超国際都市 マルセイユ

 ナショナル ジオグラフィック 2012年3月号









本書 解題 より抜粋引用

文=クリストファー・ディッキー(ジャーナリスト)

写真=エド・カシ



マルセイユの市庁舎を訪れた。ルイ14世時代に立てられた瓦屋根の建物だが、フランスの役所にしては

小さいほうだ。しかし、その中で市政の指揮を執るジャン=クロード=ゴーダン市長の体は小さいとは言いが

たい。恰幅が良く、ダブルのスーツのボタンを外して、紫色の細いストライプのシャツの襟元も開けている。

1995年から市長を務め、72歳の今もまだまだ続投に意欲を燃やしているように思える。



市長室の窓からは、旧港に停泊するたくさんのヨットが見えた。暑い夏の日なのに、窓は開けっ放しだ。

「エアコンをつけると喉をやられるんです」と市長は言う。「マルセイユはフランス最古の都市で、2600年の

歴史があります」と市長は話し始めた。マルセイユは紀元前600年ごろにフェニキア人が建設した都市だ。

「港町ですから、昔から外国人が入ってくることに抵抗はありませんでした。その時々の世界情勢に応じて、

さまざまな民族が流入してきました。この街は度重なる移民流入の歴史の上に成り立っているのです」



たとえば、1915年以降には、オスマン帝国から虐殺を逃れるためにアルメニア人の難民がどっと押し寄せ

た。1930年代になるとファシズムを逃れてイタリア人が流入。第二次世界大戦後は、北アフリカからユダヤ系

の人々が逃れてきた。さらに、モロッコ、チュニジア、アルジェリアのマグレブ3カ国がフランスからの独立した

1962年までに、植民地時代のアルジェリアに暮していたフランス人が大挙して渡ってきた。彼らは白人である

にもかかわらず、「黒い足」と呼ばれた。



ゴードン市長によれば、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国とマグレブ3カ国が独立した後、マルセイユでは「移民

の血を引く」人々がしだいに増えていったという。これは差別的な表現を避けた遠回しな言い方だ。もっとわか

りやすく説明してほしいと言うと、市長はこう話してくれた。「多くの場合、祖父母はアルジェリアに残り、両親が

マルセイユに移住してきた人で、フランス人でありながらアラブ系の姓をもつ移民2世を意味します」。つまり、

フランス生まれなのによそ者と見られる、移民の子や孫のことだ。



もっとも、マルセイユの住民のうち、移民の血を引く人々が何割を占めるのか、市長でさえも正確には知ら

ない。アラブ系とアフリカ系の割合も、イスラム教徒の割合もわからない。フランスでは、公の場に宗教を持ち

込まないことや市民の平等など、フランス革命の精神である共和国の理念が重視される。そのため、国勢

調査であっても、市民の人種や宗教や民族を調べることは法律で禁止されているのだだから建前上は、

フランスはフランス人であって、それ以外の何者でもないということになっている。だが現実には、移民の子や

孫が、フランス社会に溶け込むのは必ずしも簡単でないと、ゴーダン市長は言う。マルセイユのように多くの

移民を抱える都市でも、第1世代の移民の受け入れが問題になることはめったにない。むしろ、それ以降の

世代を社会にどう溶け込ませるのかが大きな課題になっている。




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