What Santa Claus Can Teach The Rest Of Us About Living Well | The Huffington Post




サンタクロースのチェス棋譜

Russel Ramsey's chess column in the Philadelphia Sunday Item, December 20, 1908


NN vs Santa Claus
Composition (1908) · Russian Game: Urusov Gambit (C42) · 0-1


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NN vs Santa Claus (1908)





上のサンタクロースの試合は、1858年に指された実際の試合を基に注釈した

ものです。


The chess games of Karl Mayet

Robert Franz Sr. vs Karl Mayet
Berlin (1858) · Russian Game: Urusov Gambit (C42) · 0-1


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Children & Babies » Sara Hunt Photography/Pearland,Tx



The Real Santa: Three Ways We Teach our Kids that Christmas is about Giving, not Getting – David J Dunn






ミラの聖ニコラウス(ニコラオス)


以下、「聖人たちの生涯 現代的聖者175名」池田敏男 著 中央出版社 より引用



聖人の中にはカトリック信者以外からも親しまれている者が多い。聖ニコラオ司教もそのひとりである。この聖人は

「サンタ・クロース」の名で知られ、特に子どもたちの人気を集めているが、また処女、囚人、船員、商人、学生たちの

保護の聖人として広く崇敬されている。



ニコラオは270年、小アジア(今のトルコ)のリシア州パタラに生まれた。財産家の信心深い両親に見守られて、ニコラオ

は智恵にも善徳にもすぐれたものとなった。



両親の死後、ばくだいな遺産を相続したが、情け深いニコラオは、それを貧しい人に与えようと決心した。その慈善の

ひとつに次の伝説がある。



近所に貧しい靴屋が住んでいた。3人の美しい娘がいたが、父は貧乏なので、嫁入りの支度金がどうしてもつくれなかっ

た。そのうちに父の心に魔がさして娘たちを売り飛ばそうとした。



ニコラオはこれを知って、気の毒に思い、どうにかしてこの計画をやめさせようと決心した。ある夏の晩、ひとりの嫁入り

に必要なお金を布ぎれに包み、それを例の靴屋の2階の窓の中にポンと投げいれ、いそいそと暗闇に姿を消した。



靴屋一家は、このお金は天の恵みだといって神に感謝し、長女の結婚をとどこおりなくすませた。



しばらくして、ニコラオはまた次女の嫁入り金を同じように投げいれてやった。靴屋の主人は、この名も知れぬ恩人は

誰なのかぜひ知りたいと思うようになった。



そして3女の嫁入り金を2階に投げ入れたときのことである。靴屋の主人はお金の音に目をさまし、いそいで2階をかけ

おり、闇に逃げたニコラオに追いついた。そしてニコラオの前にひれふし「あなたはわたしどもを救って恩人です」とニコ

ラオの足にせっぷんしようとした。ニコラオはこれを押し止め、このことを人に話さないように誓わせた。



その後、ニコラオは小アジアのエーゲ海に面したミーラ(今のデムレ)の司教に選ばれた。それからもニコラオは慈愛深

い父のごとく貧しい者や困っている人々を助けつづけ、町の人を何度もききんから救った。



ある年のこと、ミーラ地方はききんに襲われた。ところが、ちょうどそのとき、エジプトのアレクサンドリア港から麦を満載

した船が数そうでピザンチウムへの途上、あらしにあってミーラの港に避難してきた。司教はさっそく船団の司令官を訪

ね「ミーラの人びとのために、船一そうづつから、一石だけでもよいから麦を恵んでください」と頼んだ。



はじめは断った船長も、司教のたび重なる願いに動かされて、しぶしぶ承諾したが、のちピザンチウムに無事入港して、

荷を調べてみると、ふしぎにもその量はもと通りになっていた。



いっぽうニコラオは、この麦を貧しい人に分け与えた。こうして、2年のあいだ、食糧で困ることなく畠にまく種も十分でき

たそうである。



またニコラオは、信仰のすぐれた守護者でもあった。まず祈りとよい手本をもって熱心に教区の聖職者や信徒を教え導

いた。



ニコラオの生きた時代は、いわば内憂外患の波乱の多いときであった。200年のあいだ教会を襲った迫害は、いよいよ

ディオクレチアノ帝の世(284~304)に、地理的な広さにおいても、処刑の残酷な点でも絶頂に達した。



302年、ミーラの聖堂も破かいされ、ニコラオは信徒らとともに投獄された。しかし、まもなくこの最後の攻撃もすぎ、313

年、コンスタンチノ大帝の信教自由の勅令で釈放されると、ニコラオはさっそく教会の復興にとりかかった。



ところが、まもなくアリオの異端説が教会内に広まり出した。318年ごろ、アリオは三位一体のことをまちがえ「第2のペル

ソナであるロゴス(みことば)は、神の第1の被造物である。したがって真の神ではなく、父と本性がちがい、永遠、全知、

全能、無罪のものではない。このロゴスは、また精霊をつくり、さらに宇宙万物を創造した。それから最後に、キリストと

してこの世にくだりたもうた」と教えたのである。



教会はこの考え方は間違いであるとアリオに忠告しても、アリオはこれをきこうともしなかった。アリオは雄弁な上に、

しかも宣伝術もうまく、皇帝の援助さえうけるようになったので、その説は、燎原(りょうげん)の火のごとく広まって行った。



またアリオは当時の流行歌のふしに合わせて異端説の歌詞をつくったので、裏町の鼻たれ小僧までそれをうたい、いつ

のまにやら港の船員も、市場の女たちもアリオをほめたたえるようになった。その人気のすさまじさといったら「朝、目が

さめると、はや世界はアリオのものであった」とある司教が嘆くほどであった。



それでニコラオは、325年ニケアで開かれた公会議に出席し、304人あまりの司教たちの中にまじって「キリストは真の神で

あり、真の人である」と決議し、アリオの異端説を論ばくした。



またニコラオは無実の罪を負わされた3人の死刑囚を救ってやった。この3人は処刑の前日「ニコラオ司教の信じる神よ、

昔ヘブライの聖年が御身のあわれみによって死より救われたように、われらをもあわれみたまえ」と獄中で熱心に祈った。

するとその夜コンスタンチノ皇帝は夢の中に「罪のない3人を直ぐに釈放せよ」とニコラオ司教の言うのを聞いて、翌朝彼ら

を釈放させたそうである。



ニコラオは船員の守護者になっているが、そのわけは難船した船員をしばしば奇跡的に救ったからである。



あるとき、海が荒れて、船員はいまにも海に呑まれそうになった。船員は必死になってニコラオの名を呼び、「ああ、神の

しもべよ、私どもがあなたについて聞いたことが真実ならばどうぞ、私どもにその事実をまのあたりに見せてください」と

願った。すると、たちまち、ニコラオの姿をした人が現れて、「ごらん、私はここにいる。あなた方が呼んだのだもの」と、

いった。



それから彼はかじの操さを手伝い、かろうじて船の転ぷくを防いだ。そしてまもなく、暴風雨はおさまり、船員たちは無事に

ミーラの港にはいった。教会に行くと、誰にも聞かないうちに、一度も会ったことのないニコラオが一目ですぐわかった。

船員たちが事情を語り、ニコラオに感謝すると、ニコラオは「わたしが助けたのではない。あなた方の信仰と神のご慈悲に

よって助かったのだ」というだけであった。



343年、73歳のニコラオ司教は、臨終の床で詩編のことばを読みながら祈りをし「主よ、わたしはあなたに信頼いたします。

主のみ手に、わたしの魂をおまかせいたします」ということばを最後に、息を引き取った。そのとき、人びとは天使らの美し

い歌声を聞いたという。遺体はミーラ聖堂内の大理石の石棺におさめられた。その後も聖司教の取り次ぎで多くの奇跡が

起こった。



11世紀のすえ、回教徒は破竹の勢いで東ローマ帝国へ侵入し、小アジアを荒し回った。ミーラの住民もいち早く山中に避難

した。そのころ、たまたま南イタリアのバリ市に帰る商船がミーラに立ち寄った。そしてイタリアの船員たちはニコラオの墓が

見捨てられているのを見たのである。「これはあぶない、イタリアならばこの聖人の遺骨をもっと安全に保存できる」と、船員

たちは判断し、石棺を開け、貴重な遺骨をバリ市へたずさえていった。1087年のことである。



そこで、聖人のために新しい墓をつくり、その上にりっぱな大聖堂を建て、バリ市の保護の聖人とした。バリ市では聖ニコラオ

遺骨の「盛大な移転」を記念して今日でも5月9日に祝いが行われている。



12世紀から数世紀にわたって、ヨーロッパでは聖人の祝日である12月6日に、教会関係の学校や修院付属の学校でおもしろ

い習慣がはやっていた。その日、学校で選ばれたひとりの生徒は、司祭服を着て、他の生徒たちとともに聖堂で荘厳に聖務

日課をとなえ、それから1日校長になりすまし、生徒に種々の恩恵を与える権利があった。



ことに、スイス、フランス、ドイツ、オランダなどでは聖ニコラオの祝日は子供の日になった。聖人がかつてはお金を窓に投げ

入れ、3人の娘を救ったあの伝説がもとになって、聖人の祝日の前夜に子供へそっとプレゼントする習慣ができた。



12月5日の晩、ベッドに行く前に子供は紙でつくった小船や靴を用意したり、靴下を窓ぎわにかけておいたりする。すると聖

ニコラオが夜通るとき、お菓子と贈り物を入れてくれると信じている。



また、12月の晩になると、聖人は司教の姿になって、子供のいる家を訪れてゆく。ある地方では、聖人のあとから、恐ろしい

面をかぶった変な人がついてくる。そして、まず試験がはじまる。聖ニコラオは、子供が最近行ったこと、そのよいことも、悪

いこともちゃんと知っている。そのうえ、祈りを覚えているか、学校の宿題がよくできているかなどを試験してみる。それから

悪童や成績の悪い生徒を、悪面の付きそいが罰する。しかし、最後に聖ニコラオはかならず、やさしい声で子供を慰め、みん

なにおいしい贈り物をくばる。



宗教改革のころから、プロテスタントの地方では、このやさしい司教の訪問を廃止して、贈り物を入れた袋を背負い、司祭服

になぞらえた赤服赤ずきんで長ぐつばきの好々爺(こうこうや)の形にかえ、それをクリスマスと結びつけてしまった。名まえも

聖ニコラオをオランダなまりで「サンタ・クロース」と呼んだ。



18世紀に「サンタ・クロース」は、イギリスにもわたり、クリスマスのプレゼントは窓からではなく、煙突からはいってだんろや

ストーブのそばに用意しておいた靴や靴下の中にいれることになった。



さらに、この習慣には北欧の伝説も加わり、ニコラオは8頭のトナカイのそりにおもちゃを乗せて北の国から訪れてくるのだと

いい伝えられた。そして雪の多いノルウェーやスエーデンでは、「サンタ・クロース」は、クリスマスの夜、すばやいトナカイの

そりに乗って天からおり、贈り物をくばりながら銀のヴェールにおおわれた村や町を回ってゆく。



オランダと英国からの移住民が、この習慣をアメリカに移してからは、他の国にも伝わった。日本でもクリスマスが近づくと、

デパートや商店のショウウィンドー、新聞や雑誌の広告欄に、「サンタ・クロース」の姿がよく見うけられる。信徒は、この物質

的な世俗主義の宣伝を見るたびに、聖ニコラオの本当の姿と美しい愛の教えを思い出して、これを自分の周囲の人にも

伝え、聖ニコラオの愛の精神を自分の生活の中に生かすよう努めたいものである。




 





[子供} ミラのニコラウス

以下、「聖者の事典」エリザベス・ハラム編 鏡リュウジ・宇佐和通 訳 柏書房 より引用


年代・・・4世紀のミラ(現トルコ)の司祭

祝日・・・12月6日

崇敬・・・11世紀より広く普及。彼の遺物がミラから盗まれイタリアのバーリに運ばれたときに信仰が広まった。

他の守護分野・・・船員、結婚前の若い女性、商人、質屋、薬剤師、ロシア。

表象・・・3つの玉、碇、船。



ニコラウス(サンタクロースという名前で最もよく知られている)はすべての聖者のなかでも特に人気のある存在だろう。

しかし、皮肉にも彼その人自身についてはほとんど知られていない。ただひとつ確実なことは彼がミラ〈現在のトルコ南西部

のムグラ)の司教で、4世紀の人物だったということだけである。



この聖者に関する伝説は非常に空想的なものが多いが、そのすべてにおいて慈愛に満ちた優しい姿で描かれている。

3人の少女に金の入った袋を3つ与えて売春をしなくてもすむようにし、ぬれぎぬを着せられた3人の男を死刑から救い、3人

の漁師が溺れかけているところを救った。そしておそらく最も有名なのは、肉屋に殺されて桶に隠されていた3人の少年を

死から蘇らせた話であろう。



彼の守護分野はこうした数々の逸話から生じたものであり、特に子供を守護する聖者として知られるに至った。ニコラウスの

祝日に子供たちにプレゼントを渡すという低地帯(今のベルギー、オランダ、ルクセンブルクが占める地域)で長い間守られ

てきた伝統行事が、今日のサンタクロースの姿へと変貌をとげた。子供にプレゼントを渡すという習慣は、ニコラウス信仰か

ら発展した多くの習慣のひとつである。



北米に移住したオランダ人たちは、彼の存在をサンタクロースという名で呼んでいた。これはニコラウスの名前をオランダ語

なまりで発音したものである。クリスマスにサンタクロースが子どもにプレゼントをもってくるというのは、ニコラウスの子供に

対する気前のよさの伝説と、北欧伝説に出てくるよい子供にプレゼントを贈る魔法使いの話がひとつになり、アメリカで大衆

の間に普及した習慣が世界へ広まったものである。








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