未来をまもる子どもたちへ



Astronomy Picture of the Day Archive APOD: 2016 July 19 - Color the Universe



2016年7月20日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




フランスの天文学者カミーユ・フラマリオン(1842-1925)の挿絵



天動説から地動説へ



カトリック司祭であり、天文学者でもあったコペルニクスが亡くなる直前(1543年)に書いた「天体の回転について」の中に、

地動説の測定方法や計算方法がすべて書き記されていたそうです。



これは惑星の動きなどの観察の結果の賜物だと思いますが、この挿絵にも天動説から地動説へ変わっていく世界観が

描かれていると言われています。



また、この挿絵には現世とは違う次元の世界があることを垣間見せてくれているようにも感じてしまいます。



最近は大人用の「塗り絵」も売り出されていますが、子供や大人たちはこのフラマリオンが書いた挿絵にどのような彩色を

するのでしょうか。



私も時間があったら挑戦してみたいです。



私も時間があったら挑戦してみたいです。






太陽 「ビヨンド 惑星探査機が見た太陽系」より引用

   太陽には影がない。完璧な沈黙の炎のなかでは、むきだしの力が生む耳を聾さんばかりの   

轟が絶え間なく荒れ狂っている。そこには何かが焼け焦げるパチパチという音も、大きな炎

をあげさせる酸素の流れもない。ただ、熱とエネルギーの凄まじい爆風が、時を超越した無

の空間へと噴きだしていくばかりだ。だが、私たちが昼間、地球から見ることのできる46億

歳のエネルギーの魂は、放射能ガスをまき散らす棺ではなく、ひとつの星である。だからこ

そ、私たちも煙や氷と化すことなく、歩き回ったり、汗ばんだ頭を掻いたりしていられる。そ

れもつづけざまに起きる核融合が外へと向ける爆発的攻撃を、太陽自身の大きな重力が

抑えつけてくれているからなのだ。抗しがたり大きな力が、その力をもってしても動かせない

ものと、太陽という場で遭遇したのであある。そしてそれは大きさにかかわらず、渦巻く銀河

の長い腕の内外、そして闇を漂う光の点すべてに共通することなのだ。





影はひとつもないが、気象現象はある。太陽に吹き荒れる風は、太陽系のほかのどこで観察

されるものより激しい。幼稚園でくりひろげられるぬいぐるみの奪い合いとヒロシマを比べるよ

うなもので、比較するのが馬鹿馬鹿しくなるほどだ。太陽系最大の惑星である木星の嵐の前

では、地球最大の台風もティーポットのなかの渦ほどでしかないが、地球ふたつ分の大きさを

もつハリケーンである木星の大赤斑でさえ、太陽から噴出する炎の一番小さなものと比べれ

ば、本の小さな注のようなものにすぎない。(一方、大赤斑が少なくともあと300年は荒れ狂い

つづけると思われるのに対し、太陽ではこれほど息の長い現象は、今のところ発見されてい

ない。)





宇宙基準で考えれば中くらいの、非常にありふれた星ではあるが、こうした力(および重力場)

を考えれば、太陽がエジプトやアステカ、ロサンジェルスなど各地で崇拝されていたのもうなず

けよう。長老のような時空創造者が登場するおとぎ話の場合と違って、太陽を信仰する人々

は、生命を支え、風を起こし、地球上のすみずみまで照らしてくれるエネルギーの源がどこに

あるのかを見極めるのになんの苦労もなかった。また、そのパワーに貢ぎ物を捧げるのは当

然だと思ったのである。





太陽の表面温度は6000℃である。中心核は1600万℃と、あまりに桁が大きく、めまいを起こ

させるような数字で、理解不可能なほどだ。私たちが暮している無数の21世紀都市の明かり

はすべて、間接的にこの太陽をエネルギー源としている。化石燃料には、遠い昔の森林に蓄

えられたエネルギーが含まれているからだ。中東の砂漠や北海の海流の下に眠る化石化し

た黒い液体は、まるで巨大なバッテリーのように何千年もの間、太陽エネルギーを蓄えてき

た。極冠や夜のインド洋の波頭にきらめく月光も、間接的な太陽光だ。また季節の移り変わ

りも、地球の自転にともなって、太陽に面する半球が変化することによって起こる。




私たちと太陽との関係を、エジプト人やアステカ人にも勝るほど深く理解していたと思われ

るひとりの天才がいた。カール・セーガンによれば、惑星配列図の中心にあるのが地球で

はなく太陽だと最初に主張したのは、アリスタルコスというギリシャの忘れられた学者であ

る。紀元前300年頃、地動説の人として一般に知られるコペルニクスが登場する実に2000

年近く前のことだ。セーガンによると、月食のとき月に映った地球の影の大きさから、アリ

スタルコス太陽が地球よりはるかに大きく、またはるか遠くにあると推測した。「そこで彼

は、太陽のように大きな天体が、地球のように小さな天体のまわりを回っているというの

は不合理だと考えたのかもしれない」と、セーガンは著書「COSMOS」で述べている。「彼

は太陽を中心におき、地球は日に一度自転しながら、太陽のまわりを1年かけてめぐって

いると考えた」。コペルニクスはアリスタルコスのことを書物で知り、同じアイディアを得た

のかもしれない、とセーガンはいう。




近年発見された古典文献は、コペルニクスが留学していた当時、イタリアの大学で大きな

興奮を呼び起こしていたものだった。コペルニクスは、著書の手書き原稿ではアリスタル

コスの方が先を越していたことにふれているが、印刷される前にその部分を削っている。

彼は教皇パウロ3世に宛てた手紙で次のように述べている。「キケロによれば、ニケータ

スは地球が動いていると考えていたそうです・・・・。(アリスタルコスの説を論じた)プルタ

ルコスによれば・・・・ほかにも数名、同じ意見をもっていたといいます。このことから私は、

それが可能であるかを考えるようになりました。そして私自身も、地球は動くものではない

かということについて深く考えはじめました」。




コペルニクスもアリスタルコスも気づかなかったが、太陽ももちろん動いている。銀河系の

中心を2億2600万年かけてまわっているのだ。ラスコーの壁画からローマの水道橋を経て、

前世紀の月到達までを含む、人類の歴史すべてに相当する時間も、その周期から見れば

ほんの一瞬の出来事だ。言い換えれば、太陽が銀河系を1周する時間を1銀河年とすると、

私たち人間はほんの数日、ここ最近の数日を生きているにすぎないのだ。




太陽は、それを見る私たち人間がいなくなっても、もちろん燃えつづけるだろう。ちょうど、

いま私たちの車やトラックを間接的に動かしている先史時代の木々が、人類はその場に

いなかったにもかかわらず音を立てて倒れたのと同じように。だが、太陽エネルギーのほ

んのわずかな一端が現に私たちの思考・・・・太陽を理解しようとする思考も含めて・・・・

をまるで燃料を供給するように刺激しているということが、そもそも太陽という驚異的な存

在に匹敵する奇跡なのだ。もし人類に太陽の荘厳で圧倒的な美をなにがしかでもわかる

能力がそなわっているとしたら、銀河系の一角にあるこのささやかな星は、その重要な

孵卵器であり煽動役であったことになる。地球という惑星の住人のなかには、太陽から

豊かに流れてくる絶え間ないエネルギー液を今でも崇拝している者がいる。そして私た

ち人間がそうであるように、私たちが作った道具もまた同じことをしている。日々瞬きも

せず太陽を見つめている探査機は、すべて太陽から動力を得ているのだから。






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