ホピ族 カチナ ポストカード「Beatutyway」より引用




カチナ 

「アメリカ先住民の宗教」P・R・ハーツ著 西本あづさ訳 より引用 





最も複雑で神聖な衣装といえば、ホピ族やその他の南西地方の部族のカチナの衣装であろう。

カチナとは、ホピ族が最初に地下から現れた時に儀式や習慣を教えてもらった神聖な祖先の

精霊たちである。カチナは何百もいるが、それぞれが一目ですぐに見分けられる独特な様式化

された特徴を持っている。カチナにはいくつもの自然界を象徴する要素が含まれている。彼らは

動物の精霊と植物の精霊の両方を体現しており、それと同時に、空や太陽、天候、戦い、怪物、

聖なる道化など多くのものを表している。彼らは精霊の世界を象徴しているので、その姿は写実

的である必要はない。例えば、あるカチナの髪は小麦や羽根、あるいは花でできているかもしれ

ないし、場合によっては、雨が降る様子を暗示するためにそれが切られることもあるだろう。顔

は、虹であったり、動物の鼻であったり、縞や図案の組み合わせだったりする。さらにカチナは、

例えば特定の動物の毛皮や、特徴ある模様の毛布、武器、楽器、植物といった、はっきり目安

になる特別な品を持っていたり、身につけていたりする。ホピ族の人々は、カチナの衣装と仮面

をつけた踊り手には、そのカチナの精霊が宿ると信じている。カチナの踊り手を通じて、部族の

人々の祈りは宇宙の高き存在の力により速く届くのだ。


 


「アメリカ先住民を知るための62章」阿部球理・編著 
第47章「カチーナとカチーナ人形・・・・乾燥地に降雨をもたらす超自然的存在」伊藤敦規 より抜粋引用


母系出自集団を形成している米国南西部のプエブロ諸部族は、伝統的にトウモロコシや豆類やカボチャなどを育て、

農耕に関する複雑な神話・儀礼を発展させ継承してきた。例えばアリゾナ州北東部に保留地を有するホピの男性は、

母方のクラン(神話上の関係で結ばれた親族集団)成員が所有する土地で農作物を栽培し、冬至から夏至までの一年

間の約半分をさまざまな儀礼の執行と準備に費やす。彼らの規範的生活様式は、主要農作物であるトウモロコシの

成長に欠かせない年間の太陽の動きと宇宙観、そして乾燥した大地に恵みの雨をもたらす雨雲と雨や雨雲の化身と

されるカチーナ(katsina)への信仰と密接に関連している。



カチーナとは、人間と創造主の中間的存在であり、祖先(死者)の霊魂や自然界の多様な事象を体現する超自然的

存在のことである。ホピでは、カチーナは冬至から夏至にかけて、人びとが生活する村落一帯や乾燥した大地に恵み

の雨をもたらすためにやってくると信じられている。一方で雨雲の姿で村にやってこない期間は、ホピ保留地から南西

へ約150キロ離れたフラッグスタッフ市の聖地サンフランシスコ連峰や、13あるホピの村落近郊の各所に点在する泉の

周辺などの聖地に滞在するとされる。カチーナの来訪は、村落の広場や地下の礼拝所などで執行される儀礼時に、

特定の宗教結社に加入した男性成員が仮面を被って再現される。つまり仮面儀礼である。ただし人間が仮面を被って

カチーナに扮していることは、特にカチーナ結社に未入会の子どもたちには秘密とされる。カチーナ、天空神や豊穣神

などの特定の神々、人間とカチーナの中間的存在であるマッドヘッドや道化などの種類で役割は多岐にわたり、近年

では現れなくなったものを含めると300種以上が知られている。



それらをかたどった木彫人形は、ホピ語では「人形」を意味するティフ(tihu)と称される。例えばズニではコッコというよう

にプエブロ諸民族では各々の言語によって呼称が異なるものの、総称としては一般名詞化している英語のカチーナ人形

(kachina doll)が用いられる。



カチーナなどを象(かたど)った木彫人形の製作者は、文化的規範に沿うと男性ということになっている。その材料は

コットンウッド(ヒロハハコヤナギ)の根が用いられることが多い。木の根を手刀で削り、天然顔料やアクリル絵の具で

彩色し、羽根や動物の毛皮などで装飾する。工程は、分業制ではなくすべて一人で行われる。完成した人形は、村落で

開催される儀礼時に、カチーナ(に扮した男性)によってイニシエーションを経る前の女児に手渡しで捧げられる。受け

取った女児は、それを家屋にもち帰り壁に吊したり、赤子をあやす玩具として用いる。その後、カチーナの役割や儀礼

に登場する時期などを母方オジや父から学ぶのである。





2012年2月26日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

ホピ族カチナ



カチナとは精霊のことであるが、今から20年前に聞いた奇妙な話が心に残っている。当時

カトリック信者の掲示板があり、名前は失念したが、大学の講師の方も書き込みをしていた。

その方は哲学が専門で、一時デンマークだったか北欧に留学していたとき、その国のおばあ

ちゃん達が全く不思議そうな顔も見せず、当たり前のように「妖精を見たことがある」と話す

のを聞いて驚いてしまったと書き込んでいた。



私はまさかそんなことがあるわけがない、と最初に思ったが、その方がでたらめを書き込む

ような人でないことはそれ以前の書き込みなどなどから知っていたし、カトリック信者でもある

彼がそんな話を敢えて持ち出すわけがないと思い真剣に聞いていた。



私は妖精に限らず精霊を見たことはないのだが、それから何か違う世界がこの世にあるの

ではないかと漠然と感じたりもしていた。正直今でもこの話をどう捉えていいのか私にはわか

らないが、北欧のおばあちゃん達が見たものを否定することは、そのおばあちゃんの存在

自体を否定することに繋がることは確かなことだ。



自分の経験や価値観で、人の存在を否定することほど傲慢なことはない。相手の視点と同じ

目で見ることは不可能だが、自分が相手の視点まで降りていく(見下すという意味ではありま

せん)努力なしには自分との接点は見つからないだろうし、他者の存在という重みを自分の

心に感じることもない。



偉そうに書いてしまったが、過去に白人達がインディアンに自分たちの文化や宗教を強要

たのと同じように、私も他者に対して日常の生活の中で同じことをしているのではないかと

いつも思う。ただ相手の視点が他者を抹殺するようなものである場合は、戦うことを恐れては

いけないのかも知れない。



☆☆☆☆



トウモロコシ畑の片隅で、

鳥たちが歌声をあげ、

ひとつになった幸せを歌いあげるだろう。

彼らは、宇宙の力と、

あらゆるものの創造者との調和に合わせて

歌声をあげるだろう。

鳥が歌い、そして人々も歌い、

やがて命の歌がひとつになる。



ロングヘヤー・カチナの歌(ホピ族)

「風のささやきを聴け」より引用

☆☆☆☆



(K.K)



 







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