爆発するとベテルギウスはどう見える? (本書より引用)
ベテルギウスが超新星爆発をいつ起こすのか、いまのところははっきりとはわかりませんが、爆発を
起こしたら、地球にいる私たちはどんな光景を目にすることになるのでしょうか。東京大学数物連携
宇宙研究機構の野本憲一教授のグループは、星の進化と理論に基づいてベテルギウスの変化を次
のように予測しています。
最初に地球にやってくるのはニュートリノです。星が重力崩壊を起こした直後に光の速さでやってきま
す。それを待ち受けているのが岐阜県飛騨市の山中にあるスーパーカミオカンデ。五万トンの純水を
たたえたタンクには一万一一ニ九個のセンサーがつけられており、やってきたニュートリノが水の分子
と衝突して放つかすかな光をとらえます。ニュートリノの到来は超新星爆発の先ぶれで、私たちはその
後のベテルギウスの変化を観測するべく、態勢をととのえることができます。
といっても猶予は一、ニ日、ベテルギウスが実際にどれくらいの大きさかによってかかる時間が異なり
ますが、現在の予想ではピカッと輝きだすのはニュートリノ到着から一・五日後のこと。まず、赤かった
ベテルギウスが青くなり、全天でもっとも明るい青い星になります(表面の温度が上がるので色が変わ
ります)。一時間後にはリゲル、二時間後にはシリウス、三時間後には半月くらいの明るさになります。
といっても、ベテルギウスは点に近いので、ギラギラ度は満月の一〇〇倍にもなるでしょう。もし爆発が
日中に起きたとしたら、空の一点が急に輝きだしたように見えることになります。
爆発の勢いで星が膨張し表面温度が下がることから、色は青から白へと変わっていきます。明るさが
ピークに達するのは七日目、その後、ほぼ同じ明るさが三ヶ月ほどつづきますが、色は白からオレンジ
色へと少しずつ変化していきます。この期間には日中でもベテルギウスを見ることができるでしょう。
出現から四ヶ月目に入ると、ベテルギウスの明るさはニ等級ほど急速に下がり、太めの三日月ほどに
なります。そのあとはじわじわと暗くなって、十五ヶ月後にはマイナス四等級の金星と同じくらいの明るさ
になります。こうなると、日中に見ることができず、せいぜい朝夕の薄明かりのなかで見えるくらいでしょ
う。二年半後にはニ等級、北極星と同じくらいになり、四年後には六等級、暗いところでかろうじて肉眼
で見える明るさになり、その後は双眼鏡や望遠鏡が必要になります。
しかし、実際にはベテルギウスはもっと明るく見えるかもしれません。というのは、ベテルギウスのまわり
には、かつて放出されたガスやチリがあるので、それらがベテルギウスの光を反射して、さまざまな色で
輝くと思われるからです。
もしベテルギウスが超新星爆発を起こしたら、私たちはいまだかつてない宇宙の大イベントを目にする
ことになるでしょう。明るさの変化、色の変化などを楽しむことができます。しかし、祭りは永久につづく
わけではありません。爆発から二年たつと、ベテルギウスは今より暗くなってしまい、あとは暗くなる一方
で、やがて姿を消してしまいます。冬の大三角は見られなくなり、右肩を失ったオリオンもまた、オリオン
らしさを失うことでしょう。ベテルギウスの爆発を見たいような見たくないような、ちょっと複雑な思いがし
ます。
天の川はなぜ帯状なのか (本書より引用)
四季折々の夜空を見上げていると気づくことがあります。夏と冬には頭上には天の川がかかり、多くの
明るい星が見えるのに、春と秋には天の川がほとんど見えないうえに明るい星が少なく、さびしいことで
す。どうして春と秋には明るい星が少ないのだろうか。多くの星が集まってつくる天の川はなぜ帯状に
なっているのだろうか。これらの問いに最初に正解を出したのは天文学者ではなく、意外にも18世紀の
著名なドイツの哲学者イマニュエル・カントでした。
カントは自分で実験をしたり観測したりすることはありませんでした。書斎で、当時手に入れることので
きた観測記録をもとに思索にふけり、一七七五年、『一般自然史ならびに天体論』を著したのです。彼
はそのなかで宇宙の本質に関する自らの見解について語っていますが、それは現代の天文学者が抱
いている宇宙像と多くの類似点をもち、そのほとんどを予知していました。《音楽家ベートーベンの愛蔵
書のなかにこの本があったそうです。ベートーベンは宇宙に思いをはせながら作曲していのかもしれま
せん》。
カントは、多くの星がレンズ上に集まってひとつの集団をつくっており、太陽もそのなかにあると考えまし
た。レンズのなかからまわりを見わたすと、薄くなっているレンズの上下方向には星があまり見えません
が、長い水平方向には多くの星が密集して見え、天の川を形成するというのです。
当時、宇宙の大きさがどれくらいあるか、まるでわかっていませんでした。また、夜空のあちこちで見ら
れる渦巻きや楕円の形をした星雲状のものがいったいなんなのか、想像することさえできませんでした。
カントはこれらの星雲についてもこう述べてきます。「天文学者が見ている星雲は、私たちの銀河と同じ、
別のふつうの銀河だろう」。彼は広大な空間に散らばる銀河を表現するのに「島宇宙」という言葉を造語
したことでも有名です。別の銀河の存在が実際に観測によって確認されるのが一九ニ四ですから、彼は
一五○年も時代を先取りしていたことになります。
天の川に関するカントの言葉を観測的に裏づけたのがハーシェルでした。徹底した観測家であった彼
は、全天の星をたんねんに数え、その分布図を作成しました。太陽を中心に描かれているものの、その
図は厚みが直径の五分の一ほどの円盤状になっています。望遠鏡の精度も低く、見えない星がたくさん
あることを知らなかったハーシェルが描いたこの図は、実際の天の川銀河の姿とは大きく異なっていま
す。しかし、銀河が円盤状になっていることを発見したことは、その後の研究にとって大きな意味があり
ました(銀河はカントが考えたようなレンズではなく、実際は中央が丸くふくらみ、端にいくほど薄くなる円
盤の形をしています)。ハーシェルはまた、星雲を熱心に観測したことでも知られています。
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