Safely Darling pics of fatima

ファティマの聖母マリア



1970年前後に作られた、聖書ゆかりの地のスライド写真

「The Holy Land 100 Color Kodak Film Slides From Sami Awwad Jerusalem」

50年近く経った現在、スライド写真は少し変色しております。尚、このスライド集をお持ちだった方

(詳細不明)がスライドに場所の名前などを書いていましたので、そのまま共に記します。

(2017年5月13日)





車になった聖殿 カペナウム (神様は何時も私と一緒)


Ark of the Covenant - Simple English Wikipedia, the free encyclopedia


IMAGO DEI : ACADEMIC TRIP TO THE HOLY LAND (from Oxford University)


Ark of the Covenant: Myth or Technology from the Gods? ? Quest for Truth



契約の箱 - Wikipedia より、以下引用。


契約の箱(けいやくのはこ、ヘブライ語: ???? ?????? aron habrit、英: Ark of the Covenant)とは、『旧約聖書』に記されている、

十戒が刻まれた石板を収めた箱のことである。証の箱(あかしのはこ)、掟の箱(おきてのはこ)、聖櫃(せいひつ)、約櫃(やく

ひつ)とも呼ばれる。ただしユダヤ教・キリスト教において、「聖櫃」は「契約の箱」より広義のものをも含む語彙である。



概説



神の指示を受けたモーセが選んだベツァルエルが、神の指示どおりの材料、サイズ、デザインで箱を作成し、エジプト脱出から1年後

にはすでに完成していた。



アカシアの木で作られた箱は長さ130cm、幅と高さがそれぞれ80cm、装飾が施され地面に直接触れないよう、箱の下部四隅に脚が付け

られている。持ち運びの際、箱に手を触れないよう二本の棒が取り付けられ、これら全てが純金で覆われている。そして箱の上部には、

金の打物造りによる智天使(cherubim ケルブ)二体が乗せられた。



モーセの時代に、この中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納される。しかし、ソロモン王の時代には、

十戒を記した石版以外には何も入っていなかったと伝えられている。



荒野をさまよっていた時代には祭司たちが担いで移動させていたが、ヨシュアの時代以降は、主にシロの幕屋の至聖所に安置される。

サムエル(紀元前11世紀の人物)を養育した大祭司エリの時代には、ペリシテ人によって奪われるが、ペリシテ人を災厄が襲ったため、

彼らはこの箱をイスラエル人に送り返す。また、ソロモン王(紀元前925年没)の時代以降は、エルサレム神殿の至聖所に安置される。



ソロモン王の死後、統一イスラエル王国は、紀元前930年頃に分裂した。南のユダ王国は、ユダ族とベニヤミン族から構成されており、

北のイスラエル王国は、それ以外の十部族からなっていた。しかし、アッシリア帝国が勃興すると、紀元前722年に、北のイスラエル

王国は滅ぼされてしまった。その後、ユダ王国は、アッシリアに服属する形で存続していたが、紀元前609年にはエジプトの支配下に

入り、 紀元前586年にエルサレム全体とエルサレム神殿が破壊され、支配者や貴族たちは首都バビロニアへ連行されること(バビロン

捕囚)になった。



レビ族は、ヤコブの子レビを祖とするイスラエルの部族(氏族)の一つである。レビはヤコブの12人の子供の1人であるが、祭司の

一族として特別な役割を与えられ、継承する土地を持たなかったため、レビ族はイスラエルの十二支族には数えない。レビ人は、

全国に居住の町を与えられて、そこに住んだ。そして、レビ人は、祭司の奉仕の報酬として奉納物の十分の一が給付された。古代

イスラエル王国が誕生すると、神殿が建設されて、レビ人の神殿礼拝は政治と結びつくようになる。その後、イスラエル王国が北

イスラエル王国と南ユダ王国に分裂してからも、レビ人はダビデ家に忠誠を尽くしていた。北イスラエルに序住していたレビ族は、

南ユダに移住し、南ユダ滅亡まで続いた。契約の箱の下部には2本の棒が貫通しており、移動するときには、レビ族が肩にかつぎ、

鐘や太鼓をならして騒ぎ立てた。しかも、かつぐための2本の棒は、絶対に抜いてはならなかったように、棒を差し込んだまま保管

されていた。



『聖書』ではヨシヤ王(紀元前609年没)の時代に関する『歴代誌下』 35章3節の契約の箱の記述を最後に、比喩的に用いられる以外

に直接言及される部分はなく、失われた経緯についても不明である。このことから、失われた聖櫃(The Lost Ark)と呼ばれることも

ある。



現在、聖櫃(契約の箱)を保持しているとして、これを崇敬しているのは、エチオピア(エチオピア正教会)だけである。






この文献の詳細は、こちらです。




ロン・ワイアットが発見したモーゼの10戒の石版を収めた「契約の箱」、

これをどのように捉えていいのか私自身わからないでいます。(K.K)


 


紀元前14世紀、モーゼが「十戒の石版」奉納のため、神からの啓示に基づき制作したと

いわれる契約の櫃。しかし紀元前587年、アークは突如歴史の表舞台からその姿を消すこ

とになる。以後、神の臨在をしるし、世界支配の魔力を宿すといわれた<失われたアーク>

をめぐって、バビロニア、ローマ帝国、さらにヒットラー、ムッソリーニに到るまで、時の権力

者たちは執拗にその行方を追い続けてきた。本書は、1982年1月に発掘されていた史上

最大の秘宝アーク発見までの経緯と、宗教界、国際情勢に大変動をもたらす事実が明らか

になったことで「機密扱い」にせざるをえなかったイスラエル政府の衝撃と苦悩を綴った壮絶

なるドキュメントである。・・・・・・・櫃の洞窟にはとんでもない発見が待ち構えていた。聖櫃の

蓋にかかっていたミステリアスな黒い物質である。科学研究所での分析により、それが男の

人間の血、それも母の染色体しか持たぬ、いわゆる「半数体」の血であることが判明したの

である。ロンは、この血を、二千年前に十字架で槍に刺されたイエス・キリストの血そのもの

であると結論づける。(本書より)


 


本書より引用


それは、医者のルカが注釈しているように、エシュアがゲッセマネで血の汗をかいた前の晩から

始まった。命を奪うことになる「大いなる苦しみ」は、このときに始まったのだ。イエスは、釘の傷や

十字架の苦しみから死んだのではなかった。身に負った人類の罪の重さ、その罪によって神に

見捨てられた苦しみの思いから、死んだのではなかろうか。自ら負うことを選んだ世界の罪によっ

て、彼は殺されたのではなかろうか。これは、私たちのような普通の死ではない。神からの離反と

いう「究極の死」であった。私たちをそこから救い出さんがために、イエスはその死を味わったの

である。字句的にも、比喩的にも、胸が張り裂けて死んだのである。 地震とともに岩が割れ、

エシュアの十字架を支える柱穴の底のすぐ左側で、岩が口を開いた。そして百卒長がイエスの

脇腹に槍を刺した時には、血と水という二種の別々の液体が流出した。常人の血の量は、四-

五リットルである。血と水は、彼の脇腹から両脚を伝い、十字架穴へ流れ込んだ。血は、岩の

裂け目に流れ込み、亀裂を伝い落ちて、約6メートル下方の洞窟に埋まった契約の櫃の「贖い

の蓋」に注がれたのである。このすべてを計画されたのは神ご自身に他ならない。まず、エシュア

が死ぬ600年も前に、契約の櫃がこの洞窟に隠されるよう、状況が整えられた。前587年の

バビロニア軍による攻撃の際に、エレミヤほかの宮の祭司たちが、どこかの洞窟に櫃を隠すよ

う動かされた。彼らは、西暦31年のその日に起こる出来事など、知る由もなかった。次に十字架

穴を掘ったローマ人たちは、その下に何があるかを知らなかったし、自分たちが正確な地点に

中央の柱穴を掘っていることも知らなかった。第三に、イエスが死ぬその時まで、血の流れ下る

道は存在しなかった。亀裂が岩に出来ていなかったからだ。だが、これらの驚異的ともいえる

「偶然の一致」が、現に起こったのである。いや、「一致」というべきであろう。何事も正しく「一致」

させなければ、事は起こらないものだ。いったい、こんなことをすべて一致させたのは誰であろ

うか。そして、2000年後、われわれが次なる神の大介入 --- 約束されたキリストの再臨 ---

に近づいた今、急ぎも遅れもなさらない神は、ついに契約の櫃を外に出されるのである。


 


File:The Phillip Medhurst Picture Torah 433. The ark of the covenant. Exodus cap 25 vv 10&12. Merian.jpg - Wikimedia Commons



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