1970年前後に作られた、聖書ゆかりの地のスライド写真 「The Holy Land 100 Color Kodak Film Slides From Sami Awwad Jerusalem」 50年近く経った現在、スライド写真は少し変色しております。尚、このスライド集をお持ちだった方 (詳細不明)がスライドに場所の名前などを書いていましたので、そのまま共に記します。 (2017年5月13日) |
車になった聖殿 カペナウム (神様は何時も私と一緒)
Ark of the Covenant - Simple English Wikipedia, the free encyclopedia
IMAGO DEI : ACADEMIC TRIP TO THE HOLY LAND (from Oxford University)
Ark of the Covenant: Myth or Technology from the Gods? ? Quest for Truth
契約の箱 - Wikipedia より、以下引用。
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この文献の詳細は、こちらです。
ロン・ワイアットが発見したモーゼの10戒の石版を収めた「契約の箱」、 これをどのように捉えていいのか私自身わからないでいます。(K.K) |
紀元前14世紀、モーゼが「十戒の石版」奉納のため、神からの啓示に基づき制作したと いわれる契約の櫃。しかし紀元前587年、アークは突如歴史の表舞台からその姿を消すこ とになる。以後、神の臨在をしるし、世界支配の魔力を宿すといわれた<失われたアーク> をめぐって、バビロニア、ローマ帝国、さらにヒットラー、ムッソリーニに到るまで、時の権力 者たちは執拗にその行方を追い続けてきた。本書は、1982年1月に発掘されていた史上 最大の秘宝アーク発見までの経緯と、宗教界、国際情勢に大変動をもたらす事実が明らか になったことで「機密扱い」にせざるをえなかったイスラエル政府の衝撃と苦悩を綴った壮絶 なるドキュメントである。・・・・・・・櫃の洞窟にはとんでもない発見が待ち構えていた。聖櫃の 蓋にかかっていたミステリアスな黒い物質である。科学研究所での分析により、それが男の 人間の血、それも母の染色体しか持たぬ、いわゆる「半数体」の血であることが判明したの である。ロンは、この血を、二千年前に十字架で槍に刺されたイエス・キリストの血そのもの であると結論づける。(本書より)
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本書より引用
それは、医者のルカが注釈しているように、エシュアがゲッセマネで血の汗をかいた前の晩から 始まった。命を奪うことになる「大いなる苦しみ」は、このときに始まったのだ。イエスは、釘の傷や 十字架の苦しみから死んだのではなかった。身に負った人類の罪の重さ、その罪によって神に 見捨てられた苦しみの思いから、死んだのではなかろうか。自ら負うことを選んだ世界の罪によっ て、彼は殺されたのではなかろうか。これは、私たちのような普通の死ではない。神からの離反と いう「究極の死」であった。私たちをそこから救い出さんがために、イエスはその死を味わったの である。字句的にも、比喩的にも、胸が張り裂けて死んだのである。 地震とともに岩が割れ、 エシュアの十字架を支える柱穴の底のすぐ左側で、岩が口を開いた。そして百卒長がイエスの 脇腹に槍を刺した時には、血と水という二種の別々の液体が流出した。常人の血の量は、四- 五リットルである。血と水は、彼の脇腹から両脚を伝い、十字架穴へ流れ込んだ。血は、岩の 裂け目に流れ込み、亀裂を伝い落ちて、約6メートル下方の洞窟に埋まった契約の櫃の「贖い の蓋」に注がれたのである。このすべてを計画されたのは神ご自身に他ならない。まず、エシュア が死ぬ600年も前に、契約の櫃がこの洞窟に隠されるよう、状況が整えられた。前587年の バビロニア軍による攻撃の際に、エレミヤほかの宮の祭司たちが、どこかの洞窟に櫃を隠すよ う動かされた。彼らは、西暦31年のその日に起こる出来事など、知る由もなかった。次に十字架 穴を掘ったローマ人たちは、その下に何があるかを知らなかったし、自分たちが正確な地点に 中央の柱穴を掘っていることも知らなかった。第三に、イエスが死ぬその時まで、血の流れ下る 道は存在しなかった。亀裂が岩に出来ていなかったからだ。だが、これらの驚異的ともいえる 「偶然の一致」が、現に起こったのである。いや、「一致」というべきであろう。何事も正しく「一致」 させなければ、事は起こらないものだ。いったい、こんなことをすべて一致させたのは誰であろ うか。そして、2000年後、われわれが次なる神の大介入 --- 約束されたキリストの再臨 --- に近づいた今、急ぎも遅れもなさらない神は、ついに契約の櫃を外に出されるのである。
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