「チェスの話 ツヴァイク短篇選」

ツヴァイク著 池内紀 解説 みすず書房






今まで多くのチェスを題材とした小説はあっても、ツヴァイクのこの「チェスの話」は

人物設定、人間描写、意識の明暗、構成力など最高部類に入るものだと思う。話の

導入は、教会に引き取られた何の取り柄もない少年が、チェスの才能を花開かせ不

敗の世界チャンピオンになるのだが、たまたま同じ船に乗り合わせた主人公がこの

チャンピオンに関心を抱く。近づくための策として富裕ではあるが、負けず嫌いの人

物とチェスをすることによってチャンピオンの気を引こうとし、ついに時は訪れる。この

時のチェスは「相談チェス」と言って、相手はチャンピオン一人だが、こちら側は数人

で相談しながら最善の手を選ぶというものである。1局目は簡単に負けてしまうが、2

局目は優位と感じて駒得の一手を指そうと駒を持ち上げたその瞬間、ある中年の紳

士がその手を掴んで言った。「絶対にそれはしないでください!」。その後の話の続き

は本書で読まれて欲しいが、ホロコーストの影に怯えているこの紳士の忘れたい過去

が、一体一でチャンピオンと対戦することになった時何かを目覚めさせることになる。



(K.K)


 





Stefan Zweig : la confusion des sentiments

シュテファン・ツヴァイク(Stefan Zweig 1881年〜1942年)

 
 





Brainwashed (1960) Schachnovelle - German (Torrent Download) - euTorrents

1960年、ツヴァイクの「チェスの話」を土台としたドイツ映画、
Brainwashed(洗脳)の一場面。

(以下本書より引用)



「児玉さんはツヴァイクが好きだった。ドイツ文学科の学生のころ、辞書と首っきりで

全集をあらまし読み終えたという。大学院に進み、学者の道を歩むはずだったが、

ひょんなことから俳優になり、ドイツ文学と縁遠くなっても、おりにつけツヴァイクは読

んでいた。俳優のかたわら無類の本好きとして書評や本をめぐるエッセイを綴るとき、

何かのときにツヴァイクの名前が出てきた」(池内紀)



〈われらの書痴児玉清〉がもっとも愛した表題作「チェスの話」をはじめ、歴史的状況

と人間心理への洞察に満ちた名作3篇を収録する。第一次大戦とインフレを背景に

して、盲目の版画コレクターと博識のユダヤ人愛書家が辿る悲惨な運命を描いた2篇

「目に見えないコレクション」と「書痴メンデル」。弁護士の奥方の不倫を扱った、いか

にもウィーン風の風俗劇たる「不安」。そして1941年、ツヴァイクが亡命の途上で書い

た最後の小説、「チェスの話」、これはナチスの圧政下でホテルに軟禁されたオースト

ラリアの名士を主人公にした、一冊の本をめぐって展開する陰影に満ちた物語である。

両大戦間で、よき市民=ふつうの読書人に愛読された作家の傑作選。


 



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1960年、ツヴァイクの「チェスの話」を土台としたドイツ映画、
Brainwashed(洗脳)の一場面。



本書より引用


三日もすると私は、彼に近づこうとする私の意志よりも彼の巧妙な防御戦術の方が上手

であることに実際むかむかしはじめた。私は生まれてからまだ一度もチェスのチャンピオン

と個人的に近づきになる機会を持たなかったし、今そのような人間のタイプを思い描いてみ

ようと努めれば努めるほど、一生にわたって六十四の黒白の升目から成る空間のまわりば

かりをもっぱら回転している頭脳活動というものなどは、ますます私には想像不可能なもの

に思えて来るのだった。



たしかに私も自分の経験からしてこの〈王侯の遊戯〉の神秘な魅力について知ってはいた。

それは人間が考え出したあらゆる遊戯のなかでも、ひとり傲然として一切の偶然の支配を

まぬがれ、その勝利の栄冠はひたすら智力に、というよりも知的才能の或る特定の形式に

のみ与えられる唯一の遊戯だった。



しかしチェスを遊戯と呼ぶことには、それ自体すでに侮辱的な限定を加える虞(おそれ)が

あるのではなかろうか? それはまた学問であり、芸術であり、マホメットの柩が天と地の

あいだに懸かっているようにその二つの範疇のあいだにただよい、一切の相反するものが

きわめてユニークに結びついているものではあるまいか? 太古より在ってしかも永遠に新

しく、その本質は機械的なものでありながらもっぱら想像力によってのみ進行し、幾何学的

な窮屈な空間に局限されつつしかもその組合せにおいては無限であり、絶えず展開するが

決して何ものも生まない。



何ものへも導かない思考、数値を出さない数学、作品を生まぬ芸術、実体のない建築、そ

れでいてあらゆる書物や芸術作品より実際上永続的なのだ。あらゆる時代のあらゆる民族

のものでありながら、いかなる神が人間の無聊をまぎらわし感覚を磨き精神を緊張させるた

めにこの地上へもたらしたのかは何人にも知られていない唯一の遊戯なのだ。



どこでそれは始まり、どこでそれは終るのか? どんな子供にでもその初歩の規則はおぼ

えられるし、どんな不器用な人間でもやってみることはできるが、それでいてこの遊戯はそ

の不変の狭い方形のなかで、他のすべての人間とは比較できない或る特別な種類の名人、

もっぱらチェスのみ向いた才能をそなえた人間、そのヴィジョンも忍耐力も技術も数学者や

詩人や音楽家におけるとまったく同じほど一定された配置をもって・・・ただその深浅の度や

組合せは違うが・・・働く特殊な天才を、生み出すことができるのだ。


 



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1960年、ツヴァイクの「チェスの話」を土台としたドイツ映画、
Brainwashed(洗脳)の一場面。




下の棋譜は本書171ページで紹介されたアリョーヒンとボゴリュボフ(1922年)の

試合。本書では次のように書かれている。




局面は・・・われわれ自身これには驚いたが・・・われわれのほうにびっくりするほど有利に

なっていた。つまり、cの列のポーンを敵陣の一つ手前のc2の升にまで進めることに私たち

は成功していたのだ。これをクイーンにするにはそのポーンをc1に進めさえすればよかっ

た。このようなあまりにもあきらかなチャンスを前にして勿論私たちはすっかり悦に入ってい

たわけではない。私たちは皆、一見自分たちの獲得したように見えるこの有利な位置は、

私たちよりもずっと読みの深いチェントヴィッツがわざと誘いの手として仕掛けたものでは

なかろうかと邪推した。しかし皆で一生懸命頭をひねり議論をしてみても、私たちには隠れ

た計略を見出すことができなかった。結局許された考慮時間ぎりぎりになって私たちは思い

切って指してみることに決めた。すでにマッコナーは最後の升へ進めようとしてポーンに手

をかけていたが、そのとき突然彼は腕をつかまれ、誰かが低いけれども激しい声でささやい

た。「絶対にそれはしないでください!」



思わず私たちは皆振向いた。それは四十五歳ぐらいの紳士で、その細長い尖った顔は異様

な、ほとんど白墨のような蒼白さのために以前からプロムナード・デッキで私の目についてい

たのだが、私たちが今の問題に全心を傾注していた最後の何分かのうちに彼は私たちのほ

うへやって来ていたに相違ない。私たちの視線を感じると彼はあわただしくつけくわえた。



「今あなたがクイーンに成ると相手はすぐc1のビショップであてて来る。あなたはナイトで反撃

する。しかしそのあいだに相手は明いたポーンをd7へ進めてあなたのルークを脅す。そして

たといあなたがナイトで王手にしたところであなたの負けで、八手から十手までのうちにかた

づけられてしまいます。これは一九二二年のピスティアンの大会でアリェーキンがボゴリュー

ボフと対戦のとき編み出した手順とほとんど同一のものですよ」




Alexander Alekhine vs Efim Bogoljubov
Bad Pistyan it, CZE 1922 ・ Spanish Game: Closed Variations. Morphy Attack (C84) ・ 1/2-1/2




alekhine_bogoljubov_1922.pgn へのリンク

 
 


本書 解説 「ツヴァイクの甦り・・・今は亡き児玉清氏に」 池内紀 より抜粋引用



ツヴァイクの数多くの短篇のうちから、ここには四篇が収められてある。最初の「目に見えない

コレクション」は、1922年にドイツを襲った未曾有のインフレが背景になっている。第一次世界

大戦の敗戦国ドイツは、途方もない賠償金を課せられ、経済がマヒ状態を呈していた。フランス

軍によるルール工業地帯占拠をきっかけにして金融システムが一挙に崩壊。人々は一夜にし

て、「年金などでは月に二日もくらしてゆけない」生活に陥った。



目の見えないコレクターを父親にもつ質素な身なりのさびしい娘は、当時のドイツ国民の似姿

そのものだろう。誰もが途方にくれていた。物価が倍々ゲームのように値上がりして、いまや卵

一つが天文学的数字を示している。途方もないインフレを境にして、ゲーテやシラー以来、ドイツ

国民の精神的バックボーンを形成していた堅実な中産階級が消滅した。ナチズムが急速に勢力

をのばしていった前提というものだ。



つぎの「書痴メンデル」はほぼ同時代の隣国オーストリアのケースである。ほんのひと昔前、「た

そがれの維納(ウィーン)」の辻には陽気なメロディーが流れ、華やかなざわめきにあふれていた。

昔ながらのカフェの奥には玉突き場があり、かたわらのテーブルで「枢密顧問官か大学教授と

いったタイプの二人」がチェスをさしている。そこはまたガリチア生まれのユダヤ人、ヤーコプ・メ

ンデルの世界だった。「死滅しつつある前世界」の書物だけに生きている男。



作家ツヴァイクはメンデル的人物を好んでとりあげた。「目に見えないコレクション」の主人公も

同類だろう。何か一つのことに過大の情熱をもつばかりに、平均的なものを優先する社会にあっ

て「奇人」にならざるをえないのだ。およそ罪のない愛すべき人物が時代とともに零落していく。

ひとりの奇人を通して、ツヴァイクはさりげなく一つの典型を提出している。それまで神聖なもの

とされていた権利を、「正直に信じたばかりに逃げそこなった人たち」。ほんの三年か四年で十分

なのだ。「新しいファラオの時代になると、もうヨーゼフのことを知る者はなくなった」・・・・。



「書痴メンデル」は1929年の発表である。ツヴァイクはすでにいち早く、チョビ髭をはやした独裁者

に歓乎する「新しいファラオの時代」を予告していないだろうか。



「チェスの話」は、われらの書痴児玉清がもっとも愛した作品である。ツヴァイクはこれを祖国オー

ストリアを捨て、イギリスからアメリカへうつった矢先の1941年に発表した。チェス以外は何も受け

つけない頭脳の持ち主は奇人のタイプだが、より一層意味また陰影が深めてある。ニューヨーク

を経ってブエノス・アイレスに向かう客船上の12日間は、ザルツブルクにとどまり、世のうつりゆき

をじっと観察していた年月とかさなっており、指先で何かを指すようにしてツヴァイクは書いている。



「あらゆる種類のモノマニア的な、ただ一つの観念に凝り固まってしまった人間は、これまでずっと

私の興味をそそって来た。人間は限定されればされるほど一方で無限のものに近づくからである」



ヒトラーの天下取りのかたわらで、オーストリアではドルフスというファシスト見習いが政権についた。

いずれドイツの先例を手本にして国会の機能を停止するだろう。町は重苦しい。日に日を追って隣

国から逃げ出してくる人々が増加する。不気味な強制収容所のこと、ユダヤ商人ボイコットのこと、

あるいは「併合」とよばれる事態について、ひそひそと町角ごとにささやきが交わされていた。



ツヴァイクはまたSAやSSという名のナチスの私兵たちについて述べている。本当の軍隊ではない

が、「危険性と訓練度はまったく同じ軍隊」であって、疎外され、冷遇され、社会に対して「怨恨を抱

いた連中の軍隊」が、あらゆるところ、官庁から仕事場、事務所、個人の私室までも見張っている。



チェス盤をはさみ「新しいファラオ」と「忘れられたヨーゼフ」が対峙している。勝運がどちらの側に

あるか、火を見るよりあきらかだ。



ツヴァイクにとっての客船の行き先はブラジルだった。1942年2月、シュテファン・ツヴァイクは新しい

亡命地ブラジルのペトロポリスで自殺した。「別れの手紙」には、自分たちの世界がもはや消え失せ

たからには、その世界に「節操をつくし、一つの生命に終わりをもたらす」旨のことがしるされていた。



児玉さんとは、ある雑誌の鼎談ではじめて会った。50年に及ぶ俳優歴を聞いたわけだが、忘れられ

ないあれこれ。ニューフェイスとして期待されながら映画では10年ちかく、チョイ役のままで、のちに

テレビの世界にうつったこと。親しんだ人々、印象にやきつけた情景・・・。



そしてある日、愛する娘に突然、死が告げられたこと。威容を誇る現代医学はなすすべを知らず、

しかも医学的権威の名のもとに無力な患者をなぶりものにする。忽然とこの世からいなくなった娘に

『負けるのは美しく』の終章で慟哭の文章が捧げられた。



おだやかに、やさしく、記憶をたしかめながら話す人だった。相手をつつみこむようなやさしさ。だが

それは強くて、厳しいからこそ実現するやさしさであって、地の底に沈みこむようなときにも、まわり

へのいたわりを忘れない。人間舞台の名ワキ役というべき人の語りだった。



それがきっかけで親しくなった。児玉さんがホスト役の場に招かれて、話をしたこともある。大根役者

のたわいないおしゃべりを、児玉さんは辛抱づよく聞いていた。



新しいツヴァイクの選書をもくろんでいて、児玉さんに一役買ってもらうつもりでいたのだが、なぜか

テレくさい気がして、とうとう話せないまま終ってしまった。


 


2012年1月4日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

映像省略

今から70年前にあった一つの実話を紹介しようと思います。映像は第二次世界大戦中、敵味方

なく愛された歌「リリー・マルレーン」 です。



☆☆☆☆☆☆☆



ところで、先年、ヨーロッパを旅行中、私は一つの興味深い話を聞きました。どこでしたか町の

名は忘れましたが、何でも、ドイツとの国境近くにあるフランスの一寒村に、今度の大戦中に

戦死した、フランスのゲリラ部隊十数名の墓があるのですが、その墓に混じって、ひとりの無名

のドイツ兵の墓が一つ立っているのです。そしてすでに、戦争も終って十数年経った今日も、

なお、その無名のドイツ兵の墓の前には、だれが供えるのか手向けの花の絶えたことがない

とのことです。いったい、そのドイツ兵とは何者なのかと尋ねると、村の人々はひとみに涙を光

らせながら、次のように話してくれることでしょう。



それは第二次世界大戦も末期に近いころのことでした。戦争勃発と共に、電光石火のような

ドイツ軍の進撃の前に、あえなくつぶれたフランスではありましたが、祖国再建の意気に燃え

るフランスの青年たちの中には、最後までドイツに対するレジスタンスに生きた勇敢な人々が

ありまして、ここかしこに神出鬼没なゲリラ戦を展開しては、ナチの将校を悩ましておりました。

が、武運拙くと言いましょうか、十数名のゲリラ部隊がついに敵の手に捕らえられました。残虐

なナチの部隊長は、なんの詮議もなく、直ちに全員に銃殺の刑を申し渡しました。ゲリラ部隊

の隊員の数と同じだけのドイツ兵がずらりと並んでいっせいに銃を構え、自分の目の前のフラ

ンス兵にねらいを定めて「撃て!」という号令を待ちました。と、間一髪、ひとりのドイツ兵が、

突然叫び声をあげました。



「隊長! 私の前のフランス人は重傷を受けて、完全に戦闘能力を失っています。こんな重傷

兵を撃ち殺すことはできません!」 今まで、かつて反抗されたことのないナチの隊長は怒りに

目もくらんだように、口から泡を吹きながら叫び返しました。「撃て! 撃たないなら、お前も、

そいつと一緒に撃ち殺すぞ!」と。けれど、そのドイツ兵は二度と銃を取り上げませんでした。

ソッと銃を足下におくと、静かな足取りで、ゲリラ部隊の中に割って入り、重傷を負うて、うめい

ているフランス兵をかかえ起こすと、しっかりと抱き締めました。次の瞬間、轟然といっせいに

銃が火を吐いて、そのドイツ兵とフランス兵とは折り重なるように倒れて息絶えて行ったという

のです。 (中略)



しかし、そのドイツ兵は撃ちませんでした。のみならず、自分も殺されて行きました。ところで

なにか得があったかとお尋ねになるなら、こう答えましょう。ひとりのドイツ兵の死はそれを

目撃した人々に忘れ得ぬ思い出を残したのみならず、ナチの残虐行為の一つはこの思い出

によって洗い浄められ、その話を伝え聞くほどの人々の心に、ほのぼのとした生きることの

希望を与えました。ナチの残虐にもかかわらず、人間の持つ良識と善意とを全世界の人々

の心に立証したのです。このような人がひとりでも人の世にいてくれたということで、私たちは

人生に絶望しないですむ。今は人々が猜疑と憎しみでいがみ合っていはいても、人間の心の

奥底にこのような生き方をする可能性が残っている限り、いつの日にか再びほんとうの心か

らの平和がやって来ると信ずることができ、人間というものに信頼をおくことができる・・・・これ

が、このドイツ兵の死がもたらした賜物でした。どこの生まれか、名も知らぬ、年もわからぬ

この無名の敵国の一兵士の墓の前に戦後十数年を経た今日、未だに手向けの花の絶える

ことのないという一つの事実こそ、彼の死の贈物に対する人類の感謝のあらわれでなくて何

でありましょう。(後略)



「生きるに値するいのち」小林有方神父 ユニヴァーサル文庫 昭和35年発行より引用



☆☆☆☆☆☆☆



ナチの残虐行為、特にユダヤ人虐殺(ホロコースト)は、生き残った人々の多くに死ぬまで

消え去ることのできない印を刻み込みました。600万人が犠牲になった強制収容所という

極限状況の中で、フランクル著「夜と霧」では人間の精神の自由さを、ヴィーゼル著「夜」

は神の死を、レーヴィ著「アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察」

は人間の魂への関心を決して絶やさなかったことを、そして大石芳野著「夜と霧をこえて 

ポーランド・強制収容所の生還者たち」では癒すことが出来ない忌まわしい記憶に苦しめ

られている人々を私たちに訴えかけています。しかしそのような絶望的な状況の中でもシ

ャート著「ヒトラーに抗した女たち」に見られる、ドイツ全体を覆う反ユダヤの流れに抵抗し

た人もいたのも事実です。



私自身、家族、国家、主義主張を守るため自分の生命を犠牲にすることとを否定するもの

ではありません。ただ先に紹介した一人のドイツ兵のことを思うと、家族、国家、主義主張

を守るため自分の生命を犠牲にすることとは違う次元に立っているよう気がしてなりません。

それは彼が助けることを選んだその瞬間、彼の未来の人生を、守りたかったものへ捧げる

という意味ではなく、未来へと向かって生きる自分自身に対しての意味を感じたと思うので

す。家族とか国家のためではなく、自分自身の未来に責任を持つために。



しかし、もし私が同じような状況に置かれたら間違いなく銃を撃つ側に立つでしょう。「これ

は戦争なのだ」と自分に言い聞かせながら。ただ、実際に銃を撃った他の兵士はその後

どのような人生を送ったのでしょうか。中には生き残って愛する女性と結婚し子育てをし

幸せな老後を迎えた人もいるかも知れません。ただ彼の意識のどこかにいつもこのドイツ

兵の行為が頭から離れなかったことは確かだと思います。「あの時自分がとった行動は

本当に正しかったのか」と。



この時期、夜の11時頃に東の空から「しし座」に輝く一等星レグルス(二重星)が登ってきま

す。77年前第二次世界大戦突入の時に、この星から船出した光が今、私たちの瞳に飛び

込んできています。当時の世界や人々に想いを馳せながら、春の予感を告げるレグルスを

見てみたいものです。



(K.K)


 







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