「インディアンは笑う」

あなたの厳しい現実もひっくり返す、ネイティブ・アメリカンの聖なるジョーク!

北山耕平編 中央公論新社 より引用

北山耕平さんのホームページ「Native Heart」






2011年12月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

「ハイテク・インディアン」

インディアン・ジョーク第2弾です。

☆☆☆☆

サウナの中に3人のインディアン。ひとりはカイオワ(Kiowa)、もうひとりがポンカ(Ponca)で、

のこるひとりがシャイアンの男だった。



あるときいきなりサウナの中にポケベルの音が鳴り響いた。カイオワの男が自分の手首の

上の部分に軽く触れると呼び出し音がやんだ。他のふたりがいぶかしそうに見つめる中、

カイオワの男が口を開いた。「すまん、おれのポケベルの音だ。腕のここの皮膚の下に

マイクロチップを埋め込んでいるものでね。」



数分後、サウナの中に今度は電話の音が鳴り渡った。ポンカの男が、手のひらを耳に押し

当てた。しばらくそうやって話したあと、おもむろに電話を切ってからこう説明した。「携帯

電話さ。ぼくは手のひらにマイクロチップを埋め込んでいてね」



ふたりの話を耳にして残されたシャイアンの男は思い切り落ち込んだ。自分がとてつもなく

ローテクの人間に思えた。だが彼も負けず嫌いの人間だった。彼はサウナから出てトイレ

にむかった。しばらくしてトイレから出てきたとき、その尻の上に1枚の長いトイレットペー

パーが貼りつけられて揺れていた。



ポンカとカイオワのふたりの男の目がその紙に釘づけになった。するとシャイアンの男が

言った。



「わりい、わりい、見てのとおり、ちょうどファックスが届いてね」



☆☆☆☆



出典は前回同様「インディアンは笑う」という文献からで、インディアン関係の本を多数

出版されている北山耕平さんが収集したもので構成されています。



私のように物思いに耽ってばかりの空想野郎、腹の底から笑い転げたい能天気野朗、

深呼吸をした記憶がない肺なし野朗、笑いの効果に科学的根拠がないと主張するリト

マス野朗にぴったりの笑い転げてしまう本があったら是非紹介してください。



次回は少し真面目な本来の私に戻ります、うーんでも戻れるかどうかは自信がないな。



(K.K)


 


2011年12月19日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

写真省略

☆☆☆☆

長くネイティブの女性を研究してきた人類学の先生が研究会で成果を発表していた。

「自分の長年の調査によれば」と教授は続ける。「チペワの女性は男性のあとを歩く

傾向にあります。男性のリードに従うのですね。シャイアンの女性は男性の前を歩く

ようです。わたしについて来なさいと、男性を導くのです。クローの女性は男性と並ん

で歩きたがります。そして最後にラコタの女性ですが」



そこで一息ついて呼吸を整えると、彼はこう締めくくった。



「えー、ラコタの女性はですな、どうやら男性を踏んづけていく傾向があります」



☆☆☆☆



このインディアン・ジョークは「インディアンは笑う」という本から抜粋しましたが、皆さん

のご家庭ではどうでしょうか。実はこの本には他にも沢山のジョークが散りばめられて

おり、何度かお腹を抱えて笑ってしまったほどです。



アメリカ社会でも最底辺で生きているインディアンのジョークには、そんな惨めな自分

をも達観しているたくましさが満ち満ちています。イグルーク・エスキモーに残されて

いる格言「遊び方を知る者は、いかなる障害をも、飛び越える。歌うことと、笑うことを

知る者は、いかなる困難にも、挫けない。」は私の大好きな言葉の一つになっています。



多くのものを与えられてばっかりの私ですが、自分で創作した格言があります。この

格言は世界中の男性から熱狂的な支持(ほんまかいな?)を集めました。最後にこれ

を紹介して終わりとします。「男が空を見上げながら夢を語るとき、女はその男の足下

を見ている」



(K.K)


 







本書「世界平和よりむずかしいこと」より引用



クリー(Cree)・インディアンの女性がサスカチュワン川のほとりをそぞろ歩いて

いたとき、地面に一部埋まっていた古い空き瓶を踏みつけて思わずよろめいた。

その瓶を手にとって、なんの瓶か確かめようと汚れを落とした途端、いきなり瓶

の中に閉じこめられいた魔人が飛び出してきた。



話を聞けばその魔人は願いをかなえてくれる魔人だと言うではないか。そういえ

ば願いごとを3つ聞きとどけてくれる魔人がいるという話をいとこから聞かされた

ことがあった。



彼女が瓶の魔人にそのことを伝えると、魔人はこたえた。



「あー、悪いな。3つのお願いごとをかなえるというのは単なるお話でね、おいら

はひとつしか願いごとをかなえてやれないんだよ。それで、どうして欲しい?」



クリーの女性は躊躇することなくこう話した。「中東地域を平和にしてくれること。

ね、この地図を見て、ここにあるこの国とこの国が互いに戦争するのを止めて、

アラブ人とユダヤ人とアメリカ人がみんな仲良くできるようにして欲しいの」



瓶の魔人は地図を眺めてから大声を発した。



「おいおい、お嬢さん、そりゃ法外な要求ってもんだぞ。そこの戦争はもう何千

年も続いている。おいらが瓶の中に閉じこめられてからたかだか500年ぐらい

しか経っていないんだぞ。こちとらには力があるが、それ程までの力はないん

だ! とてもおいらの手に負えるようなものじゃない。たのむから、もうすこし

身の程にあった願いごとをしてくれないか?」



その場でしばらく考えてから彼女は口を開いた。



「そうねぇ・・・・じゃあいい男を見つけてもらおうかしら。インディアンのいい男

って、これが見つけるのはたいへんなのよ。思いやりがあった、おもしろくて、

踊るのが好きで、家の掃除を手伝ってくれて、ベッドではとても情熱的で、家族

思いで、アルコールは飲まないで、信仰心のあるような人がいいわね。あたし

が欲しいインディアンのいい男ってそういう人なの」



これを聞いた魔人はひとつ大きなため息をつくと頭を振りながら言った。



「どれ、さっきの地図をもう一度見せてくれないかな」



本書「ハイテク・インディアン」より引用


サウナの中に3人のインディアン。ひとりはカイオワ(Kiowa)、もうひとりが

ポンカ(Ponca)で、のこるひとりがシャイアンの男だった。



あるときいきなりサウナの中にポケベルの音が鳴り響いた。カイオワの男が

自分の手首の上の部分に軽く触れると呼び出し音がやんだ。他のふたりが

いぶかしそうに見つめる中、カイオワの男が口を開いた。「すまん、おれの

ポケベルの音だ。腕のここの皮膚の下にマイクロチップを埋め込んでいるも

のでね。」



数分後、サウナの中に今度は電話の音が鳴り渡った。ポンカの男が、手の

ひらを耳に押し当てた。しばらくそうやって話したあと、おもむろに電話を切っ

てからこう説明した。「携帯電話さ。ぼくは手のひらにマイクロチップを埋め

込んでいてね」



ふたりの話を耳にして残されたシャイアンの男は思い切り落ち込んだ。自分

がとてつもなくローテクの人間に思えた。だが彼も負けず嫌いの人間だった。

彼はサウナから出てトイレにむかった。しばらくしてトイレから出てきたとき、

その尻の上に1枚の長いトイレットペーパーが貼りつけられて揺れていた。



ポンカとカイオワのふたりの男の目がその紙に釘づけになった。するとシャイ

アンの男が言った。



「わりい、わりい、見てのとおり、ちょうどファックスが届いてね」



アメリカ・インディアンのジョークを長いこと集めている。いろいろなところで雑談に

出てきたり、メールで送られてきたりしたものの中で、自分にとって印象深いもの

を自分なりに日本語に置き換えて紹介する作業を、ぼくは自分のブログで続けて

きた。彼らの笑いは、一瞬にして世界の見方を変えてしまう程の力をときとして持

つ。しかもその笑いの奥には、ただ笑いだけでなく、スピリットの存在が感じられ

ることもしばしばである。ぼくが彼らの笑いに惹かれるのは、過酷すぎる運命の只

中にあってなお笑いこそが最後の武器であることを実感させられるからに他ならな

い。お断りしておくが、ここに集めたジョークには、それをまとめて紹介している原

典となるものはない。アメリカ・インディアンのジョークを集めた本が形になるのは

おそらくこれが世界でもはじめてのことだ。ジョークにはさまざまな部族の名前が

登場するが、多くの場合、部族名はそのジョークが話される部族によって自在に

変化するのが普通である。こうした笑い話は、各地でしばしば開催される「パウワ

ウ」といわれる彼らのお祭りの会場などでみんなと共有され、いろいろと変形しつつ

各地の部族に広まっていく。もともと口から耳へとお話によって文化を伝えてきた

彼らにとって、みんなで分けあうことができるこうしたジョークは、生きて行くエネル

ギーを奮い立たせるというとても大切な役割が持たされている。少しでもそうした

力がわれわれに伝わるのなら、これらのお話を紹介する甲斐があるというものだ。

これらの話をぼくと共有してくれた数多くのネイティブの友人たち、インディアンニュ

ース、コムのみんな、そしてミネソタからときどきEメールでニュースやジョークを

送ってくれるサエコ・ヤマダさんに、あらためてありがとうを言いたい。それから、

マーブルトロン編集部のみんな、ブックデザインを担当してくれたグルーヴィジョ

ンズの方々、きみたちがいなければこの本は決して形にならなかったはずだ。

読者よ、さあ笑おう。笑って世界を変えてしまおう!

(本書 あとがき より引用)


 



APOD: 2012 May 19 - Annular Solar Eclipse

(大きな画像)



 


2012年5月24日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



私がインディアンに関心を持った頃に、インディアンのことについて日本人の方が書いている本に出会った。

その方からは、メールを通していろいろ教えてもらったこともある。



その方はブログの中で、日食に関してインディアンのメディスン・マンから決して見てはいけないことを言われ、

世界中のシャーマン達が決して日食を見ない事例を紹介しながら、家にこもり内なるビジョンを見ることを訴

えておられた。



私は日頃から星空に関心があり、時々山にこもって星を見るのだが、日食も一つの天文現象であると浅は

かに思っていた。



確かに太陽が死んでいくことは古代の人々にとって恐怖であり、喪に服す意味で家にこもったのだろう。私

たち現代人は太陽が隠れても、直ぐに復活することを知っているため、彼ら古代の人のこの恐怖は決して

理解することは出来ないと思う。



この意味で、先のブログは私に新たな視点を与えてくれたように思う。



ただ、私自身の中で、違う見方をした古代の人もいたのではないかという疑問が湧いてきて、5月21日にそ

の思いを投稿した。



私はギリシャ神話は好きではなく、以前から古代の人が星空にどんな姿を投影してきたのか関心があった。

また自分なりに星を繋ぎあわせ星座を創ったほうが意味あることだと思っていた。



今日のことだったがアイヌの日食についての伝承に出会った。私自身まだ読んではいないが、これは『人間

達(アイヌタリ)のみた星座と伝承』末岡外美夫氏著に書かれている話だった。



アイヌの文献は何冊か読んで感じていたことではあるが、アイヌの方と神(創造主)はまるで同じ次元でもあ

るかのような親密感をもって接していながら、畏敬の心を持っている。私は彼らの世界観が大好きだった。



下にこの文献からの引用とアイヌの方が日食を歌った祈りを紹介しようと思うが、これは一つの視点であり

絶対こうでなければならないという意味ではない。



私たちは日食に対する様々な見方を受け止めなければならないのだろうと思う。



☆☆☆☆



太陽が隠れるということは、人びとにとって恐怖でした。



日食のことを次のように言いました。



チュパンコイキ(cup・ankoyki 太陽・をわれわれが叱る)
チュプ・ライ(cup・ray 太陽・が死ぬ)
チュプ・サンペ・ウェン(cup・sanpe・wen 太陽・の心臓・が病む)
トカム・シリクンネ(tokam・sirkunne, tokap・sirkunne 日(太陽)・が暗くなる)
チュプ・チルキ(cup・ciruki 太陽・が呑まれた)
トカプ・チュプ・ライ(tokap・cup・ray 日中の・太陽・が死ぬ)  
チュプ・カシ・クルカム(cup・kasi・kur・kam 太陽・の上を・魔者・がかぶさる)



日食の際の儀式を紹介します。



男性は、欠けていく太陽をめがけてノイヤ(蓬(よもぎ))で作った矢を放ちました。



女性は、身近にある器物を打ち鳴らし声を合わせて、次のように叫びました。



チュプカムイ      太陽のカムイよ
エ・ライ ナー   あなたは重態だ
ヤイヌー パー    よみがえれよー
ホーイ オーイ    ホーイ オーイ



日食は、太陽を魔者が呑み込むために起こったと考えました。その魔者を倒すために、蓬の矢が効果が

あったのです。



太陽を呑み込む魔者は、オキナ(oki・na 鯨・の化け物)、シト゜ンペ(situ・un・pe 山奥・にいる・もの 黒狐)。

オキナは、上顎(うわあご)が天空まで届き、空に浮かんでいる太陽をひと呑みにしたと伝えられています。



闘病記/定年退職後の星日記/プラネタリウム より引用



☆☆☆☆







(K.K)



 

 


2012年5月21日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略

厚木市から見た金環日食



僕は毎日起きてすぐに太陽に祈っている。



人びとに安らぎが訪れるようにと。



今日は金環日食だった。



昔の人は急に太陽が隠されるのを見て、恐れおののいたことだろう。



でも、僕は違う人々のことも想像してみた。



インディアンホピの方たちが日食をどのように見ていたかはわからないが、

日の出と共に太陽に祈りを捧げている人々のこと。



もしこの人たちが太陽が隠され死んでいくのを見た時、こう願い叫んだかも知れない。



「太陽、生きてくれ!!!」と。



僕は肌を通してその感覚を理解しているとはとても言えない。



しかし太陽と心が通じていた民の中には、死にゆく太陽を見ながらこう願ったかも

知れない。



日々、太陽が昇ることを当たり前の出来事と受け取らず、日々感謝の心を持って

生きてきた人たち。



勿論これは僕の勝手な想像で、そのような先住民族がいたかどうかはわからない。



でも、僕は彼らのような民がいたことを、そして現代でも生きていることを信じたい。



(K.K)



 

 

2012年5月27日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



題・・・「お父さん、宇宙が、金環日食が、ここにもあるよ」・・・自宅近く



(K.K)



 

2012年6月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。





(大きな画像)



2004年の金星の太陽面通過、太陽の右側に金星が写っています。(写真はNASAより引用)



今日の部分月食は厚い雲に覆われ見ることが出来ませんでした。



でもお陰で近くに天体観望できる開けたところを新たに開拓することが出来たので感謝です。



ところで、明後日の金星の太陽面通過ですが、上の写真は2004年6月8日の時のものです。



じゃあ明後日見逃しても数年後に見れるんだ、と思われたら大きな間違いで、次は105年先に

なってしまいます。



105年先というと、現在の赤ちゃんでも見るのは殆ど出来ず、その赤ちゃんの赤ちゃんが長生

きしてようやく見ることができるのだと思います。



私たちが明後日見る金星の太陽面通過、そして次に目にするであろう世代を想像するとき、

インディアンの言葉を思い出します。



☆☆☆☆



「私たちの生き方では、政治の決め事は、いつも七世代先の人々のことを念頭におきなが

ら行われる。



これからやってくる人々、まだ生まれていない世代の人々が、私たちよりも悪い世界で暮ら

したりすることのないように、できればもっと良い世界に生まれてこられるように心を配るの

が、私たちの仕事なのだ。



私たちが母なる大地の上を歩くときに、いつも慎重に一歩一歩進むのは、これから生まれ

てくる世代の人々が、地面の下から私たちのことを見上げているからだ。



私たちはそのことを、片時たりとも忘れない」



オレン・ライオンズ(オノンダーガ族)



「ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと」築地書館より



☆☆☆☆




(K.K)









アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)に関する文献

アメリカ・インディアン(アメリカ先住民)

天空の果実

インディアンの神話・預言・叡智を集めた文献に戻る