上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る夏の星空 ο星と30番星(二重星) はくちょう座。
距離・・・30番星(717光年)、ο1の青い星(1717光年)、ο1のオレンジ色の星とο2は不明。
上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。 |
今から1717年前の世界とは?(2011年を基点) 遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に 映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。 |
226 ササン朝ペルシア成立(〜651) 239 (日本)卑弥呼が魏に使者 280 晋が中国を統一(〜316) 285 (日本)漢字が伝わる 313 ミラノの勅令(コンスタンチヌス帝がキリスト教を公認) 325 ニケーア公会議 〜アタナシウス派を正統 350 朝鮮に高句麗・百済・新羅の三国が成立 354 アウグスティヌス生まれる 三位一体論など後世に大きな影響を与えた神学論を提示 |
卑弥呼 Queen Himiko and the mystery of Yamatai-koku | Heritage of Japan 卑弥呼(ひみこ、170年頃 - 248年頃)は、『魏志倭人伝』等の中国の史書に記されている倭国の王(女王)。 邪馬台国に都をおいていたとされる。封号は親魏倭王。後継には親族の壹與が女王に即位したとされる。本来 の表記は「卑(上部の「ノ」が無い)彌呼」である。 「魏志倭人伝」の卑弥呼 「魏志倭人伝」によると、卑弥呼は邪馬台国に居住し(女王ノ都トスル所)、鬼道で衆を惑わしていたという (卑彌呼 事鬼道 能惑衆)。この鬼道や惑の意味には諸説あり正確な内容は不明。ただし中国の史書には、黎 明期の中国道教のことを鬼道と記している例もある。既に年長大であったが夫を持たず(年已長大 無夫壻)、 弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく (自爲王以來 少有見者)、ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた。 宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた(唯有男子一人給飮食 傳辭出入 居處宮室樓觀 城柵嚴設)。 卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている (卑彌呼死去 卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩)。 卑弥呼 - Wikipedia より抜粋引用 |
今から717年前の世界とは?(2011年基点) |
1265〜1321 ダンテ 1266頃〜1337 ジョット 1272 十字軍が聖地を退く 1275 マルコ・ポーロが大都に来る 1274 (日本)文永の役 1279 元が南宋を滅ぼす。このころ元の全盛期で東西交通が栄える 1281 (日本)弘安の役 1299 オスマン・トルコ帝国の建国 マルコ・ポーロの『東方見聞録』なる 1303 アナーニ事件 1309 教皇のバビロン捕囚 1313 ドイツで火薬が発明される ダンテの「神曲」ができる。このころからイタリアにルネッサンス(文芸復興)が始まる 1333頃 アルハンブラ宮殿なる 1333 (日本)鎌倉幕府が滅びる 1339 英仏間に百年戦争はじまる(〜1453) |
サンドロ・ボッティチェッリによるダンテの肖像画(1495年) ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri、1265年 − 1321年9月14日)は、イタリアの都市国家 フィレンツェ生まれの詩人、哲学者、政治家。代表作は彼岸の国の旅を描いた叙事詩『神曲』 および詩文集『新生』。イタリア文学最大の詩人とされ、ルネサンスの先蹤ともいわれる。 「神曲」 原作 ダンテ 挿画 ギュスターブ・ドレ 訳・構成 谷口江里也 JICC 『神曲』(しんきょく、伊: La Divina Commedia)は、13から14世紀にかけてのイタリアの詩人・ 政治家、ダンテ・アリギエーリの代表作である。地獄篇、煉獄篇、天国篇の3部から成る、 全14,233行の韻文による長編叙事詩であり、聖なる数を基調とした極めて均整のとれた構成 から、しばしばゴシック様式の大聖堂にたとえられる。イタリア文学最大の古典とされ、世界 文学史にも重きをなしている。当時の作品としては珍しく、ラテン語ではなくトスカーナ方言で 書かれていることが特徴である。 ダンテが『神曲』を世に出した背景には、当時のイタリアにおける政争と自身のフィレンツェ 追放、そして永遠の淑女ベアトリーチェへの愛の存在が大きい。またダンテはヴェローナの パトロンであるカングランデ1世 (it:Cangrande I della Scala) への書簡で、人生における道徳 的原則を明らかにすることが『神曲』を執筆した目的であると記している。『神曲』地獄篇は 1304年から1308年頃に執筆されたと考えられている。1319年には地獄篇と煉獄篇は既に 多くの人に読まれており、ダンテは名声を得ていたことが分かっている。天国篇は1316年頃 から死の直前、1321年にかけて完成された。『神曲』は当時の知識人の共通語であったラテ ン語ではなく、トスカーナ方言で執筆されたことも、多くの人に読まれた理由である。 神曲 - Wikipedia より抜粋引用 |
「この星座には、アルビレオのほかにも小口径で楽しめる二重星がたくさんあります ので、ついでにここで全部紹介しておきましょう。まず、肉眼でおもしろいものとしては、 ο1と30番星の一対があります。これは1°離れているので肉眼でも簡単に見わけら れますが、双眼鏡でのぞくと色の対比があんがい美しく、この間7.0等星がもうひとつ見 えてきて視野はにぎやかになります。」 「星座ガイドブック 春夏編」藤井旭著 より引用
「すぐ北のοとおなじ視野に入ります。光度はο1が5等、ο2は4等です。位置角323°、 338"はなれています。この二つの星は肉眼重星ですが、オペラグラスではっきりしてき ます。ο1の方には位置角173°、107"に7等星がつきます。双眼鏡で色のあざやかな 三つの星がみえます。」 「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用
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「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用
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