らの

人生は日常の経験に基づいたもので、宗教もそこから生まれた。彼ら

には罪、過ち、あがないに当たる言葉や天国や地獄の概念が存在し

なかった。めいめいが自分のことは自分で責任をとった。そして、めい

めいが部族というより大きなものの利益のために働いた。彼らの行為

は一つの複雑な信仰体系によって正当化されていたが、それは侵略

者のヨーロッパ人には受け入れ難いものであり、侵略者たちは先住民

が何千年もわたって持ち続けてきたもののほとんどすべてを、たった

五百年足らずで破壊したのであった。アメリカ先住民は爆弾、車輪、

化学製品、コンクリートを発明しなかった。彼らは環境汚染、都市の

無秩序な拡大、交通渋滞、犯罪を生み出さなかった。彼らの世界では

、すべての生き物に大霊(グレイト・スピリット)が宿り、調和と意味

と承認を与えていた。彼らは人生に目的を求めて遠くを見る必要がな

かった。太陽が昇るように彼らも現われ出た。木が生きて死ぬように

彼らも生きて死んだ。一瞬一瞬がそこからしか得られないものを教え

た。春が来ると、彼らは花と鳥に目を止めた。熊が道を横切ると、物

語を作った。喜び、悲しみ、神秘からは歌が生まれた。夜と昼は深い

精神的な意味を帯びていた。強大な太陽、満ちては欠ける月、星の

めぐり、四季の移り変わりの魔術も然りであった。これらのすべてが

、拡大しつつある終わりのない全体の部分をなしていた。・・・・


 
 


本書 訳者あとがき より抜粋引用


ナンシー・ウッドは、プエブロ・インディアンの長老と出会い、その思想を独自の

形で作品として発表し続けている詩人、小説家、写真家である。ナンシー女史

は、アメリカ南西部のニューメキシコ州サンタフェに1985年から住み、自然の

声を聞き、対話しながら作品を書いている。この「今日という日は贈りもの」も、

彼女が大地や、風や、鳥や動物たちと会話しながらできた。いや、彼女は「お

のずと詩の形になって出てきたもの」と言う。本文は1月から12月までに分か

れ、それぞれが瞑想と詩で構成されている。アメリカ先住民であるプエブロ・

インディアンの生き方や考え方をナンシー女史の語り口で蘇らせている。


「彼らの思想はアメリカ人や日本人だけでなく、世界中の人々に通じると思いま

す。自然とは何か? 自然と人間のあるべき姿を表しています」 彼女は、カラス

やコヨーテを友としてサンタフェの広野に暮らしている。(中略) 1961年、25歳

の時、自分の生き方を模索してきた彼女はインディアンの長老、レッド・ウィロー・

ダンシングに出会い、深く影響を受け、生涯の友となった。「出会ってから10年後

に、彼らの生き方が深く理解できるようになりました。そして彼らの考えが自然と

詩の形になって出てくるようになったのです」 また彼女はこうも言う。「彼らの生

き方は、かつて日本人も持っていた、自然を尊敬し、自然と共に生きるという考

え方です」


ナンシー・ウッドは、1936年6月20日、ニュージャージー州トレントで生まれた。

カトリック教徒として育てられたが、インディアンとの出会いによって、生き方が大

きく変わった。バックネル大学とコロラド大学で学んでいるが、「退屈なのでやめ

ました。自然から学ぶことのほうが多い」と分かったからだ。作家としては、14歳

の時に、地元の新聞社に「16歳と年齢を偽って働き始めてからずっと書き続けて

きた」というから、年季が入っている。「私にとって、書くことは救いでした」 破壊

した家庭の中で、物を書くことが唯一の慰めであり、生きる術だった。若くして

結婚するが、3度離婚。「役立たずの男ども」が去っていってからは、4人の子供

を「1週間80時間働いて、一人で育てました」と言う。ちなみに現在は4度目の

結婚をしている。詩人として、生活することは経済的にけして楽ではなかったが、

「お金のためには働かなかった」とも言う。


詩人ナンシー・ウッドは、これまでに多くの賞を受けている。1947年に、リー・

ベネット・ホプキンズ賞。1977年には、詩集  War Cry Prayer Feather  が

ピューリッツァ賞の音楽部門の候補作品に選ばれている。その後も、創作活動

は盛んで、 Spirit Walker Shaman's Circle など数多くの作品を発表している。

また、児童向けの作品も少なくない。(中略) また、個人的なことだが、と断っ

てから私は現在寝たきりになっている82歳になる母のことを彼女に話した。

「私は母に何もしてあげられないので、悩んでいるのです」 すると、小柄だが、

がっちりした肩をすぼめてナンシー女史はこう言った。「何もできません。私の場

合もそうでした。じっと見守ってあげるだけです。人間は自然と同じで、生きて死

んでいくのです。あなたのお母さんもその準備ができていると思います」 生も死

も同じ。サイクル(円環)。ナンシー・ウッドは本書の12月の章でこう書いている。


<今日という日は贈りもの。一瞬も無駄にしてはならない> 「今日という日は

2度と戻ってきません。だから、私たちは何かを捨てて、小さな死を迎えなければ

ならないです」 ナンシー・ウッドは “a little death(小さな死)”という言葉を使っ

た。私たちは新しい人生を生きるために、小さな死を経験しなければならない。

本書は、彼女のこうした「死生観」に貫かれている。私はこの詩や瞑想に触れる

たびに、「今日という日」を精一杯生きようと思う。


 


目次

まえがき


月の十二の大きな通り道

一月 おとこ月

(瞑想 独りで生きる 動物家族 女心の精)

二月 風が大きい月

(瞑想 自分自身を覚えているものたち 原初)

三月 灰の月

(瞑想 家族の木T 精霊たちよりも深くものを見るものがいようか?)

四月 植える月

(瞑想 木に花を咲かせる 生きていることについて)

五月 トウモロコシを植える月

(瞑想 地を美しくする声 二人の姉妹)

六月 トウモロコシの穂が出る月

(瞑想 野性の女のララバイ 結びつき)

七月 太陽の家の月

(瞑想 ラブソング 生への招待状 なぜ花はいまのような匂いになったか)

八月 湖の月

(瞑想 人生のビーズ 家神の庭で 陽の光を集める)

九月 トウモロコシの実る月

(瞑想 世界の中心 家族の木U)

十月 葉の落ちる月

(瞑想 山を見る 魂の兄弟たち)

十一月 トウモロコシを蓄える月

(瞑想 渡る 夕べの光の家 老年に夢見る)

十二月 夜の火の月

(瞑想 踊る月 虹の扉 夜の火)


解説[往復書簡] 城山三郎

訳者あとがき 井上篤夫

「ダンシング・ムーンズ」原文








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