「天の科学史」中山茂・著 講談社学術文庫 より引用






1984年に書かれた本書には最新の宇宙論の紹介は書かれていない。それは著者が言われる

ように、まだ未確定のものなのかもしれません。人類が生まれてから、天への畏敬・恐れ、占星

術や暦、宇宙の構造、惑星の独特な動きと計算、天動説から地動説、天体物理学へと変遷して

きましたが、その長い歴史を平易な言葉で語るこの文献の貴重さは現在でも価値を下げること

はありません。名著だと思います。

(K.K)





「天への恐れ」から星の観察は始まり、その意味を説明するために占星術が生まれ、正確な「暦」が

権力者の権威を高める。やがて天動説から地動説へとパラダイムは転換し、天体力学の隆盛を経て、

天体物理学と宇宙開発競争の時代へとむかう。民俗や宗教、数学や物理学を巻き込んで展開する

最古の科学=天文学の歴史と、人類の宇宙観の変遷をたどる。

(本書より引用)



 

 


改暦の話 (本書より引用)



では、我々の使っている新暦が改暦に値するほどの合理的・近代的なものであるかというと、そういう

ものでもありません。現在の暦の不備な点は、主に三つです。まず、1月1日といっても天文学的には

まったく意味のない日であり、ただ西洋の歴史上偶然に決まったものにすぎないということがあります。

次に、これは誰でも気付くでしょうが、2月が以上に短いという点です。そして第三に、30日と31日の月

の並び方がデタラメで、7月と8月に長い月が2回続くという不合理があります。この二つ目と三つ目の

点もまったく歴史的な偶然によるもので、ある政治権力者の生まれた月を長くするために31日にする

といった、まったく政治的な勢力関係で決まったものです。たまたま2月生まれの人にそういう権力者が

いなかったために、2月がだんだん蚕食されて、ついに28日という少ない日数にされてしまったのです。



このことは新暦採用に踏み切る際に誰しも気付いたことで、日本でも明治の初め、改暦の前に、グレ

ゴリオ暦のようなこんな奇妙な暦を使うよりも、同じ太陽暦でももっと合理的な暦を作ろうという案が

いろいろ出ました。例えば、1月1日を立春というめでたい日にもってこようという案がありますが、立春

は24節気のひとつで、冬至と春分のちょうど中間にあってこれから春になろうという時点ですから、

天文学的にも意味があるわけです。しかし、明治政府はなにも合理的・科学的な暦を採用しようという

意図をもったのではありませんでした。それよりも、当時の欧米先進国にならって改暦することで先進

国の仲間入りをしたかったのです。つまり、外交的な便宜が合理的な理由に優先したのです。




宇宙構造論 (本書より引用)



ところが、科学的に宇宙を論ずる以前の原始・古代にあっては、その順序はむしろ逆で、宇宙生成論

が先に来てその後に宇宙構造論が出てくるという形が、いろいろな神話伝承の中に読み取れます。前

にも述べましたが、原始人や古代人の伝承の中には、あんがい宇宙についての記述が少なく、例えば、

古代ギリシャのホメロスの『イリアス』や『オデュッセイア』の中には天体に関する記述が全然見当たりま

せんし、日本の『古事記』や『日本書紀』にも、中国からの影響があるまではほとんど天文現象らしいも

のの記述はありません。原始人・古代人にとっては、まだ食べ物を手に入れて生き続けていくことが精

一杯で、宇宙に対する思弁をめぐらせるというほどの余裕がなかったということなのでしょう。ところが、

ホメロスにも、動物の行動や薬などについての記述はあります。古代人にとっては、天体よりももっと

身近な人間や動植物の世界が、まず関心の対象となったのでした。そして、人間や家畜が生まれては

死ぬ、つまり、生物発生の問題が、第一に彼らの心を占めたのです。この生物発生への関心を天体に

投影し、天体が何からどのようにして生まれどのようにして成長していくか、つまり、宇宙進化論の説話

が出てくることになるのです。古代ギリシャでいえば、ホメロスより少し新しく紀元前700年頃とされる

ヘシオドスに、そうした宇宙進化論の芽を見ることが出来るようです。



天動説から地動説へ 太陽系宇宙論の展開 (本書より引用)



太陽を中心として、地球も含めた諸惑星がそのまわりを回るという宇宙論の考え方は、コペルニクスが

はじめてではありません。ギリシャの昔にもそういう考え方があって、後のアリストテレスなどの書いた

ものの中に残っています。また、その後のイスラムの天文学者や、中世ヨーロッパの天文学者の中にも、

そういう考え方をもった人はいくらでもいます。ただ、太陽が宇宙の中心にあるという考え方を述べるだけ

では、プトレマイオスの体系にとってかわるような天文学体系・宇宙体系にはなりませんから、人に強い

影響を与えるにいたりません。コペルニクスがやったことは、太陽中心説をあくまでも信じ、その上に立っ

て一生涯を費やしてプトレマイオスに匹敵しうる大天文学書を書きあげ、それを周囲の人に示して、天動

説・地動説のいずれをとるかという選択を迫った点で、革命的な意味をもつものと評価されるのです。



コペルニクス以後の天文学者は、プトレマイオス体系かコペルニクス体系かという選択を迫られることに

なりましたが、その選択は必ずしも伝統的な天文学の評価基準に従うものではありませんでした。伝統的

な評価基準によるならば「現象を敬う」ためには、数学的にいかにごてごてした複雑なものになろうと、

天体の運行にできるだけ密着した惑星運動論がよしとされてきました。しかし、それが果たして天文学の

目標であるのかという疑いを抱き、むしろ、宇宙の真実の姿を描き出すことが天文学の目標であって、

数学的に惑星の動きに合わせるだけではいけないという考えをもつにいたった人々が、コペルニクスを

支持し、コペルニクスの路線の上に以後新しい天文学を打ち立てていったのです。それは、ケプラーや

ガリレオのような人々によって発展させられました。彼らは伝統的な天文学の尺度にしばられることなく、

コペルニクスと同じような美意識、つまりこちらの方がすっきりしていいのだという信念をもって、そのうえ

でコペルニクス体系を磨き上げていったのです。



宇宙の大きさ (本書より引用)



ところで、最初のテーマの宇宙の大きさはどうなったのでしょうか? まず、天動説の宇宙像では、宇宙

の大きさをあまり大きく考えることができません。天球は1日1回転しているのですから、無限に大きなもの

がそれほど速く回転すると考えると無理が生じます。めまいが生じます。天動説ではどうしても宇宙の大

きさを小さく考えがちであり、その限られた小ぢんまりした宇宙の中に人間は行儀よく住んでいて、その

宇宙の外の事には考えもおよばないというのが普通の見方でした。今日では「無限の可能性」などと言う

ように、近代人は無限という形容を平気で使い、この言葉を結構好んでいるようですが、昔の人は無限と

いうものを嫌ったものなのです。はてしもなく、とりとめもない、そういうものは非常に怖いという感じなので

しょう。実際、蒼空を仰ぎ、無限の彼方にまで蒼穹がひろがっているのを見るのは、しばし人を呆然とさ

せ、魂が虚空の彼方に消えていくような不安を感じさせることがあります。古代人はまさしく無限というも

のが怖かったのです。



ところが、コペルニクスの地動説では天は静止して運動しないことになりますから、その天は無限に大きく

ても構わないという感じになってきます。コペルニクス自身は実際には無限宇宙を信じておらず、彼の

主著『天球の公転について』に描かれている図でも、恒星球は土星球よりも一皮上で、意外に小さく制限

されています。しかし、そのころ西洋ではプラトニズムが流行しており、宇宙が無限だという考え方に親し

みを覚えるようになってきました。また、宇宙にはたくさんの世界があるという考え方も強くなってきまし

た。神は全能なのだから、ただ小さい小ぢんまりした宇宙しか創れないはずがないのであって、数限りな

い世界が創られたはずだといった神学論争が現われ、異端と正統をめぐて激しい論争がキリスト教会

中で行われたのです。


 


目次

序論

1 星座について

2 占星術

3 暦の話

4 時の話

5 宇宙論の歴史

6 天体力学

7 望遠鏡の話

8 天体物理学について

9 結び あなたにとって宇宙とはなにか

あとがき

学術文庫版のあとがき



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