「サン=テグジュペリ 伝説の愛」
アラン・ヴィルコンドレ著 鳥取絹子 訳 岩波書店
「星の王子さま」の作者サン=テグジュペリに、こんなに美しい妻がいたことはあまり
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本書より引用
サン=テグジュペリ生誕100年にあたる2000年に、それまで手つかずだった、コンスエロが
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「空の小さなクロニクル」 ミシェル・ポラッコ(ラジオ局フランス・アンフォのディレクター)
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「生きることと愛すること」W・エヴァレット著 菅沼りょ・訳 講談社現代新書 (1978年刊)より抜粋引用。 こうした具体的な行為を実践するには、たしかに勇気がいる。こういうことをしてあげたらどうかと思いつくことはあって も、てれくさかったり、見栄をはったりするからである。こんなことをしたら、人にばかにされるのではないか、笑われるの ではないかとか、人の思惑を気にしてしまう。しかし、思いきって実行してみると、しだいにそれが習慣となって、かえって 素直にいろいろな状況に対応できるようになるものである。逆に、相手を思いやれば思いやるほど、愛も深まるという ことも事実である。 サン=テグジュペリの「星の王子さま」が、自分の星に残してきた一輪のばらに対して抱いていた思いも、こうして生まれ たものではないだろうか。彼は地球でなん百というばらを見ていう。 「君たちは美しいけど、つまらない。君たちのために命を捨てる気にはなれないよ。そりゃ、なにも知らない人が通り かかったら、僕のばらも君たちとそっくりだっていうかもしれない。だけど、僕にとってあのばらは君たちなん百本よりも ずっとたいせつなんだ。だって、僕が水をかけた花なんだからね。覆いガラスをかけてやったんだからね。ついたてで 風にあたらないようにしてやったんだからね。ケムシを殺してやったんだからね。不平も聞いてやったし、自慢話も聞い てやったし、ときに黙りこくなっているときだって耳を傾けてやった花なんだからね。そのばらは『僕のばら』だから なんだ。」 もし、王子さまがこんなにばらのめんどうをみてやらなかったら、そのばらはけっして「彼の」たいせつなばらにならな かっただろう。一般的にいって、母親の子に対する愛情のほうが、子が母親に対する愛情よりも強いといわれるのは、 同じ理由によるのではないだろうか。 私たちは、ひとりひとり違った才能や個性をもっている。したがって、「自分の与え方」もひとりひとり異なっている。その 人にいちばんあったやり方で、自分を与えようとすればよい。ある人は重労働することによって愛そうとし、ある人は、 ピエロになって、みなを笑わせ楽しませることによって愛を表現する。ただ祈ることしかできない人もいるだろう。 しかし、それぞれが「自分にできること」をしながら、自分のもっているなにかを与えるのである。エマーソンのことばを 借りていえば、「指輪や宝石は贈り物ではなくて、贈り物がないときのいいわけである。ほんとうの贈り物たりうるのは、 自分自身の一部である。かくて、詩人は詩を、羊飼いは羊を、農夫は穀物を、鉱夫は宝石を、水夫はさんごと貝を、 画家は絵を、そして少女は手づくりのハンカチを贈るのである」。 |
2011年12月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。
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アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)
(1900年6月29日〜1944年7月31日)
サン=テグジュペリの名言・格言『星の王子さま』著者 より以下、抜粋引用。 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年〜1944年) フランスの作家、操縦士。『星の王子さま』の著者。郵便輸送のパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路 開拓にも携わった。 1900年、フランスの南東部の都市、リヨンに生まれる。イエズス会の学校を経て、スイスの学校で文学を学ぶ。 その後、兵役に志願して陸軍飛行連隊に所属。異例の経歴で軍用機操縦士となる。 退役後に民間航空界に入り、26歳のときに作家としてデビュー。自分の飛行士としての体験に基づいた作品 を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをする。後に敵となるドイツ空軍にも彼の信奉者 がおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。 1939年、第二次世界大戦に召集され、飛行教官を務める。彼は、前線への配属を希望し、周囲の反対を押し 切る形で転属。戦闘隊や爆撃隊は希望せず、偵察隊に配属された。 1940年6月、ドイツ軍のフランス侵攻でフランスは敗北。サン=テグジュペリはアメリカへ亡命する。亡命先の ニューヨークから志願して北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に偵察飛行隊に着任。その後、部隊はコルシカ 島に進出。 1944年7月31日、フランス内陸部の写真偵察のため、サン=テグジュペリは単機で出撃。地中海上空で行方 不明となる。 1998年、地中海マルセイユ沖にあるリュウ島近くの海域で、サン=テグジュペリの名が刻まれたブレスレットが トロール船によって発見される。その後の広範囲な探索の結果、2000年に同海域でサン=テグジュペリの 偵察機の残骸が確認された。 映画「紅の豚」で1920年代の飛行艇乗りを描いた宮崎駿はサン=テグジュペリの愛読者である。 サン=テグジュペリの語録 心で見なくちゃ、 ものごとはよく見えないってことさ。 かんじんなことは、 目に見えないんだよ。 愛は、お互いを見つめ合うことではなく、 ともに同じ方向を見つめることである。 おとなは、だれも、はじめは子供だった。 しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、 いくらもいない。 地球は先祖から受け継いでいるのではない、 子どもたちから借りたものだ。 もし誰かが、何百万もの星のなかの たったひとつの星にしかない 一本の花を愛していたなら、 そのたくさんの星をながめるだけで、 その人は幸せになれる。 一滴の水が、 どうして己を大河と知るであろうか? だが大河は流れているのだ。 樹木を作る細胞の一つ一つが、 どうして己を樹木と知るであろうか? だが、樹木は伸び広がっているのだ。 他人を裁くより 自分を裁く方がずっと難しい。 ひとりの人間の死とともに、 未知の世界がひとつ失われる。 どこにでも好きな方に歩いていける。 ぼくは自由だ… だが、この自由はほろ苦かった。 世界と自分が、 どれだけつながっていないかを思い知らされた。 利害を越えた究極の目的を人と共有する時、 初めて心のままに生きることができる。 砂漠が美しいのは、 どこかに井戸をかくしているからだよ。 船を造りたいのなら、 男どもを森に集めたり、 仕事を割り振って命令したりする必要はない。 代わりに、彼らに 広大で無限な海の存在を説けばいい。 人間であるとは、 まさに責任を持つことだ。 自分には関係がないような悲惨を前にして、 恥を知ることだ。 完璧がついに達成されるのは、 何も加えるものがなくなった時ではなく、 何も削るものがなくなった時である。 やはりお前は、 お前の生命を投げ出させるものによってしか 生き得ないのだ。 死を拒否する者は、 生命をも拒否する。 |
APOD: 2017 September 15 - 100 Steps Forward
ペルー南西部の砂漠 Huacachina oasis (大きな画像)
「The 2017 International Earth & Sky Photo Contest」の優勝作品