「バチカン・エクソシスト」
LAタイムズ ローマ支局長 トレイシー・ウィルキンソン著
矢口誠 訳 文芸春秋 より引用
悪魔祓いを意味する“エクソシスト”という言葉が日本に定着したきっかけは、なんといっても 1973年に製作された映画『エクソシスト』に負うところが大きいといっていいだろう。この映画 は公開と同時に世界中で空前のヒットを記録し、大きな社会現象を巻き起こした。2000年に は未公開シーンが追加された〈ディレクターズ・カット版〉が公開されて話題を呼んだし、DVD 版もロングセラーをつづけていることから、実際には作品を見ていない人でも、おそらく『エク ソシスト』というタイトルとおおよそのストーリーくらいは知っていると思う。
では、あの映画に本物の神父が登場していることはご存知だろうか? 悪魔に取り憑かれた 少女を救う二人のエクソシストを演じているのは俳優のマックス・フォン・シドーとジェイソン・ミ ラーだが、端役として登場する二人の神父を演じているのは、ローマ・カトリック教会のれっき とした司祭なのである。そのうちのひとりであるウィリアム・オマリー神父は、同映画のメイキン グ・ドキュメンタリーでインタビューに応え、「(自分が『エクソシスト』に出演することを)教会は OKと言った。脚本を見せていただいたので、宗教的意義をわかってくれてね」と語っている。 また、もうひとりのトマス・バーミンガム神父は、出演のほかに映画のテクニカル・アドバイザー まで務めている。一部からはたんなるキワモノ映画のように見られているものの、あの映画は カトリック教会の正式な協力を得たうえで製作されていたのだ。
じつをいうと、わたしはそのことをはじめて知ったときかなり驚いた。ショッキングな恐怖場面 が売り物のハリウッド製ホラー映画に、なぜカトリック教会が協力を惜しまなかったのか? あの映画の“宗教的意義”とはいったいどこにあるのか? そんな疑問を持っていたわたし は、2005年の朝日新聞に掲載されたひとつの記事を読んでさらに驚くことになる。その記事 によるば、現代のイタリアでは悪魔憑きに苦しむ人たちが急増しており、教皇庁立の大学で はエクソシストをめざす人たちのために公開講座が開かれているというのだ。
ローマ・カトリック教会のお膝元であるイタリアで悪魔憑きが急増? しかも、あのバチカンが エクソシストを育成している? これはよくある「闇に隠されたバチカンの秘密」などといった タイプの陰謀説めいな話ではない。一般にも公開されているまぎれもない事実だ。それでい て、わたしたちは現代における悪魔祓いの実態などはほとんどなにも知らない。下手をすれ ばカトリック教会のイメージダウンにもつながりかねない前時代的ともいえる儀式を、なぜバ チカンは公認しているのか? そんな疑問に答えてくれるのが、本書『バチカン・エクソシスト』 である。
本書の著者トレイシー・ウィルキンソンはUPI通信記者を経て《ロサンゼルス・タイムズ》の記者 となり、現在では同紙イタリア支局の支局長を務めている。もともとはユーゴスラビア紛争関連 の記事をおもにあつかっていた人で、ボスニアやコソボでの優れた活動が認められ、ジャーナ リズム界で権威があるとされるポルク賞を受賞しているという。このウィルキンソンも、2005年 に教皇庁立レジーナ・アポストロール大学でエクソシスト講座が開かれたニュースに興味を持っ たひとりだったらしい。彼女は実際にイタリアに住んでいるというメリットを生かし、長年にわたっ て築きあげてきた人脈と旺盛な取材力を駆使して、ジャーナリスティックな視点から本書を書き あげた。
本書はまず、カトリック教会における悪魔祓いの歴史をコンパクトかつ詳細に教えてくれる。約 2000年の歴史を持つカトリック教会において、悪魔祓いがいかに位置づけられ、どのように行 なわれてきたのか? その背景にあるのはどんな思想なのか? エクソシストは基本的にどの ような儀式を行なうのか? こうした“知ってるつもりでじつは知らない悪魔祓いに関する基礎知 識”を、本書はわかりやすくきっちりと押さえている。そういう意味では、悪魔祓いの儀式に関す る入門書としてはうってつけの一冊だといえるだろう。
しかし、なんといっても本書の最大の読みどころは、著者が実際に取材したエクソシストや悪魔 憑きの犠牲者たちのエピソードが語られる部分にある。ひとことでエクソシストといっても、その 活動ぶりはじつにさまざまだ。なかにはなかばいやいや使命を果たしている者もいるし、カルト 宗教すれすれの活動を行なっている者もいる。これとおなじことは、悪魔憑きの犠牲者にもいえ る。驚くのは、犠牲者のなかに現代科学を信奉している現役の医師までもがいることだ。著者の ウィルキンソンはそうした人々に密着取材を行ない、彼らの偽らざる本音を引きだすと同時に、 心の奥に隠された闇を解き明かしていく。その過程はじつにスリリングであり、実話ならではの 迫力に満ちている。
本書を読み終えた読者は、おそらく誰もがひとつの素朴な疑問を持つのではないかと思う。「欧米 における悪魔祓いの実態はよくわかった。でも、この日本ではいったいどうなっているのだろう?」 今回わたしは、本書を翻訳するにあたり、ローマ・カトリック教会の日本支部である〈カトリック中央 協議会〉の広報の方から実際に話を聞くことができた。立場上名前は伏せてほしいというその方 は、個人的に悪魔祓いについて調べたことがあるといい、そのあたりの事情にとても明るかった。
結論からいえば、日本のローマ・カトリック教会の公式なエクソシストは存在しないという。「カトリック の司祭は、叙階と同時に誰もが祓魔師(悪魔祓い師)の権能を授けられています。しかし、実際の 祓魔を行なうエクソシストは非常に高い徳性と経験を求められます。誰にでも行なえるというもので はありません」と、その方は話してくれた。「日本で最近祓魔が行なわれたという話は聞いておりま せん。過去の古い時代に、外国人宣教師が祓魔を行なったという話は伝わっています。しかし、日 本人の司祭が祓魔を行なったという話は聞いたことがありません」 ではなぜ日本では悪魔憑きの 事例がほとんど報告されないのか? 「それはやはり、土壌の問題が大きいと思います。キリスト教 文化がしっかり根づいている欧米と違い、日本は宣教によってキリスト教が持ちこまれた国です。 キリスト教が国家的な宗教になっているわけではありません。そこが大きなポイントでしょう。また、 悪魔憑きの背後にあるのは、神と悪という二項対立の概念です。キリスト教文化において、人はこ の二者択一を迫られます。こうした概念は日本にはありません。悪魔憑きに似たものとして、日本 には狐憑きなどがありますが、あれは二項対立的な概念ではなく、もっと混沌としたものです。どち らかといえば、妖怪のようなものに近い。欧米における悪魔とは性格がまったく違います。こうした 土壌や文化の違いが、日本で悪魔憑きがほとんど起こらない理由といえるでしょう」
じつをいうと、実際にインタビューするまえでは、カトリック教会の方にエクソシストの話など訊いた ら、にべもなく取材を断わられるのではないかと思っていた。しかし、わたしが質問をぶつけた〈カト リック中央協議会〉の方は、穏和な口調で丁寧に答えてくれた。そして、最後にこうつけくわえた。 「祓魔というと、センセーショナルなイメージが先行します。しかし、これだけは理解してください。祓 魔はあくまで、苦しんでいる人を救済するためのものです。なによりも重要なのは、この“救済”に あるのです」
本書の翻訳にあたっては、さまざまな書籍を参考にした。なかでも、1999年に刊行された島村菜津 氏の「エクソシストとの対話」(小学館)からは得るところが非常に大きかった。人名の表記や典礼の 文句など、参考にさせていただいた部分も多い。ここに記して感謝したい。なお、本文中に聖書の 引用は、すべて日本聖書協会が刊行している新共同訳版に従っている。また、教皇の一般謁見 演説に関しては、〈カトリック中央協議会〉のホームページを参考にさせたいただいた。 |
プロローグ
第一章 現代の悪魔祓い師たち 小説の中にこんなセリフがある。「悪魔祓い師に会いたければタイムマシンで16世紀に
第二章 儀式は聖水とともに始まる カトリック教会が認定する聖人を祈ることによる「奇跡的な治癒」。悪魔祓いもこれと似た
第三章 歴史 前ローマ法王のヨハネ・パウロ二世は、その在任中に三度エクソシストとして悪魔祓いの
第四章 横顔 エクソシストたちは一様ではない。悪魔祓いを負担に感じる者、バチカンの規則にあえて
第五章 悪魔に憑かれた三人の女性 「悪魔が今ここにいるわ」。雑談のさなかに痙攣をおこしたその女性の言葉にわたしは動揺
第六章 悪魔崇拝者たち 五芒星、逆さにした十字架、人間の頭髪と歯を使って相手を呪う黒ミサに熱中する若者た
第七章 教会内部の対立 信仰に理性をもたらしたとされる第二バチカン公会議の規則改訂。この結果「悪魔祓い」に
第八章 懐疑主義と精神科医 脳の各部位の相互連絡がうまくいかず、無意識の行動をとる「解離」。精神科医は「憑依」
エピローグ
訳者解題・・・日本のカトリック教会の場合・・・ |