ファティマの聖母マリア
1970年前後に作られたファティマのスライド写真 「Brunner & C.-COMO Printed in Italy」 50年近く経った現在、スライド写真は全て赤く変色しております。 私自身が色の修正をしたものと、スキャナーから読み込んだ 原版の両方を掲載します。 |
苦行の巡礼者
「奇蹟の聖地 ファチマ」矢代静一・文 菅井日人・写真 より以下、抜粋引用。 苦行 ルチアたちの態度があまりにもかたくななので、おえら方たちは、「こいつらは神がかりにあっている、これ以上 おどかしても無駄だ! 仕方ない、家へ帰すことにしよう」とあきらめざるを得ませんでした。家に戻ってからも、 ルチアたちのマリア様への崇敬はいよいよつのるばかりでした。或る日、羊の番をしているとき、ルチアは道端 に太い綱が落ちているのを見つけました。彼女はその綱を胴のまわりにくくりつけて、思い切り強く締め上げます。 「痛いわ、苦しいわ」とルチアは思わず叫ぶ。「なにしてるの?」と、ヤシンタとフランシスコがのぞきこむ。ルチアは 真剣な顔で答えました。 「いいこと、マリア様はね、『罪人のために我が身を犠牲にしなさい』とおっしゃったわ。だから、私は今日からこの 綱を胴に巻いて苦行するの」「私もするわ」「僕もしよう」。 こうしてその日から、3人は「苦行帯」をつけることになりました。あまり強く巻いたので、綱が肉にくい込み涙が出 るほど苦しく、3人の胴はみみずばれになるほどでした。なんというひたむきさでしょう。もしおえら方が、この子供 たちの無償の行為を知ったら、「なんと馬鹿げて滑稽な!」とせせら笑ったに違いありません。でも、ずっと続けま した。やがて、「寝るときだけは綱をおはずしなさい」とマリア様のお告げがあったので、そうしました。 ところで困ったことが起こりました。コーワ・ダ・イリアをおとずれる人がいよいよ増えたので、土地はとうとう荒らさ れ放題になってしまったのです。実を言うと、ここはルチア家の土地でした。ここで穫れるとうもろこし、じゃがいも、 その他の野菜などが一家の収入源でしたし、羊を養う牧草もたっぷり繁っていたのに、それらはみんなダメになっ てしまったのです。一家の生活は次第に苦しくなってきました。 |
Fatima at 100: Story of apparitions continues to attract attention
Fatima - Faith arrives on its knees and leaves standing - 4SEE Photographers
Fatima - Faith arrives on its knees and leaves standing - 4SEE Photographers
Fatima - Faith arrives on its knees and leaves standing - 4SEE Photographers
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Religiao - Sami, um peregrino muculmano em Fatima
Maio - O Mes da Nossa Senhora de Fatima