「縄文の音」

土取利行著 青土社より引用









よみがえる始源の響き (本書 帯文より引用)


縄文人はどんな音を奏で、その響きにどんな祈りを託したのか? 音楽の始源を求めて、

世界の民俗音楽を訪ね歩いた異能の音楽家が、丹念な資料探査とみずみずしい感性と洞察

であかした、縄文音楽のラビリンス。十余年にわたる探求が導きだした驚くべき縄文像。



あとがきにかえて 土取利行 本書より抜粋引用


わたしは、これまで「古代三部作シリーズ」としてすでに「銅鐸」、「サヌカイト」、「縄文鼓」の演奏

プロジェクトに取り組んできた。その動機や経過については拙著「螺旋の腕」および本書冒頭で

も述べている。本書「縄文の音」は文字通り、縄文時代の音や音楽について記したものである

が、基本的には、上記の「縄文鼓」演奏プロジェクトを実現するまでほぼ十年、そしてそれ以降

の十年にわたって調べてきた縄文時代の音にまつわる覚え書きなどをまとめたものである。

縄文鼓とは、今も考古学会で用途をめぐって土器鼓説と酒造具説に意見が分かれている有孔

鍔付土器を、土器鼓として復元し、自ら演奏したものである。それゆえ最初はこの有孔鍔付

土器の用途論、すなわち縄文鼓論だけに本書のテーマをしぼろうと考えていたのだが、もう少し

縄文の音世界をトータルに紹介できないだろうかという編集者の意見もあり、わたしにとっては

まだこれからの課題でもある縄文の歌や仮面などの問題も、取り上げてみることにした。とくに

歌は楽器とはちがい、形として残らないものだけに、これまでこの問題に触れようとする音楽学

者はいなかった。しかしあらゆる角度からの検証を重ねていけば、この見えない世界を理解する

こともあながち不可能なことではないのではないか。その一つの方法として、今回は数例にかぎっ

たが縄文文化とつながりのある世界の民族文化との比較検討を通じて、縄文の歌の輪郭をつか

もうとした。



土取利行(つちとり としゆき)


1950年香川県生まれ。音楽家/パーカッショニスト。70年代前衛のジャズの天才ドラマーとして

頭角を現し、近藤等則、坂本龍一、阿部薫、ジャズ評論家の間章らと音楽活動を展開する。

渡米して伝説のドラマー、ミルフォード・グレイヴスと出会い、音楽の根源的な探求に導かれ

る。スティーヴ・レイシー、デレク・ベイリーら海外の多くの即興演奏家と共演。70年代後半より

ピーター・ブルック国際劇団で「ユビュ王」「鳥のことば」「テンペスト」などの音楽を担当し、とく

に「マハーバーラタ」公演は大きな反響を巻き起こした。また劇音楽製作のためアフリカ、インド

など世界各地の民族音楽調査を行う。87年より桃山晴衣とともに岐阜県郡上八幡に活動の

拠点(立光学舎)を設立。地域の活動にも力を注ぐ。近年では、大野一雄・慶人「小栗判官・照

手姫」共演、五木寛之戯曲「蓮如」音楽製作、メキシコ古代楽器奏者トリブとの共演「ネイティブ

・ドリーム」、インドネシアの音楽家とのコンサート「異界」など様々なジャンルとのコラボレーション

を続け、郡上八幡の民謡を集成したCD製作などもてがける。民俗音楽、古代音楽の研究を

実践へと深め、とくに縄文鼓を復元・演奏した<縄文の音世界プロジェクト>は各方面から注目

を集める。著書「螺旋の腕」、訳書、ハズラト・イナーヤト・ハーン「音の神秘」、CD「縄文鼓」

「銅鐸」「サヌカイト」他多数。


 


目次


弥生の音から

古代の音へ 銅鐸演奏 復元銅鐸 見る銅鐸・聞く銅鐸

アジアからの銅鐸の流れ 銅鼓と銅鐸


縄文の音へ

一枚の写真 謎の土器との対面 土器復元に向けて

土器作り 野焼き 深夜の演奏


有孔子鍔付土器とは

有孔鍔付土器の発見 有孔鍔付土器の構造 有孔鍔付土器の時代と分布域

用途について 酒造具説 太鼓説 太鼓説否定論 太鼓説のさらなる探求


縄文鼓としての有孔鍔付土器

太鼓の構造 太鼓の鍔と小孔の意味 太鼓作り 擦痕の問題 太鼓としての構造

太鼓の中にモノを入れる民族 考古学資料による古代の太鼓


世界民族の土器鼓

中国の土器鼓 インドの土器鼓 アメリカ大陸の土器鼓 アフリカ大陸の土器鼓


遺跡の中の有孔鍔付土器が語るもの

床面出土の土器 大ダッシュ遺跡出土の有孔鍔付土器 岡前遺跡出土の有孔鍔付土器

その他の出土状態 住居と土器鼓 二つの有孔鍔付土器圏


太鼓起源譚

縄文鼓の鹿皮 アメリカ大陸先住民にみる鹿の儀礼 縄文人と鹿 鹿衣の民族誌


縄文鼓のコスモロジー

縄文鼓の二元性 男性原理と女性原理 縄文鼓に描かれたヴィジョン 塗色、土器の血肉化

簡素と複雑 人体としての縄文鼓 縄文の伏流感覚 縄文鼓のパフォーマンス

イニシエーションと葬送儀礼


縄文楽器の世界

土鈴 土笛 一穴から二穴の笛に マジカル・ラインの音 晩期の土笛にみる音楽的特徴 石笛

神道と石笛 縄文の弦楽器 鹿笛 樹皮製の鹿笛 民族・民俗例にみる縄文楽器としての可能性


縄文の仮面

縄文仮面の編年 世界の仮面と縄文仮面 縄文仮面と沖縄の仮面 仮面と仮装具 岩手仮面王国

萪内遺跡の大型仮面土偶 葬儀と泣き歌 鼻まがり型土面 土偶から仮面仮装へ


縄文の歌

歌の世界 セルクナムにみる歌の古層 セルクナムの歌 日本列島に残る初期の歌の形式

アイヌ民族の伝統音楽 アイヌ音楽の特徴 リムセとウポポ カムイユカッ 縄文語と歌

ネグリトの歌と音楽 ムノン・ガル族の歌と音楽 台湾先住民の歌 その他のオーストロネシア語族

縄文の歌を考える 縄文の歌の輪郭


あとがきにかえて

本文への補注

参考文献一覧

縄文の土鈴出土一覧表

有孔鍔付土器出土遺跡一覧表




APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 







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