1997.7.25
かつて動物たちがなにげなく口にし、 聞くことのできた聖なる知識が もし大気中に 風の中に 木立や藪の中に存在しているなら われわれのところへふたたび戻ってきますように
アタルヴァ・ヴェーダ(七の六六) 「ベロボディアの輪」 オルガ・カリティディ著 管 靖彦 訳 角川書店 より
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「ベロボディアの輪」はアメリカの人類学者、カルロス・カスタネダがヤキ・ インディアンの呪術師、ドン・ファンとの出会いについて書かれた著作の ロシア版と高い評価を得ているものである。当然にアメリカ・インディアン を語るにあたり、このドン・ファンの言葉に触れることが避けられないとは 思っていたが、その存在の不透明さを感じ敢えて読むことを差し控えて いた。しかし、このシベリアのシャーマンとの神秘的な出会いを書いた 精神科医でもある著者の実体験を読み終わった後、シャーマニズム・ア アニミズムついて自分なりに整理しなければならないと感じている。
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リチャード・ネルソン著 星川淳訳 星野道夫写真 めるくまーるより 1991年 ジョン・バロウズ賞受賞作 雨音の合間にミヤマシトドの鋭い鳴き声が聞こえてくる。このあたりの沿岸では珍しいさえずり だが、コユーコン族の住む北の森では夏じゅう絶えることがない。しばらく探して、ようやく低い 枝にとまった声の主を見つけた。地味な灰褐色で、頭にくっきりした黒と白の縞模様がある鳥 だ。その声を聞きながら、ちょうどいまぐらいの季節にコユコック川のほとりでサラ・スティーヴ ンスが初めてミヤマシトドの物語を語ってくれたときのことを思い出す。人並みはずれた知性 の持ち主であり、広くコユーコン族の伝統に通じているサラは、ぼくの指南役を買って出てくれ た。彼女の伝えるガドンツィドニー、すなわち<はるかな時代>の物語には、生きとし生ける ものすべてが一つの社会に属し、動植物から人間へ、ときにはまたその逆へと、夢のような 変身を遂げられる世界が描かれている。それらは美しく心楽しい物語だったが、サラはけっし て浮ついたものではないことを力説していた。「私たちにとって聖書と同じなのよ。こういう物語 は世界がどうやっていまみたいになったか、私たちがまわりのあらゆるものといかに共存して いくべきかを教えてくれる。だれかがでっち上げた物語でもないし、語られている出来事がど のくらい昔に起こったのかもわからないの」。それらの物語は、何千年もの間コユーコンの人 びとの生活を導いてきた根本的な真理や原理を含んでいる。
<はるかな時代>のあるとき、飢えた男がツィーティー・クロットと呼ばれるキャンプに帰ろうと して、春の深雪の中で難儀していた。男は象牙色の細長いツイガイで飾られた鉢巻をもってい た。当時この貝殻は、沿岸の遠く離れた土地から交易によって北の地へ持ちこまれていた。 それは厳しい春だった。男はどんどん体力が萎え、とうとう雪の上に倒れて死んでしまった。そ の瞬間、彼はミヤマシトドという鳥に変身し、目的地へ向かって飛んでいった。キャンプに着く と、「ゾー・ドーシキツィーティー・クロット --- ツィーティー・クロットへもどってきたけれど、もう 遅すぎる」と歌った。いまでもミヤマシトドの鳴き声に耳を傾ければ、その悲しげな言葉が聞こ える。そしてミヤマシトドの頭に目をやると、遠い昔、男が死ぬまで持っていたツイガノの鉢巻 をしのばせる白い縞が見える。
北方で起きてきた多くの変化を知るトパーズは、古代の物語がいまなお重要性をもつかどう か疑問を投げかけた。ぼくは、サラをはじめとする大勢のコユーコン人がキリスト教と伝統的 伝統的な道の両方に従っていることを説明する。サラが強調するところによれば、彼女の祖 父の信条が意味深いのは、キリスト教の教えだけでは、だれもが生きるよすがとする動物や 植物や地球など被造世界のすべてと共存していくための手がかりが少なすぎるからだ。彼女 はあるときこう語った。「<はるかな時代>の物語は、私たち自身だけでなく、身のまわりの どんな小さなものでも尊重しなくてはいけないことを教えてくれるのよ」。他のだれにもまして サラ・スティーヴンスこそ、ぼくが自分の世界観を問いなおし、この島で答えを探し求めるきっ かけをつくってくれた人だと思う。
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