2013年6月18日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。








FB友達の山田眞世さんが、試行錯誤を重ねて創作したオリジナルの点描曼荼羅画です。



実物は上の写真よりも鮮やかな発色で、画だけでも引き込まれてしまうのですが、3Dメガネ

で見ると曼荼羅画が立体的に浮かび上がってきます。



私のカメラ知識に乏しく、夜明けの写真も自己満足の領域を出ませんが、山田さんはそれ

でも夜明けの印象を曼荼羅に描いてくれました。



3月に頂いたこのプレゼントは、宇宙の秩序や神秘を感じさせてくれる私の大切な宝物です。



山田眞世さんのホームページ
Aloe*Wing
Mandala uni-verse〜曼荼羅宇宙










2012年4月1日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。



フィリピンの刑務所に服役している方が作った聖母マリア像で大切にしているものです。



随分前のテレビでブッダの足跡を追ったNHKの番組があり、梅原猛さんと瀬戸内寂聴さんが解説して

おられた。晩年のブッダが母親の故郷だったか亡くなった場所を目指していたのではないかとの問い

に、瀬戸内寂聴さんは「それはありません。ブッダはそれを超えた目的のために向かった」と話してお

られましたが、梅原猛さんは瀬戸内寂聴さんに対して「いや、仏陀の心の奥深くにはそれがあった」と

言っておられたのが強く印象に残っています。



ブッダ、そして梅原猛さんも生まれて1週間後に母を亡くしています。宗教学者の山折哲雄さんは梅原

猛さんのことを次ぎのように記しています。



「仏教にたいする梅原さんの心情の奥底には、母恋いの気持が隠されている。それは微かに沈殿して

いるときもあるが、激流となってほとばしることもある。梅原さんがしばしば語っているように、それは養

父母に育てられた体験からきているのかもしれない。とりわけ、母上に早く死なれてしまった辛い体験

が、その後の梅原さんの思想の形成に大きな影を落としているためなのであろう。その深い喪失感が、

梅原さんの文章に切迫した気合いをみなぎらせ、その言葉に美しいリズムを生みだす源になっている

のだと思う。」



ブッダ、そして梅原猛さんは同じ喪失感を味わったものだけしか理解しあえない次元で繋がっているの

かも知れません。



勿論、瀬戸内寂聴さんの「仏教塾」は万人に理解できる言葉で仏教を紹介している素晴らしい文献です

が、それと同様に梅原猛さんの「梅原猛の授業 仏になろう」はユーモアを交えながらも奥の深さを感じ

ます。また手塚治虫が書いた漫画「ブッダ」と共に、今読み始めている「超訳 ブッダの言葉」小池龍之介

・翻訳もそのような優れたものなのかも知れません。



私は読んだことはありませんが、当時の日本の哲学界の重鎮であった西田幾太郎や田辺元を梅原猛

さんは評価しながらも批判をしています。



「西田・田辺の精神はよろしい。西洋哲学と東洋哲学を総合して、今後の人類に生きる道を示すような

独創的な哲学を立てるという精神には大賛成です。だけど、もっとやさしく語れ、もっと事実に即して語れ

というのが、私の学生時代からの西田先生、田辺先生に対する批判です。」



専門家向けに書かれた本なら専門用語を駆使して書くことは当然かも知れません。しかし万人を対象と

するとき、敢えて難しい言い回しや専門用語を使うことは、自らの学問の使命を忘れているのではと感じ

てなりません。勿論私の読解力のなさがそう思わせている面もあるのですが、学問は人類に限らず地球

や地球に生きるもののためのものであるはずです。学問を自分自身の名声・名誉や金銭、社会的地位

を得るための手段としてしか捉えられない者は、哲学であれ科学であれ道を踏み外しているように思い

ます。



「母の愛を象徴化したような観音やマリア崇拝が、宗教の根源ではないか」と梅原猛さんは言っています

が、梅原猛さんが母の慈愛を観音様に重ね合わせるように、私は聖母マリアに重ね合わせているので

しょう。



ただ児童虐待などで母の慈愛を感じらずに育った子供たちは、物心がつくまえに母を亡くした方と同じよ

うな喪失感が横たわっているのかもしれません。



(K.K)



 


2012年4月8日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。

画像省略



ティナ・シーリグ教授(写真は他のサイトより引用)



マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」に感銘を受けて、「スタンフォード白熱教室」の

ティナ・シーリグ教授のDVDを借りて見た。



スタンフォード大学は多くの企業家を生み出してきた大学として有名らしいのだが、その授業の中

でもティナ・シーリグ教授の手法(集団発想法)は常識を打ち破る新たな創造性を産みだしている。



私はまだ4巻の内2巻しか見ていないのだが、マインドマップなど様々な道具を利用しながら発想

方法を学んでいく。これまで特に印象に残ったのが「最悪のものと思える」ことから新たなものが

生まれる可能性があるということ。勿論、企業家を目指すための講座なのだが、私たち一般の

人間にとっても、日々の生活の中でそれらの手法は活かせるのではないかと思ってしまった。



ただ私の中で、マイケル・サンデル教授もそうだが、テレビに映る画面を見ながら言葉を聴いて

いると、それらの言葉が頭の中をすり抜けていくような感じになってしまう。脳の老化現象なのか

も知れないが、そのためこれらの講座を私は目を閉じて言葉を聴くようにしている。



しかし暗闇の中で言葉が降りてくると、何故この言葉を使ったのだろう、この言葉に隠された感情

は何だろう、などとイメージが新たな方向に膨らんでいくのが不思議だった。



チェスでも最近は頭の中で棋譜を追い続けるよう訓練している。強いアマチュアやプロ棋士だった

ら盤を見ない「盲指し」は誰でも出来るが、逆に「盲指し」をやり過ぎると脳にいい影響を与えないと

も言われている。チェスが強かった旧ソ連でこの研究結果が出たと記憶しているが、確かにイメー

ジの世界と現実とのかいりが人格を分断させてしまう可能性はあるのかも知れない。



この研究結果が本当のことなのかわからないが、イメージと現実の世界を常に行ったり来たりする

ことで脳の平衡状態が生みだされ、悪い影響を避けることができるのだろう。



家のベランダに置いてある睡蓮鉢では、睡蓮の葉が水中で大きくなり、メダカがもう卵を抱えている。

春、生命の躍動を感じてしまう季節だ。



☆☆☆☆



知識から自由になる(『超訳 ブッダの言葉』小池龍之介・編訳)より引用


内面を見つめる力や集中力や落ち着きといった能力をトレーニングをするかわりに知識を増やそう

とするのは、愚か者の証。



哲学・政治学・経済学・心理学・文学・さまざまな言語なんかの知識をむやみに増やすことによって、

記憶のメインメモリーは不必要な情報のノイズで埋め尽くされ、頭が混乱するだけ。



「せっかく学んだのだから他人にひけらかしたいよー」とか「せっかく学んだのだからこの知識を使っ

てみたいよー」などと、それらの知識への執着が生じるがゆえに、知らず知らずのうちに知識に

支配される。



その知識のフィルターを通してしか物事を感じることができなくなり、いつの間にか不幸になってしまう。



頭を混濁させる小ざかしい知識のフィルターを離れて、ものごとをありのままに感じるように。



法句経72



☆☆☆☆



(K.K)



 


2012年5月6日、フェイスブック(http://www.facebook.com/aritearu)に投稿した記事です。




4月17日に投稿した「二番煎じは嫌だ」とも通じますが、ブッダの言葉の中で最も好きなものを紹介しようと

思います。



この言葉は後世にいい影響とそうでないものをもたらしたように思います。しかしブッダはそれ予見してい

ながら、それでも自分の教えが新しく生まれてくる人たちによってより深まっていくのを確信していたように

感じてなりません。



さまざまな宗教には多くの問題がありますが、それでもより洗練された姿になろうという方向性を感じます。



宗教の根源、沈黙でしか聴くことが出来ない次元に根を下ろした偉大な魂は道標として私たちを導いてく

れました。そして新たに生まれてくる魂が、今度はどんな景色をみせてくれるのか本当に楽しみです。



☆☆☆☆



君が川を渡るために筏(いかだ)をつくって、川を渡ったあとでこう考えたとしてみよう。



「この筏はとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と。



そんなお荷物をかかえ込んでしまっては、重たくて重たくて、まともに歩けはしなくなる。



それが君の業績であれ学歴であれ職歴であれ、この筏と同じこと。



私の言葉も教えも真理すらもまた、この筏のようなものにすぎないのだから。



君が私の教えを使い終わったなら、惜しむことなく捨て去るように。



中部経典「蛇喩経」



「超訳 ブッダの言葉」より引用



☆☆☆☆




(K.K)









夜明けの詩(厚木市からの光景)

美に共鳴しあう生命

祈りの散文詩集

神を待ちのぞむ(トップページ)

天空の果実

ブッダ(仏陀)


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