APOD: 2005 August 30 - Albireo: A Bright and Beautiful Double
双眼鏡で見る夏の星空・ 天空の貴石・アルビレオの二重星 はくちょう座 に戻る。
2011年5月8日の日記から (K.K) ![]() 有隣堂という本屋に置いてあった安い望遠鏡を購入し、初めて土星の輪を見たときの感動は忘れられ ません。今ではその望遠鏡はなく、ただ対物レンズだけは思い出としてしまっています。その後、双眼鏡 による星空観望に移りましたが、天体を見るだけに留まらず、旅行や散歩の時などリュックにしまい第3 の眼として肉眼では見えない世界を映し出してくれます。春はかすみがかかりあまり天体を見るには いい条件ではないといいますが、それでも肉眼や双眼鏡で見る星空は飽きがきません。 ところで貴方の一番好きな天体は何か? と問われたら、私は迷わずアルビレオと答えるでしょう。もち ろん、人それぞれ想いが込められた天体は違うと思います。私の場合は望遠鏡で見たアルビレオでした。 白鳥座のくちばしに輝く3等星の星で、肉眼では1つの星にしか見えないのですが、オレンジとブルーとい う全く異なる色に輝く連星なんです。双眼鏡では口径7㎝に10倍の倍率をかけると2つの星に分離するこ とができますが、その対比の見事さに最初言葉を失っていました。アルビレオがある白鳥座は夏の星座 ですけれども、この時期でも夜半頃には姿を見せてくれます。10倍の双眼鏡や、低倍率の望遠鏡で見る といいと思いますが、望遠鏡に高倍率をかけると、逆にその寄り添う姿が失われてしまいます。 話は変わりますが、今から25年前に読んだ一冊の本があります。ハンセン病の療養所で長年、精神科 医として勤めた神谷美恵子さんの「生きがいについて」です。何故かこの本はずっと心に残っていて最近 再読しましたが、神谷さんの言葉のなかで一番響く言葉が「癩(らい)者へ」という詩の一節です。この 言葉の重みを、私自身の心の底まで降ろすことはできませんが、いつかそのような眼で見ることのできる 人間になれればと願っています。 独身の頃、マルクス政権下のフィリピンに行きハンセン病の施設を訪れたことがあります。もちろんこの 時はハンセン病に対して有効な薬が存在したと思いますが、それでも最初は私自身に病気が移ったら 怖いなという気持ちがありましたし、またこの施設にいる彼女たち(男性の方は別な棟にいたのかも知れ ません)も警戒していました。でもその棟に入ってしばらくすると彼女たちが何か悪戯っぽい眼で私に語り かけてきました。何を言っているのかわかりませんでしたが、いつの間にか女性たちに囲まれ私は彼女 たちの手を自然に握っていました。この病気にかかりながらも、子供みたいな無邪気さを眼に湛えてい る彼女たちを見て、私は単純に美しいなと感じました。アルビレオのように、隔離された厳しい現実と 無邪気な眼という異なる2つの対比が寄り添う姿。ただ、あれから私は彼女たちに対して何の恩返しも できていません。 人間に「慈しむ心」「美と感じる魂」「宗教心」はどのようにして生まれたのか、たぶん多くの説が存在す るかと思います。私はそれは星、宇宙からもたらされた面もあるのではと感じてなりません。現代のよ うに街明かりもなく、光害が全くない太古の人間の目には、月明かりのない夜、壮大な天空の星々・ 天の川が飛びこんできていたでしょう。動物も同じように目というレンズを通してそれを一つの形として 認識しますが、それらの形と自分自身を隔てる深遠な距離・空間を感じさせる力、その力を創造主は 人間に宿したのかもしれません。遥かなる天空の星々たち、それらの存在は人間に与えられたこの 恵みを気づかせ、「自分とは何者か」と常に問いかける存在なのかも知れません。 |
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