聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ - Wikipedia より以下引用。
聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバはイスラエルの世界遺産のひとつであり、同国内に200ほど残る遺丘(テル)の
中でも特に代表的で、旧約聖書にも登場する3つの丘が対象となっている。これらは単に旧約聖書で言及されていることだけに意義がある
のではなく、古代の水利施設の遺構や、近隣諸地域の建築様式の影響が見られる建造物跡など、青銅器時代から鉄器時代にかけての都市
や文化交流の様子を伝えていることも重要である。
テル・メギド (Tel Meggido, ID1108-001) は、イズレエルの谷にある遺跡で、世界遺産の登録範囲は 16.05 ha、緩衝地域は 290.85 ha
である。登録範囲は1966年に設定されたメギド古代遺跡国立公園 (Megiddo Antiquities National Park) に含まれている。
旧約聖書でのメギドへの言及は、全部で11箇所にのぼる。たとえば『ヨシュア記』では、ヨシュアのカナン征服の際にメギドも勢力圏に
おさめ、マナセ族の領地のひとつにしたが、占領できなかったとある。『士師記』でもマナセ族が占領しなかった土地のひとつとして
言及されている。『士師記』ではその他に、いわゆる「デボラの歌」の一節で、イスラエルの軍勢がカナンの軍勢と戦った場所として、
メギドに言及がある。また、『歴代誌下』では、南ユダ王国のヨシヤ王がエジプトのファラオであるネコに敗れて戦死した場所として
登場する(メギドの戦い (紀元前609年))。
メギドは交通の要衝にあり、軍事上の要地でもあったことから、古戦場として知られていた。新約聖書の『ヨハネの黙示録』に登場する
ハルマゲドン(メギドの丘)は、そのような背景から、終末論的な決戦の場として選ばれたとも言われている。
テル・メギドの発掘調査は1903年から1905年、1925年から1939年、1960年代から1970年代にかけてなど、何度も行われており、最も
よく発掘されたテルという評価もある。その結果、主要な層が20層あり、約30の都市遺跡が積み重なっていることが明らかになっている。
1920年代から30年代にかけての発掘はシカゴ大学の調査チームによるものだったが、そのときに出てきた遺構には、中が列柱のような
仕切り壁で区切られた細長い部屋が連続する構造物が含まれており、調査チームはソロモン王の厩舎と推測した。彼らの推測の根拠に
なったのは『列王記上』の記述で、ソロモン王が建設した都市にメギドが含まれていることと、(それとの関連性は明示されていないが)
戦車隊や騎兵隊の町を築いたとされていることによる。のちに、イガエル・ヤディンの調査ではアハブ王時代の厩舎と位置づけなおされ
たが、馬に関する具体的な出土品がまったくない上に、他の遺丘の類似構造物では土器が多く発見されていて倉庫であった可能性をうか
がわせることなどから、厩舎とする見解を疑問視する者もいる。他の遺丘の類似構造物も含め、それらの「列柱式建物」の正確な用途は、
今のところ不明のままである。
最古のものは紀元前4千年紀にさかのぼる新石器時代のもので、土器や住居跡が出土している。青銅器時代には、地震や海の民による
破壊などを経て、何度も再建されたあとが見受けられる。鉄器時代の遺構では、都市に水を供給していた地下水を収集する水利システム
が高度に発達していたことも明らかになっている。
2005年には、世界最古のキリスト教聖堂の跡 (Megiddo church) が発見された。
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