Edward S. Curtis's North American Indian (American Memory, Library of Congress)


アメリカ・インディアンの言葉








プリティ シールド(メディスンウーマン)

1932年頃・バッファローを糧とする暮らしが終わりを告げて


ああ、わたしは胸がはりさけそうになりました。美しい土地のあちこちに、バッファローの

死骸が散乱しているのを見たからです。白人に殺され、皮をはがれ、腐るにまかせて置き

ざりにされた、たくさんの、たくさんのバッファローたち。最初に見たのは、ジュディス盆地

でした。あたり一面、肉の腐臭が漂っていました。花ばなでさえ、あのにおいは消せなかっ

た。わたしたちの心は、石のようになりました。それでもまだ、まさか白人がバッファロー

を皆殺しにするとは、だれも思っていませんでした。この世の始まりから、バッファローは

いつもたくさんいたのですから! あのひどいラコタでさえ、ここまでのことはしないでしょ

う。シャイアンも、アラパホも、ペクニーもです。なのに白人は、それをした。肉を必要と

しないときでさえなお。わたしたちは長いあいだ、バッファローは帰ってくると信じていま

した。でも、帰ってはきませんでした。わたしたちの空腹、病、不安は、3ついっしょに

大きくなりました。狩人は自分の目が信じられずに、バッファローをさがしに出かけまし

た。たとえ群れを見つけたとしても、わたしたちが半月かけてもたどりつけない、それほ

ど遠くまで行ったそうです。「いない。一頭も、いない」 彼らはわたしたちにそういうと、

腹をすかし、何もない平原を、夢でも見ているように、じっとながめやりました。それから

というもの、彼らの心はよくなりませんでした。ワシントンの偉大な首長が食べ物をくれな

いかぎり、わたしたちは自分のために戦う機会もないまま、消えてゆくしかありません。

白人は、わたしたちが旅できないよう、平原に囲いをつくりはじめました。でも旅をしたと

ころで、よいことなど何ひとつなくなってしまいました。旅をする目的が、ないのです。わ

たしたちは、ひとつところに住むようになり、時を問わず、だんだんと怠け者に、病気に

なっていきました。昔、男たちは雄々しく敵に立ち向かい、美しい土地から勇気をもって

追い払ったものです。でもいま、何もかもが悪くなって、わたしたちは弱々しい愚かさに

鞭打たれるようになりました。男たち、指導者たちは、白人のウィスキーを飲み、思い

のままのことをしはじめました。バッファローがいた日々、戦いと動乱の日々、わたし

たちは首長の話に耳をかたむけていたので、いまもおなじようにしています。なのに、

わたしたちは鞭打たれました。賢者は愚者になり、白人のウィスキーを飲みます。で

も、ほかに何をすればよいのでしょう。わたしたちは、首長や指導者の話に耳をかた

むける以外の方法を知りませんでした。昔の人たちは、こうではなかった。子どもたち

ですら、バッファローがいた頃とは、ちがっていました。


「ネイティヴ・アメリカン」写真で綴る北アメリカ先住民史より引用


 







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