ファティマの聖母マリア
1970年前後に作られたファティマのスライド写真 「Brunner & C.-COMO Printed in Italy」 50年近く経った現在、スライド写真は全て赤く変色しております。 私自身が色の修正をしたものと、スキャナーから読み込んだ 原版の両方を掲載します。 |
ルチアの生家
「奇蹟の聖地 ファチマ」矢代静一・文 菅井日人・写真 より以下、抜粋引用。 孤独 ルチア一家の土地だけではありません。まわりの土地も同じ被害にあいました。当然、土地の所有者からは苦情 が出ます。損害を賠償しろと言ってきました。ファチマの農夫はみんな貧しいのです。ルチアが精神的に充実すれ ばするほど、ルチア一家は経済的に追いこまれて行ったわけです。ルチアの両親も兄弟も敬虔な信者でしたが、 こうなると、ルチアに嫌味の一つも言いたくなります。「ルチア、家にももうお前にあげる食物はありませんよ。おな かがへったら、美しい女性に頼んだらどう? なんでも好きなものをいっぱい恵んでくださるでしょうよ」 とうとう一家の財産である羊も売り払わねばならないところまで行ってしまいました。ルチアはどうしたか? 苦行 帯をきつく締めて、「お父さんお母さん、許して下さい。もうすこしの辛抱です」とマリア様にお祈りするほかは、その 小さな頭では思い浮かべません。「気の毒に」と柊(ひいらぎ)の木の下にお金をそっと置いてゆく人もいましたが、 ルチアは教会に寄付するのでした。 誓願 ルチアはついに出発することになりました。1921年6月17日でもう14歳になっていました。どこへ? 聖ドロテア 修道女会が創ったポルトという町にある孤児院に行くのです。汽車に揺られて半日もかかる少女にとっては遠すぎ る町にです。なぜ行くのか? 聖母マリア出現以来、共感と非難の嵐でルチアはもみくちゃにされてしまったから です。そこで司教が環境を変えるように命じたのです。ていのいい追放だったのかも知れません。でも、マリア様は 読み書きの勉強をするようにとお告げになったではありませんか。 いよいよ出発という前の日の昼下がり、ルチアはすべてのなつかしいものに、「さようなら」をしに行きました。 小鈴を鳴らして通り過ぎる羊よ、さよなら、大事な柊の木よ、さよなら、澄みきった青空よ、さよなら。 出発は明け方の2時で、外はまだ暗くて、あかりと言えば空にまたたいている星屑だけでした。たくさんのファチマ の天使のランプよ、さよなら。 |
Casa de Lucia e imediacoes, Aljustel, Fatima, Portugal | Mapio.net
LV-pormenor da casa da pastorinha Lucia | Mapio.net
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Visita al Museo de Cera en Fatima, Historia de los 3 pastores y la virgen | Rincon Abstracto
Comunidade Mariana Alianca Eterna: Ajustrel
Uma viagem, um "click" e uma historia!!: Fatima - Portugal - 25-01-2011
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