上の画像は双眼鏡(倍率7倍の実視界約7°)で見る冬の星空・ヒヤデス星団(Mel.25) おうし座
距離・・・150光年
上の画像は光害のない、そして透明感ある最高の星空を再現したものです ので、光害などが残るところでは実際にはこのように見えない場合があります。 |
今から150年前の世界とは?(2011年基点) 遠い昔に船出した星の光は、今それを見ている人の瞳に 映し出され、そしてその心には何が刻まれるのでしょう。 |
1859年 イギリスのダーウィンが『種の起源』を著す イタリア統一戦争(1860) 1859年 (日本)安政の大獄 1860年 英・仏連合軍が北京を占領 北京条約(英・仏・露) 洋務運動おこる(同治中興) 1860年 (日本)桜田門外の変 1861年 アメリカ南北戦争(〜1865) イタリア王国が建国される ロシアのアレクサンドル2世が農奴解放令発布 1863年 アメリカ大統領リンカーンが黒人奴隷解放宣言 1863年 (日本)薩英戦争 1864年 ロンドンで国際労働者協会(第一回インターナショナル)が結成される |
島津 斉彬(しまづ なりあきら、文化6年3月14日(1809年4月28日)‐安政5年7月16日 (1858年8月24日))は、江戸時代後期から幕末の外様大名で、薩摩藩の第11代藩主 (在任:嘉永4年(1851年) - 安政5年(1858年))。島津氏の第28代当主である。 第10代藩主・島津斉興の長男。母は因幡鳥取藩主・池田治道の娘・弥姫(周子)。没後 に贈正一位。神号は照国大明神。薩摩藩の富国強兵に成功した幕末の名君の一人で ある。西郷隆盛ら幕末に活躍する人材も育てた。 松平慶永(福井藩主)、山内容堂(土佐藩主)、伊達宗城(宇和島藩主)らと並んで幕末 の四賢侯と称された。しかし慶永は後世において、「大名第一番の御方であり、自分は もちろんのこと、水戸烈侯、山内容堂、鍋島直正公なども及ばない」と語ったといわれる。 現在の日本の国旗である日章旗を初めに提案したのは斉彬だったといわれる。 西郷隆盛ら後の維新志士らから慕われ、西郷などは斉彬の死去を知ると号泣し、後を 追って殉死しようとしたほどである。斉彬の功績は明治時代を築くことになる人材を育て 上げたこともその一つといえる。 理化学に基づいた工業力こそが西洋列強の力の根源であることを見破り、自身もアル ファベットを学ぶなど高い世界認識をもっていた。 『島津斉彬言行録』には「君主は愛憎で人を判断してはならない」、「十人が十人とも好む 人材は非常事態に対応できないので登用しない」など、 近代的な人材登用策を示していたことが覗える記述もある。 島津斉彬 - Wikipedia より画像・文とも引用 月照(げっしょう、文化10年(1813年)- 安政5年11月16日(1858年12月20日))は、幕末期の 尊皇攘夷派の僧侶。名は宗久、忍介、忍鎧、久丸。 文化10年(1813年)、大坂の町医者の長男として生まれた。 文政10年(1827年)、叔父の蔵海の伝手を頼って京都の清水寺成就院に入る。そして天保 6年(1835年)、成就院の住職になった。しかし尊皇攘夷に傾倒して京都の公家と関係を持 ち、徳川家定の将軍継嗣問題では一橋派に与したため、大老の井伊直弼から危険人物と 見なされた。西郷隆盛と親交があり、西郷が尊敬する島津斉彬が急死したとき、殉死しよう とする西郷に対し止めるように諭している。 安政5年(1858年)8月から始まった安政の大獄で追われる身となり、西郷と共に京都を脱出 して西郷の故郷である薩摩藩に逃れたが、藩では厄介者である月照の保護を拒否し、日向 国送りを命じる。これは、薩摩国と日向国の国境で月照を斬り捨てるというものであった。こ のため、月照も死を覚悟し、西郷と共に錦江湾に入水した。月照はこれで亡くなったが、西郷 は奇跡的に一命を取り留めている。享年46であった。「眉目清秀、威容端厳にして、風采自ず から人の敬信を惹く」と伝えられている。 墓は、月照ゆかりの清水寺(京都市東山区)と西郷の菩提寺である南洲寺(鹿児島市)にあ り、清水寺では月照の命日である11月16日に「落葉忌」として法要を行っている (新暦の毎年同月同日に実施)。 僧月性とは別人。 辞世の歌 大君の ためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも 月照 - Wikipedia より画像・文とも引用 |
エイブラハム・リンカーン(英: Abraham Lincoln, 1809年2月12日 - 1865年4月15日)は、第16代 アメリカ合衆国大統領。初の共和党所属大統領。しばしばエイブ (abe) の愛称で呼ばれ、オネ スト・エイブ (Honest Abe)、レール・スプリッター (the Rail Splitter)、偉大な解放者 (the Great Emancipator)、奴隷解放の父と呼ばれた。しかしその反面インディアンに対しては常に徹底排除 の姿勢を崩さず、彼らの大量虐殺の指揮を取り続けた。 リンカーンは奴隷制の拡張に反対し、彼の大統領就任はアメリカ合衆国を二分し、南北戦争に 結びついた。戦争中に彼はアメリカ史上その前任大統領に比べ最も多くの権力を手にした。リン カーンはその非常大権によって封鎖を宣言し、人身保護令状を保留し、議会の認可無く支出を 行い、個人的に戦争を指揮し、インディアンを保留地に排除し、それは北部連邦を南部連合に 対する勝利へ導いた。 エイブラハム・リンカーン - Wikipedia より画像・文とも引用 |
「日本ではこれをお寺などにある釣鐘の形とみて“釣鐘星”とか“つき鐘星”などと よぶ地方が多いのですが、なかには沖縄や東北地方のように“馬の面”といって、 西洋の牛の顔に通じるような見方をしているところもあります。 (中略)さて、この V字を形づくる星は、肉眼では5〜6等星の星にしか見えませんが、双眼鏡でのぞ くと、その数は一気にふえ、視野いっぱいに散らばる大小百個以上の星の輝きが じつに美しいながめとなります。このヒヤデス星団がこれほど大きく散らばってみえ るのは、距離が140光年という散開星団としてはわれわれにいちばん近いところに あるからですが、それと同時に、年令がすでに10億歳に達するという年よりで、星団 としてのまとまりが少々崩れかけているためです。 (中略)おもしろいのは、これら の星々が、まるで渡り鳥の群のように一団となって、いっかくじゅう座のε星付近に 向かって進んでいるということです。このようにひとかたまりになってある方向を目ざ して動いていく星団のことを「運動星団」とよんでいますが、このヒアデス星団の中で たったひとつ、1等星のアルデバランは、見かけ上はいかにもヒアデス星団のどまん 中にあって、主星のように見えますが、ヒアデス星団よりずっと手前の70光年のとこ ろにある単独の星で、星団とは何のかかわりあいもない星だからです。」 「星座ガイドブック 秋冬編」藤井旭著 より抜粋引用
「おうし座の顔を形づくるV字型の散開星団で、「ヒヤデス」の名で親しまれている。 V字の左側の先端には、赤色の1等星アルデバランというおまけまでついたぜいたく な散開星団だが、アルデバランは、ヒヤデスとはまったく関係がない。双眼鏡でV字 形が視野いっぱいに広がる。」 「エリア別ガイドマップ 星雲星団ウォッチング」浅田英夫著 より引用
「肉眼でV字型にならんだ美しい星団で、おうし座の鼻づらをあらわす。1等星アルデ バラン(α)とつながるが、これはヒヤデス星団の仲間ではない。ヒヤデスには“雨を 降らす女”の意味があるらしい。ウシのはなづらにみるよりは、“雨女”にみるほうが ふさわしく女性的なやさしさを感じさせる星団だ。散開星団中もっとも近く(約130光 年)、かなりひろがってみえるので、双眼鏡の視野いっぱいをうめつくしてみごと。 プレアデス星団と共に、肉眼か双眼鏡で十分美しい星団だ。」 「ほしぞらの探訪 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡による」山田卓著 より引用
「おうし座のα星アルデバラン付近に広がる大きな散開星団で、私たちにもっとも 近い散開星団です。アルデバランは、ヒヤデス星団よりもずっと近い60光年の距離 にある恒星で、ヒヤデス星団とはたまたま方向が一致しているだけです。ヒヤデス星 団全体がオリオン座のベテルギウスの方向に移動している運動星団のひとつです。 2.5cmの双眼鏡でさえ約50個の星が数えられ、この星団に限っては双眼鏡の視野 7°も狭く感じられます。」 「双眼鏡で星空ウォッチング」白尾元理著 より抜粋引用
「アルデバランをふくむV字型の大星団は、7×50の双眼鏡でみるとはみ出す こともなく、よいかっこうで視野におさまります。このなかには、非常に接近した 星があるのに気がつきます。δ1δ2は5.2等と4.8等で、430”はなれており、θ1 θ2は3.6等と4.0等で337”はなれています。τはV字からはなれていますが4.3等 で、63”はなれて7.8等星があります。どれもみかけの重星で、7×50双眼鏡で たのしめます。ヒアデス星団は天文学でいろんな話題をもっています。」 「四季の天体観測 肉眼・双眼鏡・小望遠鏡で」中野繁著 誠文堂新光社 より抜粋引用
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APOD: 2012 November 27 - Bright Jupiter in Taurus
APOD: 2018 January 18 - Blue Comet in the Hyades
ヒヤデス星団とパンスターズ彗星、右下の明るい星はアルデバラン 2018年1月12日撮影
APOD: 2012 December 24 - Hyades for the Holidays
The Night Sky November 2008 | Jodrell Bank Centre for Astrophysics より引用
「フラムスチード 天球図譜」恒星社編 より引用
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