「ファー・アウト 銀河系から130億光年のかなたへ」

マイケル・ベンソン 著 檜垣 嗣子 翻訳 新潮社より引用








未公開写真を含む本書の宇宙の神秘的な姿には「自分とは何者か?」と

常に問いかけてくるようだ。そこには宇宙の歴史、人類の歴史、そして自分

自身の歴史が一体となって、自分という一個の存在にその疑問を語りかけ

てくる。この「ファー・アウト」を見て多くの人がそう感じてしまうのだろう。神秘

的な写真に留まらず、ある天体の光が地球に向けて旅立つその時の地球・

人類の様子も描かれ、前に発した疑問に否応なく連れ戻される。ただ美しい

写真を網羅した写真集などではなく、これは一つの宗教や哲学の息吹をも吹

き込む迫力を持った傑作写真集である。

(K.K)

同じ著者による「ビヨンド 惑星探査機が見た太陽系」も素晴らしい。





本書 より引用


半世紀にわたる天文学の成果が記録された、写真という素晴らしく美しい遺産を厳選

する・・・『ファー・アウト 銀河系から130億光年のかなたへ』の製作作業は数年に及ん

だ。選び抜いた画像を20の章に構成し、わかりやすい解説と細かいキャプションをつ

ける。そこには著者マイケル・ベンソンが巧みに組み合わせた、映画づくりにたずさわ

る者ならではの語り口と、芸術写真を扱うキュレーターの手法がある。様々な天文現象

について説明を受けながら、ワイドショット、ミディアム、クローズアップと接近していける

ので、専門知識のない読者でも映画館のワイドスクリーンを見ているような感覚を味わ

える。また、これが初めての公開となるものも多い本書の画像は、どれをとっても天体

写真の傑作といえるだろう。




本書の画像には、ハワイ州マウナ・ケア山のカナダ・フランス・ハワイ望遠鏡、チリ・アン

デスのヨーロッパ南天天文台、カリフォルニア州パロマー天文台、オーストラリアのアン

グロ・オーストラリアン天文台など地上の望遠鏡で撮影されたものと、地球の周回軌道

上にあるハッブル、スピッツァー両宇宙望遠鏡で撮影されたものの両方がある。だが、

こうした高度な設備でとらえられた光景に交じって、優れたアマチュア天体写真家の

作品が収録されていることにも注目したい。




地球との距離数百光年から130億光年先までの年表をもとにつくられた本書には、

テーマとなる天体の光が太陽系に向かって長い旅を出た頃、地球という惑星で何

が起きていたかを描いたエッセイも盛り込まれている。国際的に高い評価を得た

「ビヨンド 惑星探査機が見た太陽系」の続編・姉妹編となる本書は、望遠鏡発明

400周年にふさわしい作品である。


カラー228点、折り込み3点を収録


 
 


本書 「序」 より抜粋引用



2001年も終わりに近いある夕暮れどき、私はスリランカのヒッカドゥワでアーサー・C・

クラークと話していた。その年、彼は未来の輝かしさを語りつづけていた。人類が手に

したのは、謎のモノリスや有人木星探査計画どころか、千年に一度の厳しい景気後退

や廃墟と化したワールドトレードセンターだったが、それでも素晴らしい未来はある、と

・・・・。「SF史上屈指のアイディアが何か知っているかね?」、クラークの瞳は輝いてい

た。「スローガラスだよ」。スローガラスはボブ・ショウが1967年に発表した小説、『去り

にし日々、今ひとたびの幻』に登場する透明な物質だ。あまりに高密度なので、スロー

ガラスに入った光はなかなか進めず、ほとんど止まっているような状態になってしまう。

だからこのガラス越しに眺めると、今現在向こうにあるものではなく、かつてあったもの

を見ることになるのだ、とクラークは言った。このとき彼は、確か時空連続体[時間と空

間をそれぞれ独立したものではなく、一体の四次元多様体としてとらえたもの]の実体

についても話してくれた。




本書は、まさにこのスローガラスの世界を表現しようとしたのだが、楽しみ方はふたつ

ある。基本的には、地球に比較的近いところで見られる現象から始まり、徐々に時間

をさかのぼっていく構成になっているが、必ずしもそのとおり読む必要はない。西洋で

は書物は左から右へ読むものと決まっているが、東洋には逆方向から読む文化もあ

る。本書はどちらから読んでいただいてもかまわない。便宜上表紙がついている側か

ら読み進めば、古くからある典型的な棒渦巻銀河、つまり130億歳の銀河系内から旅

立って、徐々に遠くへ時をさかのぼることになる。しかし、巻末から読んでいけば、ビッ

グバンのわずか数百万年後にできた最初期の銀河から旅をはじめ、時を下り、130億

年後の現代の宇宙にたどりつく。言いかえれば、この本では終わりに始まりがあり、始

まりにも時の矢の先端という終わり・・・・進みつつある時のなかで、今現在私たちがい

る終わり・・・・があるのだ。






複雑だと思われるかもしれないが、この方式を選んだのは次のような論理を理解して

もらうためでもある。可視光で撮影された最も遠い銀河、ハッブル・ウルトラ・ディープ・

フィールドの画像に散らばる小さな赤橙色の輝きは、知られている限り最も古い銀河

である。しかし、私たちはこの上なく古い銀河も、見方を変えれば実は新しいことこの

上ないのだ。銀河の側に立ってみよう。もちろん向こうからこちらの姿が見えるわけで

はないが、私たちは「この上なく古い」存在として、彼らにとっての遠い未来、137億歳

の宇宙にただよっているはずだ。





こうした太古の銀河を眺めるときは、目にしているものが時の果てからリアルタイムで

伝えられてきていることを意識すべきだろう。それは今まさに起きていることであって、

色あせた写真などではない。銀河の光子は、かすかではあるが八方から降り注ぎつづ

けている。それは宇宙というスローガラスを何十億年通ってきても変わらない、いにしえ

の光なのだ。




はるか彼方の最も若い銀河は、なぜオレンジや赤なのか、時空をわたってくる光子の

波長が、空間そのものの伸びによってずれを生じるからだ。時間の地平に見える銀河

は、たとえ青くまばゆい光に満たされていても、距離が遠ざかるにつれ色が変わって

見える。赤方偏移と呼ばれる現象だ。光は青から白へ、白から黄へ、黄から橙へ、橙

から赤へ、赤から赤外線へとずれていく。ハッブルの後継機として打ち上げられるジェ

イムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が赤外線観測仕様になっているのも、赤外線でなければ

宇宙最遠部の光はとらえられないからだ。つまり光が闇に沈んでも、そこに銀河がない

わけではなく、きわめて遠くにあって・・・・しかも宇宙の膨張によって超高速でやってくる

ため・・・・知覚できないというだけなのだ。そうした銀河の甲高い声は、普通の音域に

あっては周囲を取り巻く時空の騒音に溶け込んでしまう。巨大な絵画の細かなひび割れ

に紛れるように、姿を消してしまうのだ。





最果ての銀河の赤い色を見ると、私たちはつい高齢だと思ってしまうが、若くなければ

そもそも目には見えないということを忘れてはなるまい。銀河間に広がるガスや塵を、

想像に絶する長い距離にわたって貫いてこられたのは、銀河の若い星々が放つ光が

ビーコンさながらに強烈だったからに他ならない。ところで本書では、地球に近い星雲

を照らす青色巨星も紹介している。これら・・・・短命で、赤方偏移を起こすには地球に

近すぎるため実際に青く見える星・・・・も現代の銀河にある星の孵化場から生まれた、

まだ若い星である。いかに古くとも、現代の宇宙は物質を再利用し、いまだに新たな星

をつくりつづけているのだ。





本書の双方向的な構成を支えているのは、宇宙そのもののこうしたびっくりハウス的

特徴ばかりではない。テーマとして取り上げた天体が実際に本書の画像どおりだった

頃、自然史や人類史上、地球では何が起きていたかを思い起こしてもらうため、ところ

どころ短い文章を置いてある。天体と地球の距離を示すのは光年数だが、その天体

から光が出発した頃に地球で重大な変化が起きていた場合には、それに関連する事柄

が登場する仕組みだ。前から順番に読んでいけば時空年代記をさかのぼることになり、

本書の画像が深宇宙へ進むにつれ、時代は太陽系誕生の頃へと戻っていく。後ろから

逆に読めば時は下り、過去から未来へ進む地球の姿や、進化をとげる生命の様子を

見ていくことになる。





同時進行中の出来事をクロスカッティングのように見せるこの構成は、映画作りの技法

を応用している。それぞれの章もマスターショット(広い範囲をとらえた基本のショット)か

らミディアム、そして寄りへと段々近く狭い範囲をとらえる、ある意味映画的なつくりだ。

太陽系第3惑星の人間が知覚力を持つようになったのはまだ最近で、特定の星雲や銀河

をいろいろなアングルから見られるようなテクノロジーをもつには至らないが、多様な視野

をとらえる望遠鏡はすでに手にしている。おかげで、広い範囲の状況も細部の様子も、両

方知ることができるのだ。




私たちは今現在時空に占めている場所を動くことはできない。しかし、その不自由さもだい

ぶ改善されてきた。宇宙では同じような現象がいくつも起き、さまざまな姿を地球の望遠拡大

鏡に見せているからだ。個々の銀河を包括的に観測する技術はなくとも、さまざまな向きの

銀河を見られる力を人間は手に入れた。多くのものからひとつひとつについての、また、ひと

つのものから他の多くについての情報を得られるようになったのである。




本書には、表にまとめられたり、測定されたり、姿形が正確にわかっていたり、緻密に計算

されたりして、すでに充分わかっている天体の例がたくさん収められている。それらは、得体

の知れないもの、言葉であらわせないもの、暗号めいたもの、悲しいほど何もわからないもの

の方がはるかに多いという事実を覆い隠さんばかりだ。だが、煙草に浮かぶシルエットのよう

に、煙そのものが強烈な後光の存在を教えてくれることもある。わからないものこそが人間の

無知を明らかにし、私たちは本当は何をどう知っているのかを正確に知らしめてくれる。それ

ばかりか、人知のおよばぬ神秘の存在にまで思いを至らせてくれるのだ。


(中略)


人間が初期の宇宙からやってくる神秘的な光を記録できるようになって、まだ日は浅い。

天から軽やかに舞い降りてくる光子(それと比べれば、鳥の羽毛も1トンの重さに相当する)

のかすかなささやきは、データのパルスに変換される。ちなみにハッブル・ウルトラ・ディープ

・フィールドは10日分のデータでできている。そこに凝縮された130億光年の空間から思い

出されるのは、ヴァルター・ベンヤミンの「歴史の天使」論だ。




「クレーの『新しい天使』に描かれた天使は、何かをじっと見つめながらも、

そこから遠ざかってゆくかに見える。目を見開き、口をあけ、翼は拡げられ

ている。歴史の天使を描けば、こんな姿になるだろう。その顔は過去へと向

けられている。我々はさまざまな出来事の連鎖ととらえるが、天使はただ

破局のみを見る。その破局は、瓦磔を積み重ねては彼の足下に投げつけ

る。天使はそこにとどまり、死者を目覚めさせ、粉々に砕かれたものを元通

りつなぎ合わせたいと望んでいる。だが、天国からは強風が吹きつける。

風をはらんだ翼はとじることもできず、背にした未来へと否応なく押しやら

れてしまう。目の前では、瓦磔が天にも届かんばかりに積み上げられて

いく。この嵐こそ、我々が進歩と呼ぶものなのだ。」




ベンヤミンの言葉は、自然界ではなく人間の歴史について語ったものだ。私たちにとっての

進歩とは、ほんのわずかな時間に起きた人類の進化で、樹上から洞穴へすみかを変え、火

から車輪、ついには鏡や回路を発明し、たとえちっぽけな星に縛られていても無限の空間を

認識できる能力を得るに至ったプロセスだ。だが、私たちを未来へと押しやる嵐は、時空そ

のものをつくりあげた激しい突風だ。それは、その内部で人類のあらゆる破局と進歩がすべ

てのものとともにしかるべき場所を占めた、拡張と持続からなる複合物なのである。




空間の深奥では時が冷えきっている。その果てには始まりがある。そこから動き出す流れが

渦巻いて銀という金属を生み出す。そしてその様子がこれもまた同じ銀でつくられた望遠鏡の

目に映し出されていく。




私たちもまた、同じプロセスと原料からつくられている。人間がものを見られるのは繊維や

腱、筋肉、神経、知覚のおかげだが、それらは初期の宇宙にはない思い元素が巨大な恒星

によってつくられなければそもそも存在しなかっただろう。それでは私たち自身は・・・・現在の

人間と古代の人類、最初期のバクテリアにさかのぼる、私たちのすべての祖先、さらには大

もとである星々まで含めて考えたとき・・・・一体何をしただろうか。私たちは時間にとらわれ

ながらもなお前へ進もうと努力してきた。嵐の海を泳ぐイルカさながら波間から飛び出し、

まるで古文書のような星の光を必死に受けとめようとしてきた。その豊かな光には、宇宙の

DNAがあふれているのである。



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