「奇蹟の聖地 ファチマ」矢代静一・文 菅井日人・写真 講談社 1987年刊











本書「奇蹟の聖地ファチマ」(1987年刊)より抜粋引用。





幼い羊飼い


それは今から70年ほどの前のことでした。1917年、ポルトガルの片田舎、ファチマ村に3人の子供が住んで

いました。9歳になるフランシスコと妹の7歳のヤシンタ、それから従姉の10歳になるルチアです。どちらの

両親も貧しい農夫で、3人とも小学校には通っていませんでした。ファチマ村では、それは当り前のことだっ

たのです。彼等の日課は羊の番をすること、つまり羊飼い、牧童でした。フランシスコはちょっとした美少年

で、思慮深い性格、ヤシンタは活発で愛くるしい子でしたが、デリケートな性格。そして、ルチアは、濃い眉、

きつそうな目、厚い唇から察せられるように、きかん坊でした。そんな3人ですが、共通点はあります。それ

は神様を心からお慕いしていたことです。



ルチアは「聖母マリア様はどんなお顔?」と、のちにきかれたとき、ただ一言、「ひかり」と答えただけでした。

言葉では語りつくせない神神しい美しさに溢れていたからでしょう。





水晶の像


三人の小さな羊飼いたちは、その日もカペソの丘の上で羊の番をしていました。雨が降ってきたので洞窟で

雨宿りしていると、まばゆい不思議な光がやってきて三人を包みます。思わず外を見やると、雨はもう止んで

いて、オリーブの木の上の方に、真白な人影のようなものが見えるではありませんか。それはまるで雪の像

か、透きとおった水晶の像のようで、ゆうらりゆうらり揺れています。14.5歳の気高い少年のようで、手には

カリス(聖杯)とホスチァ(聖餅)を持っていて、ホスチァからは血がしたたり落ち、カリスの中に流されて行き

ます。やがて、そのカリスとホスチァを空中に残したまま、近寄ってくるではありませんか。小さな羊飼いたち

の驚きはいかばかりだったことでしょう。涼し気な声が聞こえてきます。



「こわがらないで、私は平和の天使です」



「みなさん、私はポルトガルを守る守護の天使です。主があなた方に贈られる苦しみを勇気を持って引き受け

なさい、祈りなさい、イエス様聖母マリア様は、あなた方を憐れんで下さるでしょう」



守護の天使は、ルチアの家の井戸端にも現れています。



守護の天使がやってきたのは、やがて尊いお方がお越しになるということを、前もって知らせるためでした。

小さな羊飼いたちに心の準備をしておくよう、神様がとりはからったのです。そしてその通りになりました。この

物語のはじめに記したように、小さな羊飼いたちは、やがて美しい女性とお会いすることができるのです。





ひかり


守護の天使がやってきたのは、やがて尊いお方がお越しになるということを、前もって知らせるためでした。

小さな羊飼いたちに心の準備をしておくよう、神様がとりはからったのです。そしてその通りになりました。この

物語のはじめに記したように、小さな羊飼いたちは、やがて美しい女性とお会いすることができるのです。



それは1917年5月13日のことで、場所はコーワ・ダ・イリア。つまり、土地の人が『聖女イリアの窪地』と呼んで

いる牧場でした。美しい女性を目のあたり見たとき、ルチアは、「あ、聖母マリア様!」と心の中で叫びました

が、あわてて打ち消しました。「そんな・・・恐れ多い、私は幻を見ているのだわ」



美しい女性は、18歳ぐらいに見え、太陽の光の中で輝くばかりの美しさでした。そのお顔、そのお姿は、これま

で見た聖母マリア様や聖女たちの御絵とはくらべものにならないくらいの気高さなので、感動したルチアは思い

きって声をかけます。



「あなたは、どちらからいらしたのですか」

「天国からまいりました」

《やっぱり・・・まさか・・・》。ルチアの小さな顔は喜びと疑いで、くらくらしてきました。気を取り直して、もう一度

尋ねます。

「どうして、こんなところに」

「あなた方が、毎月、13日のこの時間に、ここへ来て下さるようお願いしにまいりました。10月になったら、私が

なにものかお教えしましょう。そして、私が何を望んでいるかも」

《私のような貧しい子供に、こんなに丁寧な言葉をかけて下さるなんて・・・やっぱり・・・まさか・・・》

「あなた方は天国に行けるでしょう」

美しい女性は組んでいた両手をお開きになりました。すると、神秘的な光が、小さな羊飼いたちの上に溢れん

ばかりに射し込んでくるのでした。





少女ベルナデッタ


噂が広まるにつれて、村の人たちは3人の子供のことを好奇心の目で眺めるようになりました。軽蔑のまなざし

で見つめる大人もいます。信仰の厚い人ほど、我慢ならなかったのでしょう。3人の子供たちが通りすぎると、

聞えよがしに言うのでした。



「なんという大嘘つきの餓鬼どもなんだ!」

「いやってほどぶんなぐって、目をさましてやりたいくらいだよ!」

「みろ、ベルナデッタ気取りで、お高くとまっていやがる!」

7歳のヤシンタは10歳のルチアにききます。

「ベルナデッタってどなた?」

10歳のルチアは、たどたどしげに答える。

「たしか・・・やはり、聖母マリア様とお会いしたフランスの女の子じゃないかしら?」



そうです。ベルナデッタはフランスのピレネー山脈の麓にあるルルドという片田舎の貧しい粉屋の娘でした。

14歳のとき、薪拾いに近くのカブ川のほとりに出かけたとき、洞窟の上に立っておいでの聖母マリア様のお姿

を見たのです。両手を胸のあたりに組合せ、曽於手には金色の鎖につづられた白い球のロザリオがさがって

いました。雪のような真白な衣の上に、頭から裾まで白いヴェール(マント)をかぶり、水色の帯を結んでおいで

でした。



どうです。ルチアたちが拝んだお姿と比べてごらんなさい。フランスの片田舎とポルトガルの片田舎、川のほと

りと牧場という違いこそあれ、おどろくほどよく似ているではありませんか。



似すぎているからこそ、大人たちは、ルチアのことを非難したのでしょう。



このベルナデッタといい、さきのジャンヌ・ダルクといい、聖母マリアや守護の天使が御姿を現わしたのはみん

な小さな子供たちの前にでした。まことに、「汝幼な児のごとくあらざれば、神の国に召されること叶わず」です。

それなのに、大人は、ルチアたちのことを悪魔にそそのかされたとささやくのでした。



「聖処女 ベルナデッタの歌」 を参照されたし。





茨に囲まれた心臓


1ヶ月後の6月13日がやってきました。ルチアたちは親の反対を押し切って、コーワ・ダ・イリアに行くと、約束

通り、美しい女性は光とともに、柊(ひいらぎ)の上に姿をお見せになり、おっしゃいました。



「毎日ロザリオを唱えてお祈りすること。読み書きができるよう勉強すること。来月の7月13日にまたここにくる

こと。まもなくヤシンタとフランシスコを天国に招きますが、ルチア、あなたは地上に残るでしょう」



のちにシスター(修道女)になったルチアは次のように述べています。



「あのとき、聖母マリア様は、両手をお開きになって、私たちの上にあの輝く光を放たれました。フランシスコと

ヤシンタは天へ昇って行く光の中に、私は地上に拡がって行く光の中にいました。マリア様の右手前には茨に

取りかこまれ、方々に棘が突き刺さっているハートが、ゆうらりゆうらり揺れていて、これこそ、マリア様の汚れ

なきみ心なのでした」



みなさんの中には御絵でみた人も多いことでしょう。





地獄


ルチアは小さな頭で考えるのでした。「ヤシンタとフランシスコが天国に召されるというのは、死んでしまうという

ことなのかしらん。そして、私一人をこの地上に残すのは、きっと、あの棘の突き刺さっているハートのように、

罪深い人たちのために、ともに苦しむようお命じになったのだわ」



7月13日がやってきました。この日、美しい女性は、恐ろしい光景をルチアにお見せになりました。



いつものように両手をお開きになると、左右の手から光が溢れ出、火の海になり、そこには人間の形をした悪魔

が、真赤に焼け、真黒にこげ、もがき苦しんでいるのです。それは間違いもなく地獄でした。ルチアは美しい女性

に教えられた通り、祈りました。「ああ、イエス様、私たちの罪を許し地獄の火から逃れさせて下さい。すべての

人の霊魂を天国へ導き給え」。その日から小さなルチアは尊い重荷を背負うことになるのです。





野宿


ファチマ駅から巡礼者たちといっしょにバスに乗りました。5月12日の午後です。巡礼者はさまざまですが、もち

ろん魂の平安を願う敬虔な人たちです。老いたる病身の母に付添っている若い息子。ピクニックのような気軽さ

で談笑している家族連れ。もっともなかには、奇蹟の場所をこの目で確かめたいという好奇心でやってきた人も

いることでしょう。野越え丘越えといった按配で、バスは田舎道をのどかに走っています。窓外を見やると、徒歩

で列をなして、ゆっくり歩いている集団が目に入りました。



A君が教えてくれます。「彼等は、自分の家から1週間とか10日かかってやってくるんだ。みずから苦行を課し、

食糧を背負って、野宿して、裸足で聖母マリア様のものにはせ参じるわけです。こういった素朴な信仰心をポルト

ガルの人たちは持っている。僕は信者じゃないが、こういったひたむきさには素直に頭をさげますよ」





喜びの涙


バスが、1時間ほどして、バジリカ(大聖堂)の建っている広場の前に着きました。こここそコーワ・ダ・イリアなの

です。かつては石ころだらけの野原(牧場)でした。



なんの変哲もない寒村に、突然降って湧いたように、魂を護る荘厳なお城が出現したという按配です。



既に広場には、たくさんの巡礼者たちがぬかずいています。ふと一組の老夫婦が目に入りました。5月とは言え、

暑い日射しで、老婆は日傘をさして、老爺の脇に控えています。老爺はと言えば、ひざまずき、小さな杖を支えに

して、ゆっくりゆっくりそのままのつらい姿勢で聖堂の方に進んでいます。膝当てを、膝小僧や足がすりむけない

ように当てています。でも血がにじんでもいます。ストイックな表情です。笑顔ではなくて厳しい表情です。涙がした

たり落ちそうですが、その涙は、むろん喜びの涙なのであります。





キャンドル行列


5月12日夜9時半、いよいよ前夜祭が始まりました。大広場には、世界の各地からやって来た巡礼団が続々と

つめかけてきます。あとで聞いたところによると、30万人の人出だったそうで、彼等は、スピーカーが伝える式

次第に従って聖歌を頌(うた)い祈り、歩を進める。キャンドル行列です。その光景はかつて私が立ち会った

ルルドの夜と似ていました。



「・・・日が暮れると、手に手にロウソクを捧げ持った信仰厚い人々が行列し、神を賛美し、神の御旨のままに

流れて行くのである。広々とした黒い空の下に、だいだい色の光の輪。心の安らぎを求めて、いいえ、心の安らぎ

を得た人々が無心に歌う『アヴェ・マリア』『クレド』。一つのミクロコスモス(小宇宙)に全員すっぽりはまり込んだと

いう感じで、こういう奇妙な体験と透明な感動は、日本人である僕のこれまでの生活の中にはなかった・・・」。まさ

しく形而上学的な生を満喫したことになります。





曲りくねったロウソク


翌5月13日正午、小聖堂から聖母マリア像が運び出されます。この小聖堂こそ、かつてルチアたちがその目で

しかと見たマリア様出現の場所です。たくさんの白い花々の茵(しとね)の上に立って祈っておいでの優雅なマリア

像は、まるで生きているよう。巡礼者たちは、白いハンカチを打ち振り、花々を投げかけ、通りすぎるマリア像に

喜びの声で応える。やがて、大聖堂の祭壇の右に安置されます。



「あれを見てごらん」とA君がささやきました。祭壇脇のロウソクを奉納する場所には、細くて長いロウソクが所狭

しと捧げられていました。ちゃんと立っていののもあれば、ゆらゆらと頼りなげに炎を揺らし、やがて曲がりくねっ

て燃えつき、その身を横たえているロウソクもありました。このさまざまなロウソクの姿こそ、私たち人間の、さま

ざまな精神状態を象徴しているのではないでしょうか。マリア像は心なしかロウソクの行方を見守っているように

思われました。





嘘つき子供


さて、話を1917年の7月に戻すことにしましょう。



ルチアたちがマリア様を見たという噂は、ファチマ村だけでなしに、ポルトガルの各地に次第に広まるようになり

ました。ルチアの言葉を信じる人も信じない人も、コーワ・ダ・イリアにやってくるようになり、記念だとばかり、

マリア様のお立ちになった柊(ひいらぎ)の木の小枝や葉っぱは千切られ、まわりの畑は見物人のために荒さ

れ、ルチアたちはおちおち羊の番もできなくなる仕末となりました。



現在のファチマ村にも、当時の雰囲気を伝えるような柊の木立の木陰に、小さな御堂が建てられています。です

から、巡礼者たちは、そこでマリア様と出会い、追体験ができます。つまり、ルチアたちのように至福の時間を

ひとときここで過ごすのですが、当のルチアたちは、かわいそうに、「嘘つき子供」として裁かれるようになってしま

うのです。





騒ぎ


当時のポルトガルは、反宗教(カトリック)運動が盛んでした。又、頭の固い信者たちが多かった。むろん、俗な

言い方をすれば、ルチアファンの信者もたくさんいました。それはちょっと、原始キリスト時代のパレスチナと

シチュエーションが似ています。パレスチナを支配しているローマ帝国の軍隊、彼等は宗教(ユダヤ教と原始

キリスト教)運動を警戒し、監視していました。そして、イエス・キリストをユダヤ教の異端者たちと極めつけていた

パリサイ人、更に、イエスの言動を崇める信者たちと、宗教について考え方の違うグループが三つ巴となって入り

乱れていました。そういった情勢の中で、かのマグダラのマリアは、埋葬された墓の中から復活したイエスを見た

と、言い張ったのです。



「マグダラのマリアは弟子たちのところに行って、自分が主(イエス)に会ったこと、またイエスがこれこれのことを

自分に仰せになったことを報告した」(ヨハネ福音書、第20章)



ルチアもまた、美しい女性(マリア様)に会ったことを両親に告げました。そして、マグダラのマリアが多くの人々

から冷たい目でみられたように、ルチアも、うさんくさい目でみられるようになったわけです。



マグダラのマリアの前に復活したイエスが出現したことを告げ知らせたとき、弟子である12使徒のトマスは、こう

言いました。



「私は、その手(イエスの手)に釘あとを見、私の指をその釘あとにさし入れてみなければ決して信じない」(同)



ポルトガルの敬虔な信者たちの中にも、このトマスと同様の想いを抱いた者が多かったのです。まして反宗教

主義者たちが、ルチアたちを「嘘つき子供」と非難したのは無理からぬことでした。



かくして、ポルトガルの人たちは、次第次第に、このファチマ村の事件に関心を持ち始め、騒ぎは大きくなりま

した。そこで、おえら方たちがいよいよ登場することになるのです。





牢屋での祈り


復活して8日ののち、イエスはトマスの前に現われました。感動しておそれおののいているトマスに言います。

「あなたは、私を見たので信じたのか。見ないで信じる者は、さいわいである」。(ヨハネ福音書、第20章)



さて、おえら方たちは、とうとう、3人の小さな羊飼いを両親ともども裁判所に呼び出しました。それは8月13日の

ことでした。コーワ・ダ・イリアでは、既にたくさんの人々がルチアたちの到着を待ちかねています。ものの本に

よると、1万8千人の大群衆だったそうで、道にも畠にも、彼等が乗ってきた車や馬や自転車がめったやたらに

置かれてあったということです。



おえら方にとっては、マリア様が出現したなんてとんでもない滑稽な出来事です。けれど、いまは嘲(わら)って

黙殺するわけにはいかなくなりました。見ないで信じる群衆が動き出してしまったからです。



おえら方たちは、ほとほと手をやきました。子供たちがどうしても見たといいはるからです。

「では、一つ、聞くが、マリア様は、なにかお告げになったんだろうね」

「はい」と、ルチアは答えます。

「教えておくれ」

「いいえ、マリア様が秘密になさいとおっしゃいましたから、言えません」

その秘密とはなんだったのでしょうか?



おえら方たちが、「お金をたくさんあげるから白状しなさい」と丸めこんでも、また、「しゃべらないと油揚げにして

しまうぞ」とおどかしても無駄でした。それで、とうとう3人は牢屋に入れられてしまうのです。ならず者の囚人たち

も、そんな子供を見て、さすがにかわいそうと思ったのでしょう。いっしょにロザリオの祈りを唱えてくれました。



ルチアのいる牢屋に神秘の光が薄く射し、マリア様のお声が聞こえてきます。「罪人のために祈りなさい。彼等

が救われるよう祈りなさい」





苦行


ルチアたちの態度があまりにもかたくななので、おえら方たちは、「こいつらは神がかりにあっている、これ以上

おどかしても無駄だ! 仕方ない、家へ帰すことにしよう」とあきらめざるを得ませんでした。家に戻ってからも、

ルチアたちのマリア様への崇敬はいよいよつのるばかりでした。或る日、羊の番をしているとき、ルチアは道端

に太い綱が落ちているのを見つけました。彼女はその綱を胴のまわりにくくりつけて、思い切り強く締め上げます。

「痛いわ、苦しいわ」とルチアは思わず叫ぶ。「なにしてるの?」と、ヤシンタとフランシスコがのぞきこむ。ルチアは

真剣な顔で答えました。



「いいこと、マリア様はね、『罪人のために我が身を犠牲にしなさい』とおっしゃったわ。だから、私は今日からこの

綱を胴に巻いて苦行するの」「私もするわ」「僕もしよう」。



こうしてその日から、3人は「苦行帯」をつけることになりました。あまり強く巻いたので、綱が肉にくい込み涙が出

るほど苦しく、3人の胴はみみずばれになるほどでした。なんというひたむきさでしょう。もしおえら方が、この子供

たちの無償の行為を知ったら、「なんと馬鹿げて滑稽な!」とせせら笑ったに違いありません。でも、ずっと続けま

した。やがて、「寝るときだけは綱をおはずしなさい」とマリア様のお告げがあったので、そうしました。



ところで困ったことが起こりました。コーワ・ダ・イリアをおとずれる人がいよいよ増えたので、土地はとうとう荒らさ

れ放題になってしまったのです。実を言うと、ここはルチア家の土地でした。ここで穫れるとうもろこし、じゃがいも、

その他の野菜などが一家の収入源でしたし、羊を養う牧草もたっぷり繁っていたのに、それらはみんなダメになっ

てしまったのです。一家の生活は次第に苦しくなってきました。





孤独


ルチア一家の土地だけではありません。まわりの土地も同じ被害にあいました。当然、土地の所有者からは苦情

が出ます。損害を賠償しろと言ってきました。ファチマの農夫はみんな貧しいのです。ルチアが精神的に充実すれ

ばするほど、ルチア一家は経済的に追いこまれて行ったわけです。ルチアの両親も兄弟も敬虔な信者でしたが、

こうなると、ルチアに嫌味の一つも言いたくなります。「ルチア、家にももうお前にあげる食物はありませんよ。おな

かがへったら、美しい女性に頼んだらどう? なんでも好きなものをいっぱい恵んでくださるでしょうよ」


とうとう一家の財産である羊も売り払わねばならないところまで行ってしまいました。ルチアはどうしたか? 苦行

帯をきつく締めて、「お父さんお母さん、許して下さい。もうすこしの辛抱です」とマリア様にお祈りするほかは、その

小さな頭では思い浮かべません。「気の毒に」と柊(ひいらぎ)の木の下にお金をそっと置いてゆく人もいましたが、

ルチアは教会に寄付するのでした。





晴着


9月13日にも、約束通り、美しい女性が柊の木の上に現れました。2万もの人手でした。そして、10月13日がやって

きます。朝から大雨ににもかかわらず、あらゆる階層の人たちが、各地からファチマに集まってきます。聖職者、

おえら方、新聞記者、老いも若きも幼きも、富める者も貧しい者も、巡礼者も野次馬も、なんと人手は7万人。



いつのまにか、美しい女性がお越しになる筈の場所の前には、荒削りな木でこしらえられた門が出来上っていま

した。十字架が飾られています。3人の小さな羊飼いたちは、人波をかきわけて、やっと、いまは裸の幹だけに

されてしまった大切な柊の木の前に辿りつきました。ルチアは晴着を着ています。お母さんがこの日のために

徹夜で仕立ててくれたのです。頭には冠、腕には花束、緊張のためか、顔色は蒼ざめています。



さあ、そろそろ正午です。





聖家族


降りしきる雨をものともせず、人々は傘をさしたまま待ちかまえていました。


このあと起った出来事については、修道女になったルチアが20年後に綴った手記に拠ることにしましょう。抄訳で

すが簡潔な文章です。



・・・私たちは柊の前に場所をとって、内的な霊感に満たされながら、ロザリオを唱えるために、群集に傘を閉じて

下さいと頼みました。まもなく光が輝いて柊の上に美しい女性(おかた)が現われました。「あなた様はどなたです

か? お望みはなんですか?」 「私はロザリオの母マリアです。私の栄誉のために、ここへ聖堂を建てて下さい。

私がまいりましたのは、信者に生活を改めなければいけないこと、いとも恥かしい罪を犯して主のみ心を悲しませ

ないこと、とうといロザリオの祈りを唱え、罪を痛悔し、償いを果たさなければいけないことを教え諭すためです。

戦争はやがて終わるでしょう」・・・



戦争とは第一次世界大戦(1914〜1918)のことです。手記を続けましょう。



・・・そして聖母は、かざした手をひらき、太陽を指すような手振りをしながら、太陽のほうへと昇って行かれました。

そのとき私は人々にむかって、「太陽をごらんなさい」と内的な力にかられて、叫びました。聖母が空の彼方に

遠去かったと思ったとき、太陽のそばに聖ヨゼフの腕に抱かれた幼いイエズスと白衣の上に青いマントを着けた

聖母マリアが見えました。聖ヨゼフと幼いイエズスは、手で十字架のようなしるしをして、世界を祝福なさいまし

た。・・・



ルチアの手記には、「太陽の奇跡」については触れていません。しかし、このとき驚くべき光景が現出したのです。

当時のポルトガルの新聞「オー・ディア・ジョールノ」は次のような記事を掲載しています。





太陽の奇跡


・・・午後1時頃、雨はピタリとやみ、空を覆っていた雲は散り失せて、突然太陽が雲の間から輝きはじめた。そし

て、太陽はたちまち灰色の光の円盤の中で火の車のように回転しはじめ、幾百条とも知れない光線が四方に放た

れ、回転するに従って光線の色が変化した。雲も、地も、木も、岩も、3人の小さな羊飼いも、大群衆も、黄、赤、

青、紫と次ぎ次ぎに色どられて行った。観衆はただ恍惚として動かず、群集の頭上で舞うのだった。太陽の回転

は10分間ぐらいだった。参加者は一人残らずこの回転を目撃した。学者も、新聞記者も、自由主義者もいた。

そして、驚いたことには、数分前までは雨に濡れ、泥にまみれていた服がすっかり乾いていた・・・。



私はこの記事を読み、傍にいたA君を見て、ただ、「うーむ」と唸るだけでした。





仲よし


さて、「太陽の奇跡」をその目で見とどけた群集たちは、熱狂的にルチアの言を信じるようになりましたが、かと

いって、めでたしめでたしで終わったわけではありません。反宗教主義者たちは、逆に、「この事件は、神父たちが

小さな子供たちを丸めこんで仕組んだぺてんだ!」と、いよいよ迫害を加えるようになってしまったのです。



そうこうするうちに、フランシスコとヤシンタは「スペイン風邪」にかかってしまいました。たちのよくない流行病です。

兄は妹に言います。



「僕たちはマリア様がおっしゃった通り、まもなく天国に召されるんだ。その前に、僕がどんな罪を犯したか、覚えて

いたら教えてくれないか、ヤシンタ」



妹は思い出そうと一生懸命です。



「そうね、お兄ちゃんは、お父さんのお金をくすねて、ハーモニカ買ったことがあったわ。ええと、それから・・・

隣村の子供に石を投げていじめたこともあったわ」



「ああ、その二つだったら、前に告解したけど、もう一度、お祈りして謝ろう。『イエス様、マリア様、あなた方を

悲しませてごめんなさい』」



死が近づいているというのに、ほんと、いじらしいものです。でも、フランシスコは体が弱りきっていたので、祈る

ことはできません。そこでルチアとヤシンタがロザリオを唱えてあげました。



「ルチア、ありがとう。僕は一足先に天国へ行くけど、もう、君のことは覚えていないと思うよ」



一つ年上のルチアはお姉さんぶって励ましました。「なに言っているの。天国に行くんですもの、忘れる筈ないわ」

「そうだね、僕は君のこと忘れない!」



フランシスコは10歳でこの世を去りました。ルチアは後年述べています。「彼を失った深い苦しみは、私の心を

貫いた棘でした。でもそれは、永遠に至るまで、いつまでも谺(こだま)する懐かしい思い出です」





葡萄と牛乳


ヤシンタも、兄の死から2年後の1920年になくなりました。いいえ、このかわいらしい殉教者には、カトリック的に、

帰天・・・天に帰ったと言うべきでしょう。10歳でした。病が重く食欲もなくなったころ、ヤシンタのお母さんは栄養を

つけさせようと、大好きな一房の葡萄(ぶどう)を持ってきました。


するとヤシンタは「葡萄はいらないわ、牛乳を飲みます」と言いました。牛乳は大嫌いだったのになぜ? ヤシンタ

は答えます、「ほんとうは葡萄がとても食べたいの、牛乳なんてちっとも飲みたくない。でも、この犠牲をイエス様に

捧げたいんです」。ほんと、いじらしいようなものです。犠牲と言えば、病の床についても、ヤシンタはずっと、あの

苦行帯を着けていました。ルチアがそれを発見すると、「お母さんにはないしょ、ないしょ、心配するから」。その綱

には血がにじんでいました。



ヤシンタとフランシスコの墓は、いまはファチマの聖堂内に安置されています。





誓願


ルチアはついに出発することになりました。1921年6月17日でもう14歳になっていました。どこへ? 聖ドロテア

修道女会が創ったポルトという町にある孤児院に行くのです。汽車に揺られて半日もかかる少女にとっては遠すぎ

る町にです。なぜ行くのか? 聖母マリア出現以来、共感と非難の嵐でルチアはもみくちゃにされてしまったから

です。そこで司教が環境を変えるように命じたのです。ていのいい追放だったのかも知れません。でも、マリア様は

読み書きの勉強をするようにとお告げになったではありませんか。



いよいよ出発という前の日の昼下がり、ルチアはすべてのなつかしいものに、「さようなら」をしに行きました。

小鈴を鳴らして通り過ぎる羊よ、さよなら、大事な柊の木よ、さよなら、澄みきった青空よ、さよなら。



出発は明け方の2時で、外はまだ暗くて、あかりと言えば空にまたたいている星屑だけでした。たくさんのファチマ

の天使のランプよ、さよなら。





悲しみのマリア


孤児院に着くと、院長は柔和な顔でおっしゃいました。

「あなたの名前は、今日からルチアではなく、『悲しみのマリア』です」

「はい、院長様」

「故郷はどこかと聞かれたら、『ファチマ』とは言わずに『リスボンの近く』と答えなさい」

「はい」

「聖母マリア様御出現のことは、誰にも言ってはいけません」

「・・・はい」

「寄宿舎の生徒たちといっしょに散歩に行くことは禁止します」

「御約束は守ります。院長様」



ルチアは、只の田舎娘にされてしまったのでした。こうして、4年間、この信仰厚い少女はここで過ごしたのですが、

その間、面会人も、手紙も、新聞もやってきませんでした。・・・むろん故郷のすがすがしい空気も。





知らない


孤児院で暮らしていた間に、故郷ではいろいろなことがありました。



たとえば、聖母マリア出現の場所を中心にした広大な土地を司教様が買い取って、ローマの聖ペテロ大聖堂の

ような荘厳な大聖堂を建設するようになったこと、それをルチアは知りませんでした。又、コーワ・ダ・イリアでの

集会を政府が禁止していたにも拘らず、6万の大巡礼団が野外ミサのために集まったこと、そのこともルチアは

知りませんでした。そして、逆に、当の本人であるルチアが孤児院でひっそりと学んでいること、そのことは院長

以外、誰も知りませんでした。



年月は流れ、ルチアが18歳になったある日、院長は尋ねました。「修道女になりたくはありませんか?」 それこ

そ、ルチアが心から願っていたことです。彼女はフランスのリジューの聖テレジアに憧れていました。嬉しいことに

とうとうキリストの花嫁になる夢が実現するようになったのです。





リジューのテレジア


テレジアは15歳のときリジューという町のカルメル会という修道院に入会し、1897年に24歳で帰天しました。こんな

話が伝えられています。ある年少の修道女がテレジアに向って「ほんとにご立派なお方」と言ったとき、夕焼けを

眺めながらこう答えたそうです。



「夕焼けのときの雲はきれいですけど、日が落ちれば真黒になってしまいます。それと同じで、私が立派に見える

のは、神様がそうさせて下さっているのです。私自身は真黒な雲と同じなのですよ」



ルチアも自分自身のことを同じように思っていたに違いありません。二人ともイエス様やマリア様に、幼な子のよう

な無条件の信頼を寄せていたのです。



さて、ルチアは・・・いいえ、悲しみのマリアは、スペインのツイという町にある聖ドロテア修道院で終生請願を立てる

ことになりました。一生、神にその身を捧げることになったのです。故郷の蜂蜜と野花をたずさえて、母や姉たちが

そのセレモニィに参列してくれました。14歳のとき故郷を離れてから、実に14年ぶりの出会いでした。



そんなある日、ルチアは外出を許され町に買物に出かけたとき、見知らぬ婦人に声をかけられました。

「ドロテア会の修道女でいらっしゃいますのでしょう」

「はい」

「ポルトガルのファチマのルチアさんが、スペインにいらしているとききましたが、どうしたらお会いできるでしょう

か?」

「町をそぞろ歩きなさっていれば、きっとどこかで、ちょうど、いま、あなたが私と会っているように」

「失礼ですが、お名前は?」

「悲しみのマリアと申します」



ルチアはほほえんで立ち去りました。幼いころ「嘘つき子供」とさげすまれた彼女は、こうして、いまは「嘘つき

修道女」になったのです。このユーモラスな会話の背後にあるものは、悲しみではなくて遊びだと思います。聖女

はあたり前の平凡な修道女であることに満足していたのですから。





「第三の秘密」


年月は更に飛びます。1942年にルチアはレイリア司教に請われて、手記を送りました。その中には、今まで誰にも

洩らすことのなかったあのファチマでの聖母マリア様のお告げの内容が記されていました。所謂、「第三の秘密」と

名付けられたものです。抜粋しましょう。



「20世紀の後半において大きな試練が人類の上にくだるであろう。民は神の恩恵を足蹴にし、各地において

秩序がみだれる。

全人類の大半を数分のうちに滅ぼすほどの威力を持つ武器が造り出される。

神の罰はノアの洪水の時よりも悲惨である。

偉大な者も小さい者も同じく滅びる。

火と煙が降り、大洋の水は蒸気のように沸き上る。

これらがすべて終わった後、世は神に立ち帰り、聖母マリアは御子イエスのあとに従った者の心を呼び起す。

キリストは、単に信じるのみでなく、キリストのために公の場所で、その勝利を勇敢に宣言する人を求めている」





80歳の花嫁


「第三の秘密」で語られている内容がなにを意味しているのかは、現代人である私たちにはたやすく想像がつくで

はありませんか。この文章は、いま、バチカンの記録保存所に保存されています。(そして1980年、ヨハネ・パウロ

2世教皇がドイツを訪問したとき、この手記は真実であると答えたそうです)。



さて、1948年に、ルチアは聖テレジアがいたカルメル修道会に入会しました。きっと彼女は何度も繰返し、聖テレジア

の言葉をつぶやいたことでしょう。



「私には、なんの価値もございません。私はなにも致しませんでした。私はただ愛しています。そして待っています」



ルチアがファチマを訪れたのは、聖母マリア御出現の年から50年もたった1967年のことです。ときの教皇パウロ6世

がファチマを初めて訪問するので、許しを得て同行したのでした。しかし、ルチアは数時間、ファチマの司教の許に

いただけで、こっそりコインブラのカルメル会修道院に戻りました。ルチアはそっとつぶやきました。



「ファチマが世に知られれば知られるほど、私が、いよいよ世から忘れられますように」



彼女はいまも、お元気で祈りの毎日を過ごしておいでです。80歳のキリストの花嫁に平安あれ。



「太陽の奇跡」 ファティマの聖母と「第三の秘密」 を参照されたし。


聖母子への祈り







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