「サン=テグジュペリ 伝説の愛」

アラン・ヴィルコンドレ著 鳥取絹子 訳 岩波書店


 






「星の王子さま」の作者サン=テグジュペリに、こんなに美しい妻がいたことはあまり

知られていなかった。コンスエロはエキゾチックで不思議な魅力をもつ女性だったが、

貴族の家柄だった彼の家族には受け入れてもらえず、文壇でもほとんど黙殺された

ままだったから。



けれども、二人の愛が真実だった証拠が残っていた。彼女が夫と最後に過ごした亡命

先のニューヨークから持ち帰った、いくつもの大型トランク。作家の生誕100周年にあ

たる2000年に初めて開けられると、中には、夫との生活を赤裸々に綴った彼女の手

記のほか、二人で交わした山のような手紙、写真、デッサンなど、これまで誰も知らな

かった過去を物語る数々の遺品がつまっていた。



それらがこうして、一冊の素敵な本になった。二人が最後まで貫いた比類なき愛に、心

が震える



(鳥取絹子)
本書より引用


 


本書より引用


サン=テグジュペリ生誕100年にあたる2000年に、それまで手つかずだった、コンスエロが

ニューヨークから持ち帰った大型トランクが開けられて、なかから見つかった彼女の原稿が

出版された。それはまさに突然、彼に妻がいて、その妻はいたるところ彼の後についていき、

彼は彼女に抱いた情熱を手紙に書き続けていたことを知ったのである。『バラの回想』は生誕

100年際最大の出来事となった。発売と同時にベストセラー、すぐに27カ国に翻訳され、作品

は世界中を回った。その翌年、1943年から書かれた手紙で、彼が帰ってきたら読んであげよ

うと残していた、『日曜日の手紙』も出版された。『バラの回想』より魅力的な手紙の数々では、

二人が抱き合っていた類まれな愛が語られ、それはほんの数行で読みとることができる。



「きみしかいない、なぜなら、きみはぼくの人生の糧(パン)、ぼくの土地の塩、そしてぼくを養っ

てくれるから」とアントワーヌは書いた。それに対してコンスエロはいつもこう答えることしかでき

なかった。「私の人生には大きな港がある、それはあなた、私はいつ、どんなときでもそこに

上陸する、なぜなら、その港は私が望むときに迎えてくれるから。あなたをつくり、私の道に置い

てくださった神が讃えられんことを」。


 


「空の小さなクロニクル」 ミシェル・ポラッコ(ラジオ局フランス・アンフォのディレクター)

本書より引用



飛行機、女性、文学・・・・三つの情熱がアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリを「若き神」

に変えた。重くて不器用な図体を戦闘機の胴体内部に収めるのにいつも苦労していた

男、空を飛んでいないときはつねに不幸な雰囲気を漂わせ、イカロスのように日常生活

の迷宮から逃れたいと願った詩人。もっともこの「卑しくも厳しい日々」のくり返しに失望し

ていたのは、彼だけではない。処女作『グラン・モーヌ』を発表した翌年、第一次世界大戦

で戦死したアラン=フルニエもそうだった。



実際、飛行機と女性、文学には共通点があった。この三つのおかげで、ひどく感じやすい

男は上昇することができたのだ。上昇は彼が子どもの感受性から逃れるための酸素のよ

うなものだった。



コンスエロは幻滅の詩人がすれちがった他の女性とは違っていた。彼女は彼のバラにな

ると同時に、『星の王子さま』のバラにもなった。彼は初めて会ったとたんに彼女を妻にし、

何度も別れがあったにもかかわらず、終わりを望まなかったこの愛に忠実を貫いた。異国

生まれで話し好き、陽気なコンスエロは、彼にとって変わることのない情熱だったのである。



サン=テグジュペリは、そして彼の愛や空の冒険物語は、なぜ死後60年たっても私たちを

これほど感動させるのだろう? 彼は「人間に示すことのできる明らかな真実がないから」

と苦しんでいた。身動きできないアホウドリ、彼は私たちの目には非常に不完全で、途方に

暮れ、つねに悲しみと狂った愛のはざまにいるように見える。彼が教えてくれるのは、私た

ちがどれほど「一つの国ともいえる子ども時代」に属しているかということ。それが「星の王子

さま」の教訓である。



サン=テグジュペリは自分で「庭師」になるのが向いていると認めていた。普遍的な子ども

時代の輪郭を永遠に伝え、花となった女性のシルエットを私たちにまで愛させた魂の庭師。

その女性はこの本の各ページにわたって類まれな存在感を示している。



星の王子は行ってしまった、彼のバラも行ってしまった。しかし、みなさんが自分で何かを

読みとろうとするとき、鏡となっている空間に目をこらすのを忘れないように。みなさんはた

ぶん、雲や星々が遊んでいるなかに、伝説の恋人たちが書いた言葉のいくつかを発見する

だろう。空の小さなクロニクル、とでも言おうか・・・・。


 
 


「生きることと愛すること」W・エヴァレット著 菅沼りょ・訳 講談社現代新書 (1978年刊)より抜粋引用。



こうした具体的な行為を実践するには、たしかに勇気がいる。こういうことをしてあげたらどうかと思いつくことはあって

も、てれくさかったり、見栄をはったりするからである。こんなことをしたら、人にばかにされるのではないか、笑われるの

ではないかとか、人の思惑を気にしてしまう。しかし、思いきって実行してみると、しだいにそれが習慣となって、かえって

素直にいろいろな状況に対応できるようになるものである。逆に、相手を思いやれば思いやるほど、愛も深まるという

ことも事実である。



サン=テグジュペリの「星の王子さま」が、自分の星に残してきた一輪のばらに対して抱いていた思いも、こうして生まれ

たものではないだろうか。彼は地球でなん百というばらを見ていう。



「君たちは美しいけど、つまらない。君たちのために命を捨てる気にはなれないよ。そりゃ、なにも知らない人が通り

かかったら、僕のばらも君たちとそっくりだっていうかもしれない。だけど、僕にとってあのばらは君たちなん百本よりも

ずっとたいせつなんだ。だって、僕が水をかけた花なんだからね。覆いガラスをかけてやったんだからね。ついたてで

風にあたらないようにしてやったんだからね。ケムシを殺してやったんだからね。不平も聞いてやったし、自慢話も聞い

てやったし、ときに黙りこくなっているときだって耳を傾けてやった花なんだからね。そのばらは『僕のばら』だから

なんだ。」



もし、王子さまがこんなにばらのめんどうをみてやらなかったら、そのばらはけっして「彼の」たいせつなばらにならな

かっただろう。一般的にいって、母親の子に対する愛情のほうが、子が母親に対する愛情よりも強いといわれるのは、

同じ理由によるのではないだろうか。



私たちは、ひとりひとり違った才能や個性をもっている。したがって、「自分の与え方」もひとりひとり異なっている。その

人にいちばんあったやり方で、自分を与えようとすればよい。ある人は重労働することによって愛そうとし、ある人は、

ピエロになって、みなを笑わせ楽しませることによって愛を表現する。ただ祈ることしかできない人もいるだろう。



しかし、それぞれが「自分にできること」をしながら、自分のもっているなにかを与えるのである。エマーソンのことばを

借りていえば、「指輪や宝石は贈り物ではなくて、贈り物がないときのいいわけである。ほんとうの贈り物たりうるのは、

自分自身の一部である。かくて、詩人は詩を、羊飼いは羊を、農夫は穀物を、鉱夫は宝石を、水夫はさんごと貝を、

画家は絵を、そして少女は手づくりのハンカチを贈るのである」。





2011年12月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



チェスをするサン=テグジュペリ

「サン=テグジュペリ 伝説の愛」より写真引用しました。



「星の王子さま」、何度妻からいい本だから読みなさいと言われたことか。でも結局今日まで

読まなかった。何故なんだろう。自分自身が子どもの時代を忘れたかったからか、或いは余

りにも有名な本なので抵抗があったのか、どちらにしても愚かな自分が読めなくしたのは確か

だったんじゃないかなと思う。



でも「星の王子さま」読んでみて、これは何度も別れがあったにも関わらず妻コンスエロへの

ひたむきな愛情というのか憧れに近いものが根底にあると感じてならなかった。私が想像出

来ないくらいの純粋さをもってコンスエロに接してきたからこそ、逆に多くのことに傷ついてき

たんだと思う。



サン=テグジュペリの別の作品「夜間飛行」では、「使命と犠牲」を訴えかけていたと思う。そ

れは第一次世界大戦の敵国であったドイツのパイロットの多くもこの本が好きであり、サン=

テグジュペリを撃墜したパイロットが「彼がサン=テグジュペリだと知っていたら撃たなかった」

と述懐していることからも想像できるかも知れない。1944年に消息不明になった彼の機体が

2003年に発見された。



写真は亡命先のニューヨークで撮られたもの。サン=テグジュペリは友人とチェスをすることで

亡命生活の単調な生活を忘れようとした。サン=テグジュペリがどのようなチェスを指したか、

棋譜が残されていないのでわからないが、「夜間飛行」に倣ってサクリファイス(犠牲)が好き

だったのかも知れないと勝手にこじつけている。



(K.K)


 


アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupery)

(1900年6月29日〜1944年7月31日)




サン=テグジュペリの名言・格言『星の王子さま』著者 より以下、抜粋引用。



アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年〜1944年)

フランスの作家、操縦士。『星の王子さま』の著者。郵便輸送のパイロットとして、欧州-南米間の飛行航路

開拓にも携わった。



1900年、フランスの南東部の都市、リヨンに生まれる。イエズス会の学校を経て、スイスの学校で文学を学ぶ。

その後、兵役に志願して陸軍飛行連隊に所属。異例の経歴で軍用機操縦士となる。



退役後に民間航空界に入り、26歳のときに作家としてデビュー。自分の飛行士としての体験に基づいた作品

を発表。著作は世界中で読まれ、有名パイロットの仲間入りをする。後に敵となるドイツ空軍にも彼の信奉者

がおり、サン=テグジュペリが所属する部隊とは戦いたくないと語った兵士もいたという。



1939年、第二次世界大戦に召集され、飛行教官を務める。彼は、前線への配属を希望し、周囲の反対を押し

切る形で転属。戦闘隊や爆撃隊は希望せず、偵察隊に配属された。



1940年6月、ドイツ軍のフランス侵攻でフランスは敗北。サン=テグジュペリはアメリカへ亡命する。亡命先の

ニューヨークから志願して北アフリカ戦線へ赴き、1943年6月に偵察飛行隊に着任。その後、部隊はコルシカ

島に進出。



1944年7月31日、フランス内陸部の写真偵察のため、サン=テグジュペリは単機で出撃。地中海上空で行方

不明となる。



1998年、地中海マルセイユ沖にあるリュウ島近くの海域で、サン=テグジュペリの名が刻まれたブレスレットが

トロール船によって発見される。その後の広範囲な探索の結果、2000年に同海域でサン=テグジュペリの

偵察機の残骸が確認された。



映画「紅の豚」で1920年代の飛行艇乗りを描いた宮崎駿はサン=テグジュペリの愛読者である。



サン=テグジュペリの語録






心で見なくちゃ、

ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、

目に見えないんだよ。








愛は、お互いを見つめ合うことではなく、

ともに同じ方向を見つめることである。







おとなは、だれも、はじめは子供だった。

しかし、そのことを忘れずにいるおとなは、

いくらもいない。



地球は先祖から受け継いでいるのではない、

子どもたちから借りたものだ。







もし誰かが、何百万もの星のなかの

たったひとつの星にしかない

一本の花を愛していたなら、

そのたくさんの星をながめるだけで、

その人は幸せになれる。







一滴の水が、

どうして己を大河と知るであろうか?

だが大河は流れているのだ。

樹木を作る細胞の一つ一つが、

どうして己を樹木と知るであろうか?

だが、樹木は伸び広がっているのだ。







他人を裁くより

自分を裁く方がずっと難しい。







ひとりの人間の死とともに、

未知の世界がひとつ失われる。







どこにでも好きな方に歩いていける。

ぼくは自由だ… 

だが、この自由はほろ苦かった。

世界と自分が、

どれだけつながっていないかを思い知らされた。







利害を越えた究極の目的を人と共有する時、

初めて心のままに生きることができる。







砂漠が美しいのは、

どこかに井戸をかくしているからだよ。







船を造りたいのなら、

男どもを森に集めたり、

仕事を割り振って命令したりする必要はない。

代わりに、彼らに

広大で無限な海の存在を説けばいい。







人間であるとは、

まさに責任を持つことだ。

自分には関係がないような悲惨を前にして、

恥を知ることだ。







完璧がついに達成されるのは、

何も加えるものがなくなった時ではなく、

何も削るものがなくなった時である。







やはりお前は、

お前の生命を投げ出させるものによってしか

生き得ないのだ。

死を拒否する者は、

生命をも拒否する。




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