ファティマの聖母マリア
1970年前後に作られたファティマのスライド写真 「Brunner & C.-COMO Printed in Italy」 50年近く経った現在、スライド写真は全て赤く変色しております。 私自身が色の修正をしたものと、スキャナーから読み込んだ 原版の両方を掲載します。 |
苦行の巡礼者
「奇蹟の聖地 ファチマ」矢代静一・文 菅井日人・写真 より以下、抜粋引用。 野宿 ファチマ駅から巡礼者たちといっしょにバスに乗りました。5月12日の午後です。巡礼者はさまざまですが、もち ろん魂の平安を願う敬虔な人たちです。老いたる病身の母に付添っている若い息子。ピクニックのような気軽さ で談笑している家族連れ。もっともなかには、奇蹟の場所をこの目で確かめたいという好奇心でやってきた人も いることでしょう。野越え丘越えといった按配で、バスは田舎道をのどかに走っています。窓外を見やると、徒歩 で列をなして、ゆっくり歩いている集団が目に入りました。 A君が教えてくれます。「彼等は、自分の家から1週間とか10日かかってやってくるんだ。みずから苦行を課し、 食糧を背負って、野宿して、裸足で聖母マリア様のものにはせ参じるわけです。こういった素朴な信仰心をポルト ガルの人たちは持っている。僕は信者じゃないが、こういったひたむきさには素直に頭をさげますよ」 喜びの涙 バスが、1時間ほどして、バジリカ(大聖堂)の建っている広場の前に着きました。こここそコーワ・ダ・イリアなの です。かつては石ころだらけの野原(牧場)でした。 なんの変哲もない寒村に、突然降って湧いたように、魂を護る荘厳なお城が出現したという按配です。 既に広場には、たくさんの巡礼者たちがぬかずいています。ふと一組の老夫婦が目に入りました。5月とは言え、 暑い日射しで、老婆は日傘をさして、老爺の脇に控えています。老爺はと言えば、ひざまずき、小さな杖を支えに して、ゆっくりゆっくりそのままのつらい姿勢で聖堂の方に進んでいます。膝当てを、膝小僧や足がすりむけない ように当てています。でも血がにじんでもいます。ストイックな表情です。笑顔ではなくて厳しい表情です。涙がした たり落ちそうですが、その涙は、むろん喜びの涙なのであります。 |
本書 「ファチマの旅」 流れ星に願いをこめて 菅井日人 より抜粋引用。 5月12日 晴れ 今朝も快晴。太陽は夏のように強くなった。いよいよ今夜は前夜祭である。ホテルの外の通りは非常に騒々しく なった。逆に落着きはらった僕らは、人とぶつからないよう注意しながら広場を抜け、大聖堂の右手の聖母出現 のチャペルへ行って見た。聖母のメッセージの通り、人々は悔い改めと、犠牲のために、難行苦行をくり返し 行っていた。チャペルをとりまく大理石の道は異様な雰囲気で、汗にまみれ、膝がすりむけ、血を流し、歯をくい しばってロザリオを唱える巡礼者でいっぱいであった。みなが福音書の中の放蕩息子のように、罪の許しを求め、 生活を改めるよう嘆願しているのだろうか。近くにある聖母への奉納したロウソク群は、どのロウソクも燃えさかり ながら不思議にも全て曲がっていた。ロウソクの体が人々の苦しみを表わし、その願いとともに天に昇らせている のであろうか。 |
Ainda se pagam promessas de joelhos?
Fatima. As primeiras imagens dos peregrinos no santuario
Explosao de emocoes na chegada ao Santuario de Fatima - Renascenca
Ainda se pagam promessas de joelhos?
SIC Noticias | Peregrinos vao chegando a Fatima
Cadernos da Libania: Maio 2017