「ちいさな労働者 写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち」
ラッセル・フリードマン著 千葉茂樹 訳 あすなろ書房
これは今から100年前のアメリカの姿である。しかし児童労働それは現代でもまだ世界
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本書より引用 ハインはカメラを抱えて街に出て、ふだんは表に出ることのない悲惨な環境のもと、安い 賃金で長時間働かされている大人や子どもたちの姿を撮影しました。薄ぎたない狭い部 屋で大家族が暮らし、働くさまを写真に撮るために、エレベーターなどない高層の安アパ ートの階段をのぼりつめることもしょっちゅでした。ある夜、5人の家族がキッチンのテー ブルについて、薄ぐらい灯油ランプの下でワスレナグサの造花を作るようすを撮影しまし た。「アンジェリカは3歳、花びらをばらばらにし、花心をさしこみ、茎にのりづけしていきま す。1日に540個の花を作るのですが、それはたったの5セントにしかなりません」 ハイン はそう報告しています。5セントといえば、せいぜいパンをひとつ買えるか買えないかといっ た金額です。 ハインが訪れたほかの安アパートには、バラの造花を作っている家族もありました。「朝 の8時から夜の8時、9時まで家族総出で働きづめに働いても、できあがるのはせいぜい 150本、1、2ドルにしかならないのです」 ハインはそう書いています。 「造花作りは安い 仕事です。こんな安い仕事をするのは、わたしたち以外にはいないでしょう。 この家族 の母親はそう語っています。 こうした撮影の対象を通して、ハインは自分の目で見た貧しさと悲惨な状況に心を揺さ ぶられ続けました。写真を通して社会的な不公正を正し、弱者への同情の気持ちを表現 したいという信念が彼の中に生まれました。 1908年、全米児童労働委員会は、ハインに子どもの不法な労働をなくすキャンペーンの ための専属のカメラマンになってくれないかと申し出ました。子どもからの搾取というこの 時代の最大の問題のひとつに対して、カメラを武器に闘ってほしいというこの申し出を大 きなチャンスと考えたハインは、エチカル・カルチャー・スクールに辞表を提出しました。 しかし、気持ちは子どもたちを思う教師のままでした。ハインはそのときの心境をこう語っ ています。「わたしは教育者としての努力の対象を、教室の生徒から世界中の子どもたち に広げたにすぎません」 ルイス・ハインは貧困の中で死んでいきました。彼の死に注意をはらう人もほとんどいま せんでした。しかし、その後、彼の評価は高まり続け、今日では、アメリカが生んだ偉大な 写真家の一人として認められています。彼の残した写真は、アメリカの歴史を語る大切な 記憶として受け継がれていくことでしょう。彼の写真は、ほとんど労働が現在よりもはるか に過酷だった時代に、幼い子どもが大人と同じように働いていたことを思い出させてくれる でしょう。 左ページの写真を見てください。80年という時間の向こうから、カリフォルニア州の紡績 工場で働く一人の少女が私たちのことをまっすぐに見つめています。彼女の瞳は、残酷 なほどきびしい労働につく少女の苦しみを訴えかけてきます。しかし、ハインはこの一枚 の写真の中に、彼女の人間性と、威厳と生命力をもとらえているのです。 あるとき彼の友人が、ハインがとらえた子どもたちは、どうして美しいのだろうとたずねた ことがあります。それに対してハインはこう答えました。 「わたしはただ、美しい子供たち を写しただけです」 おそらく彼は、子どもの気持ちをとらえる方法を知っていたのでしょう。 おそらく彼の微笑み、やさしい言葉、手のぬくもりが、彼が子どもたちの仲間であることを 知らせたのでしょう。彼はすべての子どもの中に美を見いだし、子どもたちは彼を信頼し きって、彼の向けるレンズに応えたのです。 ルイス・ハインがとらえた働く子どもたちの姿は、アメリカの良心をゆさぶり、法律の改正 をうながしました。彼の旧式の箱型カメラと共感にあふれる目が、アメリカ人の意識を根 底から変え、アメリカという国のあり方をも劇的に変えたのです。 |
本書 著者あとがき より引用
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本書 訳者あとがき より引用
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ルイス・ハインが撮った子どもたちの写真の一部 |
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2012年2月10日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。 |